「帰省」にみる労働基盤

ことしも帰省ラッシュがはじまった.
毎年の風物詩だから,日本に生まれるとなにも不思議を感じない.
大学までの子どもには長い夏休みがあるが,おとなにはお盆休みの5日間がせいぜいである.
製造業は工場の操業を止めて休むから,出勤しても機械は動かない.それで,事務職も一緒に休まなければならないという義務もうまれた.

「盂蘭盆会」とは,わざわざいうまでもなく先祖をまつる仏教行事である.
「7月15日」を中心とした数日間なのであるが,この日付が例によって「旧暦」なのか「新暦」なのかでややこしい.
当然だが,明治5年以前では「旧暦」しかなかったから,日本全国旧暦の7月15日が「お盆」だった.

この日は,道教では「中元」にあたる.
それで,夏のご挨拶である「お中元」の贈り物も風習化したから,仏教と道教がまじっている.
さすがニッポンの外国文化吸収力!なのである.

それでも民族の記憶はあんがい忘れられて,「旧暦」で生きてきた人たちがいなくなると,「新暦」の7月15日が「裏盆」になって,8月15日を「表盆」という勘違いがおきる.
今年は新旧の日付が1ヶ月以上もちがうから,「旧暦」の7月15日は8月25日になる.
そんなわけで,お盆休みは,「月遅れ」の8月15日としたのだろう.奇しくも終戦の日にあたるから,先祖をまつる仏教行事としてぴったりになった.

「お盆休み」は祝日がなかったが,山にはなんのいわれもない「山の日」が8月11日とされて,お盆のはじまりを合図するようになった.
これで,わが国の祝日は年間16日+振替休日となり,世界的に祝日がおおい国の面目躍如である.振替休日で変動はあるが,ほぼ世界一の祝日数の国である.
お国が休みを決めないと,自分から休めないのは「子どもの国」ならではともいえそうだ.

さて,「帰省ラッシュ」とはなにか?
地方生まれのひとが,東京を中心にした首都圏に就職して移り住んできたが,この時期と年末年始は最低限帰省する,すなわち,「故郷との絆」が解けていないことを意味する.
これは,律令制における「防人」の伝統であろうか?万葉集の防人歌には,関東地方の方言があって,はるか故郷をおもう切実さがある.

室生犀星に,「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」とはじまる有名な詩がある.
望郷の念だけではない.志をもってふるさとから出たものが,失意のうちに帰郷しようものなら,いかほどの制裁を受けるものか.帰りたくても帰れない.

フジ子・ヘミングも,30年間苦闘したヨーロッパ暮らしをふりかえって,「これで日本に帰ったら,ざまぁみろ,おまえはなんにもできないで帰ってきた,といわれるのが嫌で帰れなかった」といっている.これは、実母のいいようの想像であろう.それで,母の死があって帰国した.
成功者はチヤホヤされるが,失敗者には冷たいのが日本のふるさとである.

しかし,そのふるさとが捨てきれない.
それが日本人なのだ.
「実家」の存在とは,「家業」の存在を意味する.
つまり,最後の最後,恥を忍めば実家で家業を手伝って生きていける,という思いがそこにある.

これと欧米を比較したのが,東大紛争時の総長だった大河内一男だ.
欧米の歴史,とくにドイツにおいて,ふるさとを捨てるとは,一家の総移動だったとある.
つまり,ふるさとに痕跡をのこさない.
「実家」も「家業」もない状態からの「リセット」を意味した.

新転地における「就職」には,当然に能力が問われたから,労働市場が形成される.
大河内は,日本に欧米的な労働市場がないことの根源をこれで説明している.
このはなしにおける「労働市場」とは,労働者が自分の労働力がいくらぐらいになるかの価値をしっていて,採用する側も,その労働力を買うという行為の連続をいう.

日本のハローワークや人材紹介業にある求人募集に応募して採用がきまる,というのを欧米的には「労働市場」とはいわない.
日本のばあいは,おおまかな仕事内容と時給などの条件が表示されるが,あちらでは細かな仕事内容と必要能力が記載され,それに価格がセットになっている.

だから,欧米ではまさに「就職」であって,「職」に「就く」.それで,細かな仕事内容と条件が記載された「労働契約書」をとりかわす.
日本は,「就職」といいながら実態は「就社」で,どんな仕事をするかわからないけどある会社に勤務することがきまる.だから「社畜」になるのだ.

そんなわけで,大河内は,日本に欧米的な労働市場ができて,欧米的な労働契約をむすぶのが常識になるには,そもそもふるさととの断絶が必要なので,無理だろうとした.
ところが,少子化によって,ふるさとの維持が懸念されるようになった.あと二三世代もすれば,おおくは自然消滅する可能性がある.

すると,「帰省ラッシュ」という風物詩も,数十年後には「へぇ,そんな時代があったんだぁ」といわれるようになるだろう.
それならそれで,ファミリーカーでの大渋滞の経験も,よきむかしばなしになるだろうから,いまのうちに子どもに経験させておいた方がいい.

おそらく,その頃の就職は,「就社」ではなくなっているだろう.

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