ポリコレに走るマスコミは、かつて自制していた「用語の厳格運用」を棄てて、煽動的な用語を勝手に使う政治活動をやっている。
たとえば、「ファシズム」と「ナチズム」とのちがいを述べよ、といわれて即座に回答できるひとはすくないだろう。
どちらも「極右」の範疇にあたると見られているが、わたしは「極左」の変化形だとかんがえている。
「ファシズム生みの親」たるムッソリーニは、共産党より赤いとされたイタリア社会党左派から除名を喰らうほどの極左であった。
一方の盟友、ヒトラーは宿敵スターリンとの支持層争奪戦を行ない、「国民社会主義ドイツ労働者党」を設立した左翼である。
ムッソリーニもヒトラーも、スターリンも毛沢東も、全員が左翼=共産主義=全体主義の共通をもっている。
ようは、個人の自由の制限がこれらの共通なのは、全体に個人が従うことの強制こそが支配のセオリーであるからだ。
だから、AfDだろうが、マリーヌ・ル・ペンの国民連合だろうが、真っ先に見るべきポイントは「全体主義か?否か?」に尽きるのである。
すると、これらにあるのは「個人の自由の尊重」だと気づくから、明らかに「極右」どころか、真の「リベラル(「自由」という意味)」だとわかる。
このことが、「エセ・リベラル」すなわち本当は全体主義の親派たる社会主義者たちをさす「リベラル」の化けの皮が剥がれるので、世界の左翼マスコミ=政治活動家たちは、都合のよい用語としての「リベラル」を死守するためにあえて見当違いの「極右」として宣伝しているのである。
つまり、AfD=極右と書くマスコミは、自分から自分の立場を告白しているのである。
そして、「偏向報道」を厭わない姿を晒しているから、まったくおめでたい。
わが国のマスコミは全部がこれにあたっている。
すると、これは業界内での「カルテル」なのか?と疑いたくなり、誰がその用語の統一を図っているのか?が気になる。
共同通信かNHKを先ず疑いたくなるが、もしや黒幕は自民党が支配し続けている総務省ではないか?ともおもえるのである。
むろん、世界のマスコミが「極右」というのであるから、わが国のマスコミは単に「翻訳」しているだけ、かもしれない。
なんにせよ、AfDはこの度の選挙で「単独過半数」を逃した。
さてどうなるのか?という局面になっている。

