蓄音機とモノラル録音

エジソンが発明した品々のなかでの代表作でもある「蓄音機」は、「Phonograph」あるいは、「Gramophone」と現地では呼ばれ、これを「蓄音機」と翻訳した日本人のセンスが光る。

音を蓄える機械。

いかに画期的なことか。
文字とちがって発すれば消滅する「音」を記録できるのだ。
発明当時は、人間の声すなわち「話」を記録することが主たる目的で、音楽を記録して再生を楽しむという目的はあとからうまれたという。

それで、ビクターのマークで有名な犬が蓄音機のラッパに耳を傾けて不思議そうに首をかたむけているのは、亡き主人の声がラッパから聞こえたという実話を絵にしたものだ。
この犬の名前は「ニッパー」という。

絵の下には、「HIS MASTER’S VOICE」と書いてあって、略せば「HMV」になる。
整理すれば、イギリスのグラモフォン社の商標であった「ニッパーの絵」が、姉妹会社であるアメリカの「Berliner Gramophone社」を通じて「ビクタートーキングマシン社」(「日本ビクター」の親会社)、「イギリスEMI」と「イギリスHMV」になっている。

では、創業者は誰かというと、エミール・ベルリナーというひとだから、「Berliner Gramophone社」には自分の名前をいれている。

このひとはドイツ系アメリカ人で、1851(嘉永3)年ハノーファー生まれのユダヤ人である。
1870(明治2)年に、普仏戦争による兵役からのがれるため、両親とアメリカに移住した。

学校教育は14歳までで、アメリカにわたってから呉服・生地屋で働きながら夜学で物理学と電気工学を学んだという。

グラハム・ベルの電話の完成に貢献したのは、エジソンが持つ特許に抵触しない方法をかんがえたことによる。
そして、蓄音機の分野でもエジソンとの特許競争に勝利したから、エジソンにとっては天敵のような存在だ。

その「Berliner Gramophone社」の蓄音機をみせてもらった。
ちいさなブリーフケースのような形状で、ふたを横方向にあけると、ターンテーブルがある。
ふたの蝶番の下、ターンテーブルの横にはくぼみがあって、ここにトーンアームとゼンマイを回すための「手」という道具が収容できるようになっている。
さらに、角には「針」を収納する小箱が回転させると出てくるようにできているし、ふたの裏には録音盤を何枚か収納できるようにもなっている。
まさに、「ポータブル蓄音機」なのだ。

さっそく何枚かの録音盤をかけてみた。
ものすごい音量だ。
鉄針は薄い振動板の先についていて、振動板からの音を増幅させるのは、「音の通り道」になっているアームからターンテーブル下の「管」で、道具を収容するくぼみから発せられる。
それがグランドピアノのようにふたが反響板にもなっているから、すべてにムダがない。

すなわち、管楽器とおなじような構造なのだ。
管楽器は人間の吹く息の加減で音量を調節できるが、蓄音機は録音盤の振動をそのまま伝えるから、音量調節ができない。

録音盤に傷がないからだろうが、きわめてクリアな音で、よく耳にするレトロな、「チクチク」「ザーザー」といったそれらしいノイズが聞こえない。
あれは、映画やドラマの「演出」ではないのか?つまり、わざと雑音をくわえて、あたかもむかしは酷かったといいたいのか?とうたがいたくなった。

ちなみに、鉄針は一演奏ごとに交換する必要がある。
録音盤の溝をいためるからだ。
それにしても、鉄製の針でなぞって、鉄の針が摩耗する録音盤の硬さがすごい。
しかして、いまも新品の鉄針が購入できるのは、製造している会社があるからである。

けれども、録音盤をあたらしくつくる会社がない。
蓄音機の価値は、むかしの録音盤にあるのである。
いまのようにどこの家にもある、というわけにはいかなかったから、録音を依頼される歌手やオーケストラは一流しかないのも特筆にあたいする。

やはり秀一なのはクラッシックの演奏で、堅い音質は脇に置いても、自然な音の広がりがあるから、むしろ演奏を楽しむことができる。
これは、録音もラッパを通して逆方向の音の通り道から溝を刻むしかなかったことからの恩恵であることに気がついた。

蓄音機から発展したのが現在の音響システムであるが、音楽を鑑賞するという点にたてば、ミニコンポなにするものぞという気概すらにじみ出る蓄音機、あなどるべからず、なのである。

そうかんがえると、いま個人で音楽を楽しもうとすると、じつは、かなり「調整された」つまり、意図的につくられた音を聴かされていることにも驚くしかない。

オーケストラなら、各パートや楽器ごとにマイクが用意されて、これを「ミキシング」している。
つまり、ミキシングするひとがつくった音を、ある意味強制的に聴かされているともいえるのだ。

すなわち、オーケストラや指揮者がサウンドをつくっているのではなくて、ミキサーがつくっているのだから、CDならジャケットに印刷されたミキサーの名前こそが音質をきめるすべてになる。

もちろん、これを再現する方法の機械類、それに最近ならヘッドホンの「調整」すらおおきく「味」に関係するから、キリがないのである。

ましてや、人間の耳が聞き分ける音には範囲がある。
だから、ヘッドホンという機械をつけるなら、この範囲での再現力が問われるのは当然だが、これを「超える」ことで高額な商品が受けているというのは、所有の満足をみたすのであって音への満足ではないのではなかろうか。

電気をつかわない蓄音機を開発したのは、電話を完成させた電気技師だった。
じつは「モノラル」こそが、人間の耳にもっとも適しているとしっていたのではないか。

それにしても、音楽鑑賞、が手軽になりすぎて、ちゃんと集中して音楽を聴くことがひさしくない。
脳からアルファ波がでていると感じるような、じっくり音楽を聴いていたころがなつかしくもある。

これも退化なのだろうか?

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