オリンピック公害

どうしてこうなるのか?
喜劇やお笑いコントの「落ち」は、予想外の展開におかしさがある。

世の中には、さいしょの意図とはちがうことが起きることがたくさんある。
「天変地異」は、人間が意図するものではないが、防止しようとしてなんの役にも立たない防波堤などの建設は、人間の意図でつくられる。

ケインズは、景気「対策」として、有効需要に注目し、乗数効果によって最初の投資額に倍数をかけた効果が期待できるとして、政府財政支出が役に立つと論じたのは、いま世界の先進国で唯一ケインズ経済学からの政策を採用している日本国の住人なら周知のことだろう。

なんの役に立たないものでも、公共事業なら乗数効果で景気浮揚策になる。
それをあてにして「業」とすれば、公共事業がなくなるとたちまち失業の恐怖にさらされる。
だから、さいしょから、「潜在失業者」なのではないか?といってもやめられない。「票」になるからである。

これを「◯◯の一つ覚え」とは、「政官癒着」の結果である。
なにせ、この国を仕切っているえらいひとはみんな「官僚」という部類のひとたちで、それもほとんど「法学部」をでた、法律のなかでも「行政法」の専門家たちなのだ。

なので、経済学を専門にしているひとはわずかで、しかも、えらいひとたちのなかではあんまりえらくないことがおおい。
そんなわけで、ケインズが自分で書いたケインズ経済学の効果が有効な条件である、「不景気のときの政府の政策として」がすっぽり抜け落ちてしまって、「いつでも」になった。

日本が貧しかった時代、高度成長というすばらしい経済状況があったが、元がたいした「額」ではなかったから、「率」でみるとすごい数字だったが、「貧しい」ことにかわりはなかった。
政府の介入が経済の役に立つという「ウソ」は、政府の役に立った。

当時の国力比較は「GNP」だったが、この「N」はナショナルすなわち「国籍」で、日本なら「日本人」が世界で生産した付加価値の合計をいったが、世界で付加価値を産む活動をする日本人がふえると、ちゃんとした正確な統計がとれない。

それで、1993年(平成5年)に、GDPをつかうように切りかえた経緯がある。基幹的統計数値がここで変わるから注意したい。
この「D」は、ドメスティックすなわち「国境」なので、日本の領土内で産まれた付加価値の合計だから、国内での外国人の分もふくむし、海外での分はふくまない。

日本の製造業のおおくが、円高や安い労働力をもとめて、こぞって外国に進出したのはだれでもしっているが、その分の数字が「はいっていない」ことは、ちゃんと意識しないといけない。
だから、いま、GNPをみたら、GDPよりかなりおおきいのだと想像できる。

すると、日本政府の景気対策は「国内」にしか影響しないから、海外進出したひとたちはカヤの外になる。
グローバル化した企業が本社を置く先進各国が、ケインズ経済学による経済政策を放棄した原因のおおくが、ここにある。

そんなことからも、外国にいった日本企業に影響するのが「TPP」になる。

ところで、経済成長が政府のおかげだったのかというと、ほんとうにそんなことはない。
1973年の石油ショックで高度成長がとまったというのは、「ウソ」であると前に書いた
ほんとうは田中角栄内閣による、経済政策の失敗が原因だった。

角栄が総理にまで上り詰める過程での「政策」も、自由主義経済に政府の介入を促進させたから、結果的に「内外価格差」の問題が巨大化した。
先進国唯一のデフレがとまらない原因がこれだとおもう。
巨大なダムのように蓄えられた「内外価格差」での国内の高い価格が、ダムに穴が空いて流れ出している。

内外価格差をあまりもたなかった先進諸国では、デフレになっていない。
日本政府は、これが決壊するとたいへんだから、と決めつけて、一生懸命に阻止しようとしていて、これが「鉄板規制」となってみえているのだ。
すなわち、内外価格差=過去からの利権、なのである。

外国人観光客が増大して、日本という国が世界に体験されている。
無邪気によろこぶひとがおおいのは、マスコミの定番ネタになっている。

ふだんのおかしな報道をみていれば、じつはこれもおかしなことなのだと気がつくものだが、ほめられて悪い気がしないから、あっさり受けとめているのだろう。
しかしこれは、危険な誘導にみえてしまう。

じっさい、外国人の不満はたくさんある。
おおくが、いわゆる「ガラパゴス化」したもので、政府の規制がかならずからんでいる。

まずは、携帯電話。
外国人が自国から持ちこむ携帯電話は、日本の電波法に準拠した端末でありようがない。
それで、いちおういまは「特例」として利用を認めているが、オリンピックにあわせて、テロ防止の視点から「規制強化」が計画されている。

どういう技術的根拠なのだろうか?という点からもわからないが、空港などでトラブルになりそうな予感がする。
もちろん、わたしたちの端末にも影響する。

それに、今日の記事で、首都高の料金上乗せが議論されているという。
混雑緩和が目的らしい。
用がない車は通行するな、ということだろう。
前回のオリンピックでは、マイカーを所有している国民が珍しかった。

「オリンピックだから」という「魔法の言葉」があれば、なんでも通用するとかんがえるえらいひとたちがたくさんいる。
前回どうやったのか?の研究から、さまざまな「規制」が産まれるはずだ。

あたらしい価値を産むのではなく、その活動を阻止するのだから、もうすでに「オリンピック『公害』」になっている。

なるほど、政府がいう「クールジャパン」は、アニメなどのサブカルチャーにあった。

もはや、政府自身が「コミック」になっている。

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