ついこの前までのむかしのひとは、「辞世」を残して死んでいた。
「辞世」を残さないのが、主流になった感があるけれど、その理由をかんがえると、なんだか辞世を詠みたくなるのである。
しかし、自分にそんな教養がないことに愕然とする。
歌を詠んでたしなむのは、カラオケに興じることではない、完全なるクリエイティブな行為だけれど、その大元になるのはなにも「語彙の豊富さ」だけでなく、最大の問題が「感性の貧弱」なのだと自覚するしかないのである。
当然だけど、辞世とは自分の人生の最期に残す言葉なので、死期を覚悟したら筆をとって書いておかないと、辞世にならない。
これが、いまでは「遺言書」になって、なんだか事務的なのである。
それでは「いつ」、自分の死期を覚悟するのか?という問題が、辞世を残す教養の有無の前に立ちはだかる。
この意味で、「余命宣告」というものは、ありがたいことになるのだけれど、それが、本人の頭脳を明晰なままで、という条件と必ずしも一致しないうらみがある。
いわゆる、痛み止め、ということでのモルヒネの使用がはじまれば、適度な麻薬中毒にさせられることもかんがえておかないといけないからである。
すると、第3ステージとかの宣告を受けた時点で、辞世の準備をしないといけない。
まだ、癌のばあいはいいけれど、脳卒中とか、不慮の事故となれば、絶望的だ。
もっと絶望的なのは、病院は病気を治すところだという、暗黙の了解ができてしまったので、辞世をかんがえたいといっても、嫌なかおをされるにちがいない。
すこし前の世代のひとは、畳の上で死ぬことにこだわっていたけれど、いまは、帰宅させない家族の事情もふえた。
いまどきはいわなくなった「完全看護」というものが、病人の病院への預け入れ、となったからである。
その前は、「いざ」ともなれば家族が病室に寝泊まりもできた。
身の回りの世話を、家族がやって看護師(婦)は、専門の医療行為に特化していたからである。
例によって、穿った見方をすれば、公的健康保険によって、病人の物質化が推進された、ともいえる。
つまり、すべての病人は、「保険点数」によってコントロールされるので、病院は「保険点数表」に記載された「医療行為」をもって営業している。
この点数があれば、「完全看護」という名の下に、看護師の職務としないと点数加算できないから、請求(保険と患者負担の両方)ができない。
売上をたてるにあたって、料金が国家によって制限されるのは、バスやタクシーの料金とおなじ仕組みなのである。
これを、新聞などのマスコミは、「医療産業」とか「ヘルスケア事業」といって、調子にのった政府は、将来の「成長産業だ」とうそぶいている。
すると、意図的に国民を不健康にしないと、成長しない産業になる。
もちろん、将来は、確実に人口が減少するからだ。
だから、人口が減る分も加味して、国民を不健康にさせないと「医療産業」は成長しないという、驚くべきメカニズムに気づくのである。
そこででてくるのが、「不老不死の実現」を擦り込む宣伝(プロパガンダ)なのである。
これがいわゆる、つくられた「健康ブーム」であって、その結果として脳を冒されたひとは、「健康のためなら死んでもいい」とかんがえるようになる。
その浅はかさが、たとえば、居酒屋にある「メガ・ジョッキ」なる商品で、むかしの中ジョッキほどの容器に、緑茶とかトマトジュースで割った「甲類焼酎飲料」ではないのか?
工業的に製造されるアルコールを「甲類焼酎」としていることも意識せず、ただ、緑茶が健康にいいとか、トマトジュースで「正当性」を担保するのである。
その緑茶やジュースに、どれほどの残留農薬があるかも気にしない。
そんなわけで、過去のひとたちの「辞世」を、文学として読んでみることに、それなりの価値があるのは確かだろう。
そこには、確実に本人の生き様が表現されている。
すると、「命は大切」といういまのご時世ほど、個人の人生はないがしろにされていて、「寿命」も「医療」も、比較にならなかったむかしのひとの生き様が、かえって神々しかったことがわかる。
校長先生が自分で出した本だけど、本文の前からすでに一読の価値がある。
それにしても、「辞世」を残すのは、なかなかの日本文化なのだ。
だから、民族の文化破壊をしたいひとたちは、日本人に辞世を残させない努力をしているとかんがえると、妙にスッキリするのである。
『万葉集』が世界に冠たる「詩集」になっているのは、ヨーロッパでもかんがえられない、8世紀にして、天皇や貴族ばかりか庶民が歌を詠んでこれを国家が、一緒に残したことの意味だ。
政府に依存することをいいたくはないけれど、庶民の辞世を集めるくらいの事業をやった方がいい。
国家存亡の危機にあって、はるか将来の人類に、価値あるものになるにちがいないからである。
残念ながら、「歌」にすることができないならば、せめて「作文」でも残しておきたい。