荷物が来ない

「トヨタ式」という「やり方」を、真似ようにも真似られないのは、知恵や知識の不足ではなくて、経営者や経営幹部(管理職)たちの、哲学の欠如が「覚悟」を薄めて「社内文化」にならないから、継続できないのである。

今でも「新刊」が出続けている、「超ロングセラー」にして「ベスト」なビジネ書といえば、『トヨタ生産方式』に他ならない。
これは、副社長だった、大野耐一氏が書いた「哲学書」であって、決してノウハウ本ではない。

にもかかわらず、「抽象的」で「難解」という、書評があるのは、「読解力不足」を告白するようなものである。
子供は成長すれば必ず、「おとなになる」から、読解力がない子どもは読解力がないおとなになることになっている。

「本が売れない」から、書店がなくなるばかりか、出版社もなくなる。
あるいは、出版社も「生き残り」を模索して、安逸で読みやすい本を出して、これが「万部単位で売れる」という。
「読解力を鍛える」という点では、悪循環になっているのだ。

その「読解力」には、「論理思考」も含まれる。

だから、「読解力不足」とは、「論理理解の欠如」を意味するので、深刻な問題なのである。
端的にいえば、「自分で考えることをしない」ので、考えることが「苦痛」になるのだ。

「安逸で読みやすい本」とは、「鵜呑みにすればいい」という「安逸さ」にまみれる訓練を自己に施すので、より考えることが苦痛になる。
こうして、与えられた情報を、与えられた情報の「まま」に、あとは信じ込めば、安逸な精神状態でいられるようになるのである。

「国語」の重要性はここにあるのだけれども、わが国の学校教育では、国文科を除けば「国語」は、高等学校までとなっている。
つまり、「読解力不足のおとな」を量産している。
これは決して、「国益」にはならないけれど、「省益」になっている。

前にも書いたが、アメリカの大学では、学生に提出させる膨大な「レポート」で、教授は「て、に、を、は、」を含めた、「国語=この場合はアメリカ英語」の正しい表現までをチェックしている。
ちなみに、アメリカ人には、「文系・理系」の区別がないので念のため。

だから、アメリカの大学で教授職を永年勤続するには、ネイティブレベルだけでなく、高等教育を受けた語彙を持つ者でないと務まらない。
ネイティブの学生が書いたレポートに、英語の「赤入れ」をするのは、並みの英語力ではない。

そんなわけで、日本人が外国の大学で永年勤続者となるのは、おそろしく困難であって、「教授」として永年勤続者している日本人は、飛び抜けた実力者といえるのである。
たいがいは、1クルー契約の3年程度で帰国させられる。

さてそれで、「射撃界」でいま、「弾がない」という事象が起きている。
クレー射撃で使う散弾のことである。

大きく、国産と輸入に分けられるけど、両方ともない。
さては、火薬商の在庫管理ミスか?といえばそうではない。
大量消費する「オリ・パラ競技」の影響もないとはいえないけれど、問題の本質は別のところにある。

外国の港湾が、コロナによって機能停止した「余波」なのである。

「国産」といっても、「国産」なのは組み立てるからである。
いまや、わが国の散弾は、外国から「雷管付きの外枠」からして、全部が輸入に依存している。
だから、どこが「国産」なのか?ということで、「コンテナごと」入港しない。

日本にやってくる「大型コンテナ船」を、東京湾に行けば眺めることはできるけど、ほぼ「ローカル航路」としての運航なのである。
主要航路だと、「超大型コンテナ船」が花形で、これらは東アジア地域では、上海港と釜山港が、「国際ハブ港」となっている。

つまりは、上海や釜山で、日本向けローカル航路の船に積みかえられているという、「外国の港湾依存」があるのだ。

だからこれはなにも、クレー射撃という「趣味の世界」のことだけではなく、あらゆる「物流」の停滞が起きていることを意味するのである。
半導体不足から自動車生産が滞っている、ということに加えて、その他の部品がない状態になるから、今後の生産指数は落ち込むだろう。

そこで、「安全保障」という観点から、わが国の生産と生活物資の流通は、とっくに「外国」によってコントロールが可能な状況になっているといえる。
しかも、この二港は、「友好国」といえるか疑問がある。

まさに、「やばい状態」があぶり出されている。

これは、「コロナ福」にあたる。
ふだんなら気づかない、「アキレス腱」が、たまたま「コロナを理由」にして、「危機」の状態が見えたからである。

すなわち、「コロナ禍」だって茶番だけれど、適当でもっともらしい理由であれば、国際港湾を当該政府によって機能不全に貶めることができることがわかった。
一切の対策をしない、と宣言したスエーデン政府なら、コロナよりも恐ろしいこうした危機の構造をどうするのか?

「ローカル」に成り下がったわが国の港湾機能を、いかに直接入港してもらう「主要」とするかは、死活問題なのである。
それは、「トヨタ生産方式」にある、「運搬のムダ」にもあたる。

積み替え作業は、付加価値を創造しないからである。

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