破壊工作は旅館業法へ

全体主義は、忍び足でやってくる。

日本人が、かくも政府を信用するのは、それが民主主義だからとかいうものではなくて、おそらく朝廷と徳川幕藩体制の完成度の高さがそうさせているにちがいない。

つまり、中央と地方という近代の視点ではなくて、各藩の独立経営が、しらずと「善政競争」を促していたことのメリットが資産化されて、それを食い潰してきたのが明治以降から現代なのだ。

なにしろ、藩内(これを「御領内」といった)で、一揆とか打ち壊しがあって、これを公儀隠密にでも暴かれたら、その藩をあずかる大名家が「お取り潰し」という目にあったのだ。

いまでいう「倒産」とか、「失業」どころの騒ぎではない、絶望の淵に追いやられるのが家臣一同一族郎党にまで及ぶ悲惨な運命になるので、「お家のため」という言い分で、無謀な殿様(主君)の「押し込め」がどちらの藩でも行われたのだった。

当然ながら、そんな殿様になっては困るので、幼少時より厳しい躾が養育係によって行われて、藩主こそが「滅私を強制されていた」のは、なにも大名家だけのことではなかった。

なので、庶民が滅私奉公に文句をいえなかったのは、将軍や殿様こそが「滅私」だったからである。
これを支えた哲学が、朱子学という「儒学」で、宗教としての「儒教」ではない。

あまりにも自分の好みをいえない殿様の窮屈な暮らしが、お笑い話になったのが、『目黒の秋刀魚』に代表される。
こうした話が欧米にないのは、「滅私」どころか、権力者ゆえの「好き勝手という意味の自由」が許されたからで、『シンデレラ』がその典型になるのである。

支配者になればなんでもできる。
これに一石を投じたのが、シェイクスピアの史劇『ヘンリー8世』で、元の題名は『All is True(すべて真実)』だった。

この英国史上最悪の王は、さいきんの研究で脳に障害があったというが、歴史を引きずる被害者たる国民の溜飲は下がらないし、納得は得られそうもなく、いま起きている歴史的インフレの人災も「伝統」なのか?と疑いたくなる。

また、欧米人の思想の原点に、旧約聖書があるけれど、全知全能の神に近づくことが、じつはこれらの宗教を信じるひとたちの欲望に転化したとも解釈されている。

なので、禁断の木の実を食べたがゆえに、楽園を追放されて一生労働しないと生きていけないようにされたことへの反動として、一生働かないで済むことが、「勝者=勝ち組」という思想になるのである。

さらに、これが強化されて、とうとう勝ち組が負け組を支配して当然、という発想になって、いまは、この発想で大富豪たちがまとまっている。
その根本となる、「勝ち組」を日本で宣伝する邪悪は、まったく日本人の伝統思想に反するものだ。

バブル真っ盛りの時期は、「楽しくなければテレビじゃない」と豪語して、これを、「ブランド化」したフジテレビが、テレビ業界に君臨するまでになったのは、教養もなにもかなぐり捨てて、すべてがエンタメだという割り切りに、国民が同調した「悲劇的な世情」をうんだ。

それで流行ったのが、『ラブユー東京』の替え歌、『ラブユー貧乏』を、とうとうご本家のロス・プリモスが録音するに至っている。
「おカネだけが生きがいなの~♪」に込められた真実とは、まさに、現世だけの刹那なのである。

つまり、「道義」を旨とした、日本文明が自殺した驚くべき軽薄が定着した証となった。
なお、「日本文明」は、トインビーあるいはハンチントンといった博士が指摘した、人類の至宝ともいえる文明のことをいう。

この知の巨人たちそれぞれが、「日本」について語ってもいる。

   

このブログでは、何度もハイエクの傑作、『隷従(属)への道』を紹介しているけれど、およそ宿泊業やら旅行業の経営者は、ハイエクの存在すらしらない知的レベルに堕ちていると断言できるのは、その「政府依存」を当然とする態度でわかるのである。

この知的怠慢は、まさに致命的で、別にハイエクは、『致命的な思い上がり』を書いている。
いま、この本の価格は、40万円を超えているというよりも50万円弱という方がただしい。

これこそが、需要と供給のバランスを視覚的情報とする「価格」の妙なのである。
これだけの金銭を出しても、欲しい、というのは、いったい誰なのか?

どうかんがえても、観光業(旅行、宿泊、飲食など)に関係するひとたちではなさそうなのだ。

それゆえに、政府の致命的な思い上がりは、とうとう「旅館業法」に、その魔の手を伸ばしてきた。

これが、「下地」は、「政府による旅行支援策」という名の「愚策」である。

旅行会社を通じて予約すれば、宿泊施設の宿泊料が「割引」になって「お得」です、ということの欺瞞は、平等を旨とす憲法に違反する。
似たものに、「地域お買い物券」もある。

こんな愚策よりも、少額・小率でいいから、「減税」をすればいい。

これをしないで、一定の国民・市民だけを対象にすることの意味は、政府に従った者への「ご褒美」だからである。
こうやって、餌付けして奴隷化を推進するのである。
だから、一方でムチとしての「増税」をすると、平然といえるのだ。

利用者は、自分の財布からでる金額しか興味がない。

政府の支援に有り難みはなく、むしろ、提示された割引後の金額が、その宿泊施設の価値だと擦り込まれるのだ。
しかし、損益計算書しか観ない愚かな経営者は、政府からの補填でなにも変わりはないとかんがえさせられていることに、疑問すら感じない。

最初は安く泊まれたとおもっていても、それが繰り返されれば「ふつう」になるものだ。

だから、政府の予算が尽きたり、政策としての賞味期限がきたら、宿泊施設の事情とは関係なく補助が終了する。
すると、消費者は、やたら高い宿泊料金だと認識することになるのを、経営者はどうかんがえているのか?

経営者は、「やめないで、捨てないで」と政府にすがって依存するようになる。

史上最大の「薬害」になるやもしれないなかで、パンデミック対応のワクチンパスポートを事実上導入しようと図る、旅館業法改定とは、移動の自由を制限する、全体主義の第一歩なのだ。

こんな憲法違反が、堂々と推進されることに、恐怖を感じるひとが少ないことに、よほど恐怖を感じるのである。

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