日本の経済特区

70年代に、なんども失脚しては復活した奇跡の男、鄧小平が最後に実権を握ってから、「改革開放政策」がスタートしたのは、もう「歴史」になった。

ときに、日本でも、「MADE in CHINA」ブームになったのである。

わたしは、このとき小学生から中学生にかけてのことだった。
横浜には、いたるところに、「中国物産」がワゴンで売られていて、とにかく安かった。
日本的でない、きつい黄色の箱にはいった「鉛筆」は、1ダース12本入りで、100円もしなかった記憶がある。

もちろん、消費税なるものは存在もしなかった。

あれだけ商品が並んでいても、だれも見向きもしなかったのは、ちゃんと、「安かろう悪かろう」の法則が成立していからだけど、その品質の劣悪さを楽しんだわたしは、かなりのひねくれ者である。

この鉛筆の一番の思い出は、芯の中に砂粒が混入していて、書いていると突然書けなくなって、下手をすると紙が破れたのであった。
しかしながら、たまにある1本ではなくて、ほとんど全部のことだったので、これはこれで、一定品質だったのである。

このような鉛筆が大量生産されていることが珍しかったから、わたしは、その他の実用品でも、「MADE in CHINA」とあれば、ずいぶんとお小遣いを投じたものだ。
そして、「これならつかえる」を探したのだったが、とうとう当時はみつけることができなかった。

「100円ショップ」がでてきたのは、とっくにおとなになってからのことである。

それで、共産党がやっていた、計画経済体制のままでは、改革開放政策がうまくいかない、ということになって、「経済特区の制度」が発明された。
その地区内だけ、「規制を撤廃する」という、全体は計画経済体制だけど、ほんの一部を「自由化する」という、安直といえば安直な発想である。

香港返還にあたって、英国のサッチャー首相が、香港の自由が心配だという声に、中国が香港になる、と発言したのは、いまではおおきな間違いだったけど、当時のかんがえ方はサッチャー女史の方が的を射ていて、改革開放政策で中国は民主化も自由化もするという、根拠なき期待があったのだった。

しかし、共産党はそんなヤワなことをかんがえたり実行するはずもないという根拠をもって、ヒトラーができなかった「千年帝国」の野望を、しっかりと確実に実施しているのは、感心するしかない。

だから、「特区」はあくまでも「特区」であって、全土に拡大することもない、のである。

こうした「特区」のやり方は、中国の影響力がある、計画経済体制の国々がこぞって採用している。
台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ミャンマー・カンボジア・ラオス・タイがあるけれど、ちゃんと、日本もはいっている。

ただ、これらの国々は、タイ以外、かつてわが国が占領した欧米列強の植民地で、戦後になって独立した共通がある。
わが国が独立におおいに貢献したのは事実としても、それが、計画経済体制ばかりになったのは、わが国が戦後もずっと計画経済体制だからである。

安倍政権がやろうとした、「加計学園」の岡山理科大学に獣医学部を設立する問題とは、じつは、「国家戦略特区」としての位置づけであったものだ。

どうして、獣医学部をひとつ創設することが、「国家戦略特別区域」でやらないといけないのか?とか、そもそも、「経済構造改革」の一環にあることだとするのが、「特区」だから、獣医学部をひとつ創設することが、どうして「経済構造改革」なのか?ということの「根の深さ」こそが、わが国全体の問題なのであった。

それでかしらないが、いまは「特区」とはなるべくいわずに、「地方創生」という用語を編み出して、「内閣府地方創生事務局」が管轄している。
なお、シャッポには、内閣府特命担当大臣(地方創生担当)がいる。

念のため、わが国には特区は二種類ある。
・国家戦略総合特区(7カ所)
・地域活性化総合特区(41カ所)

ほぼ全国にあるこれらの対象区域が、中国のように大発展しないのはなぜか?

答はかんたんで、「アリバイ特区」だからである。
つまり、ぜんぜん「特別」なんてないのだ。
全国にわたる、「岩盤規制」を守るための方便にすぎない。

その方便の代表が、「加計学園の獣医学部」だった。

マスコミと野党は、安倍首相と学園経営者との個人的関係を攻めたてたけど、何のことはない、「岩盤規制」を維持することに執念を燃やしたのである。

なぜなら、そこにある「利権」が崩れたら、戦後構築してきた利権のネットワークが、ほんとうに壊れてしまうことをおそれたからである。
いわば、「蟻の一穴」にみえたのだろう。

つまるところ、利権の吸い上げ方が、中国共産党の芸術的仕組みのレベルにぜんぜん到達できない、後進国レベルにあるのが、わが国の実態で、これをやめるなんてことは、利権で暮らすひとたちには許せないことなのである。

これを、野党(口火を切ったのは福島瑞穂議員だった)にやらせたので、わが国利権構造の根の深さと広がりを示すのである。

わが国の経済が世界的に珍しく、30年も衰退しているのは、「特区」がないのではなくて、全国が規制だらけで、自由な経済活動ができないからである。

それを、前に、山梨県の事例で書いた。

いまや、山梨県が全国になった、のである。

日本は、ソ連型の共産主義・全体主義国家だ。
この前提となる重要認識すらもてないで、国の経済戦略に依存するのは、学習能力がなさ過ぎる。

いま、小学校で「発達障害」をいわれて、「薬物治療」を命じられる子供が増加しているのは、「国」全体が発達障害に陥ったからなのである。

「物理学」という呼び名の「哲学」

人間はかんがえることで生きている動物だから、かんがえることをやめたり、できなくなってしまうと、「廃人」になる。

残念ながら、事故や病気で、かんがえることができないなら、本人とは関係なく、家族や関係者がどんなに悲しんでも、どうにもならない。
しかし、それでも家族や関係者がいろいろかんがえることをやめないのは、それが人間だからなのである。

この意味で、「神頼み」になるのも人間だからだ。

人間しか宗教をもたないのは、他の動植物には、宗教をもてないからで、その境界が、「思考」の有無(可能性)なのである。
もっとも、人間以外の動物であれ、植物であれ、「必要性がない」という理由までを範囲としたら、たしかにそれでもちゃんと環境適合して生存したのである。

BBCがまともだった時代、科学番組の看板プロデューサーだった、Sir・デイビッド・アッテンボローが制作した番組はどれも素晴らしかった。
なかでもわたしは、『旅をする種子』には感動を覚えた。

思考して突きつめようとすれば、おのずと「哲学」となる。

それで、「哲学の専門家」が出てくるようになるのだが、そこにはざっと二種類の哲学者がうまれる。

・過去の哲学がどんなかんがえであったかを整理してまとめるひと
・じぶんで哲学するひと

どちらも、「哲学者」と呼んでいる。

「万有引力の法則」を発見したことや、「微分法」をかんがえついたり、「光のスペクトル」をみつけた、アイザック・ニュートンは、現代では、「物理学者」としてあまりにも有名だけど、本人は生涯、「自分は哲学者」だと認識していた。

ニュートンの時代に、「物理学」という学問分野はなかった、のである。

それよりも、リベラルアーツの最上位、「哲学」と。下位にある「数学」とを比較すれば、彼が自身を「哲学者」だと認識したことのふつうの方がわかりやすい。

もちろん、ヨーロッパの伝統に従えば、哲学の上位には、絶対的なタブーとしての「神学」があった。

それで、あのガリレオ・ガリレイは、宗教裁判にかけられて、ローマ教会が彼の名誉を回復したのは、2009年2月15日のことで、死後367年経ってのことだった。
ちなみに、ローマ法王(ベネディクト16世)が、「地動説」を認めたのは、この前年、2008年のことである。

このブログでは、何度も書いているが、現代人に擦り込まれた、「神学=迷信」といった前提における、「神学論争=水掛け論=永久に結論が出ない」という認識が常識になっているのである。
わが国では、「禅問答」と結びついての感覚が含まれるので、やっぱり西洋とのニュアンスが微妙にちがう。

そんな単純で野蛮な西洋だけれども、ここから西洋的合理主義がうまれた。
その代表が、ルネ・デカルトで、『方法序説』(1637年:三代家光の時代)が決定的となったのである。

「われ思う,ゆえにわれあり」

意味は、すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができない、ということだと解釈されている。

つまり、デカルトの発想は、個人主義を疑わなかったのだった。

しかし、あろうことかデカルトがいうとおり、「科学が進歩した」ら、とうとう量子力学が誕生して、意識そのものも量子によることがわかってきた。

しかも、その量子は、たえずゆらいでいて、その存在は「確率」でしかないのである。

すなわち、この世のすべては「バーチャル」だという、にわかに信じがたいことが、現代における最先端科学の結論になっている。

もちろん、このデカルトの言葉を論破したのが、カントだった。
カントは、「疑うこと」がリアルで、自分の存在がバーチャルではないか?と指摘したのだ。

しかし、事ここに至って、最先端の量子力学研究者たちは、2500年前の釈迦の哲学に行き着いた。

なかでも、日本で有名な、『般若心経』における、「空」の概念が、量子論的宇宙の構成と合致するという。

理論で予想されたブラックホールが、いまや観測されるまでになって、その内部に吸い込まれた物質の末路が量子にまで分解されるものの、「穴の内側」にある「壁」に、吸い込んだ物質の記録が書き込まれるという理論になっている。

これから、宇宙の壁、という一大記録(アカシックレコード)の存在がいわれ出したのだ。
これには、全宇宙の記録がある、という。

ならば、釈迦の頭脳にどんなことがあったのか?も、いつかはみつけることができるのだろう。

さいきんでは、得体のしれなかった「重力」の大本が、「万有引力の法則」ではなくて、全方向から降り注ぐ量子の打ち消しあった後の重みではないかともかんがえられるようになってきたし、時間も、量子でいえばデジタルのように、超微細に分断されているかもしれないという。

しかも、ふつうは、過去から現在、未来へと一方的に流れるのが「時間」だとしていた(光陰矢のごとし)ものが、未来から流れ出ているのだという話になってきている。
あたかも、われわれは、鮎釣りのごとく川に入って、上流からの水流に逆らっているように、時間をやり過ごしているのだ、と。

なるほど、最先端科学は哲学的なのである。

日本の体制転換

わが国が、社会主義計画経済体制から、いつ、自由主義経済体制へと体制転換するのか?をかんがえたとき、当然ながら参考になるのは、いちはやくこれを果敢に実行した中国である。

鄧小平が実権を握ったとき、上記の、「御用学者たち」が活躍したのであるから、やっぱり政治が先なのである。

中国の先見性から遅れて、ソ連圏の歴史的破滅となった、「体制変換」で、ソフトランディングに成功したのは、ポーランドだった。
社会主義国で「敵の研究」のために、自由主義経済を極秘で研究していたのが、レシェク バルツェロヴィチ(Leszek Balcerowicz)氏(民主ポーランド財務大臣、ECB総裁を経てワルシャワ経済大学教授)だった。

邦訳された著書、『社会主義、資本主義、体制転換』は、日本語版序文に、現代「日本に役立つ」として、わが国の社会主義体制を示唆している。

すると、本来であれば自民党がこの役割をすればいい、とかんがえるひとがたくさんいることはわかっているのだが、いまさらそんな期待を自民党に抱いていていいのか?と自問したい。

なにせ、その自民党政権が、狂ったように、「立法爆発」させて、とうとう家族破壊まで開始した。

法律がたくさんできるということは、規制がたくさんできるということだ。
そして、規制がたくさんできるということは、公金チューチューのための予算がたんまりつくこともセットになっている。

なんとか財団とか、なんとか協会が設立されて、またまた役人の天下り先が増えることも意味する。

わが国における「国会」が、法律工場であると同時に、国家予算の審議機関であることの意味は、まさにこうした仕組みになって、国民の自由(財産の処分もふくむ)を侵害するための機構に陥ってしまったのだ。

規制で自由が奪われて、徴税で財産権(可処分所得)も減らされる多数に対し、それをうま味とする少数の者たちだけが肥る社会だ。

鄧小平のおそるべき智恵は、支配と富の分散の絶妙をやってのけたことにある。
この意味で、自民党の親中派とは、たしかに「いまよりはまし」の体制転換派ともいえる。

とはいえ、日本のばあいは、とにもかくにも、「民主主義」でないといけない。

その民主主義が「機能する=動く」には、なにがひつようなのか?をかんがえると、ベースにあるのは、国民が政治を監視する、という態度を仕組み化することにある。

これを、戦後教育世代(=「団塊の世代」ともいう)以降の日本人は、「選挙」だと信じ込まされてきたのである。

誰に?
GHQにだ。

昭和40年代(1965年~75年)まで、つまり1947年~49年生まれの「団塊の世代」が選挙権を持つまで、わが国のあらゆる選挙の投票率は、だいたい8割を超えていた。

この団塊世代という、巨大な人口の「塊(かたまり)」の動向が、当時は「若者文化」とか「ヤング」といわれて、その層の厚さゆえに、さまざまな消費シーンで威力を発揮したのだが、おなじように選挙にも威力を発揮したのである。

それが、「棄権」だった。
選挙(=政治)なんかに興味はない。
投票所に行くくらいなら、パスして遊びに行く。

旧制の学校教育を受けていた親世代は、投票してから出かければいい、といってもきかなかったのである。
しかも、敗戦時おとなだった親世代の生活には、GHQが禁止した「隣組:五人組」の制度があったのだ。

これは、本来は、近所どおしの「互助組織」であった。
それを、近隣の監視システムにしたのが、戦時体制という全体主義だった。
それでもって、戦後ものこったのが、町内会における「班長制度」やら、ゴミ集積所の掃除当番とか、「防犯連絡所」という持ち回り看板だったのである。

「遠くの親戚より近くの他人」、が、そのままの生活があった。

なので、ずっと近所が近い生活だったし、娯楽も限られていたから、みたくなくとも行動がみえたものだ。
それに、どこかへ旅行へ出たら、かならず近所にも土産を配って、どこにいってきたのかも自然と報告しあっていたのである。

そうやってできた、「横並び」の心理が、家電の三種の神器にもなって、急速に普及したのである。

しかしながら、戦後教育世代(=「団塊の世代」)は、すっかり「自分だけ主義」を、欧米の「個人主義」と勘違いして、一票の価値を軽くみるように育ったから、自分ひとりぐらい棄権しても大勢に影響ないとかんがえるのがふつうになったのである。

けれども、民主主義における「監視」とは、ふだんから地元政治家の言動を監視することなので、これを制度化しないですすめたGHQの「日本民主化」とは、破壊的な悪意があったといわざるを得ない。

つまり、しっていてやらなかった「わざと」なのだ。

それでもって、アメリカではふつうの、一般人の政治活動への参加が、日本では胡散臭いもの、とされて、日本人は政治参加といえば選挙投票だけに限定されたし、政党も政党組織の組織化をやらず、政治家本人の後援会をもって組織と呼ぶことにしたのだ。

この方法が続く限り、わが国で民主主義の方法による「体制転換」は起こり得ない。
「システム」がないからである。

すると、ずっと溜まったエネルギーはどうやって抜けるのか?といえば、よくある三等国での「政変」しかないという悲惨となる。

ここに、中国やらの外国が、「騒乱に乗じて」と、舌なめずりして待っているとすれば、もはや絶体絶命の危機が準備されている状態となっているのである。

自民党が近代政党ではないために起きる、予想される悲劇である。

茂木幹事長が発表した、2022年末の自民党員数は、112万人というけれど、党になんの影響も、主たる活動もなんにもしない「党員」とはなんなのか?
アメリカの共和党RINO(Republican In Name Only)どころじゃない、完全名ばかり党員の112万人なのだ。

どんなにシャンシャン大会をやっていても、中国共産党が立派にみえる。

自民党員の無能が、わが国を亡国に追い込んでいる。

日本の株価が上がっている不思議

むかし、『コント55号のなんでそうなるの?』という30分の人気テレビ番組があった。
1973年から76年までの三期に分けて、日本テレビ系で放送されていた。

高度成長の歴史をとめた?、第一次オイルショックによる大不況は、1974年1月の「月次報告」から「観測」がはじまるので、会社が倒産して泣きたいひとたちがこの番組で笑っていたのである。

日本経済にいいところがないのは、15日に財務省が発表した、「5月の貿易統計速報」でも、22ヶ月連続の、「貿易赤字」であることでもわかる。
ただ、この1兆3725億円の赤字が、前年同月比では、42%縮小したことが明るいニュースになっている。

いま、後期高齢者以上の皆様には、そもそもわが国が恒常的な貿易赤字国になっていることさえも、信じがたいことだろう。
現役の頃に、「巨大な貿易黒字をどうするか?」に苦慮した記憶が刷り込まれているからである。

今回の赤字幅縮小の主たる原因は、原油と天然ガスの輸入量が減ったことで、また、ウクライナ戦争で高騰した原油価格が落ち着いてきたことも挙げている。
ドル建ててで、前年同月を19.9%下回ったけど、為替レートは4.8%の円安なのに、円建て価格も16.1%下がったのは、バレルあたりで34.7%も下がっているからである。

すると、どうして輸入量が減ったのか?が気になるところである。

生産部門の生産量や、稼働率が減ったのではないか?と心配になるからだ。
しかし、「なんでそうなるの?」というのは、電気代の高騰なのである。
輸入量と価格をかけあわせた輸入額の減少が、高騰する電気代と見合わないからである。

電力業界を仕切っているのは、ご存じの通りの、あの「経産省様」である。
いまの経産大臣は、国民に強制的な権力を行使するのが趣味とおもわれる、西村康稔氏で、通商産業省環境立地局調査官で退官しているが、官僚として最初の配属は、資源エネルギー庁石油部計画課であった。

おそらく現在の、資源・燃料部、政策課であろう。
キャリア官僚にみられる、外国留学で国際政治経済学での修士があるのは、その後のキャリアと関係しないのも、また現代的お役人様の特徴である。

税金で学位をとっても、国家に貢献しないのである。
だから、たっぷり税金を投じる、東京大学法学部の卒業生には、民間に「任官」することを義務化すべきなのである。

まぁ、だれが大臣をやろうが大差ないのが官僚制の官僚制たるゆえんなので、チョンぼってる河野太郎も大臣をクビにはならない。
悪いのは官僚なのだ、ということが、自民党政権を支えている一方で、局長にもならなかった人物が大臣を任命されても平気でいられるのは、同期や後輩官僚とねんごろだからである。

ではいったい、わが国の電気代はどうなっているのか?
速報とはいえ、貿易統計の示すところとぜんぜんちがう価格体系があって、さらにまた夏に値上げが予定されているし、なんと、西村大臣は、東京電力管内における、「夏の節電」を公式に要請するにいたっている。

電力会社の社長ではなくて、経産大臣がいうことの意味は、趣味を超えていないか?
つまり、越権である。

これにまた、「なんでそうなるの?」といわない、東京電力の株主が不思議なのである。
ものをいう株主ならば、早々に、経産大臣を裁判に訴えるだろうに。

しかしながら、訴えても得にならないからだとかんがえればその通りで、わが国の電気代は、「総括原価方式」で算出するのを通産省から経産省がしっかり引き継いでいるからである。
その大本が、国家総動員法による「日本発送電」体制を、「GHQポツダム政令」による、「電気事業連合会」としての強制改変だった。

これをやったのが、電力の鬼、松永安左エ門だった。
松永をしれば、東北電力会長におさまった白洲次郎の小物ぶりと、彼にまつわるプロパガンダがよくわかる。

この「総括原価方式」とは、電力会社の経費を「総括」して、つまり、「ぜんぶ」を、原価にして、それに一定報酬を足して料金を決める、という方式をいう。

なので、電力会社はぜったいに損をしないばかりか、経費増はどうでもいいのである。
それだから、わが国の電力会社はこぞって(=電気事業連合会)、産油国から世界最高価格で原油を買い付けているのである。

すると、これを許す政府と政界に、なにが起きるのか?は、恐るべき巨大利権になるのは当然なのである。

そこで、歴代の通産大臣、経産大臣の自民党派閥を、チャットGPTにきいた。
石破派、二階派、麻生派、竹下派、小泉派、安倍派と出てきて、ようはみんなでたらい回ししているのがわかるのである。

そんなわけで、こんな状況なのに、「なんでそうなるの?」と株価の高騰をかんがえたら、円安の中で日本株を購入しているのは、外国人投資家28%、機関投資家28%なのである。

つまり、日本企業が買いたたかれて事実上買収されている。

日銀が新総裁になっても大きく舵を切れないのは、日本株(日本企業)の防衛を日銀がやっているからか?とおもわれるのである。
この意味で、日本企業はこの事実上の買収からどのように自己防衛するのか?が問われている。

いま小学生やらの孫・子の世代が、就職先に日本企業がない、ということになりかねないのである。

株価高騰でよろこんでいるばあいではないのだ。

株式の所有権改革で資本主義を矯正する

タイトルでは、あたかも「資本主義」が存在しているかのような誤解を読者に与えてしまうかもしれない。

こと「資本主義」に関していえば、わたしは何度か書いたように、アイン・ランドの論に与している。
彼女は、「資本主義は未来のシステムだ」と呼んだ。
つまり、人類社会はいまだに資本主義を経験していない、と。

自由主義の碩学、ハイエクは、「マルクスが『資本主義』なる用語を考案した」と書いた通り、マルクスが多用する弁証法ではなくて、ゴールである「ありき」の共産主義からの演繹として、ありもしない空想の資本主義が通過点だと勝手にきめて、あたかも現実に存在しているとした。

人類の長い生活から、原始社会でも経済活動があって、物々交換からはじまったとされている。
それから、「貨幣」が発明された。
しかし、貨幣経済はなかなか発展せずに、金銀財宝の所有量が富の蓄積の象徴だったのである。

そんななかで、金細工職人が顧客から加工依頼で預かった現物の金を仲間内で使い回しして、とうとうその証拠書類が取引の対象になると、「銀行業」になったのである。

けれども、顧客から預かった現物の金を、じっさいに細工するにはいま預かっている別の金細工を完成させないと着手できないことのタイムラグをもって、仲間の細工師に自分が預かった現物をとりあえず横流しするという「不道徳」が、バレなければいいということでの「証券化」となったから、銀行業にははじめからインチキが埋めこまれている。

ところが、この不道徳が、金という貴重品の眠った状態からの解放となって、その証拠書類が「証券」となると、存在しない金でも、あたかもあったことにすれば、その間の時間に富が増えた。
これが図らずも、信用取引となって、貨幣にあてはめれば「信用創造」の大発明となったのだった。

よくみれば、「偶然」のできごとで、最初から「信用創造を意図した」者はだれもいない。
それだから、ひとびとの発想のどこにも「資本主義」にあたるものもない。
あるのは、ただ儲けたい、という欲望だけなのである。

だから、いま「強欲資本主義」と呼ぶことも、恣意的で正しくなく、ただ「強欲」だといえば済む。
なのに、資本主義をつけて、あたかも資本主義が悪いもののように扱うのは、マルクスの意図通りなのである。

さてそれで、事業をはじめるときの「元手」のことを、「資本」と呼んだことから、なんだか「資本主義」になったという勘違いがある。
だったら、貨幣経済ができた時代にいた商売人は、資本主義社会にいたのか?となるからである。

中世のヨーロッパや、アラビアン・ナイトのような中東世界の大富豪、あるいは中国の歴史や日本にも存在した大豪商だって、資本主義になる。

これといまの資本主義の区別をちゃんといわないで、なんだかよくわからない「産業革命」をもって、資本主義の勃興といっている。
順番は、資本主義が発生したから産業革命が起きた、とならないといけないはずが、そうなっていない。

つまり、蒸気機関ができたことと、資本主義の発生が一緒くたになっているのである。

すると、人間の主義としての資本主義はどこにもない幻で、あるのは、蒸気機関の工場と株式会社と銀行だった、というだけになる。
「主義」というなら、人間の思想としてなにか中世時代から、あたらしいかんがえ方が生まれたのか?を問えば、それは「堕落の一途」ではないのか?

工場労働者の誕生によって、労働者階級が生まれたのは確かである。
彼らを管理するための、ホワイトカラーもできた。
そして、どちらも「給料取り」になったのである。

しかし、工作機械がまだ細かいことを自動化できない初期には、工場労働者にも「熟練工」と「(不)非熟練工」とに分かれて、熟練工が工場や会社を選んでいた。
気に入らない職場環境があれば、サッサと別の会社や工場に転職を繰り返した。

会社や工場には痛手となるために、ホワイトカラーによる管理手法が開発された。
それでもって、工作機械がだんだんと自動化できるようになると、我が儘な熟練工を必要としなくなったのである。

その一大変化の変わり目を、吉永小百合が主演した『キューポラのある街』(日活、1962年)だった。

しかしながら、ずっと前に生まれた「労働者」が、ホワイトカラーの「サラリーマン」と一緒になって、「大衆」となったのである。

それゆえに、この「大衆」をいかにして支配するのか?の方便としても、民主主義が採用された。
かならず、ポピュリズム(大衆迎合政治)に変換するからである。

ポピュリズムをよしとするのは、大衆ではないのは、ポピュリズムで大衆が幸福にはならないからだ。

では誰が幸福になるのか?

それは、大衆の「群集心理」を利用することができる、少数の者共である。
しかし、愚民化された大衆は、ポピュリズムが「群集心理」としてあがなえないものとなって、とうとう自分たちを支配することに気づかない。

 

このように、大衆の大衆による大衆支配の構図の外に、大衆の習性を熟知して利用する少数がいる。

これこそが、グローバル全体主義者たちなのである。

そして、彼らが支配しているのは、巨万の富であって、「通貨(おカネ)」を仕組み上で支配しているために、あたかも何びとも抵抗できないかのようにみえるのである。

何をするのにも、ここまで「選挙」が重要な時代になったのは初めてだ。

欺瞞の民主主義を一新させないといけないし、この半世紀以上にわたる彼らが仕込んだ「仕組み」を変えないと、窒息させられる時代になったのである。

「イタリア人」は覚醒したのか?

逆神のマスコミが、「極右」と書いたら、どんなに割り引いても、「保守」が最適の表現になることがわかってきた。
逆に、「民主的な勢力」と書いたら、それは「極左」を指す。

最初に極右とされたのが、フランスの、マリオン・アンヌ・ペリーヌ・ル・ペン(Marion Anne Perrine Le Pen)で、通称「マリーヌ・ルペン」であった。

たしかに、このひとの実父、ジャン=マリー・ル・ペン(Jean-Marie Le Pen)は、これもマスコミが極右という、「国民戦線」の創設者で初代党首であった。

しかして、その「国民戦線」は、イタリアの「イタリア社会運動・国民右翼(MSI)」に影響をうけているから、本家は、イタリアにある。

3女にあたる、マリーヌ・ルペンが二代目党首になると、賢明にも「中道右派」へと転じて、党名も『国民連合』に変更し、さらに、過去からの過激主張をやめない父を除名処分にしたのである。

ちょっとだけ大塚家具の、父娘の確執を彷彿とさせるが、レベルがぜんぜんちがうし、なによりフランスの娘は優秀だ。

「国民戦線」であろうが、その後の「国民連合」であろうが、「極右」のレッテルが貼られているのには、フランス革命の、「自由・平等・博愛」(=グローバル全体主義)に公然と反逆するからである。

ここが、ねじれ、のはじまりで、そもそもフランス革命を肯定していいのか?という問題に行きつくのである。
もちろん、英国の保守主義の父と評される、エドマンド・バークの名著、『フランス革命の省察』におけるフランス革命の評価は、サイテーなのである。

すると、バークの立場からしたら、「国民戦線」とか、「国民連合」の主張が、正統になるのである。
昨今、これに気づいたフランス人が、「パリ祭:フランス革命記念日」の祭典を盛り上げないで静かにしていることの変化を、「ポピュリズム」だと批判している。

その批判者は、当然に、フランス革命賛美派であるマスコミなのだ。

そこで、面倒なのが、イタリアだ。
この国の歴史は、複雑で、日本人にはわかりにくい。

なにしろ、いまのイタリアになったのは、ローマ教皇領も併合して、首都をローマとした1870年(明治12年)なのである。

1776年7月4日を独立記念日とする、アメリカ合衆国と比べても、ざっと100年あたらしい。

それだけ、グダグダなのがイタリアだけど、フランス革命以降ずっと立ち位置が定まらないフランスと比べても、イタリアがフラフラ・グズグズしているのは、あまりにも異なる地域(かつての貴族領、いまの州)別の国民性にある。

はたして、「イタリア人」という一括りで語れるひとはあの国に存在するのか?と問えば、「いない」のが正答ではないか。

しかも、面倒なのが、「ファシズム」を掲げたムッソリーニの「ファシスト党」が、ドイツの「ナチズム」を掲げたヒトラーの「ナチス:国家社会主義ドイツ労働者党」とのちがいも曖昧になって、ただ、「極右」と評価されていることにある。

けれども残念ながら、ムッソリーニは、その過激さゆえに、「イタリア社会党」からも除名された、「極左」思想の持ち主だったのである。
ムッソリーニを評価していたレーニンは、この除名をした社会党を批判している。

「ファッショ=結束」をもって、全体主義に走るのではあるけれど、なんと、政治思想としての「ファシズムの定義」は、いまだに「学問的に」定まっていないのだ。

世の中とは、かくもテキトーなのである。

そんなわけで、統一イタリア初の女性首相、ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)氏は、日本ではかんがえられないキャリアから首相にまでなった人物である。
彼女自身が書いた自伝、『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』には、イタリア共産党支持者の父から棄てられた少女時代、保守派の母の影響と父への反動から右派になった旨の告白がある。

イタリア社会運動(MSI)を支持し、15歳の時にはMSIの党青年団「青年戦線」(Fronte della Gioventù)に入会したという。
それから、観光業・ホテル業の職業高校を主席で卒業し、ウェイトレスやベビーシッター、あるいは、バーテンダーをしながら、「党人」として活動してきたのであった。

まったく、わが国の社会が、いかに硬直的かがよくわかるのである。

それでフランスに再び目を向ければ、政党としても関係が深い、マリーヌ・ルペン氏からしたら、「同志」である、メローニ氏に先を越されたことになっているのである。

おそらく、イタリア人もフランス人も、上に書いたこの両者の事情はよくしっていることだろう。

このところの大変化は、得体のしれないふたりのグローバル全体主義の奴隷となっている女性、EU委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンと、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のラガルド総裁がしかけた、イタリア・イジメであったはずの、いうことをきかないとイタリア国債を買ってあげない、に、どういうわけかイタリア国民が反発して、なんと、自国の国債をイタリア人が購入するという「異変」がおきていることだ。

それでもって、ヨーロッパで超優良な、ドイツ国債との金利差が、わずか1.67%にまで縮小している(イタリア国債が低金利になって高騰している)ばかりか、今月、個人向けに発行予定だった新規4年もの国債の170億ユーロ分が、受付からすぐに完売したのである。

イタリア人が自国の国債を買うのに殺到した!のであるけれど、さっそくラガルド総裁は、ECBは過去から保有するイタリア国債の償還分にたいして、これまで同様買い換えをすることは「ない」、と発表した。

これにまた、イタリア人は、おおいに結構です、自分たちで買うから、と反応したという。

得体がしれないひとたちからの脅迫に、イタリア国民が「結束」して、いま「イタリア人」になろうとしているのを、メローニは「ファッショ」だといいたければいわせておけばいいのである。
それがまた、覚悟を決めた女性ならではの、一途になっているから、ここに登場した4人の女性が2対2で取っ組み合いをしているわけではない。

まともな政治をすると、イタリア人も目覚める「痛快」が起きたのである。

保守のベルルスコーニ氏も、これで安眠したのだろうとおもわれる。(合掌)

「二対一ルール」の恨み

トランプ氏を起訴した司法省の言い分を支持して、「起訴を免れたいなら検察と取引して、24年大統領選挙から降りればいい」といったのは、MSNBCで左派の輝ける論客でもあったキャスター、レイチェル・マドー(Rachel Maddow)氏の発言である。

対する、トランプ起訴に反対する大物ひとりが、あのハーバード大学で合衆国憲法を半世紀にわたって教えていた、アラン・ダーショウィッツ(Alan Dershowitz)教授だ。
このひとは、みずから民主党支持者と断りながらも、トランプ氏への一回目の弾劾裁判で弁護を引き受けた実績がある。

それは、憲法学者としての矜持でもあった。

しかしいま、教え子たちのおおくさえ、憲法を無視してでも、なにがなんでもトランプ氏を逮捕せよというアメリカ法曹会の趨勢があると憤慨しながら指摘している。
その怒りの著作、『Get Trump』は、なんと一般書店での取り扱いが拒否されて、アマゾンで入手できるだけの貴重品になっている。

ただし、創業者にして会長の、グローバル全体主義者、ジェフ・ベゾス氏からしたら、取り扱いたくないかもしれないけど、A.I.が引き受けたのだろう。
なので、残念ながら、アイン・ランドの著作同様に、邦訳もないのは、日本側のグローバル全体主義者たちが「ださない」と決め込むからだ。

今回の起訴について、自身が黒人で、民主党から共和党に転向した作家、キャンディー・オーエンズが語っているのを、山中泉チャンネルが邦訳をつけている。

そこまでしてトランプ氏が、エスタブリッシュメントたちに嫌われるのはなぜか?
逆に、そこまでして、黒人やエスニックらからも支持されるのはなぜか?
にもかかわらず、2020年選挙で(民主党の不正以外で)勝てなかったのはなぜか?

これを、参政党創立メンバーのひとりだった、渡瀬裕哉氏がその著作『税金を下げろ規制をなくせ』(光文社、2020年)で書いている。
それは、トランプ政権が「まじめに(政治を)やったら、2年で(全部を)達成してしまった」からだと。

なにを達成したかといえば、当初の「公約」のことである。

なんと、トランプ政権は、たった2年で、選挙公約をぜんぶ達成してしまった。
それで次のやることリストが不明確になって、抽象的な「MAGA(Make America Great Again)」しかいわなくなったので、選挙に負けたのだと分析している。

この指摘は、図星だ。

だが、トランプ氏の最大の功績を、日米とも、あるいは、欧も含めた全世界が認識できていないという。
もちろん、認識できない理由は、マスコミがこれを決して書かないからだ。

それが、「二対一ルール」の設定と実行だった。

トランプ氏の優れた経営者としての知恵は、彼自身を大富豪にしたが、彼はこれを、「国家運営」にあてはめたのである。

「新しく規制をつくりたいなら、古い規制をふたつ廃止しろ」が、それだ。
わが国の、「立法爆発=規制強化」の真逆なのである。

レーガン時代の減税よりも強力な「減税策」を実施しただけでなく、この強烈な「規制緩和」で、アメリカ経済を絶好調に導いたのである。
しかしながら、それをたった2年でやり遂げたから、中間選挙で民主党に連邦下院を奪還されて、後半の2年はがんじがらめにされたのだった。

この民主党のがんじがらめ政策が、あたかもトランプ氏の無能と関連づけることに成功して、つまりは、アメリカ国民を欺くことに成功して、民主党のバイデン政権がなったということだ。

絶好調の経済にしたのに、中間選挙で民主党が勝ったのは、予算削減と規制緩和のダブルパンチで、補助金を削られて、公金チューチューができなくなったひとたちからの恨みを買ったからである。
それでもって、バラマキの民主党バイデン政権がなったのである。

しかし、公金チューチューに縁のない一般人に、コロナ不景気と資源インフレがダブルでやってきて、生活の痛みで目覚めたひとたちが共和党に投票したのが、昨年の中間選挙の結果だった。
それで、トランプ政権後半の2年とあわせた4年間の民主党の「不正」とその前のクリントン時代からの巨大な「不正」が、いまあからさまになってきたから、とうとう「憲法を無視した起訴」という状況にまでなったのである。

つまるところ、破れかぶれなのは、民主党バイデン政権の方なのである。

しかしながら、どの国でも公金チューチューはおいしいから、この利権を守る意味での「保守派」は、文字どおりの「必死の抵抗」をするのである。

なんでもかんでもスケールが大きいのがアメリカだから、公金チューチューのスケールも日本のようなチマチマではない。
なにせ兆円単位なのだから、この攻防戦は激しくなるのが当然となる。

敢えて厳しくいえば、トランプ氏は善意の紳士にすぎたから、公金チューチューのネズミ退治が中途半端だったのである。
広島・長崎ばかりか、ジェノサイドを平然とやる、民主党の悪魔的行動を真似できなかった痛恨がある。

しかし、トランプ氏はやっぱりそんな根絶やしまではできないひとなのだろう。

いまさらだが、トランプ氏の大統領就任演説と、リバティ大学(バージニア州リンチバーグにあるキリスト教福音主義の私立大学)卒業式での演説をいましみじみ観れば、その有言実行ぶりがよくわかるし、「憤怒の鬼神」にはなれないのだとおもうのである。

これが、ドナルド・トランプ氏の最大の弱点なのである。

英・日への厳しいお仕置き

「DS:ディープステート」は、すっかりこのブログではおなじみになった。

最初に「DS」に言及したアメリカ合衆国大統領は、退任演説における第34代のアイゼンハワー(1953年~61年:共和党)だった。
ちなみに、副大統領はニクソンだ。

いまでは、DSが初めてコントロールした大統領は、戦後日本では「平和主義者」として教えこむようになっている、第28代トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(1913年~1921年:民主党)だったことは、明白な事実だ。

「国際連盟」の設立を提案しながら、彼のアメリカは加盟しなかったし、第一次大戦後のヴェルサイユ会議での日本の提案、「人種差別撤廃」を、議長だった彼が、いきなりルール変更して「全会一致」にしたために、過半数の賛成があったのに葬ったのであった。

ちなみに、わが幕末の大秀才にして、わずか25歳にして安政の大獄で処刑された、橋本左内は、欧米人の腹黒さから、向こう50年のうちに、「(ほんとうは大ウソだが)国際平和をうたった国家組合をつくるであろう」と予言し、まったくその通りとなったのだった。

日本のこの生意気な提案の「お仕置き」が、第二大戦の遠因となるのに、いまのウクライナ戦争の「代理戦争の構図」も理解できない日本人多数には、あいかわらず「DS:ディープステート」といったら、「陰謀論」だと決めつけて言論封殺するのが、「効く」のである。

DSの実態は、グローバル全体主義にある。

むかしなら、「国際共産主義運動」とかともいっていたが、「共産主義」という用語をつかうと、反発されるので、「グローバル」という用語に換えただけであるけど、予想外に「受けた」のだった。

何度も書くが、「資本主義」という言葉も、マルクスが共産主義のアンチテーゼとして考案した架空の概念なので、この世に資本主義が存在するのか?といえば、じつは存在していない。
しかし、徹底的に宣伝したので、地球人のほぼ全員が、資本主義の体制下か、そうでない体制下に二分されて生活していると信じている。

なんだか、ローマ教会が完全支配した、中世ヨーロッパの信仰生活のようなのである。
だから、外れたことをいうと、「異端(=陰謀論)」とされて、魔女狩りのごとく言論空間から抹殺されるのである。

そんなわけで、世界で最初に資本主義が発生したのは、英国、ということにして、たんなる蒸気機関の発明をもっていう「産業革命」を、むき出しの欲望に駆られた企業オーナーたちにより、一般人が苛酷な労働を強いられたことを、資本主義の矛盾、ということにした。

中世の価値観となんら変わっていないのに、である。

それに、たまたまこの時期にオランダ東インド会社がインドネシア支配のための資金を募集するのに発明した、「株式」の発行・販売による、「株式会社の誕生」をもって、資本主義なのだとこじつけたのも、通貨発行権を握った国際金融資本家の影響を、さもなかったかのように過小評価してみせるための偽装なのである。

とにかく、ワーテルローでのナポレオンの敗戦情報の独占をもって、イングランド銀行の経営権を手中におさめることに成功した、初代ロスチャイルドが、英国の真の支配者になっていまがあるばかりか、この一族の末裔が世界の金融経済を支配している。

ちなみに、イングランド銀行をウィキペディアで調べれば、「第二次世界大戦後は財務省法官(Treasury solicitor)が政府のために100%保有するところとなった」とあるけれど、ロスチャイルドの支配下にあることに変わりはない。
なお、アメリカFRBを支配する「JPモルガン」も、ロスチャイルド一族のひとりだった。

その彼らの思想こそ、国際共産主義=グローバル全体主義なのである。
革命家が革命国家を支配するのではなくて、革命家を支配するのが国際金融資本家なのである。

だから、驚くには値しないのは、革命家(さいきんでは「活動家」)こそ、利権を我が物にしようと暗躍するから、利権争奪の争いをもって、与野党が対立することになったのである。
そのエサを撒いているのが、飼い主たる国際金融資本家なのである。

しかし、たまに、上手の手から水が漏るごとく、「外れ」の、国民のための政権が誕生したりする。
それが、英国のトラス政権だった。
この政権が、どのように崩壊したかをたどれば、DSのやったことがみえてくる。

彼女は、「減税と積極財政」を看板にして、保守党党首選挙に勝ったのである。
にもかかわらず、通貨ポンドと英国国債の暴落、という目にあった。
これを、財源なき無謀に市場が反応したと宣伝し、なお、英国民には減税の対象が富裕層だけだともプロパガンダしたのは、BBCなのである。

わたしは、「ブレグジット・EU離脱」のお仕置きだとかんがえている。
なので、現スナク政権の、なんと(DSに)従順なことか。

もちろん、アメリカでのトランプ氏への迫害は、ほとんどヨーロッパ中世の魔女狩りに似ている。
ただし、トランプ氏は、これ見よがしの迫害をされるたびに、支持率を上げて、いまや、民主党支持層からも支持される様相を呈してきた。

ぜったいにDSに屈しない、ときっちり発言しているからである。

さてそれで、日本は、戦後DSによって経済発展が許され、とっくにシャブリ尽くされた英国とちがってDSのためのATMになっていたけど、巨大になりすぎて生意気になってきたから、そのDSが育てた中共との対立構造のなかに置かれることになった。

それで、「台湾有事」というありもしないシナリオだけがひとり歩きしている。

先月の広島サミットに、台湾を呼ばないのは、確かに中共に配慮したにちがいない。
けれどそれは、台湾だからではなくて、「生け贄」が日本になったからではないのか?

DSは、悪趣味なのだ。
生け贄に踊らすことまでさせるのである。

彼らが仕掛ける、新たな戦争は、日本分割、にちがいなく、それはかならず財政・金融危機から仕掛けるはずだ。

カネが尽きた日本から、米軍が撤退するとき、平和だった戦後秩序が終わるのではなく、自国防衛をまともにかんがえもしなかった日本が終わるのである。

設計主義の立法爆発

地球の歴史で有名な、「カンブリア爆発」とは、カンブリア紀に生命の分類構成における「門」が爆発的に増えたことをいう。
分類学では、生物ードメイン-界-門-綱-目-科-属ー種、と分けられていて、その中の「門」で多様性の爆発的発生があった。

これをもじって、「立法爆発」という現象が、わが国の1998年(平成10年)あたりから顕著になっていて、平成時代の30年間を通じてならすと、それまでの「倍」の法律ができているのだ。

よくぞ国会議員は頑張った!とはならないのは、わが国の立法は、原則、「内閣提出法案(=略して「閣法」あるいは、「政府立法」という)」がおよそ85%にもなっていて、諸外国とくにアメリカでは、議員立法「しかない」のと、みごとな対照となっている。

すなわち、わが国の国会は、「国権の最高機関」ではなくて、ただの「承認機関」に成り果てているのである。
逆にいえば、内閣提出法案とは、全部が内閣法制局を通過した時点で、ほぼほぼ法律になる、ということでもある。

その内閣法制局とは、各省庁の高級官僚が「出向」してくる機関だ。

ややこしいのが、わが国のばあい、東京大学法学部が、「三権」全部に卒業生を送り込むから、その卒業成績序列が、「同期」のなかで認識されていることだ。
なので、国家公務員の「総合職試験」に合格したひとと、「司法試験」に合格して、裁判官になるひとと、検察官になるひとと、弁護士になるひとたちの間で、同期卒の序列ができて、このなかからまた、国会議員になる構造なのだ。

裁判官が常に「首席卒業」でトップなら、司法から行政府を監視できるというものだが、この序列が、国家総合職にいくと、ほぼ一生の序列になる習性から、行政府の独走がとまらないのである。
これは軍人もおなじで、士官学校やら防衛大学やらの卒業序列が一生ものとなることと似ている。

採用後だと評価基準が複雑になってしまうから、学校の卒業成績の序列がもっとも「公平」というわけだ。
もちろん、東京大学法学部卒業以外は、さいしょから論外なのが、公務員の世界なのである。

しかし、ごくたまに、「以外」でも次官になることもあるから、全員がぶら下がったニンジンを目指して走らされることになっている。
役人の人事は、基本的に事務次官という役人がやる。
裁判所は、最高裁事務総局長という役人で、最高裁判事ではないのだ。

ただし、内閣法制局長官やら、官房副長官(旧自治省の事務次官だけ)の席は序列で決まることになっている。

その東大卒が、国家総合職で「半減」しているのは、国民にはよいことではないのか?
願わくば、東大卒は採用しない、という「区別(差別ではない)」が日本を救うことになるのではないのか?とおもう。

国家予算をたんまりかけて高等教育をほどこした人材は、防衛大学とは裏腹に、「(民間へ)任官せよ」といいたい。

ただ、肥大化する行政の典型に、「首相官邸」という役所があって、すでにここに3000人(役人と民間からの出向が半々)が勤務しているのである。

わが国の「戦後史」とは、じつは「被征服の歴史」でもある。
だから、高度経済成長も、その後の衰退も、ぜんぶが「征服者:DS」の意向で決まっている。

ついこの前までなら、「陰謀論」としてお笑い種になったろうけど、事ここに至っては、ただの「陰謀」であったことがはっきりしてきた。
その辺にある、「戦後史」とは、ほとんどがこれらの「陰謀」を隠匿するための、プロパガンダである。

さて、平成10年といえば、ちょうど小渕恵三内閣(7月30日)が発足した年である。
その前は、第二次橋本龍太郎改造内閣だった。

このハニトラ疑惑の首相は、なんといっても驚きの「村山富市内閣」の次なのだ。
「55年体制」が、本物の茶番、自民・社会両党の談合だったことが露わになったのである。
その前が、細川・羽田内閣という、初の非自民政権だった。

日本国民をして、日本新党・日本社会党・新生党・公明党・新党さきがけ・民社党・社会民主連合・民主改革連合というグダグダを選択せしめたのが、その前の、宮沢喜一内閣で、あたかもバブルが完全崩壊したからだった。

要は、宏池会のなかでもハト派の、元大蔵官僚、宮澤喜一とは、いまの岸田氏同様に、DSのいいなり、をみごとにやって、シナリオ通りわが国経済を破壊した。
当時のDSは、彼らが作った毛沢東の中国をしばし眠らせてはいたけれど、江沢民・朱鎔基と日本の財界に日本からの「経済移行」を命じたのである。

そのために、日本を自ら縛るための方策が、「立法爆発」なのである。

これで、世界における経済活動の自由度を下げることに成功し、わが国の凋落がはじまったのである。
つまり、わが国が30年間も衰退しているのは、わが国政府によるものだけど、そんなバカなことができるのは、DSからの指示・命令によるからである。

一方で、積極的にDSに従うことが「お利口さん」たる受験エリートなので、東大では、彼らにはたっぷりと「最高の知性」とたかが二十歳前後の子供をおだて上げて、「設計主義」をたたき込むのである。

あたかも政府は、万能である、という思想である。

優秀な官僚が制度設計すれば、愚かな国民を指導できる。
この「設計」に、「計画」が内包されていて、それがまた、「計画経済」という思想なのである。
けっして、「経済計画」ではなく、計画経済とは、共産主義・全体主義の本質である。

そうやって、わが国は、戦後GHQに種まきされた共産主義・全体主義が、バブルとバブル崩壊で芽吹いて、平成時代に花が咲いた、というわけだ。
令和のいまは、その花の実が落ちて、共産主義・全体主義が隅々まで蔓延しはじめたのである。

これを根本的に枯らせるための農薬とは、残念ながら、「脳薬」になるので、あらためて勉強するしかないけれど、自主的にはムリならば、DSの自壊に期待するしかない。

いや、他力本願ではなくて、いまや、「ここ一番」の最後のチャンスなのである。

恐怖を煽る「脅威論」

第二次性徴に伴う、「初恋」の痛さ「pathétique」を、『悲愴』と訳したのは、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番の題名で、ベートーヴェン自身が付けたあんがいと少ない事例のひとつだった。

わたしは、上のように勝手にこの曲を、「初恋の痛み」だと解釈しているけれど、それはだいたいが「失恋」で終わるからである。
その失恋の理由がたいてい、「片思い」なのだ。

祖父母もいる親元で育つ幸せな子供は、だいたい自分の主張がとおるものだと勘違いしている。

それが、人生ではじめて、まったく通じないのが、他人に対する初恋というもので、自分の存在への自信が自分のなかで壊れるのである。

しかも、その相手たるひとも、どこかで密かに別のひとに片思いの初恋をしているものだから、だれにとっても「甘酸っぱい思い出」となるようになっているのである。

身体の変化が男子より早い女子は、急激におとなびるものだけど、いつまでも子供から抜け出せない男子は、ゆがんだ発達をとげることになっていて、それが、「嫌い嫌いも好きのうち」とかという屈折した複雑性と、仲間内に見破られたくないという見栄とが生じる。

そうやって、男の嫉妬は、女性のそれよりずっと質(たち)の悪いものとなる。

覚悟を決めることができる女性は一直線なのに対して、覚悟をなかなか決められない男は、逃げ道の確保と、いい子でいたい甘えとで、うじうじとするからである。
これを、「女の腐ったような」というのは、覚悟を決める女が基準にあるからで、女性を蔑視しているのではない。

その典型のひとりが、ローザ・ルクセンブルクだったろう。

この革命の戦士にして理論家は、覚悟を決めた女性の迫力を示すもので、彼女と真逆の立ち位置だったのが、保守革命のマーガレット・サッチャーに相違ない。

世の中に、「ソ連」があった時代には、「ソ連脅威論」が花盛りだった。

そのソ連が経済的に衰退しているのが否定できなくなったら、徹底的に軍事侵攻による脅威がいわれたのである。

しかし、同時に、アメリカでは「日本脅威論」が台頭したのである。

たとえば、C.V.プレストウィッツ.Jr著『日米逆転-成功と衰退の軌跡』(1988年、邦訳はダイヤモンド社、同年)とか、ダニエル・バーンスタイン著『YEN!-円がドルを支配する日』(1988年:邦訳は草思社、1989年)とかがあって、いずれもアメリカではベストセラーになったのである。(『YEN!』の画像左下はドイツ語版)

 

 

そうやってかんがえたら、いまの「中国脅威論」は、かつての「ソ連脅威論」とあまり変わらないようにもおもえる。
ただ、ロシア人よりも中国人のほうがよほどしたたかで、田中角栄からしっかり社会主義の統治方法を学んだのだった。

この意味で、中国共産党の近代化に、わが国の自民党や社会党、それに政府官僚たちが多大な貢献をしたのである。

では、上記の「(日本)脅威論」は、いまでは読むに値しない、噴飯物といえるのか?

アメリカ人(ことに裕福な層)は、これらの読書経験を積んで、どうかんがえたのか?といえば、これらの脅威を「信じた」のである。
一方で、日本人はどうしたのか?といえば、まさかとおもいながらも、悪い気はしなかったのである。

もちろん、アメリカを従えることの妄想を歓んだ。
ヒールレスラーが、「ギブアップ」といって、マットを叩いている姿に、満足するように。

誰がいいだしたのかはしらないが、「アメリカに追いつけ、追い越せ」という、敗戦後の国家スローガンの達成に、おそるおそる自信を深めていたのが当時の日本人だったのだ。

しかして、どうしてアメリカがいつもライバルなのか?

どうして彼我の国力の差を冷静に顧みることをせずに、対等だと思いこんでいられるのか?

これが相手を変えて、英国ともなれば、急に萎えて跪くのである。
どうして弱者の英国だとこうなるのか?

結局は、刷りこみがあるのである。

わたしは、上記二冊を読み込んで、どうしてこうはならずに日本はコケたのか?を問いたいのである。
彼らはちゃんとデータを挙げて論を構成したから、アメリカ人が脅威を信じたのだ。

すると、アメリカ人のその後の「防衛本能」がしたことこそが、「陰謀」ではなかろうか?
日本を追い落とすための諸策である。

たとえそれが、「同盟国」であろうが、アメリカ人は他国に従うことを許さない。
日本を許さないのではなくて、アメリカ人として許さないのである。

つまり、意思(目的や目標)をもって諸策の策定と実施をしたのがアメリカで、流れに任せて意志をもたなかったのが日本という構図になるのである。

戦後の有楽町ガード下を彷彿とさせる、『星の流れに』(1947年:昭和22年10月、テイチク、作詞:清水みのる、作曲:利根一郎)の、「パンパンの歌」の哀愁そのものが、その後のわが国の姿を予言しているのである。

なんと、わが国は、国を挙げて「パンパン」になってしまった。

その途中経過(「売春防止法」制定前後の事情が劇中の背景にある)が、溝口健二監督の遺作となった、『赤線地帯』(1956年:昭和31年、角川映画、出演は、京マチ子 若尾文子 木暮実千代 三益愛子 沢村貞子の女性陣に、進藤英太郎 十朱久雄 加東大介ら)で、本作を観れば、いまよりよほどまともな国会があったこともわかる。

単純に、自虐をいいたいのではない。
国家の意思を持てない国が、国民国家といえるのか?という問題をはらんでいるのだ。

日本よ、日本人よ、どこへいく?

幸せの青い鳥は、すぐそこの目の前にいるのに!
この悲愴な姿は、初恋すらできない、発達遅れなのではないのか?とうたがうばかりなのである。