「連合」は維持できるか?

【2021年メーデーにあたって】
日本労働組合総連合会を略して「連合」という。

いまさらせんないことではあるけど、わが国の労働運動には、悪い「思想」が入りすぎてしまった感がある。
もちろん、「労働組合」という組織のありようは、経営側と対峙することだから、仕方がないことではあるのだけれど。

「資本家」という概念が、新貴族的なのは、個人や特定家族による企業の所有から生まれた。
「株式」が、だれでも自由に購入できるようになると事情が変わるけど、その間の時間差があったのは、たしかなことである。

その意味で、占領軍がやった「財閥解体」の意味を、もっと日本の資本主義に応用できなかったものか?とかんがえると、ちょっと残念なのである。
当然だが、当初の狙いは「日本企業の弱体化」にあったはずではあるけれど、「合気道」のような「順手の技」をもっとくりだせば、会社と労働組合の関係も、ずいぶんちがった発展をしたのではないか?とおもうのである。

現状の連合をながめると、従来からの組織率やらの状況や、中小零細企業への普及では、残念ながら、という変わらぬ状況にあるだろう。
以前書いた、「36協定」のための「労働協約」も「従業員代表」すらない企業に、いまも依然として動きはない。

個々の企業の経営者も、「36協定」に詳しくはなく、ゆえに従業員も、従業員代表を選ぶことすら発想しないままでいられる。

これを、「日本的労働慣行」といっていいのか?

美しき伝統日本の労働慣行なら、以下の話に集約される。
幕末から明治初期にやってきた欧州人たちは、日本人女中の細やかな働きぶりに目を見張り、書斎の机に置いたままの小銭すら手をつけないことに驚愕していた。
旅先の宿では、チップを拒絶する理由が、お給金はちゃんといただいております、だったのだ。

小銭の例は、「盗まない」ということで、チップの例は経営者だって「サービス料」を請求していないときのはなしである。
この意味で、「盗まない」のは当然として、チップの例ではサービス料の「還元」が放置されている。

ところが、日本経済だけでなく世界経済が発展して、企業の事業分野がこの百年をみても専門化した。
そして、国内だけでなく国際競争にさらされるのがふつうになった分野と、国内競争だけとか、地域内競争で済んでしまう事業など、産業界はおどろくほど「まだら模様」になっている。

なので、むかしは発言に迫力があった「財界」も、いまではなんだかなぁになってしまったのだ。
なのに、「統合」すれば「強力」になると百年前の「常識」を勘違いして、財界も無理矢理統合したら、内部調整ができなくて発信力をうしなった。

これが、「連合」のカウンターパートたる「経団連」の無様だ。
いまだに「経団連」をよしとする経営者のレベルがしれるのである。
だから鏡のように写し出されて、統合された労働組合側も無様になった。

業界内の思惑が損得となってあらわれる。
ある業界にとっての得が、別の業界にとっての損になれば、働くひとたちの損得にも影響するのはとうぜんだ。

たとえば、電力業界がわかりやすい。
電気代が高くなっても構わない業界と、それではコスト増になる業界とでははなしがちがう。
産業構造がまだ単純だった百年前なら、経産省のような役所が差配できたろうけれど、もはや役所内だって担当部署間の対立をさけられない。

すなわち、ハイエクが予測したとおり、「自由主義」でしか調整ができないので、役所が変な介入(柔術的関節技)をすればするほど全体の効率は悪化する。
バブル崩壊以降、日本経済が衰退の一途を辿るのは、「反ハイエク」を一生懸命やってきた、みごとな「成果」なのである。

30年以上つづけてうまくいないのに、まだ気づかない。

これが、「教科書どおり」しかできない受験エリート集団の破滅的習性なのである。
ならば、受験エリート集団から遠いはずの労働組合がなぜ乗っかったままなのか?

ナショナル・センター(中央労働団体)をいいことに、組織指導者たちが受験エリート集団になっているにちがいない。
たとえば、連合のHPには堂々と、加盟組合員は約700万人とうたっている。

わが国の総労働人口は6000万人以上いる。
その1割しかいないのを自慢する神経。

経営者・労働組合指導部・役所が、三位一体「受験エリート集団」の、同じ発想で議論すれば、ふつうこれを「談合」というのである。
別のいいかたをすれば、「よきライバルがいない」のである。
経営者と労働者が切磋琢磨して、いかに「付加価値を増大させるか?」しか、労働条件の向上も企業の発展もないのに。

このことに最後まで気づかない習性は役人にあるのだけれど、その役人たちに労使双方が補助金をおねだりするから、これを堕落というのである。

労働者のためのちゃんとした労働運動・活動がない。
これも、わが国の不幸のひとつになっている。

連合は組織維持に汲々とせず、さっさと分裂して、組合の本分にたちもどるべきだし、政治ではなく、働くことの意味を経営者にも教育普及してほしいものだ。

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