役人の頭脳が「ゆるキャラ」なのだ

「ゆるキャラ」とは、多才でしられる、みうらじゅん氏の命名である。
京都出身の誇りをもってやっていた、各寺院の仏像見学とその解説は、まさに「教養」というみごとさだった記憶があたらしい。
その仏像解説は、まさに「キャラがたつ」ものだった。

「偶像崇拝」とは、そういうものである。

それからすると、ゆるキャラの「中身のなさ」が際だつ。
なんだか「ゆる~い」感じのする着ぐるみなどを、地元の「イメージ・キャラクター」にすることが、全国的にはやって、もはや「ゆるキャラ」を設定していない自治体は皆無なのではないか?

中身のない企画が中身のない偶像を作るのだから、できあがったゆるキャラに罪はない。
むしろ、こうした偶像をつくらないではいられない、横並びの発想こそが「笑止」なのである。

「成熟した」わが国の業界人たちは、なにかと「横並び」がだいすきだ。
横並びこそに価値があると信じてもいる。
このことの「おかしさ」は、競争を放棄した「弱々しさ」や「自信のなさ」を感じざるをえないことにある。

高度成長期、『無責任男』がしでかしていた行動とは、ライバル企業をいかに出しぬくか?における、行き過ぎが非現実的だったのであって、「業界横並び」は論外か相手をだまし討ちする甘言だった。
つまり、ほんとうの非現実的状況とは、業界横並びそのものだったのだ。

こんな話が、たとえ娯楽映画でも成りたっていたのは、観客の側にも、ライバル企業を出しぬくことが常識としてあったからである。
これを、「切磋琢磨」といって、会社の意志としても容認どころか推奨していた。

この「熱さ」が、成長期の精神なのだ。

言葉として「成熟」しても、中身は「枯れた」のであった。
発想が枯れただけでなく、やる気も枯れた。
まさに「意気消沈」が社会にひろがって、とうとう「競争はよくないこと」になったのは、受験地獄の後遺症か?

だから、「不当競争防止法」にいう不当競争ではなくて、競争が不当になった。
業界あげて仲良く発展しましょう。
そうやって、業界あげて、一社の裏切りもなく沈没してしまった業界が、たとえば電機業界である。

これを仕切ったのが経産省という、日本経済の衰退を画策する役所だ。
いまでは、半導体業界が首の皮一枚になったけど、これには技術流出という深刻があって、盗まれた技術が悪用されて、わが国へ向けたミサイル部品になって還ってきそうなありさまだ。

それでも、「構造不況業種」ということばをつくって、なぐさめたから、より一層の奮起どころか、ため息とともに「沈む運命」を呪うばかりとなったのだ。
ダメな理由はおもいつくが、前向きになる理由を一言でもいおうものなら、いった本人をバカにして組織をあげて潰すのである。

そんな気分を逆なでするはずの「ゆるキャラ」なのに、やっぱり「かわいい」といって写真ネタにする。
言葉狩りを推奨するつもりは毛頭ないけど、「かわいい」だけは禁止したくなるのはわたしだけか?

もう、「子どもだまし」だといってせせら笑うおとなが絶えた。
何歳になっても子どものままでいたい、という願望は、あんがいと実現している。
まぁこれはこれで、本人には幸せなのかもしれない。

そんな基礎があるなかで、たまたま復興庁がやらかした。
あろうことか、トリチウムを「ゆるキャラ」に仕立ててしまった。
警察官僚あがりで初入閣した大臣は、平謝りさせられるはめになったのだった。

どうせやらかしたのは、役人である。
もちろん、担当の役人がゆるキャラを自分でかんがえることなどしない。
随意だろうがなんだろうが、広告会社に企画をぶん投げて、何事もなく提案どおり受け取っただけだろう。

使命感も生活感もない。
元官僚の大臣が謝ったのは、このことだ。

復興庁は、東京・霞ヶ関の中央合同庁舎第4号館にある。
この役所は、いったいどこのだれを復興させるためにあるのか?
しかも、このビルの同居人には、「原子力委員会」も入っているのだ。

復興の対象者とかけ離れた空間にいて、霞ヶ関の空気を吸っていたら、トリチウムがなにかをわすれて、なんだか「かわいい」感じがしたのだろう。
もちろん、提案した広告会社のひとだって、現地になんていく意味すらわからないから、お気軽な提案ができただけでなく、海に棄てる「安全性」の強調(プロパガンダ)が目的だから、ゆるキャラを発想したにちがいない。

国会ではなく、行政府が予算を牛耳る、じつはこの国のどこにでもある光景のひとつの場面なのだ。
「政治改革」とか「国会改革」なんて、もう半世紀も前から耳にたこができるくらいに繰り返してきたけれど、とうとう「制度疲労」も限界である。

国会議員の定数削減とかというとんちんかんではなくて、国会の予算権限強化を議論して決めてもらいたい。
かんたんにいえば、財務省主計局を国会に転籍・移転させ、財務省から主計局を廃止することだ。

しかし、こうしたことを「公約」にする政党がみつからない。
また、ひろく議論するような報道機関もみあたらない。

復興できそうにない、この国の縮図のような子どもだましの話なのである。

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