左翼のダーク・エゴ・ビークル原理

「暗い性格特性」からの現象・原理のことを指す。
これは、左翼たちが、社会正義や平等を目指して努力している、のではなくて、自分のエゴに焦点を当てたニーズを満たすために政治活動を利用して、他人をサポート(名目的)したり、他者への暴力を正当化したりしている、というものだ。

こうした原理を起点にした、心理学の研究で、今年3月20日に画期的な論文が発表されていた。
これを、「カナダ人ニュース」さんが動画で紹介している。
さっそく『Understanding LeftーWing Authoritarianism』でネット検索をしたら、出てきた。

スイスの首都、ベルン大学のAnn Krispenz氏と、同僚の、Alex bertramz氏の共同研究だ。

驚きの結論は、
1.左翼はナルシストであること
2.利他主義(他人のため)でもないこと

彼らは、社会の改善要求がその行動原理ではなく、自分の気持ちよさの追求であるから、利他主義でもない。

誤解を恐れずに一言で書けば、「自己中のサイコパスだ」というのが結論なのだ。

つまり、そこには思想性がぜんぜんないので、概ねは左翼活動家になるが、右翼にもなりえる、と。
しかしながら、左翼が多いのは、保守的な価値観に対する不寛容だけでなく、進歩的な価値観を参考にしたいという欲求があるからだ。

なので、特徴となるのは次の三つである。
・反慣習(保守)主義
・トップダウンによる検閲
・反対者への攻撃性

なお、トップダウンを好むことから、政府やらの権威に近しい組織を設立して利用したがるのも特徴になるだろう。
そうやって、自分のために公金を貪る(ちゅーちゅー)。

詳しくは、「カナダ人ニュース」さんの動画や、論文に直接アタックされたい。

さてそれで、わたしが興味深いのは、「腸」との関係なのである。

「腸内細菌が脳に命令する」と書いた。
それでいま、思想が強く、意識高い系のひとたちに「腸活」がはやっている。

いわゆる「腸内フローラ」を、より豊かにしたい、ということでの、乳酸菌、ビフィズス菌、酪酸菌あるいは、酵母菌などの「善玉菌」を増やす活動・努力をいう。
もっとも、「多様性」こそが、「腸内フローラ」を形成するので、「悪玉菌」がまったくいないのも、本来的ではないという。

自然は、寛容なのである。

さらに、我われが食している、食品が、危険でいっぱいなのだ。
添加物や化学調味料(マスコミは「うまみ調味料」といわないとスポンサーにしかられる)があふれていて、「ダイエット」とか「ノンシュガー」とか、「糖質ゼロ」とかいうのは、見事にこれら化学製品の賜物なのである。

大企業の製品だから安全だ、とはかぎらない。

とある外国人がヨーロッパの母国に帰省して、親や親戚・友人たちに日本土産の「カップ麺」を食べさせる、妙な動画がある。
「こんなに美味しいものはヨーロッパにないでしょう!」と、日本自慢をするのが定番になっているのは、愛国心のある日本人がよろこんで観るから、視聴回数を稼げるのだろう、と横槍をいれたくなる。

なぜなら、いまどき、どうしてヨーロッパでもふつうに日本で定番のカップ麺が買えないのか?の答えはかんたんで、「輸入禁止」だからである。
ヨーロッパ基準の10倍以上の添加物やら、化学調味料が使用されているからだ。

これは、食品ラップもおなじで、ヨーロッパで、ピッと切れてパッと張れる、日本ではあたりまえの食品ラップは販売されていない。
読者の台所にあるラップの外装箱を見れば、ちゃんと「添加物表示」があって、それがヨーロッパにおける輸入禁止の理由なのである。

「発がん物質扱い」になっているための「禁輸」なのである。

さいきんの「キレる子供」の研究で、栄養失調が疑われているのは、5年ごとに改訂されている、『日本食品標準成分表(「食品成分表」)における、「ミネラル」の激減が注目されているからである。
ミネラルとは、微量元素のことで、酸素、炭素、水素、窒素、「以外のもの」をいう。

これが、野菜とかに、あるはずのものがない状態になってしまったのだ。

ぜんぜん含有されていないのは、化学肥料からつくるためで、「ない」ので腸からも吸収されるはずもなく、脳内物質の生成に影響する。
それで、とある小児科医師は、子供にミネラルのサプリメントを飲ませて、1年ほどで正常にまで改善することを発表している。

これは、おとなもおなじなので、「キレるおとな」も、きっとミネラル不足が原因の、腸内フローラ不調になっていると予想できるのだ。

ここで、冒頭の論文に話を戻すと、病的なナルシストなることの物理的原因として、上記の二点、ミネラル不足と、腸内フローラのアンバランスを指摘したくなるのである。

「左翼」の食生活を疑う。

ともあれいまや、あらゆる食品が疑わしい、面倒な時代になった。

わたしがカップ麺を生まれて初めて口にしたのは、「新発売」(1971年)と同時期で、10歳だった。
まだ健在だった、明治36年(1903年)生まれの祖父にとっては、68歳のことだし、祖父がカップ麺を食べているのをみた記憶がない。

なので、祖父は、カップ麺とは無縁で他界したといえる。

しかし、わたしの世代やそれより若いなら、数え切れずに食してきたし、当然ながら「安全基準」を遵守した製品だとはいえ、どうして「安全なのか?」については、誰もしらない。
半世紀、食べ続けて、ようやく「やばさ」がわかってきたのである。

いまさらながら、ゾッとするのである。

「社会正義との闘い」は、思想の前に、だんぜん「食品選び」なのである。
しかも、難易度はずっと高いのだ。

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