わが国は、明治以来、律令時代的「中央集権」とはなったが、「統一国家ではない」ことが福岡県議会の件からみえてきた。
これは江戸期の「藩政」がいまも継続中、ということではないか?
『福岡県の歴史』をみると、いまさらにその土地の「歴史=住民感覚」が当然のように「風土」を形成するとかんがえれば、妙に納得するのである。
関東者のなかでも、生まれも育ちも横浜のわたしは、いわゆる「どこの馬の骨」だかしれない、「流れ者」の子孫(父方の祖父母は川崎の庄屋と武士、母方の祖父は群馬、祖母は茨城の農民)であるために、「藩」のエリアのなかで数世代以上も暮らしてきたひとたちの心情がどんなものかをじつはしらない。
しかも、福岡県は九州なので、まったくわたしの人生においては「化外の地」にひとしく、ビジネス出張以外で何回も訪問した以上の、観光すら、まともにしたことがない「よそ者」である。
だから、福岡県の歴史の話題も、どこか他人事のような気がしながらも、構造的な発想をすれば、「中央集権国家」になっても「統一国家ではない」ようにおもえてならないのである。
これはこれで、わたしのビジネス人生体験からの実感としてある。
それは、たとえば、とある地方の観光ホテル経営再建にあたって体験した、その土地独自の「雇用環境」が、まったく「労基法に抵触している」事実の例があるからである。
社会保険労務士に質問しても、たまたま当該地方の大手企業幹部にあった先輩に尋ねても、答はおなじで、「気にしないこと」だったのである。
ようは、法律が公然としてまもられないことを「ふつう」としている地域が存在する。
しかしながら、わたしが体験したのはなにもこの地域のことだけではなく、東京=中央を離れれば離れるほどに、独特の「法」があることをしった。
それが、狭い地域での「掟」の集合体であることもあるから、全国どこにでもみられることだろう。
だから、地方議員はもとより、国会議員とて、その土地の代表として振る舞うのは、職務上の義務となるのは、これまた当然なのである。
そんなわけで、全国一律金太郎アメのような社会構造は、この国には完成していないし、「風土」があるからずっと「未完」のまま永遠に続くとおもわれる。
さらに昨今、自民党が呼び込んでいる「外国移民の増大」で、「未完」どころか「破壊」が進み、より全国一律金太郎アメとはならないようにしているところがミソである。
福岡県の方には申し訳ないが、まずはザックリと4地域があると認識する。
・福岡藩(黒田藩:外様)
・小倉藩(細川⇒小笠原:譜代)
・久留米藩(有馬:譜代・親藩)
・柳河(川)藩(立花:外様)
かんたんに俯瞰すれば、幕府の分断策がここにもあって、親藩と外様がしっかりからみあっている。
これだけで、遠く横浜からも、4枚のパッチワークとしての印象を得るのである。
ちなみに、東京日比谷の帝国ホテルは黒田藩の上屋敷跡で、正面玄関左手の通路奥に藩邸からの井戸が丁寧に残されている。
建前としての「中央集権国家」ではあるが、その実は無節操な現場任せがある。
この点で、歴史も人間(部族や民族)が複雑なドイツが、連邦制なのは「地域」の方が国家よりも優先されることの潔さともいえる。
つまり、わが国も、実は「国司」の時代が崩れて以来、ずっと連邦制であったことの残滓どころか実態があるのだ。
この点、三多摩地区を東京に引き渡した現在の神奈川県でも、旧藩が三つあった。
・小田原藩
・荻野山中藩(小田原藩の事実上の支藩)
・武蔵金沢藩(いまの横浜市金沢区)
これ以外は天領(旗本知行地含む)か寺社領であったので、実は神奈川県も住民感覚はバラバラなのである。
ゆえに、もっとバラバラなどこぞの馬の骨が集まった横浜市では、明治末期から大正期の「心の絆」として流行った「歌」(「民謡」、「童謡」も「社歌」もこの時期に盛んにつくられた)による市民感覚の統一方法としての「横浜市歌」がもっとも強力な市民団結のしるしとなっている。
これが、目ざとい「DeNA社」の元で、プロ野球「横浜DeNAベイスターズ」の応援歌にも応用されているのである。
だが、元寇の歴史を歌詞にした「福岡市歌」が、福岡ソフトバンクホークスでは採用されないのは、かえって福岡藩以外の旧藩の影響が強い土地柄からだともかんがえられる。
なんにせよ、自民党の党組織自身が全国統制に失敗していることを、自民党福岡県連が示したことは、ひとつの画期ともいえるわが国近代の化けの皮を剥がしたことは確かである。
これと、ほぼ同時期にドイツの地方州における「叛乱的」なAfDの大勝利が、今月20日の次の選挙、ベルリン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州でどうなるのか?が世界的な注目を集めているが、あんがいと「福岡の乱」は、日本史的な意味があるとおもわれる。

