日本は「特殊な国」だから

だから、「許される」と思う「甘え」が、「困った」になってきている。

「不思議の国ニッポン」と外国から評価されることの意味は、「異質さ」のことであって、それがときに「ネガティブ」にも「ポジティブ」にも変化する。

この変化は、「評価者の気分次第」なのだから、「日本」自身による評価へのコミットは、あんがいとできていなかった。
逆に、「好かれよう」とすれば、あからさまな「媚び・へつらい」になって、より「自主性のない特殊な国」を演出することにもなった。

それがときに、「黄色い猿」とか「エコノミック・アニマル」と揶揄されたのだが、「高度成長期」のことで無視できた。
それから半世紀した2008年2月末に、「Japain」(痛いニッポン:苦痛に満ちた日本)と、あの英国(Economist誌tr)にいわれて久しい。

このときの政権は、福田康夫内閣で、秋には麻生太郎内閣が発足して、翌年8月の総選挙で民主党政権になった「時代」の記事である。
いまは、その「痛み」が慢性化して、感じることもできなくなった。

さいきんは、英国海軍の最新鋭空母が、NATO加盟各国の護衛を伴って、わが国にも寄港したから、気のはやいひとは、「新日英同盟」だといってよろこんでいる。

アジアの「終点」に位置したわが国が、なぜに植民地化「されなかった」のか?という素朴な疑問に、学校の教科書はもとより、ほとんどわからないままに、明治維新が完遂されている。

英国の武器商人たち(最前線は長崎の、グラバー商会)の、詐欺まがいの「儲け」を優先させたから、という「結論」がある。
残念ながら、小説が事実を勘違いさせて、グラバー商会の丁稚だった坂本龍馬が、超特級の「英雄」になったのは、これを隠す「偽装」だった。

佐渡金山とか、全国から金が産出されて「ジパング(黄金の国)」と評価されたのは、あんがいと「大袈裟ではない」事実だった。

「金(Gold)」は、マグマのなかに含有していて、火山爆発にともなって地表付近に出てくると、その「重さ」から横に拡がって「金鉱」ができる。
火山大国ゆえに、ジパングになったのである。

それで、幕末に「不当貿易」によって、わが国の「金」と「銀」とが大量流出して、これが、「大インフレ」を巻き起こして、「倒幕運動」に商人たちが加わったのであった。

いま、世界に保有される金の3分の2が、「日本産」といわれるほどだ。

こうして、「ぼろ儲け」ができるから、武力で植民地にする必要もなかったし、「収支に見合わない」と判断されたのだった。

信長が許して、秀吉が「伴天連追放令」をだしたけど、とどめを刺したのは家康であった。

スペインの飛び地だったけど、プロテスタントの国になったオランダに絞り込んで出島に封じ込めたのは、ローマ法王からのお墨付きがあるから、スペインとポルトガルの「侵略」が、「神の使命」になったのを避けたのである。

まことに、いまの日本があるのは、徳川家康のおかげなのである。

そんなわけで、オランダの「ライデン大学」は、ヨーロッパにおける最古の「日本研究」をしていて、いまでも盛んなのである。
「鎖国時代の日本資料」が山ほどあるからだ。

さてそれで、日本が特殊な国になったのは、縄文の最初から、という議論になったのは、日本人の「血」のルーツが、DNA解析から、中国でも朝鮮でも「ない」ことが判明しながら、その「オリジナル」がわからない、という最新研究が出たからである。

それに、「米の栽培」も、縄文時代からやっていたことも、縄文土器の底にこびりついていた「米」と「花粉」によって明らかになった。
朝鮮半島伝来説が、完全に覆ったのである。

しかし、「近代」あっての「現代」ということから、わが国における近代が江戸時代であることに異論はない。
その江戸時代に、「日本資本主義」の萌芽があったことを発見したのが、在野の一般人、山本七平氏であった。

  

「(産業)資本主義」は、資本主義の「精神」がなければ、「成立しない」という大前提がある。
それが、わが国には江戸時代に生まれていた、という「発見」は、なんと経済学者から無視されている。

対談の「傑作」といわれる名著、『日本教の社会学』が復刻されて、山本節と小室直樹節の炸裂が楽しめるけど、碩学、小室直樹が書いた渾身の「解説」が90ページ弱もあるのが、「紙版」の『勤勉の哲学』なのだ。

そして、この「解説」が、日本という国の「特殊な国」であることの、「理由」の「解説」になっている。

なので、たいへんなことが書いてある「90ページ弱」なのだ。

「本文」から読んでも、「解説」から読んでもよいのだから、これも実は「対談本」といえる。

答を知りたいなら、「読むべし」なのだ。

確かに日本は特殊な国だった。
それが、欧米化とグローバル化で「ふつう」になったら、衰退が止まらない。
いまこのことが、「特殊」になっているのである。

ならば、元の特殊に戻ることが、唯一の「抜け道」なのに、いまだにもっと欧米化したいと望むから、「喪失」が止まらないのである。

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