「人口カバー率99%」だって?

「宿の再生」をお手伝いしていると、どうしてもふつうのビジネスマンが行く出張とは趣が異なる。
その典型が、通信手段における「苦労」なのである。
パソコンやタブレットなどをスマホとともに持ち歩くのがふつうだから、スマホのテザリングでは割高感がある。
そこで、いわゆる、「ポケットwifi」を別途持ち歩いている。

公共の場所で使える「フリーwaifi」も避けたいのは、やはり「暗号化されない」という問題が、「もしも」のリスクとなるからだ。
「業務用」としては、ただほど高いものになりかねない。
「ポケットwafi」の電池切れは、絶望的な状態になるので、予備の電池も持ち歩くからそれなりの重量になるのである。

「SIMカード」を端末に入れる「べき」論はよく聞くことだけど、全部の端末にそれぞれ入れるのも「割高」になる。
最近は、複数SIMのトータルサービスがあるけれど、だ。
しかも、なぜか「先進的」であるはずの、アップル社は、「MAC」にSIMカードを刺す機能をつけていない。
だから、やっぱり「ポケットwafi」が必要になるのである。

そこで、よく議論の種になるのが、「格安はどれだ?」というものである。
もちろん安いに越したことはないけれど、「つながらない」ということが、最悪を生むから、優先順は「安い」にならない。
同じく、「速い」というのも優先順としては落ちるのである。

すると、世に喧伝されている「ポケットwafi」の「評価」は、わたしには混乱の元になる。
「(月あたりと通信単位あたり)安い」と「速い」ではなくて、「とにかくつながる」ことが絶対条件だからである。

そうなると、「キャリア回線」という選択になる。
しかし、厄介なのが、キャリアがキャリア回線の貸出をすることでの「格安」なので、「格安」では、混雑時間帯の速度が
極端に落ちることがある。
キャリアがキャリアと直接契約しているユーザーの利用を優先させるからである。

つまり、キャリアと直接契約するメリットは、ここしかない。

思わずボヤきたくなるのは、テレビのニュースを主たる情報源にしている、いわゆる、「情報弱者(情弱)」のひとたちほど、安易にキャリアと直接契約しているのである。
電話といえばNTTだと骨髄反射するからだと思われる。
それがテレビCMにも反映されていて、「無料のスマホ講座」を売りにして、高齢者の不安解消をアッピールしている。

情弱な高齢者は、「格安」ならぬ「割高」を喜んで選択しているのである。

けれども、悪いことばかりではなくて、「つながる」という当たり前が担保されている。
これは、都会ではなくて地方の生活ではより強く言えるメリットなのだ。
例えば、山間の農地での作業であっても、これからの季節になる山中での「きのこ狩り」でも、なにかあったら誰かと連絡ができることが、本当の「安心」だ。

地方にキャリアの「サブブランド」の店舗がないのは、「つながらない」ということの、提供側の不安心理が、契約者からのクレームになって都会に拡散することをおそれているからにちがいない。
そのクレームは、事実だからである。
だけれども、契約時に「つながりませんよ」とはいえないから、売らないのだ。

そんなわけで、地方の山間部に出かけることが想定できるわたしには、「格安」「高速」は、「役に立たない」ことのアッピールに聞こえるのである。
現に、都会を行動基盤にしている家内は、「格安」「高速」の端末をふだんは愛用している。
けれども、すこしでも田舎に踏み込めば、たちまちにして「つながらない」ことを体験できるのだ。

つまり、「人口カバー率99%」ということは、実際の数字ではなく、「理論上」のことなのである。

もはや、温泉旅館でも「wifi」は客用サービスとして必須になっているけれど、ほとんどが冒頭に述べたように「暗号化されない」ものだから、実務では使えない。
それで、有線LANにケーブル接続して、これを無線化するガジェットも販売されていた。
ところが、もはや多くのビジホでも有線LANの設備が、より安価な「無線化」にされてしまったから、遅れた旅館も無線化が一般的だ。

世の中は「5G」の普及がはじまったばかりだが、「電磁波問題」でオランダなどの一部の国では「禁止」されている。
それで、わが国は「6G」の実用化を急ぐという。
どちらにせよ、端末側の機能にもそれぞれの規格に準拠することが必要なので、すぐさまその恩恵を受けられない。

「高級」ホテルなどでは、どのような通信設備設定をするのか?
自身のPCなどがハッキングされないための「防御」を、「サービス要件」とすべきではあるけれど、不特定多数がおなじ部屋に宿泊するというなかでの機能提供は、オフィスとちがってあんがいと技術的困難を伴うことなのだ。

今や、誰も振り向かない、超低速な「音声カプラー」を自身で持ち込んでいた外国人客を見たのは、もう20年も前になる。
当時だって、超低速の時代遅れではあったけど、「世界中絶対につながる」という理由は、納得できるものだった。

さてこの問題、どうやって解決を図るのか?
それとも、あきらめて、「暗号化されない」けど「wifiあります」とするのか?

全国チェーンホテルのバラツキ

出張族にはおなじみの全国チェーンのビジネス・ホテルに泊まって気がついた「バラツキ」は、次回の宿泊施設選択に覚えとしてメモをしておく。
ただし、ここでの議論は、ビジネス・ホテルゆえの「人的サービス」ではなくて、「ハード上のこと」である。

ホテル業が「接客」サービス業だと信じているひとはたくさんいるけど、そんなことはない。
「グレード」によって、サービスの質と利用客へのまとわりつき方が違う。
だから、今ではあまりいわない「格安ホテル」は、人的サービスよりも「設計者が用意するサービス(ハード=機能)」が重要になってくる。

これは、例えば旅客機内のトイレの設計に似ている。
あの強烈に狭い空間は、用意するべき座席数との「トレードオフ」の関係から導きだされた、極めて綿密なる設計を要するものなのだ。
それは、「狭い」からといって、トイレとしての機能性を一切放棄していないことから理解できる。

しかも、高度1万メートルの上空でも、地上と変わりない「水回り」の機能を完遂させねばならない。
更にいえば、上水と下水との区分すら必要で、氷点下50℃を超える外気にあっても、地上ではふつうに処理できることが必須なのである。
清潔に使用できるようにするのは、客室乗務員の人的サービスではあるけれど、基本機能は「設計段階」という人的サービスで決定的になっているのである。

そんなわけだから、同じホテルチェーンの名前を冠していても、独自設計で建てたホテルと、赤の他人がやっていたホテルを買収した場合とでは、「中身が違う」のは当然なのではあるけれど、むしろ、赤の他人が建てた物を、「チェーンらしくする=統一」ことの方がずっと手間がかかることがある。

普通なら、独自設計の建物の評価が高いのだろうけど、今回は違う。
どこか別のホテルを買収したと思われる、客室の合理的設計に納得したのである。
だから、明らかにこのホテルチェーンが量産している客室では、不満が残るのだ。

このような現象があるのは、なにもホテルだけでなく、温泉旅館も、経営者のみならず従業員も、「泊まり慣れていない」という怪奇なことがあるからなのだ。
自社にすら「泊まり慣れていない」から、他社比較を「お客目線」ですることができない、「まさか」がある。
なので、客室の快適性をレポートするのは、何度も様々な宿に泊まり慣れているひとがやっている。
けれども、これらは「個人的見解」なので、なかなかに「決定的要素の発見」になっていないうらみがある。

いつの間にかに、「ビジホ」というグレードの分野が確立して、それがおよそ「14㎡」に集約されてきた。
個人が一人で棲まう「ワンルーム」なら、およそ「18㎡」だから、一泊毎に販売するビジホは、月額単位で住所登録ができる部屋より、4㎡の有利がある。
すると、50部屋で200㎡の違いが生まれる。

毎日の清掃の手間を考えたら、1㎡当たりの単価は上乗せされるから、ワンルームよりは割高に設定しないと「割に合わない」けれど、200㎡のアドバンテージが有効なのだ。
これに鉄道会社が目をつけて、「沿線」とは関係のない「展開」を開始した。
子会社の旅行事業を放棄して、ビジホ事業に熱心になったのである。

それでもって、旅行会社への手数料を負担と考えて、自社HPでの「最安値保証」をしている。
これもまた、奇怪なる現象なのである。
ところが、海外勢も含めた「ネットエージェント」は、「宿泊ポイント」なる手法で、「最安値」を流動化させてしまった。

利用者が得られるメリットは、なにも「宿泊料金」だけでないからだ。
航空券の手配や、レンタカーなど、「足」にまつわる各種予約の「ワンストップサービス」が売りになっている。
利用者は、こうしたトータルを「買っている」けど、それが簡単にできることにメリットがあるのだ。
そして、こうしたことの、個人と法人需要のちがい、についての研究が、外国ほどよく行われている。

そんなわけで、鉄道会社が系列で旅行会社をやっていたのに、「本社」にあたる鉄道会社はそのノウハウを全然理解していなかった、ということもバレたのだった。

さて、ビジホの全国チェーンの話である。
「接客」における「人的サービス」がどんどん縮小されて、「自動チェックイン」も当たり前になってきているし、「前払い」が原則になっているから、チェックアウトすら鍵を返すだけでよい。
その鍵も、「暗証番号」にしたら、とうとうそのまま何もしないでホテルを後にできるようになった。

つまり、このグレードのホテルは、「設備」こそが「サービス」になっているのだ。
リモートによる業務という時代から、夫婦二人の宿泊でも、デスクは二人分が必要だ。
おそらく、かつては「パウダー・コーナー」だったものを、ミニ・デスクとして改装したセンスが光ったのである。
ついでにいえば、テレビがある部屋とない部屋という選択肢もあっていい。

狭い部屋の空間にある、テレビがリモンコンとともに邪魔で仕方がないのだ。
すると、テレビがない部屋は、料金が安いと考える「昭和世代」の経営者が出てくること必定だ。
私には、テレビがない分の面積を他の電子機器で埋められるから、よほど価値が高い。
それが安いという料金発想をするなら、「もってこい」なのである。

JTBの情けない「広告」

「神奈川県にお住まいの方へ」として、都道府県民限定プランというタイトルの配信が、「るるぶトラベル」から着信した。
そして、直下に以下の文章が掲載されている。

新型コロナウィルス感染症防止のため、各地域により外出自粛要請等が実施されている場合があります。
お出かけの際は最新の情報をご確認ください。
また、ご旅行にあたっては旅のエチケットの実施等、感染拡大防止へのご協力・ご配慮をお願いいたします。

こういうのを、「マッチポンプ」というのである。

確かに、JTBは「日本交通公社」という、国家が仕切る電電公社とおなじ「公社」だったという歴史的背景があるのは理解できる。
しかし、電電公社がその後「NTT]となって、厚顔無恥にも国民財産を横取りした腹黒さを臆面もしないのに対して、なんというお行儀のよさであろうか。

例えば、「電話加入権」がその典型で、今とは金銭価値が違う時代に、数万円もの「債権」を強制的に買わされた。
そうしないと、電話線を引いてくれなかったからである。
しかし、「民営化」の折、一切の返金をしない、という強奪が白昼堂々と行われたのだ。
個人だけでなく、大量に回線を要したホテルは、従順にもこれに従っているけれど、どうして「株主」が文句を言わないのかいまだに不思議である。

それに、高利貸しの代名詞でもあった「電話金融」という、電信柱によくみた看板も、担保となる電話債権が紙切れになってこの世から消えて、サラ金地獄に変換された。
それでもって、法定金利の上限が過去に遡及するという「法外」で、現代の徳政令となって、それが「救済措置」になったのだけど、法人クライアントがいない司法書士や弁護士を救済することにもなった。

これを「恥の上塗り」というひともいない。

かつての大卒就職で、人気を誇ったのが、分割民営化された「JTB」で、もう一方の「公益財団法人日本交通公社」は、観光を研究する機関として生き残っている。
「わが国の観光文化の振興に寄与」とあるけれど、どんな「振興」があって「寄与」しているのか不明の、「公益」がつく不思議組織ではある。

もちろん、「エリート校」の卒業生が大挙して入社したのは、JTBの方である。
それでもって、他の大手旅行会社(昔は「旅行代理店」といった)とは一線を画して、「お山の大将」のような振る舞いも、あるいは万年赤字の「国鉄」をも見下しても、文句を言われない存在でいられたのは、なんとなく、かつての「興銀」のような匂いがしたものである。

興銀の東大偏重は、長銀の京大偏重という文化をつくって、日債銀のその他を見下しながらも、三社ともバブルの泡とともに、この世から消えた。
みずほ銀行のシステム不安は、興銀の呪いがあるとしか思えない。
「うどの大木」といわれた第一勧銀と、東京都の金庫番だった富士銀を、潰れた興銀マンたちが見下しているにちがいないからである。

ところが、見下される側にも「矜持」が乏しい。
受験の「偏差値」による格付けが、おとなになってもとれない「秩序」が、社内だけでなく業界にも形成されるからである。
このパターンが、旅行業界にもあるのだ。

それは、旅行業のなかだけでなく、宿泊業にも及ぶ。
鼻っ柱が強いホテルマンたちは、「士農工商エージェント」といってはいたが、客室販売の「流通ルート」を握る「エージェント」に、結局は頭が上がらない。
これを払拭するチャンスは、「ネットエージェント」が勃興したときだったけど、「業界が違う」という「堅気」の理由で、宿泊大手が買収して傘下に置くことなく、おなじパターンで支配下に入ったのだった。

ただし、当時の宿泊業経営者が、「インターネット社会」を理解できていなかったのは否めない。
航空会社系の「ディストリビューター」の天下でもあった時代背景を「常識」としていたのである。
これは、「天下のJTB」もおなじだったはずで、今日の苦境の原因といえるからである。
けれども、なにもJTBだけでなく、業界が読み間違ったのではあるけれど。

すると、いかなるマネジメント(社風)だったのか?ということになって、やっぱり「興銀」を連想してしまうのだ。

日本の報道はなくても、あるいは外国でも報道されなくても、ヨーロッパでは、どんなことが起きているのかの「生」情報は、旅行会社なら入手できるはずだ。
すると、なぜに日本政府のいう「緊急事態宣言」やら「まんぼう」に従順であるのかが問われるのである。
むしろ、「意味なし」を発信してこその「信頼」というものだ。

旅行会社の経営者は、この期に及んでもまだ「旅行商品を売る」と考えていることの証明が冒頭の配信だ。
そうではなくて、「情報を売る」ことが本業なのである。
このブログのタイトルを飾る、拙著の副題(本当は「本題」)の『観光、ホテル、旅館業のための情報産業論』を手前味噌ながら読めばわかることである。

なぜに「天下の興銀」が滅亡したのか?を、「間に合う」うちにJTBの社員は再考すべきであろう。

現代の信玄の道

「中部横断自動車道」が、8月29日16時に全線開通した。
せっかくなので、静岡ICから東名高速に乗って、新清水ジャンクションを直進したら、新東名も横切ってさっそく「新道」に進入した。
終点(=起点)は、中央自動車道の双葉ジャンクションである。

このルートの「旧道」は、「駿州往還」といわれた富士川沿いの道である。
いわゆる、「武田信玄の今川攻め」(1568年)は、このコースを辿ったのだった。
JR身延線も、この道をなぞっているのは、その急峻なる山岳地帯の谷間を抜けるしかないからだ。

富士川といえば、本州を弓なりに曲げているフォッサマグナの西の縁にあたる。
つまり、この谷間は地質的にも別格な造山活動の隙間なのである。
それで、古来より海と山とを行き来する「往還」の道だった。
このルートしか、人間の足では通れなかったのだ。

21世紀の人類がかんがえる、「地球のために」という「うわごと」が、じつは「たわごと」なのを実感できる。
それでも、高い橋脚とトンネルの連続で、「難所」を制覇したのは、土木技術の勝利といえるだろう。
どんな橋脚なのかを下から確認する「ツアー」があってもいい。
もちろん、宿泊先は下部温泉だ。

この温泉地域の難点は、食事の貧弱にある。
それがまた、あまりの山間地ゆえのものではあったが、行楽目的にしては地味すぎる。
「身延山久遠寺」という、一種のストイックな祈りの聖地がここに選ばれた理由にちがいない。
湯はいい、でもね、が特徴なのだ。

デトックスやダイエットの「聖地」になれそうなものなのに、誰もやっていない。

下部には射撃場があって、またここが「クレー(素焼きの皿)」のメーカー工場でもある。
久しぶりに訪ねると、会長がひとりで番をしていた。
道路が開通してまっ先に、家族で清水港の寿司屋に行ってきたと話してくれた。
「50分だよ!」という声には、張りがあった。

「旧道」しかなかったつい数日前までと、生活世界が変わったのである。
その意味で、富士川水系は静岡経済圏に編入された、ともいえる。
ちなみに、合流する笛吹川は、秩父を分水嶺として甲府盆地を横断している。
すなわち、山梨県の中央部が静岡県になったも同然なのだ。

武田氏滅亡後の甲斐国は、徳川家直轄になったので、駿府との一体感に不自然はない。
むしろ、自然が別天地として分けていたのだ。
こんどは本州の背骨に当たる「中央構造線」の真上を通る甲州街道の出口になる、八王子に鉄砲隊を配置した家康の用意周到こそは、自然の地形を十分に利用した「智恵」がある。

現代人の「知識」の頭でっかちが、家康の「智恵」にかなわないといえる。

すると、甲府盆地の東側、山中湖周辺を水源とする桂川は、反対の谷間を並行にする道志川とともに相模湖に注ぎ込むから、神奈川県の経済圏にある。
道志村の面積の8割を、横浜市水道局が所有するのは、相模湖が横浜市水道の水瓶にあたる水源地ゆえのことだ。
「道の駅道志」にも、横浜市水道局の自動販売機が設置されているし、道志村村営の「道志の湯」には、横浜市民も村民価格で入浴できる。

落選はしたが、道志村を横浜市に合併すると「公約」した候補が、先日の横浜市長選に立候補していた。
しかし、この話は、とっくに道志村議会と横浜市議会が「決議」していて、当事者ではない山梨県と神奈川県の反対で、現実化されていないだけなのだ。
これをもっても、民主主義が無視されている、といえるのである。

さてそれで、新しい道は高速道路なのではあるが、今回開通した30Km程の道は、なんと「無料」なのである。
なので、静岡IC(正確には新清水ジャンクション)から富沢ICまでが有料で、それから先の六郷ICまでが無料となり、ここから先の双葉ジャンクションまでが再び有料となる。
これは、国土交通省直轄の「国道」ということになっているからである。

つまり、なんだか「お得」で、そのトンネル工事の大変さを考えれば、むしろ「無料は悪」にも思える。
家族で寿司をつまみに清水に行くのが、なんだか羨ましくもあるのはこのことだ。
ついでにいえば、中央道の大月と新東名の御殿場も直結したから、富士山を中心に「口」の字型が完成した。
すると、大月を起点に、神奈川県と静岡県の経済ベクトルができたことにもなる。

神奈川県央の東名厚木から、圏央道の八王子ジャンクションでまた中央道と連結するので、「日」が横になった状態でもある。

滅多にいけなかった土地が、グッと近くなったのは、素直に有難いことである。

門前通り商店街の閑散?

浜名湖の門前通りは、「舘山寺」の門前をいうけれど、静岡市中心部の門前は、「浅間神社」である。
ここに、「門前通り商店街」という文字通りがある。
立派なアーケード街だけど、その残念な状態は舘山寺の比ではない。
おそらく、「市」は大金を商店街振興につぎ込んだはずである。

こんなになってしまうのは、全国津々浦々のことだから、いまさら特定の商店街をいってもはじまらないのは承知している。
しかしながら、県庁所在地のド真ん中にあることは、既にアドバンテージにならないことを示してもいる。
それが証拠に、静岡駅により近い「東海道の呉服町界隈」のシャッター街化がもっと目立つのである。

これは、300万都市の横浜もおなじで、かつての中心地「伊勢佐木町」は、青江三奈の歌った町名がつく「ブルース」の面影すらなく、甘いと息どころか住民のため息が聞こえてくる。
市民の購買力の低下もあるだろうが、ショッピングのための施設が急増したことが「分散」を生みだしたようにも思う。
さらに、コロナ禍(政府による)が、小資本の個人商店の気を削いだことも大きいだろう。

こうしてみると、政府の個人商店潰し策は成功し、大資本が有利な状態を作った。
5月の銀行法改正だけが政策ではない。
補償がある飲食店の話題はあるが、それ以外の対面接客業には何もないのだ。

ならば、門前町としてどんな祈願をしているのか?というと、これも不明である。
少なくとも、「祭礼」すら中止になって、境内への立ち入りにも「密に注意せよ」とある。
つまるところ、最後の神頼みも潰えてしまった。
それならば、廃業しか選択できない。

鉄道網の発達があるのは、人口密度と関係するから、地方都市に「網状」の鉄道は期待できない。
すると、自動車に依存するのは当然である。
近所の移動にも自動車を使えば、駐車場の有無が決定的な利便性と不便とを色分ける。
これも、商店街への逆風になった。

いくらか買えば無料になるショッピング・センターの大型駐車場と違って、商店街の隙間にある駐車場ではこれもできない。
しかしながら、門前町は昔からの密集があるから、参拝客用の狭い駐車場しか用意できない。
買い物の支払方法にも、様々な電子化(主に外国会社の進出)が始まったけれども、駐車場の支払における地域事情との連携がある支払方法がないのは、需要が国内ローカルだからである。

しかし、一方で「自動運転」とか「電気自動車」を、未来の姿といっている。
地に足が付いている感じがしないのは、たかが駐車場の支払管理も「未来的」にできないからである。

浜名湖を4分の3ほど回ってみて気づいたことに、ガソリンスタンドの値段表示の「高さ」がある。
調べたら、静岡県に大規模港がなく、製油所もないからだと理由の説明があった。
名古屋と横浜からガソリンが運搬されている。
それで、長野県と山梨県並の「高価が常態」となっているのだ。

今さらだけど、横浜が特段「安い」と感じたことはない。
何故か、厚木に「最安」があることを発見した。
わが家の近所のスタンドと、ときには20円/Lの差がある。
静岡駅前にあるスタンドとでは、ざっと40円/Lの差となるのである。

30Lを給油すれば、1200円も高いことになる。
生活の足としての必需品をイメージしたら、商工会議所にある「住みよい街 しずおか」は、単なるプロパガンダである。
しかし、横浜の本牧にある製油所も、人口減少という需要の縮小を理由に、経産省の命令で「廃止」が決まっている。
おなじ東京湾でも、「千葉」にある製油所が生き残るという。

開国してからの古い港である横浜港には、船舶のためのA重油の給油所はタンクローリーで運び込まれる。
戦後から整備された千葉港と製油所は、パイプラインで直結している。
それで、40円/Lの差があるのだ。
だから、経産省が作る高コスト・国民貧困化策は、やっぱりこの役所が、国家経済破壊省だとわかるのである。

そんなわけで、横浜も、もちろん神奈川県も、静岡県とおなじガソリン高の地域になると予想される。
石油会社が需要を見込んで経営することを許さない、社会主義国家としての非効率のお陰である。
しかし、ガソリンは高くておまけに二酸化炭素を排出するから、電気自動車にするのだという「政策」と無理やり合致させるのが、邪悪な日本政府が推進する国民生活無視の愚策である。

静岡の住民が、ガソリン価格をいつでも他県より高いのだと知らないはずはない。
隣の名古屋や神奈川県に「越境」すれば、すぐに気がつくことである。
なるほどそれで、コロナを理由に「越境するな」と言い出したのは、こうした「価格差」を隠蔽するためだったのかもしれない。

明日からは、山梨県に越境する予定である。
おそらく、静岡県と同等か、あるいは山梨県の方がもちっと高い。
三割の空き家率で日本一をキープする山梨県の衰退は、生活必需品の石油も日本一レベルで高負担ということに原因があるだろう。

両県をまたぐ「浅間神社」の神様(富士山)がこれをどのように見ているのか?

浜名湖の侘しい観光

「養殖うなぎ」の一大産地と知られたけれど、ピーク時からは3分の1以下になってしまった。

理由は、稚魚(シラスウナギ)の値段の高騰があるものの、外国産の安価によって競争力を失ったことが大きい。
うなぎを食べると元気になる、というのは、おとなになって実感した。
明らかに、翌日の「肌つや」がちがう。
このことに気づいたときは、それなりにショックだったものだ。

そもそも、うなぎの生態はほとんどわかっていない、という。
ニホンウナギの場合、南太平洋で産卵して生まれた稚魚が黒潮にのって日本の川に到達して、淡水の川で成魚となる。
海水と淡水を行き来できるので、生涯の行動範囲がやたら広い。
その「スタミナ」が、食した人間にも影響するのだろう。

産卵したところから養殖するのを「完全養殖」というけれど、うなぎの場合は産卵の現場がよくわからない。
なので、数センチに育った稚魚を捕獲して、これを育てる「養殖」ということになっている。
すると、外国での「養殖競争」では、かならず「稚魚の争奪戦」となって、買い負けるということもあり得る。
そこで、「コスト競争」ということが勝負を決める。

でも、そのコストの中で重要なのは、「要素価格」なのだ。
土地(の値段)、労働(の値段)、資本(調達の値段)の三つをいう。
それで、土地には、養殖池の値段も入るし、もっとも重要な「餌」の値段も入る。
良質な餌をどこからどうやって調達するのか?で、うなぎの品質が決まるからである。

これに、わが国の競合相手国では、「政治力」という要素が加わっている。
流通ルートを政治が支配しているからである。

そんなわけで、土用の丑の日ともなれば、「予約販売」もされるうなぎではあるけれど、比較的安価のは全部が輸入品ということになった。
庶民には「天然物」はもう手がとどかない。
ならば、せめて国産の養殖うなぎを食べたい、ということになったのである。

8月31日の意味が、「夏休み最期の日」ではないらしい。
はるばるやって来た、浜名湖の舘山寺あたりは、すっかり侘しさを醸し出していた。
観光客の姿はちらりほらりで、公営の駐車場も営業をしていなかった。
緊急事態宣言の影響かと思うけど、炎天下の舘山寺にも参拝客はいなかった。

「名刹」と看板にある「舘山寺」は、開祖は弘法大師とあるけれど、いまは禅宗の寺である。
「音感」がおなじ、漢詩で有名な蘇州の「寒山寺」とは、提携しているという。
どちらも「臨済宗」の寺院なのだ。
唐詩選にある、七言絶句『楓橋夜曲』は、中華料理店の飾りになっていることがあるけれど、作者の張継は、天下の「一発屋」ともなっている。

もし、コロナウィルスが存在しても、この炎天下では紫外線によって破壊され、1秒も保持できない。
「日光消毒」が効く最たるものを恐れるのだから、科学を信じないのが21世紀の人類になった。

あまたある「鰻屋」のどこにするか?
悩ましい相談ではあるけれど、知人からの口コミで行く店は決めていた。
行列ができる、ということだったけど、店内はバイク旅のひとが一人グルメをやっていただけだった。

考えてみれば、「鰻屋」というのは外国にはない営業形態である。
一種類の魚類だけを商売の対象にして、他はない。
「さばき」と「焼き」と「タレ」の絶妙は、訓練と醤油の発明がないと成りたたない。
そして、焼くときのあの「香り」こそが、臭覚と食欲がセットであることを自覚する。

「養殖うなぎ」だって、十分にうまかった。

さては、せっかくの「温泉地」なので一風呂浴びようかとおもったけれど、日帰り温泉の営業をしていなかった。
鰻屋でもらった「観光案内」を見ながら何軒かの温泉宿にも電話をしたら、「お断りしております」という日本語が返ってきて驚いた。
例えば「生憎当館では只今日帰り入浴の受付をしておりません」とかの言い方があるだろう。

電話に出るときに、館名と係本人の名前を名乗っている、まではマニュアルだろうが、そこから先は「お任せ」なのだと思われる。
営業のマネジャーも、「セリフ」のマニュアル化まではしなかったのだろう。
「ここはダメだ」が擦り込まれた。

10年以上前に、自転車で浜名湖一周をやって、くたくたになった思い出がある。
それで当時とは、舘山寺からは逆廻りとなるけれど湖周辺をドライブすることにした。
あのときの想い出が蘇って、懐かしかった。
しかし、景色に人手がないのである。

侘しさを胸に、浜松市内に戻ったのである。

京都を再び都にしたら

昨年6月29日、横浜市役所が新築されて、関内エリアから桜木町エリアに移転して業務を開始した。

「お手盛り」はわかっているけど、市によると、1889年(明治22年)に、「人口11万6千人という小さな市として誕生した」、とある。
これしか表現がないので調べたら、同年に市制施行された「大阪市」の人口は、47万人であった。
ならば、国際港としてのライバル神戸市はというと、同年、13万5千人で市制施行したとある。

役人は、こういう「作文」をするから、読む側が調べる手間を要する。

神戸とそんなに変わらないという事実は、その後の「市役所拡大」ストーリーに都合が悪いのだ。
それが証拠は、やはり国際港として開港し、同年に市制施行した、新潟市の人口は、4万4千人弱である。
なお、どの「市」もみんな明治22年に市制施行されたのは、この年に明治憲法下の「市制及町村制」が施行されたからである。

1965年の「法」によって、市となるための人口要件は、5万人以上、となっていて、2004年の「平成の大合併」では、合併の特例として3万人以上をもって「市」となるから、発足当時の新潟市こそ、今の法による「要件不足」ともいえるし、実際に周辺の村を合併したから、3万人を満たす、というレベルの「小さな市」だったといえる。
この点、横浜市の表現は、創意的感想であって、地方自治体としての「法的要件」を説明したものではない。

関内にあった旧庁舎は、開港100周年を記念して建設された、「7代目の庁舎」で、1959年に竣工した。
設計は、村野藤吾で、現役の宝塚市役所と兄弟になる。
延べ床面積は、約3万㎡。

新築された「8代目」は、地上32階、地下2階で、延べ床面積は、約14万3千㎡あるから、7代目と比較して4.7倍ほど「広くなった」のである。
ただし、7代目は「手狭」になって、周辺の民間ビルに「タコ足」状態で入居していた不便があった。
それで、土木事務所とかを除いて、あらゆる部署を集約させたのが「8代目」のコンセプトだと説明している。

また、この話には、区役所の「新築=拡大」は対象外だ。

「7代目」の設計時は、高度成長期にあたり、市勢も拡大の一途を辿る時期(当時は約170万人:現在は約372万人)だった。
当時の面積要件として設計者に提示された内容は、「本庁舎」としての機能要件から導いたのだと容易に想像できる。
人口増加に伴う役所の業務は、おおくは区役所に割り振られるから、「本庁舎」の機能要件を面積にどのような変換算定をしたのだろうか?

簡単にいえば、人口で約2倍強になったとはいえ、今後、日本一の人口を抱える横浜市とはいえども「急速な人口減少」が予想されているのだ。
それでもって、高度成長期の面積より、4.7倍を要するのは、「行政の肥大化」にほかならない。

もちろん、タコ足も含めた市役所本庁の役人も移転したから、民間のビルオーナーにとっては安定収入を失ったし、近隣の飲食店も「胃袋」を失った。
これがどの程度の経済マイナス効果になるかは、まだわかっていない。
市にとって幸いなことは、コロナ禍によるマイナスだと言い訳ができることだろう。

御用学者を役人が選んで構成する「新庁舎検討会」では、家賃負担分が自前のビルになることで減るという「経済効果」を示していた。
旧市庁舎近隣の衰退を計算しないは、市の会計だけで計算すればできるから、それは役人の仕事であって学者を動員する必要もない。

不思議なのは、このような「検討会」を「市議会」に置かないことだ。
なお、市議会事務局は、市職員とは別の組織として採用も別にすべきであると思う。
日本人に、都道府県・市町村議会が「地方立法府」だという感覚の欠如がある。

そんなわけで、4選にあえなく失敗して落選した現職市長の、歴史に残る業績として、新市庁舎の超高層ビルが残った。
それでも、3期もやった市長をクビにしたのは、あんがいと珍しい出来事である。

さて、行政(役人)は必ず肥大化する。
これは、以前『パーキンソンの法則』として紹介した、欧米ではふつうに有名な「真理」なのである。
ただし、パーキンソン氏は、この法則を役所に限って指摘したのではない。
十分に、民間でも起こりうるのである。

だから、無理やりでも、意識的に肥大化を避けるために業務を圧縮することが必要になる。
外資では、ミーティングの場で「それってパーキンソンの法則になりませんか?」という、部下からの自由意見での指摘に、確実に上司は敏感に反応する。
もしも、指摘通りの事態となったら、直線的に上司としての「無能」が問われることになるからである。

だから、巨大化した日本政府を、いかに「京都御所」の面積に収めるのか?という命題は、検討する価値がある。

もちろん、「紫宸殿を見下げる」なんて不敬は許されないし、コンクリート製だって景観を破壊する。
「必要性」とか「機能」を基点に考えずに、とにかく「収める」という形式にこだわるのである。
政府によるほとんどの「必要性」や「政府機能の充実」とは、国民支配の方便にすぎないことがコロナでわかったではないか。

御所に収める、これが、結果的に効率を生んで、自由社会の日本を発展させるのである。

「クライシスアクター」というお仕事

「アクター」だから、「俳優」である。
あるシナリオに従って、「演じる」ことで収入を得る。
しかし、ふつうと違うのは「クライシス」が頭についていることだ。
「危機」とか「危期」の意味があるので、「ニュース」になる。

すると、ただの「ニュース」ではなくて、「フェイク(うそ)」が頭につく「ニュース」ということになる。
あらかじめ、これは、「フェイクニュース」だと断って視聴者に知らせれば、たちまち「娯楽」とか「警告」になるものだ。

しかし、そのまま「ニュース」として報道機関が流したら、「やらせ」になって、謝罪と罰則が必要な、行為そのものの「違反」が問われることになる。
なぜなら、「職業倫理」に触れるからである。

「フェイクニュース」を「ニュース」として流したものを、「ファクトチェック」するという職業もできた。
ところが、「ファクトチェック」が「フェイク」だという疑いもあるから、大変面倒な社会になってきた。

「価値の相対化」が、「真実の相対化」になって、信じたいことが「真実」で、信じたくないことが「虚偽」になったのである。

すると、信じたいひととそうでないひととで、「真実」が変わるという事態になったといえる。
裁判では、「真実は一つ」という前提で、「さばき」が行われるはずだったけど、有力弁護士による「こねまわし」で、「真実は無視される」ということは、とっくに起きている。

これを、「具体的に見せてくれた」のは、「ロッキード裁判」という「劇」があったし、なによりも「東京裁判」という「茶番劇」があった。
「真実」としての「茶番」なものを、「立場」から「真実」としないと都合が悪い社会になった。

これが、「あの戦争の意義」という根本に立ち返る理由なのである。

だから、「価値があった」とする側からの「真実」と、「価値はない」とする側からの「真実」が、真っ向対立したままになっている。
もちろん、価値がないとする側が優勢なのは、「立場」からの目的合理性に合致するからである。

では、その立場とは何かと問えば、「敗戦利得」ということになる。
戦争犯罪人やら、公職追放やらという「革命」で、自分の上の立場の人たちがいなくなったことでの「利得」を得たひとたちが、「戦後社会」を作ったのである。

これが、三代四代と続いてきたので、「家禄」のような「利得」になった。
つまるところ、この利得者たちで構成される社会が、わが国における「表社会」の本質なのだ。
そして、これを、「裏社会」が支えている。

わが国の「宗主国」である、アメリカ合衆国で起きた「第二の独立戦争(あるいは第二の南北戦争)」が、トランプ大統領の誕生からはじまった。
何度も書くが、このひとは、アメリカに巣くう伝統的な「支配体制を破壊」することに努めたのである。

それが、民主主義の危機をあぶり出したのだった。

だから、日米で、あるいはヨーロッパでも、既得権者たちの大反発を招いた。
そのなかに、大手マスコミも含まれる。
彼らの「政権批判」とは、実は「政権応援歌」だったからである。

しかしながら、トランプ氏の攻撃があまりにも「有効」だったから、既存の方法ではかなわない。
それで、とうとう禁断の「フェイクニュース」の大量生産を開始した。
コロナもこれに加わったのは、タイミングからしても「人為」だと想像がつく。

宗主国がはじめれば、わが国での既得権危機はもっと深刻だ。
それで、恥も外聞もないことになってきた。
ところが、ビッグテックがつくった情報網を、国民が手にしている。
それで言論空間をコントロールしようと「検閲・削除」をして、抵抗しているけれども、上手の手から水が漏るように、全部の都合の悪い情報を防げないことになった。

これはこれで、自作のシステムが機能不全になったのだった。

地震やテロの「悲惨な現場シーン」ではじまった、フェイクニュースづくりのための「俳優起用」とは、まったく「映画撮影」の手法がそのままに使われて、徐々に「若年層ワクチン接種」でもはじまっている。
「エキストラ」の募集が、堂々と行われることになったのだ。

「急募」「未経験者歓迎」として、岡山県で募集された「ワクチン接種のデモンストレーションのエキストラ募集!4/28・4・29の2日間のお仕事!高時給1,400円!」の「魚拓」がとられている。

服装:私服(オフィスカジュアル)
ワクチン接種会場に来場し、ワクチンを受け、会場を出るまでのデモンストレーションです、とある。
そして、「係員の誘導によってワクチン接種を受ける役、受付をして、ワクチンを受けるふりをする」とも。

この様子を撮影して、放映するから「エキストラ募集」なのだろう。
ならば、発注者はだれか?

東京の民放テレビキー局社員で、ニューヨーク特派員ということになっている女性は、まるで『キューティーハニー』のようで、さまざまな職業人に扮装して、さまざまな役柄を演じていることで有名になっている。
テレビのインタビューにこたえる「役」なら、多数の局で俳優がいることも、動画で確認できる。

勇気あるひとが、この東京のテレビ局に「質問状」を出したけど、返事はないという。
でも、演じる本人だって「その目的=詐欺」を知っているなら、「同罪」だ。

もしも「事実」なら、大事件になる。

「いけず」な京都の沈黙

久しぶりの長距離「出張」で、京都に行ってきた。

すいていると思われる、列車番号が「200番台」の、JR東海(東京-新大阪)区間だけを走る新幹線「のぞみ号」は、やっぱり空いていた。
ガラガラのおなじ車内で、京都で降りたのは6人だった。
わたし以外は、観光目的に見えたので今どきを思えば妙に珍しかった。

暑いこともあるけど、ダラダラの緊急事態宣言で人出が少ない。

体温を超えるのは、東京も名古屋もふつうになったから、盆地の京都の夏が特別に暑いのではないのだが。
驚いたのは「祇園界隈」で、四条通りのアーケード商店街が、シャッター通りになっていたことだ。

四条通りが東で突き当たるのは、八坂神社。
この正面が「西門」になっているのは、東西南北・京都のマス目状の形状からすれば当たり前だけど、「神社」としての、「正門」は「南」なのだから、この門は正門ではないのである。
このことは、「仏教寺院」もおなじだから「南大門」ということになっているし、都の入口にあたる「羅城門」だって、南に向いているのだ。

よって、四条通りと交わるT字路は東大路通りだけど、その1本さらに東側の道(下川原通)が、八坂神社の正門(南楼門)がある表参道になっている。
ここを歩くひとがいないので文字通り「閑散」としていて、なんだか、人類滅亡後の街のようなのだ。
ついこの前まで、予約が取れず盛況を誇っていた宿が軒並み「廃業」しているという。

営業自粛がなかば強制になっても、飲食店にはまだ休業補償はあるけれど、宿泊業は保障がない。
祇園やらの花街のひとたちは、お茶屋に派遣される無店舗営業だからどうなっているのか。
花見小路では、襟が黄色の新人舞妓が、お付きがかざす日傘の下を歩いていたのが印象的だ。
昼からお座敷をやっているのだろう。

炎天下、あの着衣での徒歩移動は、それだけで重労働としてその顔にあらわれていた。
きれいな絹のおべべに汗染みができそうだし、襦袢の下は不快極まりないにちがいない。

それでも、京都の「いけず」なひとたちは、「観光公害」がやわらんで「よかった」と言っている。
これが、「いけず」なのは、「本音とちがう」からである。
内心は、「冷や汗」が吹き出しているはずなのだ。
そこまでしても「強がる」わかりやすさが、「いけず」なのである。

観光立国の不可能とは、いまの京都を観察すればよい。
「公害」だといえるほどに、内外の観光客が殺到していた頃が、もはや「懐かしく」かつ「よきことだった」と認識しだした。

あの「日常」こそが、「夢幻(ゆめまぼろし)の如く」になった今、実は「当たり前」ではないことを「当たり前」と思いこんでいただけなのだと、ある意味「正気」を取り戻している。
地元の京都人は「お土産物」なんて買うはずがない。
だから、京土産店の閉店は、当たり前の日常になったのであるけれど、衰退のすっぴんが街を意気消沈させている。

「観光産業」とは、かくも脆弱なものなのだから、「基幹産業」にはならないし、「してはいけない」のである。
ポスト・コロナの京都人は、この意味でグレードアップした「いけず」になれば、学習効果というものだ。
しかし、羹に懲りて膾を吹くこともあり得るから、結論を急ぐことはできない。

いつの時代でも、農地がないのが「都」の特徴である。
いわゆる、「都市」としての機能でいえば、生活物資の「消費地」としての顔と、流通と二次加工品生産の顔との二つがあっても「食糧生産」のための土地はない。
これが、「住居兼店舗」とか、「住居兼家内工場」になったのである。

その意味で、京都市内の地場産業が、織物や染め物、焼き物や小物などの軽工業と、これらを販売した呉服屋と問屋だったのには、小細工はない。
購買層は、貴族を中心にした朝廷(中央政府)と文化を消費できた旦那衆だった。
だから、貴族が消えて、旦那が絶えたら、急速に縮小をはじめたのだった。

この「穴」を補ったのが、内外からの観光客だった。
それでも伝統的地場産業の衰退が止まらないのは、購買層の変化に対応できなかったからである。
しかし、その対応の困難さは、一言では表現できない。
なぜなら、内外の観光客の正体こそが、「工業社会における大衆」だったからである。

すなわち、けっしてかつての貴族と旦那衆ではなかったのだ。
しかも、貴族と旦那衆を相手に、1000年間以上も商売をしてきた「日常」があった。
だから、すぐさま「内外の大衆相手」という、想定顧客の転換には驚くほどの困難が伴うのである。
この顧客層が要求する「商品」とは、大量生産大量消費の恩恵でしか提供できない「刹那」なのだ。

ならば、安かろう悪かろうになって、提供者の「家門」となった矜持が許さない。
1000年間以上の日常には、「信用」が含まれる。
この「信用」こそが「命」だから、背に腹はかえられぬ。
詰まるところ、「信用維持」こそが「衰退の原因」になった皮肉があるのである。

ちなみに、昭和の修学旅行生たちを餌食にした、略奪的土産店がその後駆逐されたのも、彼らがおとなになってからの「不買」による。
ただし、いまだにお上りさん狙いの店があるから、買い手に求められるのは、知識を伴う目利きなのだ。

さて、いまも、かつての「都の豪商」たちが、静かに没落している。
これを、「盛者必衰の理(ことわり)」ともいえないことはないけれど、伝統的日本の良心の衰退、ともいえる、実は国家的損失なのである。
とはいえ、役所が税金をもってこの衰退をとめることはできない。

信用の維持という衰退原因を、カネで解決することができないからである。
では、この「信用の維持」でいう「信用」とはどういうことか?を一遍追及して、定義づける必要がある。
これは、「欧米的思考方法」だけれども、おそらく出てくる「再定義」は決して欧米的ではないだろう。

こうした哲学を、早くやっておかないと、全部が衰退して取り返しがつかなくなる。
京都にして「これ」だから、かつての「藩」が支えた地方なら尚更なのである。
中央が一律支配する、「産業(資金)政策」の要、「銀行法改正」で解決できるものでもない。

「沈黙は美徳」とはいかないのである。

「スエーデンに学べ」るか?

スエーデンの「高福祉」をもって、「理想社会」を強調する左翼(社会主義を理想とする)学者は多数いる。
ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊して30年たつのに、まだこのようなひとたちが「生産」されつづけている。

おそらく、学校における教師たちの策謀が、成績優秀の「被害者」を量産しているのだろう。
教師(うえ)から命じられたことに、従順であれば、「成績が上がる」ように設計されているのも、社会主義者がつくった戦後教育制度なのだ。

けれども、それが「高負担」だということを同時にいわない、という特徴が批判の的になって、議論は平行線をたどることになっている。

一体全体、なにを研究しているのか?
研究そのもののテーマも、「高負担」に触れないことを前提にしているのだ。
「日本学術会議」でわかるように、各学会の「最高峰の学者たち」が、政治的(社会主義)活動家集団を形成しているからである。

もちろん、「福祉国家」とは、「社会主義国」のことを指す。
わが国が、「福祉元年」を「宣言した」のは、1973年、田中角栄内閣のときのことだ。
なお、いまにつづく「国民皆保険」が完成したのは、それより随分前の1961年である。

なので、実質的にわが国が「社会主義体制」となったのは、この1961年で、田中角栄内閣は、「もっと福祉を!」と叫んだのである。
これは、「日本列島改造論」とともに、首相としての「国家観」の主張でもあった。

現内閣の「国家観の喪失」と比べたら、ずっとわかりやすい時代だった。
「角福戦争」で知られる、血まみれのジャパニーズ権力闘争を演じた、福田赳夫の「経済の福田」とは、本来、より「自由主義」的であったけど、田中派による金権政治で自民党支配が完成すると、党そのものが田中派になったのである。

その状態のまま、現代に至っている。

大蔵官僚出身の福田の「経済」は、上に書いたように本来は自由主義の維持だったはずが、71年のドルショック、73年の石油ショックの後に組閣した(1976年から翌年まで)ので、不本意ながら「赤字国債」を発行して、ケインズ政策(実は社会主義政策)の公共事業による景気拡大策をとらざるを得なかった。

不肖の息子の福田康夫内閣は、バリバリの社会主義政策を推進したから、「草葉の陰」で、親父のむせび泣きが聞こえたものだ。
「年金記載問題」とかで大揺れしたときも、「政府が手続きを楽にしてやる」のになんで反対するのか?と言ったのだった。

2008年の改造内閣発足時には、「安心実現内閣」と自分で命名して、さらなる「親の顔に泥を塗った」のであるけれど、気づきもしない神経は「異常」であった。
残念ながら、わが国初の「親子で首相」ではあったけど、親の教育の失敗例となったのだ。

そんなわけで、元自民党衆議院議員にして経済学博士の山本勝市『福祉国家亡国論』(1975年)が、「復刻」(令和元年)されたのは、今の日本人に「必読」として価値がある。

さてそれで、スエーデン政府は、10月1日から、新型コロナウィルス「対策の全廃」を発表した。
マスク強制はもとより、ワクチンパスポートも、ワクチン接種も、PCR検査の強制も「やめる」、と。

いわゆる、「インフルエンザ並み」と決めたのである。
だから、「政府として」やることは何もない、という判断だ。

ふだん、福祉はスエーデンに学べ、と声高に言っている学者たちは、このニュースに「無反応」になっている。
まさに、「お里がしれた」のである。

科学が政治に従う、専門家会議分科会とはちがって、政治が科学に従うのは、21世紀の常識のはずなのだ。
にもかかわらず、このブログで何度も書いた、「ソ連科学アカデミー議長ルイセンコ」のようになっているのが、わが国科学の実態だ。

だから、官房長官としてはよくやった今の総理が就任したとき、「日本学術会議」の件で、国民の期待も高まったのだ。
あの件は、何だったのか?
ただの「事務」だったのか?

政治が科学に従ったのではなくて、科学者たちの政治が、政治家を支配したのである。
そうやって、業界団体の「日本医師会」が、組織発足の存在理由に忠実に、業界利権の確保に専念もできて、さまざまな補助金をふところにした。

「おカネじゃないのよ医者は」という医者が貴重になって、「コロナワクチン反対派」というレッテル貼りのプロパガンダも激しい「弾圧」になっている。

国民は、「福祉」で欺されたけど、「コロナ」では、スエーデンに学ばないといけないので、ちゃんとした「区分」が必要だ。

いまは「戦時体制だ」というひとがいて、政府による強制力をもった措置が可能な立法をせよ、とあたかも「保守」が口にするけど、「自由主義」からしたら、とんでもない「全体主義願望」である。
それなら、憲法から改正せよ。

しかし、現実は、駅構内の売店で販売中の「酒類」すら、改札内では「都合により」と断って、清涼飲料水とノンアル飲料しか販売しない。
これはもう「自粛」ではなくて、「全体主義の奴隷になりたい願望」の押しつけでしかない。

わが国は、悪いことは進んで真似たけれども、よいことはスエーデンに真似ることはできない。
これも、国民が「阿呆」に支配されても気づかない、もっと「阿呆」になったからである。