統計データと現場主義

むかし、ファミリー・レストランが活況を呈していたころ、日本人の「外食に革命」が起きた、といわれたものだ。
それにまだこのころは、ファミリー・レストランのことを「ファミレス」とは呼んでいなかった。

セントラルキッチンで「半製品」を大量生産して、これを店舗に配送する。
いわば、コンビニエンス・ストアのやり方で、レストランを運営するという「応用」であった。
そして、店舗では簡単な調理手順で提供できるようにした。

これには、人間の調理技術よりも、機械の調理技術の進歩が支えていた。
すなわち、製造業でいう、「生産技術」のことである。
セントラルキッチンにいる「シェフ」たちが開発した、「料理」を、どうやって店舗で「再現」して客に提供するのか?

なので、人間のシェフの必要人数は、極端に少なくてよかった。
ところが、人間は「歳をとる」という問題がある。
それで、気がつけば「シェフがいない」という大問題になるのであった。
AIができるなら、大問題にはならないけれど。

シェフはメニューを開発するにあたって、機械性能の見きわめだけでなく、「売れ筋」と「売れなかった」とを見比べる。
ために、店舗での「残飯報告」が重要になった。
それで、「新興」のファミレス・チェーンでは、店長に「バスボーイ」の仕事を命じたことがあった。

バスボーイとは、下げもの専門の「下働き」とみられていた業務である。
退店した客のテーブルの食器類を、すぐさま片付けることしかしない。
それで、「その上」のボーイ見習が、テーブルセッティングをするのである。

入店した客から注文を取るのは、さらに「上」のボーイで、演出を要するテーブルサービスともなれば二番・三番のボーイ長の仕事となる。
いわば、「カースト制」が給仕の世界にはあった。
そうやって、晴れて「支配人」ともなれば、ようやく調理場のシェフにメニューについての口がきけるようになる。

この「伝統」を、足元から崩壊させたのが「ファミレス」だったのである。
だから、「革命的」というのは、現場の方からの言い分なのである。

メニューが多くあるように見える店は、食材の「共通」がある。
食材の共通が少ない店は、メニューが絞られる。
「営業目的」ならば、食材のムダが大敵だから、必然的にこうなる。
ムダを気にしない、かつての「王侯貴族」の政治的食卓なら、メニューが豊富で食材も限定しない豪華さを競わないといけない。

これが、「世界三大料理」を発展させた。
皇帝のための、中華料理とトルコ料理。
王のためのフランス料理である。

通常ならば、レストランという分野の商売をしていれば、「ABC分析」は常識である。
「売れ筋」の商品を、統計的なデータにして「読み込む」のである。
それで作図をすれば、「パレート最適図」ができる。

売れていれば「A商品群」、売れないものは「C商品群」として、まあまあの「B商品群」を挟んで対峙する。
経営判断として、ここからどうするかが問題解決のスタートなのだ。

もちろん、「C商品群」にあるものは「問題」だ。
しかし、「B商品群」に問題はないとはいえないし、「C商品群」のなかに「犠牲商品」という「囮」があるのに、これを排除すると「A商品群」の花形が売れなくなることもある。

そこで、商品を構成する「材料」が何かを知るために、店長に命じたのが「下げものの観察報告」だったのである。
残飯にある食材の特徴は何か?である。

こうして、統計データ「だけ」に依存しない、社内情報システムとしての分析報告をするのが「店長の最重要業務」だとしたから、従来の「最下位の業務」が、とたんに「最重要情報」を含有する、見方によっては「トップ・シークレット」にあたるものとなる。

実は、気の利くパートさんやアルバイトには、下げものを見ながら「この店」とか、「このチェーン」の弱点を見抜いていることがある。
もちろん、そんな重要情報を「報奨金」をもって報告させる企業は少数派ではある。

なぜなら、全国チェーンの大企業ほど、「統計データ」に依存するからだ。

こないだ書いた、静岡県内限定を「社是」として対外公表までしている、炭火焼きハンバーグで有名な「さわやか」がある。
県内で圧倒的な人気店だが、他県の人がこの店を知らない、で済むのか?

そこで、静岡県の販売データを、全国チェーンの他社はどうやって分析しているのだろうか?と思った。

以下は、勝手な妄想である。

時間的推移を見るための「折れ線グラフ」だけに注視していれば、「さわやか」を無視した経営をしている、という意味になる。
来店客数や回転数が、他県の実績に比してどうなのか?

静岡県を「エリア担当」して地獄を経験し、その後異動し他県での業績を伸ばしたひとが、偉くなっていたら、「静岡県はしょうがない」になって、部下への叱咤激励もトーンダウンする可能性だってある。
もちろん、「さわやか」がやっているビジネス・モデルを一朝一夕で真似ることも困難なのは熟知しているから「こそ」である。

全国平均で、静岡県での営業業績が低くても、「さわやか」が他県にいかないのだから「騒ぐにあたらない」という見方もあるだろう。
それで、「確信的」にデータ解析をさせないで、「さわやか」がない全国統一基準とすれば、考えることを「しないで済む」のである。

データから安心感を得る、心理は、わざとともなれば、それはそれで経営方針の実現ではある。

そんなわけで、県内で「さわやか」の一人勝ちが確保されている、ともいえるのだった。

共存共栄。

けれども、ハンバーグが食べたくなったら、静岡県のどこかに行けば「さわやか」があることを知ったから、余程のことがなければ全国チェーン店では注文しない「身体」になってしまったのである。

ただし、首都圏客で超混雑の御殿場店だけは「勘弁」ではある。

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