日本の恥ずかしい「世界最古」

「天皇制」は、共産党用語なので、あまり使いたくないけれど、現存する世界最古の王朝が、我が国の「皇室」なのは事実である。
けれども、「王朝」は、王家だけでは成り立たない。
構成員たる「王侯貴族」と、組織としての「朝廷」がないといけない。

「王政復古の大号令」が出たのは、慶応3年12月9日(西暦だと1868年1月3日)のことだった。
これで徳川幕府が滅亡して、明治新政府になるのだけれど、じつは「朝廷も廃止」されてしまったことは習わない。

これでなんだかわからなくなって、戊辰戦争が起きたのに、である。

つまり、やらなくともよかった「内戦」を、やらされた、ともいえる。
だれに?
武器商人たちに、である。
「白虎隊の悲劇」は、起きなくてよかった意味の「悲劇」なのだ。

そもそも、「天皇」なのに、なんで「王政」で「復古」なのか?という大疑問がある。
なにに「復古」するのか?を、ぜんぜん教えてくれないでただ暦年を暗記すれば、受験は通る。
でもどうして、「皇政」と書かないのか?
当時のひとが、漢字をしらないわけがないし、そこまでフランス革命のいきさつに詳しかったともおもえない。

はるか昔の小学校で、後醍醐天皇と護良親王による「天皇親政」への「復古」なのだ、と教わった。
「もりなが」が、「森永製菓」と結びついて、「おいしそう」とかんがえていた。
それがまた、「もりよし」に読み方が変わって、「おいしそう」でなくなったのは、なぜか「グリコ森永事件」と関連づけたからであった。

「朝廷」を廃止したのは、公卿だけで構成員にしたかったわけではないからだ。
薩長の志士たちが、公卿に昇格したいだけなのなら、朝廷を廃止しなくともよいものを。
つまるところ、明治新政府とは、千年の都を移しただけでなく、完全転覆させたのである。

これを、「尊皇攘夷」と叫んでいたひとたちがやった「尊皇」だから、旧水戸藩の水戸学のひとたちは怒りに震えたにちがいない。
それでか、「政府系の学校」では、幕末から明治における水戸学をやたら「影響力はなかった」と嘘を教えて誤魔化すことにしたのだろう。

島崎藤村晩年の傑作『夜明け前』では、自身の父親が発狂したのを、平田篤胤の国学(「平学」ともいった)と明治政府のギャップとして描いているが、もしや、「水戸学」の影響が隠されているのでは?と、勝手に想像したくなる。

   

また、「京都」は、明治になってからの呼び方で、ずっと「都」とか「京」だけでよかった。
正式には、「平安京」だ。
これを、ヘブライ語では「エルサレム(エル・シャローム:THE 平和)」といって、あたらしい都の造営費用を出したのが、大量移民してきた「秦氏」だったし、彼らが住まった地域を「太秦」という。

朝廷の転覆を誤魔化すために、ヨーロッパの貴族制を真似て、公侯伯子男の爵位をもって、もとの公卿と大名家を懐柔した。
それで帝国議会をつくったら、貴族院も定めたのである。
あたかも、新政府が朝廷の如くにしたので、皇室の孤独はやっぱり無視した。

それでも、宮家を継続させて体面を整えてはいた。
生きているひとたちが観ている前で、いきなり断絶ができなかったからだろう。
なお、伊藤博文は、明治天皇を、ただ「天皇」と呼んでいて、けっして「陛下」をつけなかったことがしられている。

ちなみに、伊藤が明治憲法を起草したというのは、横浜市金沢区にある野島のなかの「夏島」と呼ばれる場所で、いまは横浜市の野島公園のなかに「伊藤博文別邸」として保存されている。
目の前は、「金沢シーパラダイス」で、海からジェットコースターの嬌声が聞こえる風情になってしまった。

敗戦後、多くの皇族が「臣籍降下」して民間人になったのは、生活費を大蔵省が支給しないと決めたからだ。
たとえGHQからの指示があったとしても、大蔵省の役人は法律なしに、ただ生活費をカットしたのである。
それで、家屋敷を堤康次郎が次々に買い取って、跡地に「プリンスホテル」を建てた。

どうして堤康次郎「だけ」が購入できたのか?はしらない。
そうやって、天皇家の本家筋だけが残ったのである。

さて「世界最古」といえば、たいがいが自慢の種になるものだ。

たとえば、世界最古の企業は、いまでも「金剛組」ということになっている。
飛鳥時代の578年に、大阪の四天王寺を建てて以来の宮大工だけど、ちょっと一回倒産している。
それでもギネス登録になっているのは、1759年創業のギネス社も「もったいない」とおもったからか?

では世にも珍しい「恥ずかしい世界最古」はというと、発布以来一度も改正されていない「日本国憲法」なのである。
国民がしらない間に、「改正されない世界最古」を日々更新している。

この、「恥ずかしい憲法」を、本音で批判した勇気ある人物が、外務次官にして駐米大使、駐独大使を歴任した、村田良平氏(1929~2010)で、氏が残した、『回想録』は壮絶だ。
日米安保も切って捨て、「憲法停止」にまで言及している。
おまけに、生涯で仕えた24人の外務大臣の中でも「三傑」にあたる、「不適格者」をほぼ名指しした。

河野洋平、田中真紀子、川口順子の三人だ。
暗に任命権者の総理もやり玉にあがるのだろう。
それは、河野洋平を任命した、村山富市、小渕恵三、森喜朗で、女傑ふたりは小泉純一郎であった。

なるほど、納得。
ただ、わが国の総理大臣は、自分の都合で人事ができるはずもなく、自民党の堕落こそが最悪なのだということだろう。

 

日本国憲法を、ここまで痛烈に批判した官僚(しかも外務事務次官、駐米大使経験者)をしらない。
その「下巻」の終わり二章(十三章、十四章)だけでも「必読」に値するから人気なのか?あるいは読書妨害工作(情報統制)か?なぜか下巻だけ入手困難になっている。

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