「どんど焼き」ができない

正月飾りを焼いて、この火でもって焼いた餅を食べる風習がある。
ちょうどいまごろ、神社の境内でよく行われていたものだが、大ウソだった「ダイオキシン報道」以来、たき火が禁止になってできなくなっている地域もある。なにが「猛毒」のものか、あほくさい。

あれだけ騒いで、とうとう謝罪もせずフェードアウトしたけれど、世間に日和る自治体に「たき火禁止」の条例だけは、ちゃんと残った。
まさかこれで、消防行政が署員の「火事場太り」させていないか?
わたしの家の墓がある、平安時代からのお寺でも、近所が開発されて卒塔婆のお焚き上げができなくなった。

以前は境内に幼稚園もあって、落ち葉たきで焼き芋をしていたが、禁止になってしばらくしたころに幼稚園も廃園した。
住職は、童謡の「たきび」を歌いながら焼き芋をみんなで食べたものだったが、歌はうたえてもたきびをしらないで育つのが残念だといっていた。

しかし、卒塔婆のお焚き上げ、は宗教儀式でもある。
これに「禁止命令」をださせるとは、行政による「宗教弾圧」ではないかといったら、手を振って「そんなこと役所にいえません」という。そのかわり、申込数を少なくしてほしいという案内が寺からとどいた。

卒塔婆は「産業廃棄物」になって、もちろん有料で引き取られている。
国会だけでなく、地方議会も深い眠りについている。

ネット配信されたニュースによると、ワイドショーに出演しているお笑いタレントが、お焚き上げも焼却炉で焼くのもおなじこと、と発言したのが話題になっているという。
なによりも「分別」が必要だという主張で、記事も、やっぱり「地球環境優先だ」としめくくっている。

ぜんぜん「お笑いごと」ではない。

このひとたちは「日本に住んでいてよかった」とおもう。
もしも、アメリカ合衆国でおなじ発言をしたら、たいへんな目にあうだろうけど、それも想像できないのだろう。
もちろん、この発言者や記事をかいたひとを支持するひともふくまれる。

アメリカ軍がつくった日本国憲法とほとんど内容がちがうアメリカ合衆国憲法でも、信教の自由は保障されていて、「国教」という概念を否定している。

本国の英国から逃れてきた、「清教徒」のひとたちがつくった国なのだから、当然といえば当然だ。
ヘンリー8世という「怪人」が、英国国教会をつくらせて、ローマ・カトリック教会から離脱した。

ロンドンの二大聖堂、ウエストミンスターとセントポールは、前者を王家の菩提寺とし、後者を市民のためとしている。
セントポール大聖堂では、チャーチルとサッチャー首相の葬儀がおこなわれ、チャールズ・ダイアナの結婚式もここだった。

さいきんでは、トランプ政権が「宗教の自由」を強調している。
これは、国際的に「チベット」や「ウイグル」を意識しているのはあきらかだ。
国内的には、支持母体にかかわる「福音派」の優遇ともいわれている。

アメリカ合衆国という国は、宗教的基盤にある「人工国家」だから、「自由」と「民主主義」よりもまえに、「宗教」がある。
これをわすれたら、はなしにならない。

たしかに、日本人の宗教観は世界的にも「特殊」だ。
ほとんどのひとが、日常生活で宗教を意識しないが、いざとなると「神だより」に豹変する。
そのとき、困りごとにいちばん「効きそうな」神社仏閣にいって拝むのである。

つまり、日本人にとって、「神」や「仏」は、じぶんのために存在していて、じぶんのおもいを実現してくれる存在なのだ。
もっといえば、人間のためにある、神が人間に奉仕する、とかんがえている。
それでいて、じぶんはとくに信じるものはないとして「無宗教」だと思い込むから、論理がつながらない。

旧約聖書にもとづく「神」は、絶体という。
これは、存在自体が絶体だし、ましてや人間どころか万物を支配しているのだから、「御心のままに」なのであって、じぶんのおもうとおりになにかをしてくれる存在ではない。

だから、もし、神に頼み事をしてそれが現実のものになったら、どんなにちいさなことでも、それだけで「奇跡」なのである。
敬虔なひとが、えっそんなこと?とおもうようなことでも、いちいち胸のまえで十字をきるのはこのためだ。

自然崇拝からはじまるので、わが国では「八百万神」が、あらゆるものに「宿る」という発想がある。
それが、物資がないことがふつうだったことといっしょになって、「もったいない」になった。

世界でただ一国、地球環境保全に妙に執着して熱心なわが国の行動原理は、地球環境と自然崇拝とが連結しているからであろう。
けれども、これが「ゆがんで」、地球環境だけがまえにでてきた。

このタレントは、「神社にはよくいくけど、神様なんて信じていない。だから、お焚き上げとしてどこかで燃やすのなら、焼却炉でかまわないし、分別がいちばん大事。」という。

もはや「日本人」ではない。
これを当然とする記者も、支持した読者もおなじだ。
ましてや、アメリカにもいけないし、アラブにもいけない。
申し訳ないが、彼らの感覚なら、「人間ではない」ことになる。

ふつう、こうしたひとたちを「唯物論者」というのだ。

そういえば、「除夜の鐘」すらはばかれるようになったし、正月三が日だって、鐘撞き堂の鐘を自由につけなくもなった。

ヨーロッパのおどろくほどにぎやかな鐘の音や、中東アラブのスピーカーから大音響での祈りの声に、「うるさい」とクレームをする勇気なんてこれっぽっちもないものが、なにをじぶんで発言しているのかもわからないのだ。

いつの間にか、飛行場の騒音問題とおなじにされて、千年以上まえからある寺院の近くに住まうとき、お焚き上げも鐘の音にも気づかない無神経が、なにをいうかと嗤われない世の中である。
ダイオキシン報道とは、伝統文化破壊のプロパガンダだったとおもう。

すでに300兆円(30ではない)ともいわれる金額を「環境」につかっているともいわれるが、自然崇拝のためではなく「利権」のためだ。この利権は、国内外ともにある。
こうして、真に生産的な投資をしないので、貧乏になっている。

わが国は、国を挙げて「唯物論者」を増殖させて、「権利」だけを主張したら、それが「いいひと」になっている。
これをもって、日本版「文化大革命」が進行しているといえるのだ。

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