俳優の日常を追求してはいけない

俳優になりたい、とおもったことがあった。

いまはどうしているかしらないが、45年以上まえ、小学校の卒業式にあたって、在校生からの「呼びかけ」というコーナーがあった。
「卒業生のみなさん」からはじまる、ひとりひとりが短い言葉をつないで、全体でメッセージにするものだ。

毎朝、この練習で、指導の先生から名指しで褒められた。
なんともいえない「間」がいいと。
あんまり毎回褒められるものだから、同級生からも褒められた。

高校生。現代国語の授業で、教科書を席順でまわして、少しずつ音読させられた。
「はい次」といって、わたしの順番になると、いつも先生が「はい次」といわないので、最後まで延々と読まされた。

どこまで読まされるのかとおもいつつ読んでいると、読み終えても先生が反応しない。
しばし間があって、「どうした?」というから「ぜんぶ読み終えました」といったら「聞き惚れた」という。

これが何回かあったら、「ラジオのアナウンサーになれ」といわれた。
ぜんぜんかんがえたことがなかったし、職業について他人から具体的なイメージをもらった最初だった。

全盛のテレビじゃないから、クラス中が笑ったが、それからラジオを聴くようになった。

わすれられないのは、森繁久彌と加藤道子のご両人「しか」出演しない、『日曜名作座』だった。
登場人物のキャラクターを「声」だけで演じ分ける、こんなことができるものか?いや現実にやっている。

なんだこれ。すごすぎる。

いまは、西田敏行、竹下景子のご両人でつづけている。

民放では、御大・小沢昭一の『小沢昭一の小沢昭一的こころ』というバカバカしくも可笑しい、大長寿番組があった。
『全国子ども電話相談室』の直後に、子どもにはわからない「小沢昭一」の大人の時間があったのが不思議だ。

こちらは、「ネタ」が書籍になっていて、シリーズを買い込んでは自室で朗読しただけでなく、リズムを真似て、英語学習のために買ってもらったカセットテープレコーダーに録音した。
あの「味」の再現はできなかった。

  

幼稚園前、祖母が出入りしていたので何回か連れて行かれたのが、進藤英太郎宅だった。横浜に住居を構えていたのだ。
「おお、坊きたか」といって、在宅しているとうれしそうに出てきては、かならずお菓子をくれたが、その笑顔の掛け声とお菓子ぐらいしか記憶にない。

小学生のとき、夕方の30分ものテレビに、山田太郎主演の『一心太助』をやっていて、大久保彦左衛門を進藤英太郎がやっていた。
わたしの中で、いまでも、進藤英太郎が大久保彦左衛門なのである。
まちがいなく、一生変わらない。

東映の「忠臣蔵」では、吉良上野介を憎々しげにやったりしたのは悪役でならした俳優だったからだが、別のオールスター作品では浅野内匠頭切腹の立会人における「武士の情け」をしみじみと演じている。

晩年の傑作は、『おやじ太鼓』で、まったく芸の細かさは「さすが」である。
夫人役は風見章子。
いったいいくつのときの「老け役」なのか?

エジプトのカイロにいたころ、こちらも悪役で名高い小沢栄太郎をご夫妻でピラミッドに案内したことがある。
当時、『白い巨塔』の鵜飼教授役が直近の印象だったから、どうしてああいう演技ができるものかと質問した。

なぜなら、一日中笑いがたえない人で、なにか言っても、返答を聞いても「コロコロ」笑うからである。
はたして、このひとが、全国民からうらまれる「悪役」とはおもえなかった。

すると、「じぶんとぜんぜんちがう人物を演じるのが、おもしろくてしょうがない」といって、またコロコロと笑われた。
それから、伊丹十三監督の『マルサの女』で、えらく気弱な税理士役で出てきたのを観ておどろいたけど、それは伊丹十三の「ひとの悪さ」もいっしょに観た気がした。

あの「小沢栄太郎」の、「ふだん」をみせたからである。

どういう気分で、あの税理士役をやったのか?
直接本人にうかがってみたい気もしたが、なんだか「野暮」な質問なので、とうとう連絡しなかった。

エジプトから帰国されてから、お手紙を頂戴して逗子の自宅を訪ねてほしいとあったけど、なんだが憚れた。
わたしも帰国して、ホテルの新入社員研修でコーヒーハウスのウェイターをやっていたとき、小沢夫妻がスタッフと打ち合わせで来店された。

コーヒーのおかわりを注ぎにいったが、議論に夢中で気がつかない。
奥様が気がついて、ふと目が合ったとき、「カイロではどうも」と言おうとしたけど、仕事の邪魔になるから一段落してからご挨拶しようとおもっていたら、ご一同そのまま席をたってしまった。

奥様が、こちらを振り向いて、不思議そうな顔をされたのが印象に残っている。
これが、大俳優・小沢栄太郎先生との今生のわかれとなってしまったのは残念である。

あのとき、強引に声をかけていたら?

けれども、やっぱり「観客」は「観客」でいたい。
それが、俳優にとっての「楽しみ」を「密か」にさせるのだし、「観客」は観る側にいることで、無限の想像(妄想)をめぐらせることができる。

やっぱり、ラジオのアナウンサーか、俳優になりたかった。
それでいま、「講師」をつとめるとき、「舞台」のつもりでやっている。

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