薄利多売はやってはいけない

安くしないと売れない.
このかんがえに取り憑かれたら,それはまるで貧乏神に取り憑かれたのとおなじで落ちるところまで落ちるはめになる.
しかし,いまだにこの発想からのがれられない経営者はたくさんいるから,お祓いだけではなく自ら滝の水にでも打たれて禊ぎを受けたほうがいい.

いまどき「薄利多売」をしようというのは,社内の数字を把握するシステムが不完全なままで放置しているからできるのだ.
もし,社内の数字をきっちり把握するシステムがあれば,「薄利+多売」などしないで,「ちゃんとした利益+多売」をすることになる.

その「ちゃんとした利益」が,他人から「薄利」だといわれても,経営者が「ちゃんとした利益」だと認識できていれば,それはそれでよい.
つまり,「薄利多売」とは,利益を把握している,という条件が満たされてはじめて成り立つものなのである.利益を把握せずにやったら,それは「無謀」というものだ.
だから,おおくの「薄利多売」は,そのまま「無謀」になる.

なぜなら,「利益」を把握することは,とても難しいことだからである.
もし,そんなことはない,ちゃんと損益計算書には利益が出ている,と主張するなら,そうとうに危ない発想をしているから,注意が必要だ.

このブログでも何度か書いたが,「損益計算書」は「納税」のための「計算書」であって,真の「損益」を把握するためのものではないからだ.
当然に,会社法での「決算書」も,株主や投資家のための開示資料であって,経営者のための資料ではない.
だから,そこに書かれている「利益」を,経営者が経営のためにつかってはいけない.

ならばどうするか?
残念ながら,損益計算書は恣意的すぎて使えない,というのが結論である.
それでは困るので,「キャッシュフロー」をみるという方法が唯一存在している.

ところが,このキャッシュフローでは,製品や商品の一個あたりのキャッシュの動きが見えない.
だから,そもそも「薄利多売」は成立しないのである.

現金の動きがキャッシュフローである.
現金の「入金」と「出金」,そして「あまり」が重要なのだ.
「入金」がなくても「出金」はある.
これを,会計士は「管理会計」と称して,「変動費」と「固定費」という概念をもちだす.

売上がなくても出ていく費用を「固定費」といい,売上と連動して出ていく費用を「変動費」という.
そして,これらの費用から,「限界利益」を求めれば,「必要売上高」の計算が「できる」,という.

しかし,できない.
そもそも,損益計算書の費用を「固定費」や「変動費」に分けることが「できない」からだ.
もし,適当に分けて計算したら,その「誤差」がおおきくなって,とても実務ではつかえない.
ある教科書には,「とにかくひたすら『固定費』と『変動費』に分解せよ」と書いてあるのをみたことがある.

これを執筆した会計士は,実務を知らない,と確信した.
「理論」は理解したい.それで,「感覚」を持つのは重要だ.しかし,「つかえない」.
製造業で「中小企業のカリスマ」といわれる人物が,「設計図どおりできたら倒産する会社なんてない」と言っていたが,「理論どおりできたら倒産する会社なんてない」のである.
どちらも,たいへん難しいことなのだ.

わたしも若い頃,教科書を信じて,会社の数字から限界利益を導いて必要売上高計算をし,これを予算策定の根拠にしようと取り組んだことがある.
経理と組んで3年間,結局は「できなかった」という苦い想い出がある.
しかし,この失敗から,気づきがあったのはよかった.

「薄利多売」をしているひとは,是非,教科書通りをいちどやってみて,「できないこと」を経験するとよいのだが,それでは会社がもたないかもしれない.
「時間」という経営資源を浪費してしまうからだ.

どんなにお金を出しても,「時間」は買えない.
古来,永遠のいのちを求める物語はたくさんあるが,成功した話はひとつもないのは当然である.
しかし,人間とちがって「会社」には永遠のいのちがあるかもしれない.

それは、「経営力」にかかっている.

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