新幹線の技術にあるサービス分野

世界最速の鉄道が「新幹線」というのは、定番の評価であろうが、「速い」ことだけを取り出せば、フランスや中国の方が「速い」のである。

だから、日本が誇るのは、じつは「最速」ではなくて、「最高(の鉄道)」という意味に変わり、その代表が「新幹線」ということになる。
つまり、在来線や私鉄・地下鉄なども含めた「国内の鉄道」が、「世界最高」なのであって、その象徴・頂点に「新幹線」があるという構造である。

ちなみに、わが国では鉄道を「鉄道事業法」で定義しており、路面電車は別に「軌道法」によるが、スキー場のリフトは「(特殊)索道」として鉄道事業法によるように規定されいる。
リフト乗り場にいる運転操作員は、「運転手」、降り場にいる安全確認員は、「車掌」の扱いなのである。

なんにせよ、鉄道は世界各国とも「営利事業」として認識されていて、それが黒字か赤字かは、経営上の問題、としてみられるのは、あくまでも「事業」であるからだ。

ときに、「事業」の定義は、おもに営利目的で継続的に行われる経済活動、ではあるが、お役所用語として、社会への貢献を目的とする比較的おおきな仕事も「事業」と呼んでいるから注意がいる。

むろん、後者は「介入(干渉)主義」の用語であって、「自由主義」からしたら、お役所=政府(「中央」だろうが「地方(自治体)」だろうが)がやる事業でまとも(真に国民福祉のため)なものは、ひとつもない、という立場をとる。

ここでは、前者の「事業」を適用している。

さてそれで、新幹線のサービス技術、とはなかなか聞きなれない言葉であるが、換言すると「設計思想」にあたるものである。
たとえば、ホテルやレストランの建築・設備を新設あるいは改装するにあたって、どうするか?は、元の「営業コンセプト」にしたがうことになることとおなじだからである。

そこで、現実問題としてでてくるのが、その「営業コンセプト」の実現にともなう、「コスト」との調製をどうするか?の判断が、経営者に降りかかることである。
だから、経営者は「営業コンセプト」を決める際に、はじめから「コスト」を意識していることが、「前提条件」であることを認識しないといけない。

ところが、かなりおおくのばあい、「営業コンセプト」と「コスト」は、セットで考慮されることがない、あるいは、考慮しないといけないことを「並みの経営者」はしらないか無視、ばあいによってはしらなかったことにするのである。

だから、見積もりに対する反応は決まっていて、「コスト削減の指示」をだすこととなる。

それで困ったことに、営業コンセプトの変更まで余儀なくされる事態となるから、はたしてその業務全体の目的合理性を、経営判断で不明にさせることすら無視する意味となる。

これは、混沌を経営者がつくった、のであるが、当事者はこれに気づかないか、(おとなの事情で)気づかないふりを続けるために、ますます混乱が生じて、とにかく「予算内」が最優先され、ただただ「完成」するのである。

むろん、営業コンセプトを検討したときには、最新マーケティング論のセオリー通り、ターゲット顧客から予想利益からを見込んでいたことも内包するので、できあがった状態は「無惨」となるのだが、やっぱり経営者は営業コンセプト通りの「結果」を要求するのである。

ところが、新幹線計画では、これがいまでは信じられないほどの「コンセプト通り」が貫徹されているのである。
ただし、企画・建設にあたった国鉄総裁と技師長は、膨れ上がってしまった費用の責任をとって、開通前に辞任し、開通式にも呼ばれていない。

たとえば、いま、インバウンドの観光名所となっている、小田原駅における高速通過列車を間近に観る外国人でさえ気づかないひとつに、駅舎の設計そのものの思想がある。

両脇にあるプラットホームを挟んで、複々線化された内側を直線通過させることで減速させないばかりか、なんと、ホーム上の客には風圧による影響を与えない空気力学による安全措置が設計段階でされているのである。

このために、プラットホームを一本で済む「島状」に建設するコスト削減ではなくて、むしろコストアップを容認しているのである。

さらに、開業して気づいた関ヶ原における冬期の風雪による遅れや運休を回避するための技術は、10度の水を噴射し融雪させる超高コストを採用した。
より高度に応用されたのが東北・上越新幹線であって、客はおおむねスケジール通りに移動が可能というサービスとなっている。

物理的にインバウンドが感心して感動にまでなるのは、列車トイレの清潔さとその内部設計のサービス精神に気がつくからである。
また、東京駅における清掃サービスの丁寧かつスピーディーな様子の動画投稿は、それぞれ万回単位の再生となって世界を驚愕させているのである。

これを在来線やら地下鉄にも範囲を拡大すれば、彼らの日常におけるギャップが、あまりにも深刻な落差であることに誰でもが気づくのであるが、そこには、日本人の生活習慣という、物理ではない精神性が目立ってきて、もはや母国との比較における絶望レベルにまでなるから、受けるショックがはかりしれずおおきいのである。

このことは、「ビジネスホテル」でもいえて、おおむね14㎡程度と狭いが合理的かつ清潔な客室における快適性の維持をする「技術」とも共通している。
この点で、「高級ホテル」は、どこまで研究がされているのか?が、かえって心配になるのは「現場依存」が目立つからである。

ここに、技術と技能の問題が顔を出す。

紙に表現できる技術があっても、それを具現化する人間に技能がなければ技術の指示書通りのことはできないからである。

これが、外国に新幹線を輸出するときの「最難関」である。

元日本だった台湾で、はじめて開業できたことの意味の深さがしれるし、インドやアメリカでの開業や計画が困難な理由となっているのである。

つまり、「新幹線」とは、線路の上を高速で安全に走る鉄道、なのではなくて、駅舎、切符予約販売システム、清掃、物販などなどの、「(分散型)トータル(統合)システム」の頂点なのである。

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