納税猶予はしても減税はしない

キャッシュでかんがえれば、払うべきものを、「いま」払わなくてもよくて、来年以降に先送りされるのはありがたいものだ。

それに、新型コロナウイルスで業績が急速に悪化した中小企業や個人事業主に適用されるというのだから、ことしの業績が回復しなければ、来年の確定申告で「還付」ならぬ、「相殺」がおこなわれば、結局、納税としてのキャッシュがうごかないことになるかもしれない。

つまりは、「チャラ」になるかもしれないのだが、その状況とは、はたしてよろこばしいことか?と問えば、そもそも「所得が減っている」ことになるから、ぜんぜんよろこばしくない。
これは、納税者の心理である。

税金を取り立てる側としてはどうなのか?
「上から待て」という命令(コマンド)がでれば、「待つだけ」だ。
つまり、「犬」とおなじだということがよくわかる。
なるほど、それで盲目的に組織にしたがうものを「犬」というのだ。
よく観察されたことばである。

新約聖書の福音書の著者のひとりされる、「マタイ」は徴税役人だった。
ローマ帝国の当時、徴税人というのは、人びとからたいへん見下された仕事であった。にもかかわらず、イエスによって「ひと扱い」され、使途になる。

このときの直前の瞬間を描いたのが、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの作品、『聖マタイの召命』(せいまたいのしょうめい)である。
あの有名な「ミケランジェロ」は、カラヴァッジョの生まれる30年ほどまえに亡くなっている。

この絵の中で、マタイはどこにいるのか?
1980年代になって、中央の髭の人物ではなく、左端の若者ではないか、という論争がおきた。
新教のドイツでおきた論争だったが、ローマ法王庁があるイタリアでは、いまだに中央の人物だとされているから、絵画鑑賞とは、なかなか難しいものだ。

そんなわけで、徴税をする側のはなしは、その上の「政治のはなし」に飛んでいく。
では、だれが、わが国の「政治」をしているのか?
まさに、『聖マタイの召命』における論争のごとく、である。

中央の人物が、「政治家」だとすれば、左端の人物は、まさに「役人」である。
つまり、官僚からの納税猶予という「アイデア」を、政治家がそのままパクって出したのだ。

残念だが、財務官僚が支配するわが国は、「税の本質」に敏感な国民が少数派だから、えらばれる議員たちのおおくが、「税の本質」に鈍感になる。

そもそも、明治の第一回帝国議会の議題は、「減税」だったのだ。
これを学習指導要領で「教えない」ことにして、帝国憲法や教育勅語のはなしにすり替えるのが、学校教育と受験制度になった。

つまり、「減税」こそが、すべての政治家が基本とする「政治理念」でなければならない。
ここに、おカネをたくさんつかいたい、「行政当局」との対立がうまれるのである。

その行政当局を仕切るのが、内閣なのであるから、なんのための「議院内閣制」なのか?と問えば、行政当局を放置すれば、かならず「肥大化」するという「原理」を、抑制するための「薬」なのである。

この根本を忘却して、なんのための「政治」で、なんのための「内閣」すなわち「政権」かがわからなくなったので、とうとう、学業でダントツに優秀だった官僚に、ぜんぶを乗っ取られてしまったのである。

こういうことは、緊急事態という「非日常」でみえてくる。
今回の事態における、もっともわかりやすい形ででてきたのが、「納税猶予」だ。

大局視点がぜんぜんない、この局地性。

「経済力を高める」というこころざしは、どこにもない。
税を猶予することが、そんなにすごいことか?
それよりもなによりも、昨年の消費増税によるマイナス成長を、新型コロナウイルス蔓延のせいにして、絶対に減税はしない、という意思の固さがわかる。

あろうことか、財界や労働界が消費増税に賛成したのは、「公的年金依存」に対しての、不安を除去するためという「一致」があったからである。

財界は、社会保障負担を個別企業として増やしたくないから「増税」を支持し、労働界は、じぶんの年金をかならずもらえるようにしたいから、増税を支持した。どちらも、「民間の年金」は視野にない。
これに、共産党も、消費増税をしないと社会保障がもたない、として「沈黙」するという事態となったのである。

そして、軽減税率制度の恩恵を受けたことで、政府(財務省にだけ)恩義がうまれたマスコミ各社は、いっせいに「減税は望ましくない」というキャンペーンを張っている。
なるほど、株式相場の下落で、公的年金原資が減価している。

アメリカのマスコミは、じぶんの「立ち位置」を表明するのが常識だから、共和党か民主党のどちらを支持するかをはっきりさせる。
「不偏不党」などいう不可能を追求しない合理がある。

すると、日本のマスコミは「財務省支持」ということで、全社が一致する。
安倍内閣の経済政策を批判しながらの厚顔無恥がここにある。

これが、わが国凋落の原因のひとつだ。
財務省には国税庁という徴税機関が子会社にある。
政治家のおカネをこのひとたちが監視しているから、けっきょく逆らえない。

イエスもいないが、マタイもいないのである。

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