「極右」というレッテル貼りが、世界マスコミの標準=デファクトスタンダードになっているけれど、困ったことに、極左政党から分裂した新興左翼政党がAfD政権樹立(州首相誕生)に協力すると正式発表して、「極右」表記がつかえなくなっている。
連邦制のドイツでは、アメリカとちがって「州知事」ではなく、「州首相」を州議会(一院制)の議員から選出する。
それで、各州の首相と重要な大臣職にあるひとたちが、そのまま連邦議会参議院(上院)議員となるのである。
また、ドイツの連邦議会参議院には、日本やアメリカとちがって、大きな権限がある。
それが、連邦衆議院(下院)の議決に関する拒否権の行使で、これが発動されたら「廃案」となるから、ひじょうに強い権限をもっている。
なぜかといえば、ドイツの歴史の複雑さ(貴族による細かな領地の統治実績)からの知恵だからだ。
ドイツの地は貴族の血縁(政略結婚の繰りかえし)による「血の平和」のために、天下分け目の合戦もなかったのでわが国における徳川家に匹敵する超大大名が存在せず、しかも、ローマ教会からも離れたプロテスタントゆえに、宗教的な権威の集中もなかった。
分断の長い歴史から、いまもしっかり分断されていて、連邦政府の役割は日本のような「中央集権」までとはなっていない。
ようは、「州」がいつでも分離できるような状態のために、「民意」のはずの連邦下院議会よりもっと住民生活に近い「州の統治」の延長が重要視されている、ということだ。
フランスでは、マクロン政権の内閣が崩壊を繰り返したが、そのたびに、マリーヌ・ル・ペンの国民連合を抜きにする「左翼の野合」でパッチワーク内閣を成立させてきた。
AfD排除のために、左派が連合しようにも議席数で同数になって、過半数がとれないために、新興左翼政党が初の5議席をとったことの「ゆくえ」に注目が集まった。
しかして、あろうことか、極左から別れた5議席がAfD支持を表明したのである。
一方、13日投開票のスエーデン総選挙(一院制)では、移民(国籍取得した)票によって政権交代が起きることとなったので、ドイツとは真逆の模様がうまれた。
これは、 アンゲラ・メルケル元ドイツ首相が告白した、有権者の輸入、の成功事例となる。
かんたんにいえば、国家が溶けて流れ出したのである。
いまや、スエーデンの「原住民」となったひとたちは、少数民族としての保護的な権利を要求するに留まる状況となった、といえるが、はたして移民が支える政府は、これまでの「左派」がいう少数派の権利保護を主張し続けるかどうか?さえわからない。
これが、思想と主張の乖離、である。
つまり、「主張」は、たんなる政治的なパフォーマンスにすぎないのであった。
それでもって、沖縄県知事得選挙でも異変がおきて、二期続いた左派政権が接戦にもならず倒されたが、どうやら左派の応援団がかえってマイナスになったと評判なのである。
たとえば、蓮舫や辻元清美らの過激な主張が、有権者にパフォーマンスにすぎないと見破られてしまったようなのである。
ここでも、模様が変化した。
世界は、「まだら模様」に変化している。

