善意につけこむ国連の邪悪

前に「赤い羽根募金の憂鬱」について書いた。
全国ではしらないが、赤い羽根募金は、わが横浜市の一画(全市かどうかは不明)で、町内会・自治会費からの「強制徴収」が実施されているのだ。

このことは、町内会や自治会の役員にならないと気づかない。

だから、駅頭とかで、児童や生徒あるいは学生をつかってやる、「募金活動」で募金すると、二重徴収となるのである。
もちろん、もっと払いたいひとは自由にしていい。
けれども、集めた募金が、霞が関の立派なビルの家賃としても消えていることぐらいは、しっていていい。

ずっと日本は貧しかった。
みんな貧しいから、それがまた、ふつうだったのである。
この、ふつうが、「相互補助(たすけあい)の精神」を育んだのは世界的にも稀なことで、人類のなかでの希少種なのだ。

たすけあいを宗教的に行わせたのが「喜拾」という概念で、キリスト教やイスラム教にみられる。
喜拾とは、喜んで棄てる、と書くとおり、自身の財産を他人のために喜んで捨てる行為を「神は観ている」というかんがえにつながっている。

この究極が、善行を積むことで「天国行きが約束される」になったのである。

しかし、このことは大矛盾を生んだ。
全知全能の神は、人間のすべての行動をお見通しだけでなく、かんがえることすらお見通しなのだ。
だから、最後の審判で神が決める、天国行きか地獄に落ちるかは、善行の積み重ねで決定されるものではなくて、単純に、「神の御心のまま」にある。

すなわち、いかに善行を積もうが地獄に落ちるかもしれないし、凶悪犯が天国行きになるのかもしれない。
人智を超えたことだということに、宗教としての核心がある。

そして、これらの宗教は、個々人が誓う神との契約に基づくから、個人主義が生まれたのである。
さすれば、「喜拾」を宗教的に勧めることの意味は、そうでもしないと「利己」だけに走るからである。
個人主義と利己主義は、個人主義が他人の権利も認めることに立脚するけど、利己主義はあくまでも自分だけよければいいというかんがえなのだ。

一方で、他人の権利を認めすぎる、利他主義も生まれた。
このなんとなく美しい主義は、悪魔的なのである。
つまり、他人のためなら死んでもいい、という究極の発想に至れば、全体主義の強制に利用されるからである。

しかして、日本人は、太古より太陽を信仰し、それからあまたの自然を崇拝してきた。
人類は太陽神を信仰した(古代エジプト、古代ギリシャ、あるいはマヤとか)けど、どれもが一神教的で、古代エジプトは、王朝によって太陽神信仰と多神教信仰との揺れ戻しを繰り返した。

日本人の自然崇拝の一貫性も、特異なものなのである。

そんなわけで、われわれ日本人は、集団主義的な側面で貧しさのなかで生きてきた。
これは、一歩まちがうと全体主義になる。
自然崇拝がDNAに染み込んでいるから、宗教を意識しなくとも「自然は大切」という信仰に揺らぎがないから、SDGsに共感してしまう。

すると、ドイツ人が自然エネルギーに邁進したのも、日本人がSDGsに疑問がないのも、「敵国」に対する、徹底的な破壊工作ではないかと疑うのである。

もちろん、国連が正義の味方だと信仰しているひとがたくさんいる。
たとえば、小沢一郎氏はかつて、日本外交は国連に委ねればいい、という独立をやめろといった人物で、いまようなら、強固なグローバリスト(=共産主義)だといえる。

そんな人物が、「保守」とされ、「保守王国」の岩手県から選出され続けてきたのも、おそらく「たすけあい」が、利他主義の美しさになったからだとおもわれる。
似たような現象は、全国にあって、加藤紘一氏の山形県もそうだし、いまでは、林芳正氏の山口県(このひとは「萩=長州」を地盤にしている)もある。

とくに山口県は故安倍晋三氏と、引退を表明した実弟の岸信夫氏もくわえた三羽がらすを輩出している「保守王国」だけど、なにが保守なのか?をきちんと説明できるひとはいないだろう。
昨今のわが国は、「保守」をいいながら、歴史と伝統文化を破壊するひとたちがたくさんいる。
なので、「保守」を自称する政治家や言論人を、わたしは信用していない。

この意味で、英国の保守党も同様の状態になった。

さてそれで、国連である。
この機構は、いうまでもない第二次世界大戦の「戦勝国組合」を「連合」と称しているのである。
なんだか、わが国の労働組合の最大団体と名前が似ているけれど、それは、発想がおなじだからで当然だ。

しかし、次元がちがうほどに国連:国際連合が巨大な権力機構になっていることに、注意がいる。
しかも主要戦勝5カ国をもって、この機構の核心である安全保障理事会を仕切る常任理事国制を設け、拒否権をもくわえた。

これで、戦後の世界秩序は平和を保ったことになっているけど、戦争や紛争がいつでもどこでもあったのは、「代理戦争」をやっていたからである。
21世紀になって、国連の決議がどんどん意味不明になってきて、たんなる言葉遊びになったから、だれも国連に平和を維持する力はないとおもうようになったのである。

それでもって、常任理事国のロシアがいまでは完全無視されて、常任理事会すら開催されない。
拒否権を発動するのがみえているからだ。
だれが?といえば、ロシアだけでなくアメリカも、だ。

酷寒のウクライナとアフガニスタンに毛布を送りましょう、という呼びかけが国連によってなされているけど、ナチス政権をどうして支援するひつようがあるのか?アフガンを破壊したアメリカはなにをするのか?もなく、ただ「人道援助」だというのは、邪悪に過ぎる。

かといって、見殺しもできない。
かつての発言権をほぼ失ったわが国が、他人事におもえないのは「明日は我が身」だからである。

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