ECBのイタリアいじめ

予想通り、ヨーロッパ中央銀行(ECB)はEUに逆らいそうなイタリア新政権に対して、嫌がらせをはじめた。
これは、英国新政権に対する嫌がらせとおなじだが、ECBだけでなく世界の金融亡者たちが、何かに取り憑かれたように英ポンドと英国国債を奈落に追いやったから、イタリアはまだ「序の口」である。

とはいえ、イタリアの新政権は、まだ発足していない。

この意味で、英国政権発足後の「大減税」発表直後からはじまった「暴落」とはちがって、政権発足前からの「仕掛け」がはじまったので、よりイタリアへの「制裁」感がある。
ブレグジットした英国とは、一線を画すやり方だけど、そのいやらしさは、イタリア国民の選択を無視した凶暴さがあるのだ。

しかし、「報道」や金融専門家の「解説」は、ほぼEU及びECBの方に日和っているから、寄らば大樹の蔭っぽい「忖度」が見え隠れする。
「体制側に付く」のが、ハイエナ的根性のあらわれなのだろう。

じっさいに、イタリアは戦後から一貫して「左派政権だった」ので、その「ツケ」と「アカ」が全身に廻って、万年財政赤字であった。
それゆえ、「イタリア国債」の引き受け手は、EU統合以来、ECBしかいない状態になったのである。

そこで「救世主」として登場したのが、ECB総裁として手腕を発揮したドラギ氏であったけど、元の木阿弥どころか、あれよと財政赤字を「増大」させてしまったのだった。
もちろん、ドラギ氏もグローバル全体主義者だ。

IMFの専務理事から、女性初のECB総裁になったラガルド女史は、やっぱり女性で初のEU委員長のフォン・デア・ライエン女史とタッグを組んでいるので、いまヨーロッパを支配する両巨頭は、奇しくも「女帝コンビ」になっている。

選挙中から「介入発言した」ライエン委員長のことは書いたが、この「脅し」にも屈しなかったのは、イタリアの有権者なのである。
この視点が、報道にも解説にも見えないのは、まったく民主主義を守る気がないグローバル全体主義の正体だ。

そんなわけで、イタリア国債の下落は、エネルギー危機がヨーロッパ最悪のドイツよりも、さらにイジメにあっている英国よりも悪い(金利上昇)のだ。
10年国債でこの3ヶ月の「75日移動平均」をみると、8月中旬には3.2%の最高値だったけど、9月直近では4.2%程度に下落した。

おなじ時期で10年ドイツ国債は、1.2%から1.4%への下落でしかない。
英国では、2.2%から2.7%ほどへ「暴落」しているのである。

やっぱりイタリアの無様が引き立つ。

しかも、ECBは、過去からの保有分の償還について、選挙のあった9月に早速、償還分と見合いでも新規の追加購入を「しない」ことを決めた。
これは、ECB保有のイタリア国債残高が、自動的に「減る」ことを示唆するので、新政権が「公約」とした「財政出動」に対する「財源」を止めた、といえる。

英国の新政権が「折れた」ように、イタリアの新政権は、政権発足前に「折れる」のだろうか?

もちろん、ECBとEUに日和る「マーケット関係者たち」は、「折れない」ならば、追い打ち的な「制裁」を行うとも示唆している。
つまり、なにもしないうちから「詰んだ」ようになっている。

なので、ここからはわたしの「妄想」である。

そもそも、「極右」という表現も意地悪で、むかしなら「保守」とか「伝統主義」とかと呼んだはずだ。
もちろん、「イタリア・ファスト」の、ナショナリストの政権なのだ。
どうしてイタリア人が「政権選択した」のか?
それは、EUとNATOの「悪政」からではなかったのか?

イタリアの選択肢は、日和るひとたちからは「異常」と非難されるだろうけど、国債を買ってくれる相手を探すしかない。
ECB以外「誰も買わない」と決めつけているようだけど、むかしから「カネは天下の回りもの」なのだ。

アメリカ民主党とEUのグローバル全体主義者がつくった、自滅のエネルギー危機は、各国経済を破壊することが目的の「革命」なのだと定義すれば、「敵の敵は味方」になるのも、マキャベリを産んだイタリア人の発想にないわけがない。

もちろん、仕掛けたひとたちが勝手に「舌なめずり」しているのは、ロシアの資源である。
しかし、ロシアはその資源をもって戦費にも充てているので、「資源高」の恩恵はむしろロシアが一番得ている。

とうぜんに、イタリア人は、ロシアからの資源供給を望んでいるから、ロシアとさまざまな「交渉」をしているはずだ。
ロシアは、資源が売れるに越したことはないから、イタリア国債を引き受ける、という「ウルトラC」がかんがえられる。

そうなれば、イタリアはロシアの「債務の罠」に自ら飛びこむことになると非難されるだろうけど、背に腹は代えられない。
もしやこれに、OPECだって乗るかもしれない。

なにせ、バイデンをして「失望」といわしめた、「OPEC+」による「石油減産」の決定が痛い。
この「+」が、ロシアなのである。
しかも、サウジはあの皇太子を首相に据えた。

そんなわけで、これに英国が乗ることはないだろうけど、ドイツが涎を垂らすほどになるはずだから、EUの自滅とは、EU委員会とECBの内部崩壊的自滅になるのではないのか?と、希望的観測をいってみたい。

トルコのダラーライゼーション

「ダラーライゼーション」とは、自国通貨の「ドル化」のことである。
これが、トルコで起きている。
つまり、トルコ・リラから、米ドルに自国通貨のシフトが起きたのだ。

実際に、トルコでは、対前年比で80%を超えるインフレになっているけど、なぜかエルドアン大統領は中央銀行に「利上げをさせない」政策を貫いていて、過去3人ほどの総裁を「利上げを図った」として解任している。

それで、こんな強烈なインフレ下でも、なんと中央銀行には、二度も「利下げ」をさせて、リラの紙クズ化を促進しているのである。

しかも、奇妙なことに、トルコの景気は「好調」で、特に、「家計支出」の伸び率が、インフレ率を「上回る」という現象が起きている。
ほぼ倍の物価になっているはずなのに、消費はそれを上回って好調なのはどういうことか?

「リラ」ではなくて、「ドル」による支出なのだ。

トルコ人は、とっくにリラへの信用を失って、ドルに逃避した。
それがまた、「リラ売り・ドル買い」となって、リラの価値はゼロに向かって落ち込んでしまったのである。

ドルへの換金を終えた国民は、かえって強くなったドルで買い物をすれば、リラ建てよりも日々安くなっているように感じるのである。
つまり、ぜんぜんインフレなのではなくて、かえってデフレに思える。

それで、大統領がリラの価値をもっと低くするようにすることが、国内「保守系」からの支持を強固にしているのである。

すると、もはや「リラ建て」の統計も価値がない。

すなわち、トルコは国をあげて、国内通貨を抹殺する努力をしている、大実験国になったのである。
だから、そのうち「トルコ・リラ破綻」のニュースになるのだろうけど、トルコ人には知ったことではない、ことになる。

逆に、新興国通貨として、リラ建てで投資をしてきた外国人には、紙クズになるショックがやってくる。
はやいところで、「損切り」した方がよさそうだが、このタイミングでは遅すぎたかもしれない。

これがまた、なにかとお騒がせな「クレディ・スイス銀行」への、嫌なニュースになりそうでもある。

さてそれで、わが国はどうなのか?

来年の春に任期が終わる、黒田日銀総裁が、どうしたことか「向こう2・3年は大規模金融緩和を維持する」と、これまた奇妙な発言をした。
それでかどうだかしらないが、「20年もの」長期国債の入札が、記録的「軟調」で終わった。

「軟調」というのは、日銀にとっては「金利上昇」という意味である。
おっかなびっくりで、誰も買いたがらないから、国債の価格低下(金利上昇)になるのである。

国債の基準となる「短期」から「10年もの」までは、事実上日銀が独占しているので、「市場がない」という世界的に物珍しい状態にある。
しかし、そこは官僚国家のわが国で、「20年もの」以上の長期国債には手を出さないことにして「市場」を確保している。

それで、あたかも日本国債(全部)には市場がある、という定義にした。
「集合論」がめちゃくちゃな、文化系官僚の頭脳のなせる技だ。
けれども、もともと「国債市場」に個人投資家は参入できないので、「(長期)国債市場」といっても、参加者全員が「機関投資家」なのだ。

そうやって購入した国債を、個人に分けて販売している。

しかも、「50年もの」ともなれば、機関投資家でもおいそれと買えないから、数社、もっといえば1~3社くらいしか購入・保有していない。
それだから、「20年もの」が、もっとも入札者が多いボリューム・ゾーンになっている。

前にも書いたが、政府と日銀はこの30年間、ずうっと金融緩和してきた。

それでもって、誰がいつ、「出口戦略」を立ててそれを実行するのか?が問題になるのは、とっくに「薬物中毒状態」になった日本経済を、誰が「毒抜き」するのか?ということだから、やってくるのは未知の「禁断症状」なのである。

つまるところ、この「禁断症状」が怖くて、誰も出口戦略を立案もしない。

その禁断症状のもっとも容易に想像できるものは、将来の金利上昇にともなって起きる、過去に発行した超低金利(マイナス金利分もある)の残債である「国債の暴落」なのだ。

これは英国新政権の「減税」に対する嫌がらせ的な、ポンドと英国国債暴落による、市場からの脅しで、とうとうイングランド銀行が無理やり金融(量的)緩和策をやらされたことを「前例」にすれば、わが国の「出口」の難しさを先取りしたようなことになっている。

つまり、ロスチャイルドが仕切るイングランド銀行がこのありさまなのだから、日本の偏差値エリートには解決不能かもしれない超難関の問題なのだ。
もちろん、最高責任者は日銀総裁人事もする総理大臣だ。
たまたまいまやっている岸田氏に、出口が見えているとは思えない。

高橋是清のような、実力と胆力がある大蔵大臣もいない。

ならば、アメリカを引きずり込んで「ドル化」するのが、最後のわが国の生き残り戦略になるのかもしれない。

靴はひとを選ぶ

日本人が靴を履き始めて、150年あまり。
ほんとうは、縄文時代から靴を履いていたのに、どうして廃れたのか?については、高温多湿と家の中で靴を脱ぐ習慣の二つが原因だといわれている。
それで、草履や下駄が主流になったと。

ならば、どうして家の中で靴を脱いだのか?
きれい好きもあるだろうけど、「玄関」という「結界」を設けたことに、宗教上の強い理由があるかとおもう。
もちろん、ずっと靴を履いていたら、足が蒸れるのは高温多湿ゆえである。

「結界」とは、外と内の区別でもある。

魔物がひそむ危険な外に対して、安全な内(「家」を「うち」と読む)は、まさに「家内安全祈願」の通りで、その家内安全を取り仕切るひとが、奥を支配する「主婦」たる人物であったから、外からは「奥様」、内からは「家内」になった。

だから、外部のひとは、相手の妻を「あなたの家内」とはいわないで、「奥さん」というし、いわれた側は「うちの奥さん」とかいって、二重表現をしたりするのは、「神(様)さん」を畏れるのとおなじに「恐妻家」を自称するのである。

まあ、そんなわけで、靴を履かない時代=時間が長かったのが、日本人なのである。

一方で深い森林のなかで狩猟生活をしていた、ゲルマン人は、靴を履かないと行動できない縄文人とおなじであったけど、高温多湿ではないからずっと靴を履いていたのは、他部族からの襲撃に備えるためでもあった。

縄文人が大規模な戦争をした痕跡を残していないのは、どうやらそんなに食べ物に困っていなかったかららしい。
青森の三内丸山遺跡には、低木化の品種改良された栗林が出土している。
しかし、ゲルマン人はそうはいかず、ヨーロッパの寒さは過酷であった。

それでもって、地球寒冷化によって、「大移動」して、ローマと激突した。
靴を履いているゲルマン人は、サンダルのローマ人よりずっと強かったので、「世界史」が変わったのである。

この意味で、「ドイツ靴」には、森の生活からの驚くほどの長い時間をかけた「伝統」があって、たいがいのドイツの靴メーカーは「整形外科医」が創業者になっている。
「足の骨格」の専門家が靴を作っているのだ。

では、日本ではどうなのか?
残念ながら、靴メーカーは、例によって例のごとく、「大量生産」に走った歴史から抜け出せていない。

それにしても、どうして「鼻緒」の履物ばかりだったのか?
鼻緒がくい込んで痛くなかったのか?
「編む」技術に優れた「ワラジ」さえも、前は「鼻緒」で、後はかかとを止められるようになっている。

足の甲を覆うサンダル方式にしなかった理由はなんだろうか?

もしや「ナンバ歩き」か?
なぜ「ナンバ」というのかも、「難儀な場所」とかいろいろあるらしい。
呼び方はどうであれ、「歩き方」としては、なんと「二軸歩行法」なのである。

「股関節」というよりも、骨盤を利用する。
足の繰り出しと手の振りが「おなじ」という解説があるけれど、「相撲」のような動きとはちがう。

たしかに、右足を出すときに、右手も動かすのだけれども、どちらかというと、「体幹」に沿ったイメージなので、右手を「前に振る」よりも上下運動させて、上から下に動かすのだ。
だから、歩行していて身体の正面が揺れない。

さらに、腰を落とした感じとなる。

これは、鍬を振る農作業では、ごく「ふつう」の動きだという。
腕だけでは、疲労がたまるので、「腰を入れる」。
そのとき、身体は正面を保って左右にブレることはない。

忍者ならずとも、たとえば、『東海道中膝栗毛』の弥次喜多コンビの「脚力」を意識して読むと、お江戸日本橋を早朝に出立したふたりは、「のんびり」と「寄り道」しながら歩いているはずなのに、初日の泊まりは、「保土ケ谷」なのだ。

健脚なひとなら、戸塚泊まりが当たり前だったという。

東海道に近い、都営浅草線の営業距離は、日本橋-泉岳寺で6.1㎞。
泉岳寺-横浜が、京急で23.4㎞。
横浜からJR横須賀線で、保土ケ谷が3.0㎞なので、合計32.5㎞。
12時間かかったとして、平均2.7㎞/hだ。

ちなみに、保土ケ谷-戸塚間は同じくJR横須賀線の営業距離で9.1㎞ある。
すると、32.5+9.1=41.6㎞。
12時間で、約3.4㎞/hになる。

鉄道路線の距離だから、実際の「東海道」は、距離的にもっとある。
すると、寄り道ばかりの弥次喜多コンビにしても、歩くのが速くないか?
ましてや、当時の「健脚」なひとをや。

スニーカーもなにもなく、足袋とワラジでの踏破スピードなのだ。
プロの「飛脚」に至っては、現代人の想像外になる。

やっぱり、身体の使い方が、「ナンバ」なのだ。
「ナンバ」のもう一つの特徴が「ベタ足」で、地面を「蹴る」動作がないから、鼻緒がくい込むようなことにはならないし、かかとも擦って血豆にもならない。

そんなわけで、日本の靴がドイツのように「発達しなかった」のは、単に大量生産だけでなく、どうやら日本人の歩き方が、靴を選ばないでよかったのではないのか?

しかし、昭和初期にはもうそんな歩き方はできなくなったから、科学的に分析・設計された「高価」なスニーカーを履かないと、歩けないようになってしまった。

すると、ひとが靴を選ぶのではなくて、靴がひとを選ぶようになっているのだ。

あわない靴で足を痛めるのは、なにも女性に限らない。
かくいうわたしも、若いときに履いていた靴を、痛みをこらえてむりやり履いていたら、右足が軽い外反母趾になってしまったのである。

これを、熱心な靴屋さんで、左右の足のサイズがちがっていて左が大きいために右足が靴の中で動いたことが原因ではないかと指摘された。
すると、そのまた原因が、体幹の左右のズレで、骨盤に問題があるかもしれないから整体院にいくことを勧められた。

それで、この靴屋さん自慢の柔らかい鹿革の靴はあわないと、販売してもらえなかったのである。
革の加工は奈良県宇陀市、製靴は大和郡山市の逸品だった。

残念。

農産物の世界規格番号

昨年の「東京オリンピック」は、すっかり過去のことになったかとおもったら、「汚職」問題で話題になっている。

そんなに騒ぐのはどうしてか?わたしにはよくわからないけど、たしかに「汚職」を肯定する気はない。
ただし、そもそもが国際オリンピック委員会(IOC)からして、怪しい民間団体なのだ。

前にも書いたが、暇人のヨーロッパ貴族たちの「娯楽」としての「見物」が、近代オリンピックの「本音」だからである。
こういってはなんだけど、この意味で選手たちは、「見世物の対象」にすぎない。

だから、その運営者が運営者のなかで「金儲けに画策する」のは、べつにふつうのことなのである。
もっといえば、「金儲け」したいから、巨額の誘致予算と人員をかけて、競争相手から開催地を「勝ち取る」ことも、ぜんぶが「ビジネス」なのである。

いろんな「業界」が、カネを出すのも、その恩恵がほしいからだ。

そんなわけで、「元締め」が私腹を肥やすのは、「当たり前」なのが、オリンピックだから、なにを騒いでいるのか不思議なのである。

こんなことをしていたら、国際オリンピック委員会から嫌われる。
彼らには、なんの罪の意識もなく、貴族の特権を脅かす、ヘンな国だと認定されるだけだ。
これら委員のひとたちの優雅な暮らしは、日本人の想像外だ。

さてそれで、選手たちに与える食事の材料は、競技前と競技中なら、残念ながら「輸入食材」が中心で、競技後の「ご褒美」として、国産食材の料理が与えられた。

これは、国産品の「格」が上ということではなくて、国産品が国際基準を満たさないための「苦肉の策」だったのである。

なにしろ、「ドーピング問題」から、選手の体調管理から、試合前には「いつも通り」が重要なのである。
だから、いつも通りが日本国内で提供できないなら、空輸してでも持ち込むのが「ふつう」なのだ。

この「いつも通り」を表すのが、国際基準とその「規格認定」なのである。

さて、いつもの買い物でよく見かける「国際コード」は、たとえば、バナナやキウイに付いている。
これらは、基本的に「輸入品」なのでわかりやすい。

IFPS(The International Federation for Produce Standards:国際生産基準連盟)という「国際団体」が管理している、PLU(Price Look Up)コードがそれだ。

このコードは、4ケタか5ケタである。

もとは、小売店が販売管理や在庫管理をするためのものだった。
要は、レジ係と倉庫管理係とが「素人」でも簡単にできるようにするための「規格」なのである。

われわれの生活に不可欠な、農産物では、3000番台と4000番台が割当てられている。
なので、最初の数字が「3」か「4」なら、農産物である。
ただし、その下のケタはランダムなので、意味は素人にはわからない。

また、5ケタの場合、「9」からはじまるものと頭が「84」には、「有機栽培」という意味であるから、覚えておきたい。
逆にたとえば、「83」からはじまる「83000番台」は、通常栽培という意味である。

残念ながら、PLUコードでは、「遺伝子組み換え作物」についての区別がないが、「ない」ことを知っておくことも重要だ。
これには、「定義」の問題があるのだ。

わが国では、この4月から、遺伝子組み換え作物の区別についての規制が「緩和」されたので、消費者には「わかりにくい表示方法」となった。
これも、政権による「悪政」のひとつである。

すると、「消費者庁」という役所を設立した意味も、「ガス抜き」だとわかるのである。
むしろ、「消費者イジメ庁」とならないか?

『「規格」の父』と呼ばれているのは、第31代アメリカ合衆国大統領(1929年3月4日 – 1933年3月4日)だった、ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover)氏である。

このひとは、教科書では「大恐慌に無策だった無能の大統領」のごとく書かれているけど、当時の「古典派経済学」による政策提言に従ったまでだ。
それで、社会主義の「ケインズ経済学」を看板にした、フランクリン・ルーズヴェルトに破れたのである。

じつは、ケインズ経済学を世界で最初に「経済政策として全面採用した」のは、ヒトラーだった。
とにかく「穴を掘るとか」何でもいいから、公共事業をやって「有効需要を増やせ」として、作ったのがアウトバーンだったのである。

当時のドイツ人だって、マイカーなんてほとんど誰も持っていなかった。
それで、古典派は「破綻する」といったが、空前の好景気になったのである。
ただし、ヒトラーがケインズを採用したのは、「ヤケクソだった」節があるけど。

このことが、「独裁体制」を強固にしたのだった。

そんなわけで、「規格」がないと生活できない世界に我々は生きている。
曲がったキュウリが流通しないのも、規格のせいだけど、曲がったキュウリという規格を作らないのは、コード番号の「ケタ問題」があるからだろう。

5ケタとは、万の位だから、99,999個までしか登録できない。
世界中の農産物に、これで足りるはずがない。

最初に決めたケタ数に、じつは支配されてしまう。
これを増やす行為は、「データ・ベース再生」という、おぞましいコストがかかるからだ。

「世界規格」は、一見素晴らしいけれど、はじめに設定されたケタ数に、全人類が支配されることになってしまったことも、考え物なのである。
しかし、これが、「グローバル全体主義」の本質でもある。

だれがケタ数を増やそうといいだすのか?
だれもいないからこうなっている。

携帯貧乏のわけ

通信費が生活費のトップに?
それは、通信した費用ではなくて、通信するための端末にかける月額ローンを加えるからだ。

政府は国民から合法的に掠奪する。
この典型が、「電話加入権」を強制的に放棄させられたことだった。
むかしは、「街金」とか「質屋さん」の看板が電信柱に貼ってあって、「電話金融」って大書してあったものだ。

1976年(昭和51年)当時、あたらしく電話を引きたいとなったら、電話加入権として、8万円を支払わないといけなかった。
けれども、「権利」なので、回線を必要としなくなったら返ってきたのである。

地方から出てきた、中流の学生が親からもらった電話加入権を飲んでしまって、大変な親子げんかになったこともあった。
電話を自室に引けない貧乏学生は、「ピンク電話」(特殊簡易公衆電話)があるアパートを探して住んでいた。

親からの電話を住人の誰かがとって呼び出してくれて、こちらから「市外」にかけるときは大家さんに鍵を回してもらってかけたのだ。
それで、料金がわかるように「100番通話」を使うしかなかった。

これは、通話が終わると局から電話がかかってきて、料金を教えてくれるサービスで、コレクト・コールの逆だった。
なので、大家さんが横で通話が終わるのを待っていたから、のんびりした会話はできなかったけど、のんびりした時代であった。

そんなわけで、電話加入権は、4年間だけ住まう学生とかならまだしも、永久に自宅や事務所で使うことを考えたら、永久に返ってこない「権利」となって、「民営化」の名のもとでどんどん「減額」されて、うやむやになったのである。

電電公社がNTTになって、NTTドコモができたら、それからとうとう、固定電話が廃れる時代になった。
いまや、自宅の固定電話をやめて、携帯電話だけでよいひとが増えたのは、当然といえば当然だ。

携帯電話を所持しているはずのビジネスマン相手の「ビジネスホテル」業では、もう客室に電話機すら設置していないことも珍しくなくなった。
これで、どれほどの「回線契約」が節約できていることか?

次はテレビの設置をやめたらNHK受信料がどれほど節約できるものか?とおもう。
ただし、CATVなりの「ビデオ・オン・デマンド」で、映画などの有料放送は収益源になるだろうから、Wi-Fi環境を用いた「モニター&スピーカー・システム」の設置に転換する可能性もある。

そんなわけで、個人でもスマホがないと生きていけないようになっている。
しかし、固定電話しかなくて、外出先ではWi-Fiデータ端末で、メッセージやメールのやり取りをして、通話は公衆電話とすると、ぐっと「負担」は少なくなる。

いまや、タブレットの方がスマホよりずっとお安いからで、しかも長持ちなのである。
この理由は、下に書く。

最新のスマホは、円安もあって、メーカーの「フラッグシップモデル」になると、なんと20万円以上という価格帯がでてきた。
テレビが何台買えるのだろう?

10万円~15万円も、当たり前になっている。
どうしてそんなに高いのか?といえば、パソコンでいうCPUの性能と、画面の構造、それに「リフレッシュレート」という画面書き換えスピードの速さが競われている。

もちろん、高価格の大ブームをつくったのは「カメラ機能」で、メモリ容量とデータ保存ストレージ容量も価格に大きく影響する。

「しかし」、なのだ。
最大のポイントは、スマホを動かすための基本システムの、「更新保証期間」が問題なのだ。

基本システムは、セキュリティ・システムの更新ということもセットなので、機械的にはどんなに「高機能」、「高性能」でも、システム・ソフトの更新が止まれば、「ただの板」になってしまうのである。

それでもって、各メーカーが発表している保証期間は、
アップル(iPhone):6年
サムソン(Galaxy):4年
元も含めた日本メーカー:2年 となっている。

つまり、元も含めた日本メーカーのスマホなら、どんな機種でも2年で新機種への交換をしないと、セキュリティ上も「まずい」ことになるようにできているから、もはや「使い捨て」状態なのである。

これにはもちろん、メーカー側の言い分もある。
新機種発売時に、想定できないような「新システム」を開発して、それを搭載するに足るハードを、あらかじめ「保障」することができない、ということだ。

要は、ユーザーは「シリコン」を買っているのではなくて、あくまでも「ソフトウェア」を購入して、その恩恵を買わされているのである。
それが、「システム・バージョンアップ」であり、「セキュリティ向上」なのである。

しかし、これらは「地味」なので、「ゲーム」の快適さが「高級機」の条件にもなっている。
これはこれで、立派な「白痴化」なのであるけど、システムのバージョンアップに興味を向けさせないで、常に機種交換させるには都合がいい。

そんなわけで、20万円しようが10万円しようが、明らかに10年はもたない。
長くて6年、4年ならまだしも、2年となると腰が引ける。

ドコモが、3年ローンを2年でよい(1年分は免除)とするのは、2年更新をさせるがための「お得」なのであるけれど、元を含めた日本メーカーの機種を選んだら、あんがいと「合理的」なのである。

アンドロイド系で、世界シェア一番のサムソン(Galaxy)が4年で、ダントツなのが、シェアにも影響するのは理解できるところだ。
これができる理由は、サムソンが「ハード・メーカー」なのではなくて、ソフト会社に進化した結果だ。

ついでに書けば、携帯端末事業から撤退したマイクロソフトのWindowsPCと、サムソンのGALAXYは、「提携機能」でもって、MacとiPhoneとまではいかなくとも、似たようなことができるアンドロイド系では「唯一」となっている。

最長6年のアップルは、ハードはもとより、ソフトも完全自家製であるから「できる」のである。
なお、アンドロイドの本家、グーグルのGoogle Pixelは、セキュリティ5年だが、従来通りOS3年と発表されているのは、端末製造の妥協があるからだろう。

この意味で、元を含めた日本メーカーは、ソフトで完全敗北したのである。

こうして、分割払いの満期と新規交換時期が重なって、これに通信料の負担をするユーザーは、常にスマホのローンを抱えて一生を暮らすようになっている。

それでもピンク電話の時代には、もう戻れない。

韓国をディスる余裕はない

「情報統制」によって、日本人の「鎖国感」が醸成されて世界情勢を見誤るように強いられている。
しかもあろうことか、国民の方がぜんぜん気づかないから、いよいよ「奴隷の幸せ」追及になってきている。

この意味で、本当に「テレビを観てはいけない」のだ。

昨日は、とある待合室でずっとかかっている「民放のワイドショー」をチラ見してしまった。
テーマは、「ベビーカーに乗りたがらない子供をどうすればいいのか?」だった。

パネラーになっている芸人やらの出演者の「答え」は、「おやつ(餌)で釣る」からはじまった。
これは、犬を「ダメ犬」にする調教法であって、それを人間にやれという「浅はかさ」は、いったい誰が台本を書いているのか?

視聴者の脳を破壊する、おそるべき番組が、国民資産の電波をつかって垂れ流されている。

そうかとおもえば、「韓国経済がヤバイ」という話題を、「ざまぁ」といって観ているのである。
この「卑しさ」は、まったく恥ずべきものだが、それは韓国人に対してだけでなく、自分自身に対することの方がひどい。

むかしは、「GNP」だったけど、これが、「GDP」に変わったのは、「N」が「ナショナル:国民」だったので、「D」の「ドメスティック:国内」にしないと、統計が取れなくなったからである。

つまり、「N」の場合は、日本国民が生産した付加価値の合計なので、外国で日本人が生産した付加価値を加えることが必要だし、国内でも外国人が生産した付加価値を加えてはいけないから、どうやってデータを分類するのか?ができなくなったのである。

それで、日本人だろうが外国人だろうが、日本国内で生産した付加価値を全部足す方が簡単になったのは、どの国も事情はおなじなので、世界共通の指標として、「GDP」がつかわれることになった。

高度成長期の終わりからバブル期までの、「絶頂の記憶」があるために、なんだかアジアを牽引するばかりか、世界経済を牽引するのが「日本経済だ」という自負が、いまの50歳代から上の年齢には焼き付いている。

同様に「人口は増えるもの」という刷りこみもこの年齢層にはあるので、西暦2000年(平成12年)から、「人口は減るもの」になったことが、22年も経っているのにいまだに「体感的に」理解できないのとおなじである。

そんなわけで、「GDP」について、中国に抜かれて第三位になっても、「ひとりあたりのGDPこそ」が、実力を示すといって、日本経済の「自慢」をして「安心したい」という欲求を満たしていたのである。

さらに、その「ひとりあたりのGDP」で、韓国に劣るようになったことが、ぜんぜん体感できないので、相変わらず「韓国なんて目じゃない」と思いこんでいるし、これをまた、テレビは絶対にいわないで、「ベビーカーに乗りたがらない子供の餌」を話題にして、時間を潰しているのである。

ちなみに、シンガポールは、アメリカを抜いて世界5位にあるし、香港やマカオすら日本(28位)のはるか上位に位置する。
なお、2021年では韓国はイタリアを挟んで日本より下になったけど、「為替」の問題がからむのである。

その「韓国ウォン」の下落が、このところハンパない。
この背景に、貿易赤字問題があって、「輸出主体」の韓国経済が「貿易赤字」というのが、かなり深刻化しているのである。
「25年ぶり」という月次での連続赤字が発表された。

その25年前、韓国はアジア通貨危機の中心的な国になって、「IMF管理:実質アメリカ」の経済になったのである。
これによって、国民は「塗炭の苦しみ」となったことも、日本人には「ざまぁ」の感があったのだ。

韓国国民が、IMFを恨むのはわかるけれども、「その前に実質破綻した」ということが、どういうわけか語られない。
ひとは、「原因」よりも「結果」に執着する。

それでいま、同時に起きているのは、「円安」なのだ。
韓国ウォンの下落を嗤えるのか?

特定産業や企業に媚びを売って、「経済新聞」と自称している広告会社は、輸出に有利な円安を歓迎する論調を貫いてきたが、さいきんは「不安を煽ること」が「癖になった」ので、今度は「円安だぁ!」といいはじめた。

「貿易立国」とは、円安が有利なのだ、という単純な思い込みをしているだけだから、学部学生の劣等生に近い。
企業会計の「本質」をついた、ドラッカーにいわせれば、「期間損益」という制度そのものがナンセンスなのに。

つまり、円高だろうが円安だろうが、価値を提供すること、しかない。

かつて、昭和天皇は「円高で苦労しております」と奏上した、大蔵大臣に、「輸入品が安くなるから国民生活にはよいではないか」と返したという。

さては、韓国の心配をする前に、自国の心配をした方がよほどよい。

子供に餌で釣るように仕込むのは、およそ「躾」ではなくて「芸の仕込み」なのだ。
赤の他人の子供でも、将来が不安だらけなのに、不憫でしかたない。

こんなことになったのは、戦後の昭和から平成生まれのせいなのだ、と恨まれるにちがいない。

ドイツ人は目覚めるのか?

バラバラで戦争ばかりしていたヨーロッパがEUになって、最大の利益を享受してきたのがドイツだ。

結局のところ、EUとは「統一通貨ユーロ」を介した「通貨同盟」に過ぎないのだけれども、この「経済体制」を上から抑えつけるための政治組織が「EU委員会」だ。

これも、「イリュージョン」を仕込んでいて、「EU議会」とか、「EU大統領」を選出して、あたかも民主主義を装うけれど、実態は日本の官僚制を真似てブラッシュアップした、「官僚独裁制」となっている、と繰り返し書いてきた。

しかし、「通貨同盟」という本質からしたら、「ヨーロッパ中央銀行:ECB」こそが中核的な統一体なのである。
とはいえ、ECBが設立される「前」に、ハイエクはとっくにお見通しで、この通貨同盟の「ムリ」を説いていた。

バラバラだったヨーロッパ各国が発行していた通貨を、どうやって統一するのか?を考えれば、加盟各国の同意なしには果たせないことは、子供にもわかる。

すると、どの国も「自国有利」を図るのが「政治」にもなるので、通貨価値に「政治バイアス」がかかるのである。
つまり、統一前の「相場」をそのまま受け入れることはしないで、相場を「考慮」することにする。

よって、人為的な相場を「妥協」することで、とにかく「統一する」ことを優先させるのである。
もはや、目的が実体経済を反映するのではなくて、単なる「政治」になる。

もちろん、相場そのものも、あらゆる思惑がからんで形成される。
それで、「統一通貨ができる」という情報だけでも、「市場操作」される可能性があるから、なにが本当の「相場」なのかは誰にもわからないことになるのである。

そうやってとにかく「決まった」それぞれの国の通貨価値を、統一通貨の交換レートにした。

そして、この「瞬間」に、ヨーロッパは加盟各国のそれぞれの経済情報を、通貨価値で表現していた「機能を喪失した」のだった。
つまり、決めた瞬間から時間が経過しても、各国経済状態を瞬時に見分ける指標としての通貨相場を失ったのである。

その矛盾が噴出したのが、ギリシャ危機であり、同時に起きたイタリアやスペインの、いわゆるラテン系の国に波及した危機だった。

要は、経済の強い国(たとえばドイツ)と、経済の弱い国(たとえばギリシャ)の通貨が、おなじなのだから、ギリシャ人がユーロを使うこととは、何を意味するのか?

ドラクマがなくなって、自国経済の実力を上回る価値のおカネしかない、という状態になれば、まず国内的にはデフレになる。
しかし、域内貿易の視点では、ドラクマ時代よりも有利にヨーロッパ製品を買えるのである。

その、ヨーロッパ製品がドイツ製だったから、強いドイツにすれば、マルクよりも安いユーロが「輸出」を促進して儲かるのである。
つまり、ギリシャのような弱い国は、域内において「植民地」に成り下がったのだった。

ギリシャ国内で、安いヨーロッパ製品=ドイツ製品が買えるひとたちは、国内のデフレで優雅な暮らしになって、そうでないひとたちはデフレが生活を圧迫した。
「高く売れない」からである。

それで、社会主義的(といっても日本ほどではない)ギリシャ政府が、補助金をばらまいて、政府財政が破綻したのだった。

もちろん、ギリシャを救うにはカネが要るけど、この拠出をドイツが渋ったから、ギリシャ人の恨みが募ったのである。
自分たちから富を搾り取ったのは「どいつだ」と。

この「富」の移転が、ユーロを介して行われたので、ドイツ人の生活がえらく向上したから、「環境対応」という「贅沢の極み」に国をあげて走りだすことができた。

おそらく、生真面目なドイツ人気質からして、想像以上に生活が豊かになってしまったことへの「不安」が、地球環境保護という集団詐欺に引っかかる精神状態をつくったのだと推測するのである。

一方で、このドイツの一人勝ちが気に入らないのがアメリカ民主党だ。
しかもあろうことか、旧東ドイツ出身のメルケル首相は、ロシアとの蜜月を画策し、なお、習近平の中共とも連携している。

アメリカ民主党が中共を叩くのは、江沢民派を復権させたいが故であって、決して「反中」という国レベルの話ではない。
もちろん、プーチンを叩くのは、エリツィンがもたらした特権を剥奪したからである。

さてそれで、日本の新首相がアメリカ訪問できないなかで、ドイツの新首相がアメリカ訪問し、バイデンと一緒に記者会見したのは、ロシアがウクライナに侵攻する「前」であった。

ここで、バイデンは「もしもロシアがウクライナに侵攻したら、ノルドストリームを使えなくする」と突如発言した。
驚いた記者が、「具体的には?」と質問したが、バイデンは「使えない」というだけだった。

それがこないだ、ほんとうに使えなくなった
北欧各国が調査した結果として、ヨーロッパの報道では、「水中ドローン」による「爆破」という結論に「騒然」としているのが、ドイツ人だ。

2兆円をかけて作った、パイプラインは、ドイツの「民間施設」なので、ロシアのものでもないし、火力と原子力両方の発電所を止めたドイツ人には「命の絆」であった。

このことと連関して、ドイツのエネルギー危機は、中小企業の半数を廃業と倒産に追い込むとの試算も発表された。
これはもう、ドイツ経済の崩壊であるし、EUも維持できるのか?

状況証拠は、犯人がアメリカによる「国家テロ」を濃厚に匂わせている。

そんなわけで、ドイツでは「反米(反民主党)」の気運が高まっているのである。
この破壊工作が、大ブーメランとなって「反米・親ロ」になりかねない情勢になってきた。

EU委員会は、どうするのか?
もちろん、わが国も?

男だろうが女だろうが

それがどうした?とは、「性」の話ではないからである。
ではなにか?といえば、社会における「仕事」の話だからである。
しかし、ここでいう「仕事」とは、「作業」と分けてかんがえるものの方で、さらに「女性の身体」を考慮したことである。

たとえば、生理や妊娠中に限らずとも、また、「ハンデ」ともちがう、女性ならではの身体については、考慮しないといけない。
それがたとえば、肉体労働的な夜勤とか長時間連続勤務のことになる。

一般的に、これらを考慮することが、「女性のハンデ」とみられているけど、そうではなくてただの「特性」なのである。
この点、武田邦彦氏がいう、日本人は男性に逆ハンデを課すことをしてきた歴史があるというのは見事な指摘だ。

いまや「女性上司」は当たり前だ。
しかし、男であろうが女であろうが、自分から昇格することはなくて、かならず「上」から推薦・評価されて昇格することになっている。

だから、昇格することは本人の責任ではない。
昇格してからのことが、本人の責任になる。

英国では三人目、イタリアでは初の女性首相が誕生した。
しかし、だからなんなんだ、なのである。
どちらも「選挙」で選ばれているのである。

それで、わが国でも女性首相を、というのは見事なとんちんかんだ。

たとえ本人が「なりたい」といっても、そうは問屋が卸さない。
古来、「言霊信仰」があるので、ときおり「なりたい」と自らいってはばからない女性政治家がいるけれど、言えばなれるものならみんな言う。

なったらなにをしたいのか?に答えられないばかりか、どうやらかんがえたこともない雰囲気を醸し出して、かえって失笑ばかりか反発を買うのである。
なんど入閣しても、実績がないのはこのためだ。

「極右」とレッテルを貼られても動じないイタリアの新首相を褒める記事を誰も書かないのはどうしてか?という記事がアメリカからでた。

じつは、中間選挙を目前にして、さらに共和党の躍進に冷や水をかけている上院議員がその共和党にいる。
なにかと日和るので有名な、リンゼイ・グラム議員というひとだ。

やらかしたのは、「中絶」に関する「連邦法案」を提出したことである。
これには二つの「驚愕」があって、ひとつは連邦最高裁が出した判決、「中絶法は州に任せること」をガン無視していることである。

もうひとつは、民主党急進派が推進している「女性の権利」のための、「中絶」に、共和党は真っ向反対しているのに、なぜか民主党の主張をもっと先に行く内容なのだ。

上院議員のこの行動に、下院議長は「ワッハッハ」と大喜びしている。
もちろん、「主たるマスコミ」は、大歓迎の記事を書きたてて、共和党内のお粗末を嗤っているのである。

ちなみに、わが国は「議員立法」がほとんどない、「内閣立法」の国だけど、アメリカは議員立法「しか」ない。
さらに、「党議拘束」なる、全体主義もないから、議員は独立して党の見解とはちがっても、文句をいうのは選挙区の有権者の問題なのである。

ところで、女性のイタリア新首相は、「中絶そのもの」に反対している。
左派やマスコミは、もちろん「女性の敵たる女だ」と批判してきているけれど、選挙で大勝利するのだから文句をいっても仕方がない。

当然にカソリックの大本山、バチカンだって拍手することだろう。

しかして、そのバチカンの配下にあるはずの、ヒスパニック系移民たちで総じて都会に住むひとたちは、「中絶賛成」なのである。
すると、グラム議員の狙いはこれか?

どちらにせよ、政治課題になったとき、男だろうが女だろうが関係ないのである。
おもしろいことに、ふだんから「男女同権」をいうひとほど、この手のはなしになると、妙に差別主義を剥き出しにする。

そんななか、わが左翼政権は、企業決算たる「有価証券報告書:略して(有報)」に、「人的資産」の記述を義務化しようとしている。
たとえば、「女性管理職の比率」とか。

そうやって、企業を心理的に追いつめようとするのは、まさに共産党のやり口なのである。
つまり、政権が目指すのは、「見た目だけ」でも女性の社会進出に、我が党は貢献しています、といって、女性票を獲得するのが狙いであろう。

けれども、昨今は、「たいへんだから管理職になりたくない」というひとが増えていて、とくに子供を持つ女性はこの傾向が強いという。
それで、男性社員の育児休暇取得率も記載せよ、というご命令になっている。

まことに、個人の生活に政府が介入せんとする、とんでも案だけど、脳みそが腐っている財界は、反対の素振りも見せない。
ならば労働界は?といえば、「見た目だけ」の実績でほんとうに組合員は幸せになれるのか?をどうかんがえているものか。

組合から足ヌケしたのが管理職でも、「元」組合員なのだから、先輩に対してのリスペクトもないのか?

そうみたら、イタリアの女性首相がなにをするのか?
EUと馬が合わないハンガリーのオルバン首相と、どうやら提携しそうだし、ポーランドの現政権もからみそうなのだ。
それが「EU崩壊」になると一部で騒ぎになっている。

ちょっと楽しみなのである。

ヒール(Heel)レスラー・バイデン

アントニオ猪木が亡くなって、ジャイアント馬場と「時代」を作ったふたりが、いよいよ「歴史」になった。
わたしの人生では、力道山はリアルではないのだ。

アメリカの情報公開法は、あんがいときっちり運用されているとされているけど、本当はどうなのか?
また、大統領記録法も、意外とザル法だ。

とはいえ、それなりの「公開」はされている。
なかでも、読売新聞グループ(読売新聞と日本テレビ)の総帥だった、正力松太郎が、コードネームを持つCIAエージェントだったことは、日本人には驚きであった。

このことは、逆にエリート役人だった正力の実力に目をつけたGHQが、エージェントとして正力を経営不振の読売新聞社に送り込み、さらに、占領後にも影響力を発揮して、わが国初の「民間テレビ放送」を作らせたのだろう。

これは、「プロパガンダ」であり、「情報操作」こそ、日本人の反抗心を奪う見事な「心理戦」の一環で、不幸にも日本人はこうして「骨抜き」にされたのだった。

つまり、あくまでもGHQは、日本占領の「目的」について、きっちりと成し遂げたともいえる。
「二度とアメリカに逆らわない国にする」である。

そのための手段が、「3S政策」だった。
Sports、Sex、Screenである。
この意味で、読売ジャイアンツも、ジャイアント馬場・アントニオ猪木も、テレビScreenを通じた「ヒーロー」の共通がある。

なお、Sexには、人間の生理欲求という意味もあるから、食欲を扱う「グルメ番組」こそ、Sexにあたるのである。
この意味で、「食」を官能表現にした、伊丹十三は直接的すぎた。

けれども、わたしの記憶に焼き付けられたのは、鳴かず飛ばずの「東京12チャンネル」が、アメリカから買ってきた『世界の料理ショー』だった。
少なくとも、家にオーブンはふつうになかったし、ふつうに使用されている香辛料も、見たことも聞いたことも、売っている店もしらなかった。

さりげないけど、この番組もいまからしたら、プロパガンダだったのである。
大相撲が禁止になって廃れそうになったが、「生き残った」のも、Sportsの「S」にすることで、「興行」の伝統を棄てさせられた。

これが、「興行」時代からあった「八百長」との矛盾になったのである。

しかし、プロレスははじめから「興行」なので、八百長を云々する者はいない。
悪役「ヒール(Heel)」の存在がないと、成りたたないのもプロレス「ならでは」なのである。

つまり、「興行主」とその「スタッフ」が書いた「筋書き」に従って、選手たちは技を披露するということなので、「演劇」の分野になるのがプロレスなのだ。

この「仕組み」が、世界政治の常識になったのは、国家を超えるグローバル大企業やかつてない大富豪が現れたからである。
そして、これらを束ねているのが何度も書くが、たとえば、「世界経済フォーラム:ダボス会議」なのである。

こうしたことが、ダイナミックに、あるいは「あからさまに」出現するのが、アメリカ合衆国という「人工国家」だ。
旧世界の歴史や伝統(しがらみ)を、ある意味「リセット」して、建国の父たちという「賢者」によって、設計された人類初の国家である。

アメリカ民主党とは、これも何度も書くが、建国「してから」移民でやって来た、旧世界で喰えないひとたちが、東西の沿岸部に住みついたから、いわゆる「ブルー・ステート:民主党支配の州」がここに集中し、内陸部が「レッド・ステート:共和党支配の州」になったのだった。

しかも、ロシア革命後のソ連共産党内の権力闘争で、スターリンに敗れたトロツキー派がアメリカに亡命して、民主党を乗っ取ったために、「極左政党」に変容したのである。

ソ連を作ったのは、つまり、ロシア革命のスポンサーが、いまでいう国際金融資本家たちという富豪だったことは、もはや白日の下にさらされている。
このひとたちがまた、トロツキー派をアメリカに送り込んで、なお、民主党を乗っ取らせたのである。

ソ連が自己崩壊して、アル中のエリツィンを丸め込んで、一時はロシアの資源を手にした富豪たちだったけど、愛国者プーチンによって排除された。
この恨みが「ウクライナ」になったのだけど、そのプーチンに対抗すべく、アメリカを社会主義化してきたのである。

つまり、彼ら大富豪たちは、平気で「二股に賭けて」いたのだ。

その「仕上げ」として、ホワイトハウスに送り込んだのが、オバマであり、バイデンだった。

ちなみに、オバマの異母兄弟で「兄」にあたるひとは、トランプ政権誕生前に民主党から共和党支持に乗り換えて、いまでは「トランピスト:熱烈トランプファン」になっている。

バイデンの選挙不正は、もはや疑う余地もないが、政界だけでなくアメリカ財界を牛耳るのが民主党なので、どうにもならないままなのである。
それで、バイデンは歴史的なアメリカ破壊工作をやって、とうとう「バイデンフレ」という名が付いた、インフレを実現した。

これは、「世界経済フォーラム」がいう、「何も所有しない幸福=世界共産化」実現のための、大事な政策だ。
そして、そのための「資源高」を、産油国だったアメリカをして輸入国にせしめたことにある。

バイデンが就任式直後にやった、シェール開発禁止の大統領令がそれだ。

こうして、コロナ禍に追い討ちをかける経済破壊で、世界経済が疲弊しているけれど、一切お構いなしなのは、世界貧困化こそが目的だからである。

11月の中間選挙で、民主党が敗れ、議会を共和党が支配するようになったら、バイデン政権はどうするのか?
世界のマスコミは、念のため「レームダック政権」だと書くだろうけど、民主党はそんなに「ヤワ」なのだろうか?

ヒール(Heel)に徹するしかないバイデンは、大統領職を降りるどころか、議会の決議に、徹底的におとぼけの「拒否権」を行使して、残りの任期中に最終的な「破壊」を行うのではないか?と疑うのである。

すると、アメリカは西部開拓史の再来で、「銃」による「正義」を使うことになるのは、合衆国憲法の予定通りだ。
なんと、憲法修正第二条に、国民の意に沿わない政府は、国民が銃によって倒して良いとある。(連邦政府に対する潜在的抵抗権)

これは、南北戦争(civil war:内戦)の再来だ。
つまり、バイデンは残りの任期で、アメリカを内戦に導く可能性があるのは、合理的帰結なのである。

スイスのダボスに本拠がある世界経済フォーラムは、EUとNATOをつかって、バイデンと連携させたが、いよいよ凍死の危機になって、民衆はアメリカ離れをするのに、政府はこれを鎮圧するかもしれない。

こうして、シュワブ氏が目論む、大混乱で、世界共産化への道は「順調」に続いている。
わが国も、建国以来の危機になって、木の葉のように無茶苦茶なことになるとかんがえる。

無茶苦茶にするために、自公政権があるのだ。
国民には、「サバイバル」がはじまっている。

日銀劇場の終幕

日本が危ない、のは、台湾危機だけではない。
もう一つ、「日本円」の危機だ。

当然ながら、「円防衛」の最前線は、日本銀行である。
誰から防衛するのかといえば、「外国為替市場」である。
いまどきなら「ヘッジファンド」といってよい。

しかし、これには通貨価値を評価するための、「ファンダメンタルズ」がある。
いわば、一国経済のさまざまな指標にあらわれる「実力」だ。

日本経済の「成長力」とか、「インフレ率」とか、いろいろある。
このところの「状況」では、政府負債である「国債残高」の問題が、日本経済の脆弱性を語るのに、よくいわれる指標になっている。

ギリシャ危機が起きたとき、国家経済の実数ではなくて、「比率」にしたとき、わが国の国債発行残高は、とっくに額でギリシャを凌駕していたけれど、専門家たちは分母の経済規模が比較にならないほど日本の方が大きいので、問題外だと論評していた。

しかし、その比率の分母に日本経済の規模があるから、ギリシャどころの比率ではない「重み」について、誰もいわない不思議があった。
いまからしたら、「いってはいけないこと」だったのかもしれない。

この意味で、気の利く小学生の方が、正しい判断ができたにちがいない。

いま、学校の先生が大変なのは、世の中で「いっていいこと」が、かなり怪しくともそのままいわないといけないから、子供たちのなかでは、「こいつ日和ってやがる」といわれても聞かなかったことにするしかない。

そうやって、信頼関係が「師弟」のなかで醸成できないので、卒業式に『仰げば尊し』を歌わないように教師が要請するようになったのだろう。
これがまた、表面的に日教組の主張する「平等」の政治運動が浸透するのに都合がいいのである。

どちらにしても、「多」に日和ることの重要さを、子供に擦り込んでいるので、逆に「個性」ということを強調して、誤魔化すのである。

つまり、最初から「個性重視」なんてやりたくもないしできっこないので、一クラスの人数を減らしたり、学級当たりの教師の数を増やすのは、どちらにせよ「少子化」でも教師が失業しないようにする準備なのだろう。

なにせ、公立学校の教師も「公務員」なのだ。

そうやって、学業に優れたのではなくて、テストの点数を取れる=出題された問題に間違えずに答えること、に長けた子供が、おとなになって、日銀や大銀行のエリート行員になるのである。

ゆえに、「多」に日和ることを旨とする。

それで、銀行の本業である「貸金」をしたくても、バブルの後遺症であった「不良債権処理」にヒーコラしたから、金融庁さまが「(不動産)担保をとれ」と命じるので、これに日和って従った。

すると、貸出金額より大きい価値のある不動産担保をあらたに差し出す貸出先がないために、日銀さまがどんなに「金融緩和」をしても、貸出が増やせない。

あげくに、日銀さまが印刷する日銀券の担保になるのが、「日本国債」になったから、これを銀行が買わされて、わずかな「金利」を得るに至った。
それで、銀行のなかの「多」に日和るひとたちが、みんなが買うからと、とにかく国債を買うことにしたのである。

こうして、ギリシャではEUに頼ったから破綻の憂き目をみたけれど、わが国は自国の銀行に頼ったので、おいそれと潰れないのである。

しかし、これらの銀行が国債を買えるのは、預金者の預金でもって支払に充てるので、銀行に口座がある日本国民が、知らぬ間に国債を買っていることになっている。

評論家たちが、日本国債は日本人が持っているから、ギリシャのようにはならないといった日本人とは、銀行口座を持っている一人ひとりの日本人のことをいう。
なんとも、一般人に「あんただよ」とはいわない、絶妙ないいかたなのである。

もちろん、銀行に口座を持っている日本人の多くが、自分の預金が国債になっているとは気づかない。
この「おめでたさ」は、自分でかんがえる訓練をさせない、日本独特の教育制度がつくったものだ。

そんなわけで、日銀は「インフレ目標2%」という、「大ぼら」吹いてきたのは、達成できっこない目標を、わざと政治的にアナウンスして、あたかも市場をコントロールしている「風情」をつくってきたのである。

なぜならば、それが日銀の存在価値だからだ。

しかし、世界経済のファンダメンタルズが激変した。
西側指導者によるロシアの資源を横取りする計画の実行である「ウクライナ危機」が、トリガーとなったのである。

この意味で、国債発行という「麻薬」をやりすぎて、とっくに重篤な中毒患者に成り果てた「多」に日和るひとたちが、その発行残高と金利の関係に、ほとんど禁断症状の発作が炸裂しそうな状況になってきた。

それが、英・米とEUによる「金利上昇」だ。
こうして、日本だけが「マイナス金利」を維持する、世界で唯一になった。
つまり、「円」取り引きが、巨大な富をうみだすと、世界のヘッジファンドが気づいたのである。

なお、国際決済銀行(BIS)は、わが国の「メガバンク」に質問票を送りつけて、「日本国債売却の条件」を聞きだした。
すなわち、わが国の銀行が保有する「国債」が、金利の上昇によって「大損」の対象になるからである。

その答えたる、上限は「1.5%」である。

「2%」のインフレ目標が大ウソだとわかるのだけれど、このために、日銀は金利をなにがなんでも上げることができない。

それでまた、政府が出す国債を買うしかないので、もう日銀が引き受けた国債は6割のボリュームに膨らんでいる。
つまり、わが国経済は、「時限爆弾の時限スイッチがON」になったのである。

ところで、「無策」が評判の自公連立政権(たまたまいま「岸田政権」という)は、社会主義の基本たる「補助金」が大好きだ。
産油国だったアメリカのガソリン価格は、ガロンからリットルに換算して、さらに円にすれば、250円~300円/Lという水準になっている。

これは、ヨーロッパもおなじだ。
なのに、どうして全部輸入の日本でのガソリン価格が160円~170円程度なのか?
国民がしらないうちに、税金が投入されて燃やされているからだ。

だから電気自動車(EV)にしろ、などという世迷い言をいいたいのではない。
これがまた、国債発行・日銀引き受けのパターンを加速しているといいたいのだ。

時限爆弾の「爆発力=破壊力」を日々増しているといいたいのである。

さてそれで、日銀は世界のヘッジファンドに勝てるのか?
「多」に日和るひとたちには、相手にならない「ならず者」たちである。

栄光の「円」は終わって、わが国は中南米並みのヤミ経済が出現することになるだろう。