自殺願望の宗教

「旧統一教会」という宗教団体は、「現・世界平和統一家庭連合」になっていて、あんがいと「国連」の正式サポート団体なのだ。
もちろん、「国連」を権威づけるものではないし、「国連」に権威があるはずもない。

なんでも、安倍晋三氏を狙撃した「らしい」ひとの母親が、この宗教団体に多額の寄付をしたことが、「風が吹けば桶屋が儲かる」の論法で、犯行の「動機」になっているらしい。

けだし、容疑者とされたひとは、ただいま精神鑑定中なので、なんだか話が先走っていて、例によって例のごとく、マスコミが張り切るほどに「嘘の匂い」がプンプンするのだけれど、読者のみなさんはいかがおかんがえだろうか?

もっとも、鑑定によって精神に異常があるとなれば、「風が吹けば桶屋が儲かる」論法も、本人が思いこんでいたとしても不思議でなくなる。
ただ、だからといってあの銃撃が「ホンモノ」だったことの証明にはならない。

救急で診た医師団と、県警の解剖結果の相違が、あまりにもあんまりだ。
銃弾がまるで自動制御されているかのように、弾道が曲がって飛んだほどの「相違」なのに、この詳細を報道せずに「宗教団体」の「異常」を報じていることに、おおいなる違和感があるのだ。

なお、このことを指摘して国会質問しようとした青山繁晴参議院議員に、警察庁高官が「議員のためになりませんよ」と脅迫したことが、青山氏本人が曝露して、謝罪を得たという。

ただし、青山氏はこの不届き者が誰であったかを「武士の情け」として、秘匿している。
青山氏は、武士なのか?それとも相手を武士として認めているのか?が不明な、なんだか元共同通信記者というお里がしれる話になっている。

対して、物理学者が「複数狙撃犯説」を、「音声解析」と「画像解析」を根拠に詳細な主張している。

銃弾の角度から、最低でも2人か3人の狙撃手がいて、指揮官を入れれば4人とかんがえられ、ただいま精神鑑定中のひとが撃ったのは二発とも「空砲」だとしている。

なんにせよ、元首相の暗殺という歴史的大事件の捜査に、野党の政治家もマスコミも突っ込まない「闇」がある。
もちろん、捜査当局が捜査しない、という状況は、アメリカにおける政治的行動をしているFBIとおなじで、さすがは日米同盟、だ。

とはいえ、情報がない、状態なので、本件は「わからない」から、わかるテーマとして、「宗教問題」をかんがえたい。

いま、世界の先進国と呼ばれる国々で、「脱炭素」よりも進行して成功しているのが、「脱宗教」なのである。

たとえば、「建国の理念」にキリスト教があるのは、アメリカ合衆国だし、その元宗主国の英国も、「イギリス国教会(聖公会)」の国だ。
イタリアは当然にカソリックで、ドイツはプロテスタントと相場は決まっている、とおもわれてきた。

しかし、おそるべきスピードで、「脱宗教」が進んでいるのである。

これが、「同性婚の許容」であり「LGBTQ」になって表面化しているのである。
つまり、伝統的宗教観を基点とすれば、「ありえない」ことが、堂々と主張されて社会が許容していることこそ、「脱宗教」の成功を示している。

もちろん、「無宗教」をよしとするは、共産主義・全体主義の「宗教性」が原因にある。
しかし、歴史の皮肉は、スターリンのソ連がヒトラーのドイツと死闘を繰り広げたとき、スターリンは「ロシア正教」に祖国防衛の価値観を求めたのだった。

共産主義は、国境をなくす「世界共産化」を旨とする宗教だから、「祖国防衛」という概念がそもそも矛盾する。
しかも、スターリンは「賢明にも」、ソ連国内の母親とその若者が共産主義のために死ぬことに納得しないことを知っていた。

そんなわけで、このことが共産ソ連に「ロシア正教会」が残った原因であり、結果となったのである。
プーチン氏が、自身をロシア正教会の敬虔なる信徒だと自己紹介するのには、こんな国民性を熟知しているからでもある。

一方で、トランプ氏は、急速に信者数が減衰している、プロテスタント「長老派」の敬虔なる信徒である。
西城秀樹の『ヤングマン』ならぬ、オリジナルを彼の集会で定番としたのは、「ミサ」をしているからだと前に書いた。

このふたりが「馬が合う」のは、キリスト教つながりなのである。

なお、何度も書くが、故岩里政男氏(通名が「李登輝」)も、コーネル大学留学中に「長老派」の信者になって、生涯を貫いた。
ついでに念をおせば、「長老派」とは、「清教徒」で「建国の父たち」の直系にあたるのである。

そのキリスト教を「邪教」と糾弾したのが、ニーチェであった。

「近代」には、「脱宗教」というトレンドが隠されている。
しかし、人間にとっての宗教の重要性は、「教義」よりもずっと「規範の提示」にあるのだ。

この「規範」とは、社会に「倫理」と「道徳」をもたらす。

すなわち、宗教は(たとえ共産主義・全体主義でも)、その宗教の教えるところの「規範」があることで、社会の安定をもたらすという効用があるのだ。

逆に、「脱宗教」が成功すると、その国や民族から「規範」が失われる。

このことにマルクスの天才は気がついた。
よって、「革命」を目指すものは、かならず「宗教」を批判するばかりか、「解体」をしないといけないという「セオリー」になったのである。

わが国の明治の大発明が「日本教」で、天皇を「現人神」に据えることでの「平等」が、「あたかも」キリスト教社会のように「自由社会」を構築させて、大発展の基礎としたことをGHQは詳しくしっていたがゆえに、「人間宣言」を強制させて、「日本教」を崩壊させたのであった。

つまり、俗にいう「天皇の人間宣言」こそが、日本の死亡宣告、であった。

そのGHQを支配したのが、アメリカ民主党だったから、今度は自分の国でもおなじことをやって、アメリカを崩壊に導き、結果的に(富豪による)共産革命(=人民の奴隷支配)を達成しようとしている。

あのオウム真理教は破産したけど、ちゃんと後継団体はいまもあって、「監視対象」ではあるけれど、「解散命令」にはいたっていない。
なのに、どうして旧統一教会「だけ」が騒ぎとなるのか?

いま、わが国における「特定宗教」への「弾圧」とは、かならずや「すべての認可された宗教」にブーメランとなって、全面的な「脱宗教」がはじまる予兆にすぎないのではないか?

だとしたら、新興宗教どころか、伝統的な神社仏閣も、はたまた与党の一角も、他人事ではないはずなのに他人事でいられる脳天気が、まったく滑稽にみえるのである。

よって、現存する「有形文化財」を、観光資源として「拝む」だけとなり、歴史的価値がないと役人や審議会に判断されれば、たちまち解体される運命になる。

こんなことも、与党の一角をなす政党がわからないのか?
いや、自分たちは「別格」だと思い上がっているのかもしれない。
しかし、「脱宗教」の完成とは、そんな甘いものではない。

ひとびとから、規範を奪うからである。

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