17日からの豪雨で、栃木県足利市に大きな被害が発生した。
まことにお気の毒で、被災者のみなさまにはお見舞い申し上げる。
個人的に足利市には年に一度は訪れていた。
なので、毎年お世話になった方々の顔が浮かぶし、残念ながら大きな被害を受けたと聞いている。
天然の災害だから、「仕方がない」のは山々だけれども、古来、わが国は「治水」を最重視してきたのは、食糧を生産する「水田」を守るためでもあった。
ゆえに、「治水」とは単なる河川の護岸工事を意味せず、生活のためのインフラであった。
「想定外」なる便利な言葉が蔓延して、無責任がはびこるようになった。
わたしの実家近くにある東海道線の跨線橋は、架け替え工事(1981年完工)にずいぶんな日数を要したが、その原因のひとつに昭和4年に架けられた先代橋の解体にえらく手間がかかったからだった。
なにせ丈夫につくられていたのは、「関東大震災の復興事業」ということもあってだろうが、おそらく「想定」が現在のようなチンケではなく、未来永劫のための頑丈さで設計されたにちがいない。
いい意味でのヨーロッパ型石造文化輸入の成果だったろう。
足利氏が建てた「足利学校」のあたりは、JR足利駅のちかくであるけれど、国鉄時代の名残か地方臭がプンプンする地域で、少し歩けば「廃墟群」が広がって圧倒される。
一方、渡良瀬川の対岸にある、東武鉄道の「足利市駅」の近代的様相とまったく異なるのが、ひとつの観光になるほどである。
JR側のいわば「旧市街」をどうするのか?は、ヨーロッパの市街化計画ならぜったいに練られたものになって、むしろ歴史的建造物群としての価値を高めるのが典型であるだろうけれど、日本の場合はそんな計画をもたないのが「近代」なのである。
むろん、「都市計画」は市町村の管轄だけれども、公共施設の配置に関しては国からの補助金をどう得るか?が、地元の要請となって、ここに地元選出の国会議員が登場するパターンがある。
足利を地盤とするのは、現役幹事長でも総裁選で相手にされたかった茂木敏充現外務大臣である。
この人物の人間性に関してはむかしからいろいろと書かれてきてはいたが、切れ者だけどねぇ、という噂レベルの評価はあたっているのかもしれない。
だから、いま、この人物と地元事務所の秘書たちは、どんな陳情にも聞き耳を立てないといけない状況のはずではあるが、なにも情報がないのである。
この人物の「公式式サイト」でも、地元の水害への言及がないだけでなく「見舞い」も「支援要請」すらない。
こうした現実離れしたひとを、現代の「殿上人」とよびたい。
ようは、選挙区は「荘園」化しているのである。
県知事や足利市長は、どのような話をしているのか?が気になるが、いつのもように和田アキ子の『だってしょうがないじゃない♪』が聞こえてくるのである。

