「両論併記」を無視して、一方的になることを「偏向」という。
これをやっても精神的な痛みを感じなくなったのは、「ポリコレ:political correctness」を正義と信じる、まさに政治的偏向をよしとしているからだ。
つまり、積極的な偏向をすることこそが、視聴者たる愚民を導く義務だと信じているのである。
これを、首尾一貫行うには、当然に組織力をもってしないといけない。
ところが、ほぼ西側世界の全マスコミが一斉にやっているから、「一社」のなかでの組織力ではない。
もちろん、「西側」という用語には、「自由圏」とか「自由社会」という意味が込められていて、かつての「共産圏=東側」と区別した。
しかしながら、その東側のひとたちは、ずっと長い間、自由を渇望していたので、自由の有り難みとか、自由の意味をしっている。
だから、体制転換によって得た自由をぜったいに手放さないように思考する当然がある。
一方で、西側先進国では、自由が行きすぎたので、これを制限することが自由を護るということになって、自由を制限することが「正義」にまでなってしまった。
それに歯止めがかからないから、なんとなく共産化がすすんでいるのに、気がつかないひとが増えている。
どうして増えるかといえば、それが正義だという主張にノンポリで従っているうちに、とうとう伝染するからである。
これは「啓蒙主義」のおおいなる復活で、啓蒙主義の間違った啓蒙をいった、ジャン・ジャック・ルソーの精神異常が、21世紀に蔓延しているといえる。
たとえば、『人間不平等起源論』は、ルソーの狂気がよくわかるものだけど、ノンポリで何気に読むと、自分に狂気が伝染するからおそろしく注意がいる。
キリスト教文化圏だったヨーロッパ発祥の自由の概念とは、清教徒が新大陸アメリカに逃げたように、信教の自由をオリジナルとする。
それが、レッセフェール(laissez-faire:フランス語で「なすに任せよ」)になって、自由放任主義から、自分だけの利己主義へと変化した。
他人も自分とおなじ権利があるとする個人主義が、利己主義のためにいまや区別されないで、悪になったのである。
さてそれで、いわゆる「企画」を立案するのは、組織の中の小数がおこなう。
すると、「企画屋」という専門職が組織内にできるのである。
企画屋にすっかりなってしまったら、これはこれで「かんがえる職人」なので、いつもいろんなことをかんがえている。
上司やトップの裁可を経て、表に発表するのが、「プランA」だとすれば、企画屋の頭の中かパソコンの中には、たいがい「プランB」が収まっている。
むしろ、上司やトップの裁可を得るとき、「両論併記」をもって選んで貰い、採用された方がプランBだとすれば、それが、プランAになって表紙となる。
計画は、「5W1H」を基本に策定するので、目的と予算、それに人員数あるいは場所の確保も伴うものだ。
なので、単純なプランBやCとは、予算と人員数のバリエーションになる。
厄介で大がかりなのは、目的からしてちがう「プラン」を策定させられるばあいだ。
このときの目的には、次元が上の大目的があるので、それぞれ別の登頂ルートのようなプランになる。
このばあいには、計画立案部署も別にすることがある。
トップにちかいひとが、「両論」を比較検討するので、プランA策定者とプランB策定者には全体像がみえないこともある。
なぜなら、みさせないことでの集中をさせたいからだ。
前に、萩藩のことを書いた。
一般に「長州藩」と呼ばれているけど、当時は「長州」といういいかたはなく、明治政府の「造語」だ。
なぜに明治政府は、「萩藩」という呼び方を嫌ったのか?
おそらく、「裏金」の歴史的・組織的運用のはじめであったことと、明治政府にこの制度をコピーしたことを隠したかったからではないのか?
藩内でもぜったい秘密にされたのが、「撫育局」という組織だった。
藩主と筆頭家老の他に、この組織の存在をしるものは局員だけという徹底ぶりで、その局員は家族も含めてなにをしているか公言無用とされていた。
ゆえに、萩藩は、公儀にみせる「表の顔」をプランAとし、藩内で極秘の裏組織とした撫育局をプランBとしていた。
それでもって、局員にはその子供(将来の局員)にも表との交流をさせないために、表の藩校(明倫館が有名)には行かせずに、藩内(表)で変人扱いの吉田松陰が主宰する松下村塾に通わせる徹底ぶりだった。
つまり、伊藤博文らは、藩主直属の極秘組織にいた「超エリート」だった。
これが後に、表側がやった「萩の乱」(明治9年、西南戦争の前年に萩で不平士族が起こした反乱)で、新政府はなんと表側を皆殺しにしたのである。
けれども、現代の「萩人」たちは、新日本をつくった「裏側」を自慢するばかりに、明倫館と松下村塾(=松陰神社)の両方を崇めて、萩の乱を無視していることに疑問はないようだ。
こんなにひとは情報操作されるものか?の典型が、この地にある。
以来、伊藤博文が大蔵省に導入した「撫育局のコピー」が、特別会計として21世紀のわが国にもある。
つまり、わが国は、プランBが、いつの間にかプランAに表紙を換えているのだ。
このことが、岸田政権というお粗末で、よくみえてきた。
けれども、その本体はいずこにあるのか?は、だれにもわからないままなのである。