「全とっかえ」の妄想

熊本(県)や横浜(市)の事例は、おそらく全国に燎原の火の如く広がる可能性がある。
わが国の統治機構設計が全国一律の思想下で行われてきた150年があるからである。

ただし、熊本県では先に議会がやらかし、県職員出身の知事がこれに抗えずにかえって協力した構図であるが、横浜は先に市長がやらかしていたのに議会各党が「相乗り」してこれを支えたら、両者とも手のひら返しの逃げをうっている共通なのである。

なんにせよ、「二元制(首長と議会)」の設計思想は、その対立軸上の相互牽制による統制の修正を目論んだのもであろうけれど、両者がポンコツだとこうなる、という、政治史上の大コケ事例となっているのである。

そこでわが国における「二元制」の発祥は?と問えば、やっぱりGHQが登場してくる。

けれども、民主党が死んでも離さない「民主主義の世界普及」という真性グローバリズムでGHQを動かしたのは、自分たちの国でやっていることのコピーであるので、ぜんぜん違う「憲法」を押し付けたのとはわけが違う。

ただし、アメリカの「州」と日本の「都道府県」とでは、あまりにも役割がちがうので、議会も「二院制」とはしなかった。
この点で、ドイツの方が、「連邦国家」としてアメリカに近いが、歴史的に無理やり統一した経緯からのことである。

ちなみに、ビスマルクによってドイツが建国されたのは、1871年のことで、1776年のアメリカ建国よりざっと100年あたらしい。

この意味で、徳川幕府とは、全国を徳川家も含めた諸侯が治める連邦国家であったし、連邦政府としての朝廷の権力がなかったことの極限的「小さな政府」を実現していたといえる。

すると、権威を持っている朝廷側は、徳川家だけに連邦政府の役割と負担を押し付けた、ともいえるから、「バランスシート」で発想すると、損得のバランスはしっかりとっているのである。

それで、統治される側としての国民は、幕府が「朱子学」を推奨したおかげで、儒教的道徳感の絶対価値が浸透していたから、これまた「真性資本主義」を世界で初めて実現していた。

このバランスを壊したのが、貪欲限りない英国であった。

以上のようにかんがえると、地方統治の二元制は住民全員がもつ道徳感なるベースによって担保されるものなのである。

ために、大英図書館で執筆に専念していたマルクスの『資本論』や『共産党宣言』でいう主旨が、「道徳破壊」にあるのも当然なのである。

だから、本家アメリカも然り、で、地方政治における道徳感についての話が、彼の国における「キリスト教的価値観」と「これの否定」という二項対立となって、まさにマルクスの詭弁たる「階級闘争」を平面上でやっているのである。

このもっと浅はかな形が、福岡と横浜に現出した。

そのとてつもなく大きな原因が、日本人多数の儒教的道徳感の喪失、であるとかんがえる。

むろん、自然に喪失したのではなく、合理的にそうなるようにさせられたことの結果である。

そこにいまもGHQの存在が横たわっている。

てなことで、首長と議会議員の「全とっかえ」が、現実にはもっとも有効な方法なのだと妄想できるのである。

それを、民意、でやれるのか?が、有権者に問われている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください