不毛の「財源」議論

消費税減税のうち、自民党が選挙公約にしていた「食品だけ対象」が、来年の統一地方選挙の時期に実施される。

スケジュール管理されているわけであるが、これをもって、地方議員の数を保持ばかりか拡大しようという魂胆なのは見え見えではある。
だが、こんなかんたんな「罠」にあっさりとかかるのが、戦後日本人の低能さであるから、「バカになるように教育してきてよかった」と自民党幹部は安心していることだろう。

しかし、もっとバカなのは、自称エリート集団の財務省官僚であろう。

それで、片山さつき財務相は、先手を打って大幹部たちを5人同時に「勇退(=免職)」させたことになっているが、それは本当なのか?

なんにせよ、消費税だけでなく、なにが対象でも「減税」が大嫌いなこの役所は、どんな経済理論を信奉しているのかさえも不明な、かなり独特な世界的には異端の理論体系があるようなのである。

その理論のもっとも端的な発想は、「減税のための財源がない」という、クソと味噌を混ぜこぜにした議論である。
対して、自民党系の減税派は、「財源はある」との主張をしているところが、医学的に病的だと自分から申告しているようにみえる。

ちなみに、昨今判明した、ロシア政府の公式アメリカ観として、バイデン・民主党政権時代を、やはり「医学的に病的」だとする見解が漏れ伝わってきている。
ようは、狂っている、という判断であって、ロシア政府の「まともさ」がよくわかる情報になっている。

日本人一般に気づかせないための情報統制は、まず、「遠い」ことを理由にしている、アルゼンチン・ミレイ政権の成功を一切報じないことである。
むろん、トランプ政権1.0と4年をおいてこれにつづく2.0の「歴史的大規模減税」についても、ぜんぜん報じないのであるが。

まず、ミレイ氏やトランプ政権の覚悟は、財源がなければその財政規模に政府を縮小させるだけだ、の一点にある。

しかし、わが国の高級官僚が明治(ほんとうは江戸時代)から、その無謬性(ぜったいにまちがえない)信仰にはまり込んでいるので、これまで拡大ばかりしてきた「予算(規模)」のなかに、まちがいがあった、ことを認めない習性があるのである。

このことは、アメリカとの比較において二重にわが国がことなる体制であることを示す。

まず、アメリカ合衆国連邦予算は、連邦下院議会(「衆議院」にあたる)に議決権の優先があるのはわが国とおなじだが、「予算編成」も議会内の「予算局」がおこなっていることが、財務省の特権となっているわが国と断崖絶壁的なちがいとなっている。

ようは、大統領が仕切る国家行政側(アメリカ財務省)には、予算編成の権限がないのだ。
逆に、アメリカ財務省は、議会で決議された予算の「執行機関」でしかないないのである。

わが国の財務省(「大蔵省」時代から)が、強大な権限を持つのは、予算編成と執行の両方を所管するからである。
これは、権力の分散統治、という近代国家のコンセプトとしては、権力の集中統治、にあたるために、かなりマズイことである。

もう一点の大違いは、トランプ政権2.0による「DOGE」の発足であった。

わが国では、半世紀前の「臨時行政調査会」がこれにあたるが、DOGEはA.I.を活用してもっと無機質に巨大化した政府部内のオンラインからの捜索を実施して、徹底的な無駄の発見と排除をしたことにある。

これは、DOGEがはじめ「省」と訳されたように、大統領が仕切る行政府としての自己管理をやったのではあるが、議会に対する強烈な「いけず」であった。

予算編成と審議という別々の局面で、議員たちの無能を暴いたも同然だからである。

ところで、DOGEによる行政府内部監査の結果として、徹底的に削られた予算で困るものは、補助金(詐欺)で稼いでいた者たちばかりで、一般国民には痛くも痒くもなかったのである。

わが国のばあい、たとえば何の効果も認められない、「こども家庭庁」なる役所の巨大予算(今年度で7兆5千億円規模で、トランプ政権2.0に脅されて負担がふえた防衛省は9兆円で2024年度は8兆円だった)すらも、「無駄はない」ことになっている。

むろん、防衛省予算にも無駄はない、ことになっている。

それに、増税までした「東日本大震災復興予算」は、使えきれずに余ることが話題になっても、「無駄はない」のだ。

つまり、わが国の現体制において、自己管理(=一般に「マネジメント」という)ができない仕組みとなっていることが、まず前提にあると承知すれば、「減税の財源」議論の不毛がよくわかる。

この「独自理論」の正体は、「お小遣い帳の管理方式」という、おどろくほど単純で、もうすこし難しく表現すれば「単式簿記」しか頭にない人物たちを「国家的エリート」と呼ぶ噴飯なのである。

超難関東大法学部をでて、超難関国家総合職試験をパスした者たちが、「お小遣い帳」をみながら国家運営しているのだ。

だから、お母さんから月に1万円もらっていたのに、5千円にするといわれて、それじゃ生きていけない!とだだをこねている風景にみえてくる。
お母さんの理屈である、5千円でやり繰りしなさい、が、できない子供同然なのだ。

しかしながら、国家には特権があって、それが国債の発行と、日銀による購入の強制なのである。
お小遣い帳の発想だけしかできないので、発行した国債の「借り換え」でチャラになることがわからない。

むろん、国債とは国の借金をさすが、国民には資産なのである。

これはこれで、「複式簿記」のかんがえになるので、一次元に生きる生物が二次元を認識できないように、財務官僚たちは、一生、複式簿記を理解しないしできないのである。

もっとも、国債の発行=日銀による円(通貨)の増加、となるから、円価の減価がインフレと円安となる理屈もあって国民が困窮するから、上に書いたように、望ましいのはお母さんの理屈なのである。

わが国政府は、高度成長期に「ケインズ一辺倒」であったが、どうしたことかいまはぜんぜん見向きもされていない。
「乗数効果」を援用すれば、「減税の国民経済発展効果」があって、それをミレイ政権もトランプ政権2.0も享受していることを無視している。

ようは、国民経済が重要なのではなくて、お小遣い帳の足し算と引き算が見合うことが最優先という、医学的に病的な状態があるとしか理解できないのであった。

すると、治療の方法は、隔離、なのである。

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