「統治能力」がうたがわれる時代

世界が「戦争」だといいだした。
もちろん、「新型コロナ・ウィルス禍」のことである。

発生源の国の、閉鎖された大都市で、とうとう新規の発症がなくなったと発表するあたり、みごとに「他人事」にすることができる思想が、他国のひとの神経を逆なでにする。
いったいどういう魂胆なのか?

こうした国を統治するひとたちと、仲よくしようというわが国の政治家の統治能力も、いっしょに疑われてきたから、方向としてはわるくない。

初動に失敗し、いまもヘンテコな「要請」をだしつづける政府に、野党がぜんぜん対抗できないこともみんなにしれて、自己防衛に走りすぎたら、マスクやトイレットペーパーがなくなった。
呆れるのは3月19日になって、「はじめて」国会内に与野党協議会が発足したことだ。この「遅さ」こそ、歴史にのこすに値する。

花粉の時期とかさなって、マスクはいまだに不足しているが、「紙類」については、ぼちぼち手に入るようになってきた。

紙類は、ほぼ国産であることがしれて、流通在庫も十分にあるとわかったら、こんどは売り場から購入するひとが他人からにらまれるはめになっている。
ところが、不足するマスクは、7割以上が輸入だとわかった。

わが国のものづくりは、とっくに外国依存していたと、十分気づかされる事態になった。
こんなものも外国製でないと、国内で作ったら採算にあわないのか。

マスクが詰まったコンテナが海を渡ってやってくるはずが、ご当地の事情から出荷できない。
だから、不足はつづくのだろうが、花粉症でないなら、マスクをつかわない生活をすればいいだけである。

わが国は、ビジネス・モデルの転換をしていたけれど、それが仇となったのが痛い。
けれども、感染症にふつうのマスクは役に立たないと決していわない政府が、もっと痛い。

フランスでもマスクがなくなったというのは、マクロン政権らしい無様である。
わが国政府と親和性があるのが、左翼政権ゆえである。

こんどはお彼岸の連休に、神戸と大阪の移動は避けよと、知事たちがいいだした。
この際、あおるだけあおったもん勝ちの作戦を、どこまでやるのかしらないが、原始人が政府をうごかしていることはまちがいない。

マスクではなく手袋の着用と、電車のつり革や手すり、エスカレーターの手すりにエレベーターのボタンをさわったら、必ず石鹸で手を洗えともいわない。

電車の中では、厚生省からいえといわれたといいながら、手指の消毒をしましょうと変な放送をしているけれど、駅のトイレに石鹸がないのはどういうことか?
言っていることとやっていることが分裂している。

消毒用のアルコールがなくなって、焼酎メーカーがアルコールを増産するというのに、もっとも身近で重要な石鹸がぜんぜん不足しない不思議がある。
もちろん、これは「いいこと」ではある。

スーパーマーケットでは、トイレの温風タオルの利用を停止したのはウィルスをまき散らさないためとわかるが、紙タオルを置かないままだから、自分のハンカチを使えということだろう。
レジ袋を有料化して大儲けしながら、この体たらくだ。

経営者に経営センスがないからこうなる。
きっと従業員も他人ごとにちがいない。自分ならこうしてほしい、という意見も提案もしないのは、風通しがわるい組織風土がそうさせる。
むかしなら、これ見よがしに紙タオルを準備して、他店とのちがいをアピールしたことだろう。

「紙」なら売るほどあると見せるのも、社会的責任の一種である。
確定申告をひと月伸ばす意味はどこかはしらないが、こうした店の努力を支持しないなら、顧問税理士の看板が泣く。
税理士会が、こぞって財務大臣だかに陳情ぐらいしたらどうか?

どうせ中央省庁の役人がきめたレジ袋有料化だから、儲けた分を今年だけははき出せと命じれば、いまの流通業界は額を床におしつけて承ることだろう。

最大手のコンビニのトイレでおどろいたのが、どこにもトイレットペーパーがなかったことである。
さいわいにして、このときは紙を要することではなかったが、緊急性が高い状態での使用なら、利用客はどうしたらよいものか?

記憶に残る「無惨」である。
すくなくても、もうこの店舗は利用したくない。なにがコンビニか?
もちろん、いっとき、利用客がトイレの紙を持ちだしたのだろう。
体のよい万引きである。

ふだんいばっている本部が、どんな改善指示をだしたのかも気になるところだ。
「24時間」が維持できない。
ならば、店舗ごと閉店するという選択は、店名のオリジナルに戻した店と色分けでもすればいい。
そうかんがえると、コンビニチェーンであっても、統治能力が問われている。

ようは、あんがい世界中で、組織の統治能力が緩んでしまっているのである。
ビジネスの世界で生きてきた、アメリカ大統領が頼りになるのは、統治能力が高いからである。

このひとの統治能力がないと言い張った、わがマスコミの見識のなさが、新聞社の経営を傾かせているのだから、やっぱり統治能力がないのである。

それにしても、感染症対策を「戦争」だと発言した、ドイツのメルケル首相は、とっくにレームダックのはずなのに、いつまでも健在なのは統治能力があるからなのか?それとも、わが国同様に、次がいないからだけなのか?

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