まさかの電波障害か相性か?

講演につかうプレゼンテーション用品として、主たる必需品はもはやパソコンという時代になったが、そのパソコンでつくったプレゼン画像の強調をする「指示棒」も、ずいぶん前からレーザー光線ポインターになってきてもいる。

ポインターには赤色レーザーと緑色レーザーの二種類が主流で、くわえて青色もあるけど、見やすい緑色レーザーが人気である。
ただし、発光機構が複雑になるため、緑色レーザーのポインターは高価で、かつ電池の消耗がはやいのが玉に瑕である。

とはいえ、やはり参加者にみやすいことが重要だから、わたしは緑色レーザーのポインターを愛用している。
なかでも、パソコンのプレゼンテーション・ソフトのページ送りなどを、ポインターで操作できる機能つきのものは、パソコンのボタン操作などを必要としないので重宝してきた。

先日、あたらしいパソコンのデビューもかねた講演で、このレーザーポインターが作動しないで困った。
自宅で実験したときにはいつものように作動したので安心したが、本番での突然の不調は、かつて電池切れの一回ぐらいで経験がない。

乾電池を買いに走ったことは前に書いた。
以来、乾電池の予備はカバンにかならず常備しているのだが、今回の不調は乾電池ではない。
新品だし、本体の電池表示も正常レベルだからだ。

どうしても作動しないので、この講演ではレーザー光線ポインター単体の機能だけで乗り切った。
「故障」の文字が頭をよぎるが、どうにも割り切れず帰宅した。

それで、これまでの古いパソコンで操作をこころみると、なんの問題もなく従来どおり作動する。
つまり、「故障」ではない。
ではなんなのか?

いろいろ調べたら、あたらしいパソコンにはUSB端子が3カ所あって、ぜんぶ「3.1規格」であり、左側が「タイプA」ひとつ、右側が「タイプC(サンダーボルト対応)」が二つとなっていて、もしかするとこれら端子からの「電波障害」ではないのか?という疑いがあることがわかった。

ネットでの対処方法に、ズバリ決定打がないのも不思議だが、さいしょに自宅で実験したときに作動した理由も不明だ。
しかし、この「事件」のあと、自宅でも作動しなくなった。

デジタル製品だから、条件がおなじならおなじことがおきるものだとかんがえると、さいしょに自宅で作動したことがとにかく腑に落ちない。

それにしても、ネットでこんなに「USB3.0」端子の電波障害が話題になっていることをしらなかった。
普及はしているが、旧「USB2.0」規格の端子と新「USB3.0」端子が混在したパソコンがいまでも販売されているのは、データ通信速度をひつようとしない、レーザー光線ポインターなどの機器に影響をあたえないためのメーカー「配慮」だとすれば腑に落ちる。

ポインターで操作できる機能は、2.4MHzの電波をつかってポインター端末とパソコンをつないでいる。
ところが、「USB3.0」端子や、この端子に接続した機器から、2.4MHzの電波帯にちかい有害電波(ノイズ)が発生しているのだと解説されているのだ。

さいきんのレーザー光線ポインターで、パソコンを操作できる機能つきでは、本体収納のUSBアンテナをつかわなくても、ブルートゥース接続もできる「デュアル接続」をうたう機種もあるが、ブルートゥースだって2.4MHzの電波帯なのだから意味があるのか?

ならばメーカーは「USB3.0」端子からのノイズについて明示すべきだし、対処法についての情報も事前に公開しなければ、消費者への「配慮」とはいえないのではないか?

そんなわけで、わたしのあたらしいパソコンには「USB3.1」のタイプA端子はひとつしかなく、レーザー光線ポインターもUSBのタイプA型になるから、直接端子に接続するのではなく、有害電波をシールドするケーブルの先に接続するのが「対処法」のようである。

しかも、そのケーブル長は有害電波の出力と距離との関係から、1m以上が推奨との情報をえたので、まずはケーブルを購入することにした。
電波の減衰は、距離の2乗に反比例するからである。

すると、こんどはシールドされたケーブルの選定が必要になる。
これだって目視してわかるものではないから、それとなく説明を読まなければならないし、残念ながら、100均で購入できるものではなく、ちゃんと電気屋さんにいかないと売っていないのだ。

それは、いわゆる「USB3.0対応(準拠)標準延長ケーブル」と商品表示されているものだった。
今回のトラブル一連の調査で、この表示の意味が理解できた。

ノイズが出る「USB3.0」のために、ケーブルの両端子とケーブル自体にも電波シールドをほどこした延長ケーブル、という商品である。

ここまでやっても「作動しない」から、とうとうメーカーに問い合わせれば、「パソコンとの相性です」が回答であった。

ウィンドウズ・パソコンなんてどれもおなじ、なのではない。

膨大な「組合せ」になると、その違いが不明になるということだ。

これこそ「AIの出番」かとおもうが、どうやって「学習」させるのかをかんがえたら、やっぱり「不可能」だろうから、「AI社会の怪しさ」しかみえてこないという顛末である。

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