「ターニングポイント」とか「分水嶺」とかという、分岐点にあたっているようだ。
まずは、「選挙」という選択で、ブラジル大統領、イスラエル国会の選挙が注目されているが、これに続いてアメリカでは中間選挙があるし、スペインも解散総選挙となった。
なお、フランスでは上院の一部改選があって、マリーヌ・ル・ペンの国民連合が躍進し、はじめて「会派」となる変化があった。
そのフランスでは、大規模デモが暴動化していまや全土で革命的な破壊行為となっている。
はじめは、労働者の「賃金上げろデモ」で、これとは関係なく高校生による「学校改善デモ」が重なり、どうやら極左政党が高校生たちを煽動しているようで大拡大した。
これに、マクロン政権が無能ぶりを発揮しているのである。
なぜならば、マリーヌ・ル・ペンの国民連合による組閣をつぶすための「左派連合」という烏合の衆に組閣させるしかなかったために、肝心の首相も教育相も、左派、だから、煽動をしている極左に親派性をもっているからである。
しかしながら、わたしが注目したいのは、おとなのデモ、すなわち労働者による「賃金上げろデモ」の方である。
これは、左・右の対立問題ではなく、なぜに経営陣が賃上げしない・できないのか?という問題を含むからである。
マクロンのモットーは、EUの主流、「中道」なのである。
それで、2017年の大統領選挙よりも前の初期に唱えていたのが、「アン・マルシュ!(En Marche ! :前進!)」であった。
大統領選挙一回目投票では、「フランスはすべての人にとってのチャンスでなければならない」となり、二回目の決選投票では、「共に、フランスを!(Ensemble, la France !)」だ。
「中道」は、かならず社会主義化することの典型例である。
こうした、「ふわっとした」文句は、2022年の大統領再選のときにも発揮されて「あなたと共に(Avec vous)」 だったが、その後 「私たち全員(Nous tous)」 へと変更されている。
それで、政権のイメージ・キャッチが「左でも右でもなく、左でもあり右でもある(Ni droite, ni gauche : en même temps)」なのである。
この頓知のような、あるいは「禅問答」のようなフレーズが、フランス人に刺さることが興味深い。
それでいて、ナポレオンの名言から「フランス人に不可能なことはない(Impossible n’est pas français)」ともいうのは、オバマを彷彿とさせるのである。
本来ならば、労働者は社会主義的な傾向を支持すると信じられてきた。
しかし、世界史は労働者の政党が政権を得ると、労働者を見棄てることを「原理」のごとく記録している。
それでも、労働者が社会主義的な傾向を好むのはなぜか?たんに学習能力がないからか?
おそらく、そこには絶望的な資本主義への怨嗟があるのだろうし、経営者は資本主義者だとの盲信が拭えないからであろう。
すると、資本主義とはなにか?とか、資本主義のあるべき姿はなにか?とかが、追及されないといけないのだが、まったくボンヤリとした概念的なものしか浮かばないのが実情なのである。
このブログでは、アインランドの「資本主義は未来のシステム」を支持している。
つまり、人類は本来的な資本主義を経験したことがない、という立場だ。
そこで、「株主資本主義」なる現代の状況をあらわす用語に注目すれば、絶対的な株式保有数と率の大株主(自国民とはかぎらない)が、自己の最大利益を追及するあまり、経営者を意に添った者だけに絞り込んで、とくに賃金(人件費)を上げないようにすることの合理性が認められることになっている。
しかし、企業活動の要諦は、付加価値の創出にあるから、付加価値に含まれる人件費を削減することの効果は、付加価値計算式内での増減となる。
かんたんにいえば、経常利益あるいは営業利益が増えるのだが、付加価値は変わらないようにみえる。
「みえる」というのは、人間だけが価値創造の原点なので、長期的に企業から人材が去れば、この計算式通りとはならず、企業活動そのものが停滞するのは道理である。
A.I.すら、人間がプログラムしたにすぎない。
すなわち、マクロン政権に叛旗を翻すこととなった労働者たちは、かつてのスローガンの無意味をかみ締めていることだろう。
それがまた、高校という教育現場にもあらわれ、子供たちが全土で暴れているのである。
しかして、そこに、大量移入した移民(現代の奴隷)の影響があることも事実であろう。
つまり、世界を席巻した「株主資本主義」なるエセ資本主義に対する、大反動、が世界を荒らす原動力なのである。

