アラウ降臨

YouTubeの不思議アルゴリズムの功・罪はいろいろあれど、突如、巨匠・クラウディア・アラウの『皇帝』があらわれた。

1987年、5月17日19時、サントリーホールでの『アラウ、N響特別演奏会−ベートーベンの夕べ』における、『N響アワー』の放送である。
指揮は、サヴァリッシュ。
珍しい、リハーサルとインタビューの模様は、当時のNHKの快挙といえよう。

アラウ氏は、1903年南米のチリ生まれだから、上の演奏当時は84歳で、亡くなる4年前の録画となる。

リハーサルでは、椅子の高さをサヴァリッシュさんが自ら調製する。
そのリスペクトがたまらない。
サヴァリッシュは、じつはピアニストが本業だったのだ。

だが、演奏はややテンポが速く、サヴァリッシュの悠然としたベーム張りの「いつも」とはちがうので、緊張していたのは名指揮者の方なのであろう。

不思議かつ残念なのが、アラウをしてベームとの共演がなかったことである。

それでも、ハイティンクが振るオランダ・コンセルトヘボウとの録音が多数あるので、わたしとしては納得なのである。
コンセルトヘボウの弦のくすみ具合が、ウィーンフィルを彷彿とさせるからで、常任指揮者ハイティンクの演奏はいつもみごとだからである。

さて、演奏前の解説で、芥川也寸志さんの「時代」をテーマにした話は、まさに解説としての本質をズバリといいあてる見事さがある。
こういう人物もいなくなった。

いわゆる、「巨匠不在の時代」といわれている現代という時代とはなにか?

それこそが、アラウ氏が後輩に伝えたいこと、で警告したことが、残念な状態に陥っているので、時代が巨匠をつくらせない、ともいえる。
だから、これからの巨匠とは、時代に逆らうことを強制され、それにもかかわらず、本業を守り抜く「分をわきまえる」精神力がないといけない、ということになるのだろう。

この意味でも『アラウとの対話』は、一般人にも一読の価値がある。

卑近な例を示せば、高市内閣(片山大臣)による財務省幹部人事の「怪」がそれだ。
同省OBの高橋洋一氏が、自身のYouTubeで、組織の矜持喪失について、文学的な解説をしている。

このなかで、ペロッと「(大蔵省・財務省は)軍隊的な組織」だと、言い得て妙な発言がある。

むろん、氏がいう「軍隊」とは、旧日本軍のことをさすとおもわれる。
このブログで書いてきたが、旧軍を予算で支えたのは旧大蔵省であり、戦後、旧軍はGHQによって全面的に解体されたが、大蔵省(役人)は一切人事の手がつかないで生き残ったのである。

だから、無責任体質は軍隊的な連帯責任としてそのまま大蔵省に保存されたわけではあるが、それが、時代によって変質し、連帯責任がはずれて無責任体質だけが尖鋭化したらこうなった、というように聞こえる。

むろん、自民党政府に自浄能力を期待する方がどうかしている現状、なんらかの本格的政権交代があってはじめて、「設置法」まで手をつけることができるか?が勝負なのである。

そのときの基本思想が、アラウ氏のいう「分をわきまえる」ことに他ならない。

そうやってかんがえると、民間もおなじ、なのである。
つまり、組織としての矜持を喪失して、無機質がはびこることが、A.I.活用なる極端になっていることがそれである。

ようは、トップからして自分の立ち位置についての「分」を忘れてしまったことの、重大な問題の顕在化がこれから起きることになっているのである。

たんてきにいえば、組織マネジメントの自壊によるコントロール不能状態の出現、である。

クラッシック音楽界の「巨匠不在の時代」に、一般社会が追いつこうとしていて、あるいは、追い越したがために、見えやすい形で「巨匠不在の時代」となったともいえるのだ。

ピアノの鍵盤に手が張り付いたまま離れない、アラウの演奏は、84歳にして完全暗譜なのである。
巨匠を迎えて大緊張のサヴァリッシュの指揮台には、しっかり総譜が鎮座していて、指揮者がこれをみて指揮棒を振っている。

おい、ちょっと速いんじゃね?ともいいたげなアラウの目線ではあるが、まったくそのスピードに対応して一切の乱れがない演奏は、はやく終わりたいという指揮者の心理までも読んでいるようなのである。

それは、ベートーベンが恋人との約束時間に間に合わない、「焦り」を音楽にした逸話までも演奏中にアラウが思い浮かべつつ、サヴァリッシュの心を汲んでいるがごとくなので、この巨匠との共演が嬉しいはずなのに一刻も早く逃げ出したい気持がわかる。

あの「ちがいがわかる男」のサヴァリッシュをして、ここまで追いつめられるものか。

それが、本物、の無言の威力なのである。


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