首相の所信表明演説にみる大矛盾

5日、秋の臨時国会での所信表明演説があったので書いておく。

いまさらだが、自民党の首相なので、その根幹にある思想は、中道=介入主義(理論的には「ケインズ主義」)を基本としている。
だが、半世紀以上も前に自由主義の立場から、ミーゼスやハイエクが指摘したように、介入主義はかならず社会主義に飲み込まれる。

結論から先に書けば、まったくミーゼス、ハイエクの指摘は正しいことが証明されてしまった。

つまり、わが国は社会主義へと舵を切っている。

一見、消費税の一部減税や、エネルギーに関連する暫定税率の廃止は個人の選択の自由を拡大するようにもみえるが、その実は食品だけに限定した減税であったり、原油高騰時における補助金のカットが意味するいきなりの高負担は、国民生活には厳しい内容なのである。

この辺のメリットとデメリットにまったく言及していない。

それに、「ルールに基づく国際秩序」という国語表現にもトゲがある。
あたかも、ICC支援とウクライナ支援のことだけをいいたいようにも聞こえるからである。

アメリカとロシアをあからさまに敵に回すことが、国益となる根拠もない。

だから、前からいっている「責任ある積極財政」と同様に、枕詞に意味を持たせるパターンであって、そこにある共通は、「政府の肥大化」でしかないし、「経済安全保障」といいながらの規制強化が目的であろう。

まともに聞いたら「大矛盾」だが、矛盾がないという前提での「調整済み」が所信表明演説原稿の練った結果であるとすれば、論理破綻もない論理の強弁を貫けば、なんのことはないただの社会主義=国家社会主義の道を追求することでの大団円の独善なのだ。

これを、「ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)化」といわずになんというのか?

巷では、「高市やめろデモ」が激しいというが、マスコミはこれを伝えない。

左派だけでなく、右派だってこのデモには参加したくなるであろう。

これにまた、国務大臣が得意げに、自分に反対する首長がいる自治体には国家予算の配分を減らした、と自慢したことが大炎上している。
高市氏は、この人物を「盟友」としているお友達ではあるが、果たして「泣いて馬謖を斬る」ようなことができるものか?

むろん、本人も故事を引用して、演説内容に格調を持たせようとした意図はわかるが、いわゆる身分制のもとでの印象が強いがために、支配者たる自民党と支配される国民という構造が浮き出るという事態になった。

高市氏は、その自民党の「女王」気分なのである。

自由主義のもとでの、たとえば以下の表現は、どのように解釈されるものか?ミーゼス最晩年のアルゼンチンでの講演録(1959年)では「チョコレート王」やら「自動車王」を題材に説明している。

ここでいう「王」とは、もちろん封建時代の王ではない。
ここでいう「王」は少しも支配せず、むしろ「奉仕する」と説明している。

産業の「王」は、顧客に依存するので、家来である顧客の寵愛をいつも受けていなければならず、あるいは競争相手よりもすぐれたサービスを顧客に安く提供できなくなるとたちまち「王国」を失う、と。

そして、領主である「王」は、市場や顧客と無関係である、とも記している。

つまり、ミーゼスの説明を施政方針演説にあてはめて解釈すれば、わが国首相は、封建領主の「王」としての演説をしたのである。

だから、顧客たる国民と無関係でいられるのだ。

ちなみに、ミーゼスのアルゼンチンでのこの歴史的講演が、いまのハビエル・ミレイ政権を誕生させたのである。

ところが、わが国での認知度は低い。

あたかも、水銀(有機水銀ではない)があるからと化学を偏向させて、蛍光灯をやめる命令をし、LEDからの有害な紫外線をぜんぜん認識しないで学校や学習机につけるがごとくなのである。

これを本末転倒という。

本来の民主主義が機能すれば、選挙で顧客から選ばれなければ、たちまち「ただのひと」になる。
高市氏は、これをぜんぜん気にも留めないのは、民主主義が機能しないことをしっているからであろう。

ようは、無敵、だと信じて疑わない封建領主としての「王」なのである。

歴史は、そんな状態が長くは続かないことを示す。
『平家物語』の時代は近いのか?

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