新年度=新入生=新入社員、というエスカレーター式の「伝統」がいつまで続くのかしらないが、さいきんでは「退職代行」なる商売が、増えた弁護士のための収入源のひとつになっているようである。
自分で選んだ企業に、退職を告げるのさえ専門家に依頼する心理は、現代的コンビニのお気軽さもあるけれど、それよりも「接触したくない」ことの拒否感の方がうえにあるのだろう。
すると、退職代行なる商売のポイントは、そういった個人(雇人)と企業組織とのコミュニケーション(=信頼関係)崩壊におおきな原因があるとかんがえられる。
日本人が本を読まなくなって久しいが、これはあんがいと現代の中高年世代にまで拡大しているので、還暦を過ぎたいい歳の経営者層すらまともな読書経験がないことがある。
コンサルの実務では、問題ある企業によくある光景なのである。
むろん、書籍を読むことだけが重要である、ということではないが、読書は人物の基盤作りに役立つので、講演などに参加・視聴するのに熱心でも、深い理解のための前提として読書経験が豊富なひとと、そうでないひとには理解度で決定的なちがいを生じるのはいうまでもない。
経営学の祖のひとり、バーナードの歴史的著作が『経営者の役割』である。
原著は、1938年(日本で「国家総動員法」ができた昭和13年)の「古書」ではあるが、当時、アメリカで「バーナード革命」と称されるほどの「逆転発想」で有名となった。
じつは、日本的発想でいえば、どこが「革命」なのか?わからないほどに、旧来の日本人には「常識」ともとれる内容なのではあるけれど、アメリカナイズ(「アメリカン・コーヒー」のような「薄く浅はか」という意味)された戦後日本の価値観にあっては、もはや半世紀以上前から「革命的」になった、ともいえる退化がある。
旧来の「日本的経営」が完敗し廃れたのは、バブル崩壊とその後の復興策のアメリカ化があった。
これを一般的に、小泉純一郎の「小泉改革」とか、「小泉=竹中(平蔵)改革」といい、ようやくいまになって一部が「売国改革」だと気がつきだしている。
わが国で「人口問題」が顕在化したのは、バブル以前の80年代初期のころで、「40年後に超高齢社会が到来する」ことが大ニュースになったのである。
そして、この危機感が、「土光臨調(第二次臨時行政調査会)」発足の理由となっていた。
仕切ったのは、中曽根康弘行政管理庁長官(当時)で、その後に中曽根内閣となったから、若くして総理大臣になりたいと公言していたこの人物の大出世に、土光敏男氏が利用されたともいえるものだが、明治の漢、土光氏の方からしたら、そんな一政治家のことは些末に過ぎず、日本再建に真剣だったにちがいない。
だが、その土光氏が再建した、東芝も「のれん」だけが残る無惨になったし、第4代会長として、いまの経団連の傍若無人を許すはずがない。
それもこれも、土光氏の経営ぶりは、バーナード的であったからである。
土光氏が指揮した当時の東芝は、管理職が「土光師」と仰ぎ見る尊敬を集めたが、その後に企業解体の憂き目をみるタネともなったのは、土光氏「だけ」をまつりあげればそれでよしのようなこととなってしまったことにあるのではないか?
いまの「ホンダ」にみられる状況と似ているし、「ソニー」もその罠にかかって久しい。
さてそれで、少子、の時代である。
バーナードは、「企業が従業員を選ぶ、のではなくて、就職希望者が企業を選ぶ」と書いた。
だから、企業は、就職希望者から毎年選ばれ続けないと、人材枯渇して最終的に事業継続ができなくなる、とあたかも「針小棒大」なことをほとんど100年前のアメリカにおいて真顔で主張したのである。
しかし、この当時のアメリカはすでに、「少子」の時代だったのである。
それで、バイデン時代の「移民受入策」となったから、日本でも自公政権がこれを真似たのだし、高市内閣も止められない。
バーナードを経団連の幹部たちがしらないか興味もないからだと推察する。
なんにせよ、人間を機械同様に扱い、A.I.やヒト型ロボットとの「利用・共存」をいうことのバカバカしさに気づかない愚か者たちが企業のトップに君臨し、自分たちは「別格」=「安全地帯」にいるという、あたらしい身分制を性根にもっているから、これを「格差社会」というのである。
それで、人間だけが価値を創造する、という大原理を無視しているのは、自分たちの時代だけ良い生活ができればよい、という、信じがたい無責任がはびこっている。
彼らは、自分の子孫の人生すらどうでもいいので、ましてや他人をや、なる、いまだけカネだけ自分だけの「唯物論」信者なのである。
したがって、従業員をモノ扱いとするのであるが、その従業員が逃げ出す状況(むかしなら「逃散」)の恐ろしさを想像もできない。
幕藩体制において、生産者たる農民が逃散したらどうなるのか?の恐怖を、大名も家臣団もしっていた。
ようは、江戸時代よりも退化した呆けた指導者たちが仕切っている現実がある。
「人手不足」は、雇用統計でみれば「ウソ」である。
そんな唯物論企業に、だれが好んで働くものかと、みえない逃散で「人手不足」になっているのである。
これがまた、「外国人研修生」の逃散になっているのは、「研修生」とは名ばかりで「奴隷輸入」をしているからである。
そんなわけで、企業が生き残るのは国家がつくる制度や国家財政への依存ではなく、バーナード理論の一読で理解できる、「新規だけでなく既存の働き手から選ばれ続けるにはどうするか?」だけの単純命題なのである。
なんのことはない、「いい会社」を構築・維持することしかないのである。

