気の毒なウクライナ、悲惨な日本

世の中には自らの私利私欲のために、他国民がどうなろうがしった事ではないとする、悪魔的な人間たちがいる。
これが、戦争屋たるネオコンだ。

ただし、この手の用語は、本来の言葉の意味から乖離して、ぜんぜんちがう意味に変容した結果である。

「ネオ」とは、「ニュー:あたらしい」という意味だし、「コン」とは、「コンサバティブ:保守」を指す。
つまり、本来なら「あたらしい保守主義」という意味のはずだが、いつの間にか、「戦争屋」になった。

岸田首相が提唱したけど、意味不明な「新しい資本主義」が、共産主義の匂いが漂うのと似ている。

ネオコンは、政治家のスポンサーが「武器商人」ばかりになって、おカネで政治家をコントロールしたからであり、こうした巨大メーカーの背後にはウオールストリート(巨大金融資本)がいるのは当然だ。
いまでは、巨大製薬会社もこれに加わった。

どちらの国も、政治にはカネがかかるから、政治家は政治資金を得るために苦労した。
王侯貴族の時代なら、あからさまに奪取したけれど。

それで政治家一般が、みんなカネに困ったので、合法的に集金しやすいルールを作り出したら、どんどん大胆になって、インチキな方法が常識に変容したのである。

アメリカのその仕組みは、完全なるインチキで、「財団」が正面に立って集金するも、その財団が集めたカネの使い方が「大胆」なのである。
なんと、選挙管理委員会へ多額の寄付(買収)をして、選挙に事実上介入している。

日本の場合は、政党にちゃんとした組織がないので、国民(税金)から「政党助成金」なるルールを勝手につくって、政府の公金をチューチューしている。
自民党には、およそ159億円、立憲民主党にはおよそ68億円が毎年公布されている。

これを頭のいいよい子ちゃんたちは、悪法もまた法なり、というのである。
自分のカネを盗まれているのに、だ。

トランプ氏がスポンサーたる大企業や大富豪から徹底的に嫌われる理由は、彼本人が大富豪だからで、従来型の「金権政治」を平然と否定してなお、「戦争を徹底的に嫌う」ために、金儲けにしか目がない人たちから「危険人物」だと見られているからである。

これまでは、なんとか理由をつけて誤魔化しながら戦争をしてきたひとたちだったけど、ソ連が勝手に自己崩壊してアメリカ一国の天下になったら、かぶっていたベールも脱ぎ捨てて、あからさまな手口をさらけ出してしまった。

まったくもって、「奢れるものは久しからず」の、『平家物語』をしらない、野蛮人たちの饗宴ばかりが目につくようになってしまった。
あたかも、「平家にあらずは人にあらず」のとおり、「ネオコンにあらずばエリートにあらず」になったのである。

国境というものは、民族国家の境界線が作るものだとの認識もない、島国の日本人には、単に海がわける自然の摂理だと勘違いできた幸せが仇となり、「切った貼った」の興亡は、あたかも戦国時代のことだけだと思い込まされている。

元寇を奇跡的にはね返した幸いの意味を、かみしめるべきなのだ。
もしも敗れていたら、いまでも彼の国の「省」になっていた。

そんなわけで、台湾が領土になって、朝鮮も領土になったとき、いまの日本人には理解できない感覚が国中に蔓延したのは想像に難くない。
しかし、そんな想像すらさせない努力が、敗戦によってもたらされたので、とうとう想像力を喪失するに至ったのである。

ビジネスの現場でも、なんでも、「問題解決」のための最初の手順は、あるべき目的・目標を定めた上での、現状認識の確認作業となる。

このとき、その問題の発生についての経緯(=歴史)を調べるのは当然だ。
そうやって、経緯(=歴史)のなかにある、原因を特定し、その原因を除去することが業務になるのである。

なので、この原因特定の追求の度合いが、甘ければ確実にその問題は解決せず、むしろかえって複雑化して、解決が困難になるあたらしい原因を上塗りすることになりかねない。

ここに、「急がば回れ」という格言が登場する。

一見ムダに見えてもちゃんと時間をかけて原因を深く追求しないと、できるはずの問題解決がいつまで経ってもできなくなるからである。

これは、たまたま顕在化した安芸高田市に見られる状態だといえる。
もちろん、安芸高田氏市の問題は、全国に蔓延している病的なものだけど、全国で隠す努力が成功しているだけである。

しかしながら、相似形にグッと拡大してみれば、たとえばウクライナという地域でも、同様のことが起きている。
そもそも、ウクライナの歴史とはどんな経緯があるのかをしらないと、他言語国家の複雑性は絶対に理解できない。
そして、国境線が自然発生的にできたとはまったくいえないのがいまのウクライナなのだ。

さらにその政府の腐敗は、体制転換時に欲にまみれた英・米人が、彼の国の資源争奪をした副作用で発生したのである。

また同様に、日本国をグッと縮小してみれば、安芸高田市になる。
何度も書くが、もう一つの、先行事例は、いまの英国だ。

建前の議会と、本音の市長が、水と油状態になっていて、市民に情報を伝えるべきの地元新聞社が、なんの役も果たしていないばかりか、雑音(ノイズ)をまき散らかしている。
この情報の「非対称性:あるいは歪み」こそが、マルクス経済学における唯一の真実、「疎外」の原因だ。

つまり、一般市民(国民)が、議会と市長の双方から分離(疎外)させられて、おそらく双方が何をしたいのか?すらわからないことになっているだろうし、また市民は興味のかけらも失ったにちがいない。

確認するが、主権者は「市民:国民」となっているのに、その市民(国民)が望んで完全なる蚊帳の外に身を引いているのである。

だから、「バトル」自体に喝采して、なにを主張しているのかの中身を理解しないのは、石原慎太郎都知事と橋下徹大阪市長とがやったことから、ぜんぜん進化していない。
石原慎太郎都知事すら橋下徹大阪市長に賛同して、いったん「維新」に入ったけれど、その後別れたのは何故だったのか?すらも記憶の外にあるのだろう。

まったく、日本国の現状の「縮図」なのである。

けれども、こんなことは全部の自治体で起きている「ふつう」なので、たまたま元気な若い市長のとんがった言動が目立っているだけである。
むしろ、何ごともないがごとくに日常が繰り返されている、ほとんどの自治体の深刻度は、より酷いにちがいない。

きっとウクライナに住んでいるひとたちは、「なんでこうなるの?」と、まるで往年の「コント55号」のギャグが現実になっている気の毒があるけれど、深刻度では似たもの同士のわが国で、次に何が起きるのかを想像すれば、ウクライナどころではない悲惨がやってくるとかんがえるしかないことが、もう悲惨なのである。

自慢できない「マクガバン・レポート」

1977年に、アメリカ連邦上院議員(民主党、サウスダコタ州)のジョージ・マクガバン「栄養と人間欲求における合衆国上院特別委員会」委員長が提出した、「マクガバン・レポート(「米国の食事目標」)」というものがある。

マクガバン氏は、民主党ではあるが、2期(4年)務めた連邦下院議員から上院に初挑戦したときに、現職共和党議員に敗退落選した結果、ジョン・F・ケネディ大統領から政府の「食糧平和プログラム」担当官に任命されたので、「ケネディ派」である。

ケネディ大統領亡き後、弟のロバート・ケネディが大統領候補になったときも、彼を支持している。

それで、「マクガバン・レポート」の内容が、衝撃的であったために、なんと公表前から物議を醸して、公表後は賛否両論が巻き起こったのだった。
後に、本人は、「(食品)業界からの圧力で政治生命が絶たれた」と表明している。

いまの民主党の姿が見え隠れしながら、ロバート・ケネディ・Jrへの党内圧力の原点がみえてくる。

さて、1977年といえば、どんな時代だったのか?
世界は冷戦真っ盛りではあったが、イラン革命(1978年)前夜でもある。

すでに、米英はスタグフレーションに苦しんでいて、この世の春を享受していたのは、日本だけだったのである。
まして、イラン革命による「第二次石油危機」では、ホンダ・シビックの大成功で、後の日米自動車摩擦に発展する。

そんなさなかに出た、このレポートでは、もっとも推奨される食生活とは、なんと、「元禄時代以前の日本人の食生活」だったのである。

この当時、高校生だったわたしに、「マクガバン・レポート」が大々的に報道されて、巷間の話題になった記憶がない。

もし、関係するなら、「梅干し博士」といわれた、國學院大学の歴史教授、樋口清之氏が記憶に残っている。
「梅干し健康法」とかも、樋口先生の影響がどこまでだったかはしらないが、それなりのブームになったものだ。

それでも、梅干しと米飯の相性のよさは、先生が主張するところでもあった。
歴史の先生が、NHKの番組で栄養を語っていたのである。

当時でも、NHK批判はいろいろあったけど、民放の酷さ(娯楽中心)が誰にでもわかったので、相対的にNHKにはまだ信頼があった。
いまではウソのようだが、当時のわたしはテレビはNHKしか観ないと決めていたのである。

それにしても、GHQが実施した、「3S政策」は、当時の日本人こそ敏感であったのではないかとおもうし、アメリカの余剰農産物を日本に買わせて消費させるためのキャンペーンを超えたプロパガンダは、日本のマスコミの中で至上命令ではなかったか?と疑うと、そのせめぎ合いのなかの、「梅干し博士」の主張は、一線を超えていなかったか?

いや、むしろ、「マクガバン・レポート」を無視する代わりに、ちょっとだけ緩めたのかもしれない。

なにしろ、GHQは、慶應大学の教授に、「コメを食うとバカになる」説を書かせて、パン食の推進を図っていたのである。
これには、まちがった戦争をはじめたことの原因に、日本人がコメを食してバカになったからだという「反省」に見せかけた差別意識まで含まれていた。

そしてなによりも、「まちがった戦争」という刷り込みこそが、戦勝国(=アメリカ民主党)のプロパガンダなのである。

いま、アメリカがウクライナにやらせているロシアとの戦争をみれば、明らかに「まちがった戦争」を仕掛けたのは、アメリカである。
この構図は、そのまま日清・日露戦争の日本にもあてはまる。

当時の欧米新聞に掲載された「ポンチ絵」は、英・米にそそのかされてロシアとにらみ合う日本の姿が描かれれていることに、時代の真実があった。

さて困ったことに、いま、日本人に元禄以前の食生活に回帰せよ、といわれたところで、何を食べれば良いのかの判断が難しくなっている。
料理のメニューや、レシピのことだとおもったら、それは早合点だ。

べつだん、「元禄」といわずとも、当時の日本は完全なる農業国だった。
なにしろ、国民の8割以上が農民か漁民だったのだ。
しかも、「化学工業」は存在していない。

つまり、誰がなんといおうが、全部がオーガニックであった。
例外がないから、「オーガニック」という概念すらない。

だから、現代と同じ食材だとしても、その中身は、まるで別物だとかんがえた方が正しい。

このことは、『日本食品標準成分表』をみても理解できる。
ちなみに、最新は、「八訂」(2020年)の「増補」(2023年)であり、1950年からはじまっている。

かんたんにいえば、初版と最新版を比較したら、おなじ食材の栄養価の変化がわかるのである。

わたしたちが口にしている食材が、70年ほどでどうなったか?をみたら、江戸時代の同じ名前の食材とは「別物」であることがわかる。

もちろん、これには、「品種改良」もあるし、外来種の移入、もある。
しかし、栽培方法の劇的な変化が、別物にしているのは想像に難くない。
また、海産物についても、その汚染度やらを考慮すると、やはり別物だろう。

この意味で、元禄時代以前の食生活とは、一般人にはほとんど宇宙食のようにほど遠い存在なのである。

つまり、口にすることが絶望なのである。

いま、「マクガバン・レポート」が意味するのは、世界で人びとに、この「絶望」を喧伝している、ということだ。
なるほど、日本人が自慢できる要素はどこにもない。

各国のマフィア化する政府

トランプ政権下で純産油国だったアメリカと比べてもせんないけれど、バイデンが就任日に署名した、シェールガス・オイルの新規掘削禁止の大統領令を皮切りに、さまざまな「対策」の成果で、約1年半後の2022年6月には、過去最高のガソリン高を記録した。

1ガロン(約3.785L)あたり、3.59ドル(約508円)になったのである。
リットルに換算すれば、約188円ほどであった。

しかし、今年の6月には、石油価格の下落で、2.1ドル(約298円)ほどになった。
同じくリットルに換算すれば、約79円となる。

電気代もそうだが、わが国は、仕組みとして作られた料金体系がある。
「産業国家」のくせして、あらゆるコストのもとになるエネルギーコストの上昇は、産業競争力を弱体化させてしまうのに、無策を続けて平気なのである。

電力各社は、空前の黒字を計上しているのに、電気料金は大幅値上げが「認可」されている。
認可を出すのは、日本経済を破壊するためにだけ機能している、経済産業省だ。

原油の9割を中東依存しているわが国は、中東産油国から禁輸措置を二度と喰らわない(第一次石油ショック時に半年間禁輸された)ために、「ジャパン・プレミアム料金」という名の、「割り増し金」を支払うことで、世界価格より高価な石油を買ってきている。

カネさえ払えばいいでしょう!という、目先の「損得勘定」が、わが国石油外交の基本なので、カネがあるうちなら、誰が担当官になっても「事件」にはならない。

カネが動くところに利権があるので、めざとい田中角栄は自派の収入源にして世を去った。

なので、この遺産を引き継ぐ茂木派なのに、再生可能エネルギー利権にも手を出して、マッチポンプ状態を自分でつくっている。
とにかくなんでもいいから、いま、カネになればいいだけという価値観が支配しているのである。

SDGsが、ただのビジネス利権であるのは、こういうことだ。

ここに、国家観や国益、あるいは国家戦略なんてものは微塵もない。
それをまた、カネになるからと選挙で支援して当選させるのも、一般有権者をしらけさせて、「棄権」に導く戦略が活きているからである。

そんなわけで、補助金が切れるという理由で、わが国のガソリン価格は上がることになっている。
9月末が本予算の期限だから、10月1日から大幅値上げになることは確定している。

レギュラーでリッターあたり200円になるというのは、ほんとうだろう。

しかし、200円で済むのか?という問題は別にあるし、過去の例からも、物価上昇の引き金になることはまちがいない。
これだけ綿密になった、物流網だけでも、ガソリンや軽油価格の上昇が物価に転嫁されるからである。

もちろん、生産におけるエネルギーコスト上昇は、さらなる海外移転につながりかねない。
それがまた、サウジアラビアが掲げる、「工業化」の狙いでもある。

生活者にとっては厳しいボディーブローにちがいない。
給与所得が下落していることに歯止めがかからないなかでの負担増になるからで、ようやくコロナ禍から脱したはずの観光業が、次の試練に見舞われることになった。

移動コストの上昇と、宿泊料金の上昇は避けられない。
過去にあった、経済が拡大基調のなかでならまだしも、縮小基調のなかでのインフレは、転換点になるにちがいないからである。

この先行例はいまの英国で、保守党の悪政が次期選挙での政権交代を確実にしているというけれど、労働党が救世主になったためしは過去にない。
甘いバラマキ政策で、かならず財政がイカれるからだ。

もちろん、円安がもたらす外国人観光客の増大は、一つの期待にはなるけれど、全体規模が小さすぎるのである。

国内観光の8割が日本人による需要であった。
何度も書いてきてきたが、国がいう「観光立国」が絵に描いた餅に過ぎないのは、わが国経済における観光業のシェアそのものが小さすぎるからだ。

むしろ、国民貧困化のための「おだて・すかし」にしか見えない。
生産性が極度に低い、わが国観光業への就労は、それ自体で貧困化への一歩になるからである。

さて、岸田氏というよりも自民党と公明党は、いつ、衆議院議員総選挙を挙行するのか?
広島サミット直後、という予想が外れて、なんだかグズグズしている。

驚くほど浅はかなこのひとたちは、ガソリン補助金の大盤振る舞いをもって人気取りとするのではないか?
それはまるで、イギリス労働党とおなじ発想なのである。

こうした、合法的買収しか、もう選挙で訴える「争点」がないのである。
その引き換えに、増税を計画するのはわかりやすいではないか。
必ず、財源の話になるからで、野党はこれに対抗できない。

どういうわけか、減税を主張しないのは、あたかもわが国のお作法になった感がある。
減税を公約にしたトラス政権は、実施しようとしたら内閣も潰されてしまった。

しかし、国民は重大なことをしらされていない。
政府は、税収で運営されてはいない、ということだ。

大統領候補に名乗り出た、ロバート・ケネディ・jrが、命がけの暴露をしたのは、CIAの予算の話だった。

この組織には、2万人以上の正規職員(もちろん国家公務員)がいるけれど、その運営の実態が不明なままなのは、傘下に多数の「投資会社」をもっているからで、政府予算に加えてどれほどの利益がこれらの会社から得ているのかがわからないと明言したのだ。

これは、ナチスにおける「親衛隊」(数十万人がいた)と酷似している。
じつは、親衛隊最大の悪事は、「経済管理本部」がやっていたのである。
ユダヤ人から奪取した、金銀財宝の窃盗はもとより、この組織は自己増殖する企業も保有していた。

都知事になる前の猪瀬直樹氏が、道路公団民営化問題に取り組んでいたときに、その傘下の子会社・孫会社の実態まで調査するのは不可能だと嘆じていたのは、会計検査院の報告とも合致するし、2002年に暗殺された石井紘基衆議院議員も、この問題に切り込んでいた。

日本政府は、会社運営もやっているのだ。
それが、伊藤博文がつくった「特別会計」なのである。

わが国も、平和的な装いの「親衛隊」が中核をなす、マフィア化した国家なのだった。

「中国新聞」と市長の喧嘩両成敗

英・米の伝統的政治教育で、「民主主義の学校」と比喩されているのが、地方自治である。

いきなり国家レベルの話で「民主主義を云々」するのではなくて、生活に密着した地元自治体のあり方をかんがえることが、そのまま一般人だからこそ民主主義を学ぶことになるからこの言葉が生まれたのだった。

それゆえに、民主主義を潰したいとかんがえる、「独裁的志向」あるいは、「権威主義的志向」がある政治屋たちが多数ともなれば、たちまち地方自治を住民に無益なものに変容させて、知らんぷりすることが自己保身のために最も効率がいい施策となる。

そうやってわが国の地方自治体(都道府県・市町村)を眺めると、既存政党がよってたかってやってきたのは、この「破壊」の方ばかりだったことがわかるのである。

残念ながらこの場合、自民党だけを悪者にすることはできない。
本来なら、全党の連帯責任を要求したいところだ。

それが証拠に、日本人は、政治についてほとんど学ばないで成人させられる。

義務教育では、中学校の「公民」、高等学校では、「公共」「倫理」「政治・経済」となって、大学受験としては、「公共」と「政治・経済」はセットで扱われているけれど、ほとんどの受験生が選択しないのは、教師も詳しくないからだ、という。

ちなみに、わが国の「高等学校」は、「後期中等教育」という位置付けで、なんだか後期高齢者のようなのである。

しかも、18歳から選挙権を持たせることの無責任を追求するものがいなかった。

全国の地方議会は一院制で、首長たる都道府県知事・市町村長との「二元制」がとられていて、国の「三権分立・議院内閣制」とは別物扱いになっていることも、なんだかわからないようにして成人させるのである。

だから、地方では「国会をまねる」けど、それがどんなにトンチンカンかが誰にもわからない。

その結果、「過去からの慣習」という名目にして、しらないうちに「権威主義に従う」ようになっている。
だから、独裁はムリでも、権威主義にはどこもかしこも汚染されるのである。

わが国の「欧米化」は、GHQが仕組んだ、「日本弱体化計画」の柱をなす、日本民族の価値観の喪失を意図したものではあったけれども、2世代以上の時間が経過して、今度はその「副作用」が出てきた。

それは、まったくの政治分野における「欧米化」なのであって、しっかり合理的に欧米の政治を学んだ人物が首長になりはじめたのである。

もちろん、権威主義という「無思考」あるいは、「思考停止」でやってこれた従来型の戦後日本人(たんなる既得権益)からしたら、理屈で勝てないので、必ず「感情で敵認定」することになるのも、必定の構造なのだ。

そして、このことが、「鋭く対立している」ように見えるのは、言葉の応酬からのことだけど、じつは、ぜんぜん次元のちがう会話になって、噛み合わない、からそう見えるのである。

これは、従来なら、左翼と右翼、ちゃんといえば、社会主義・共産主義者と自由主義者の議論のようで、とくに左巻きは議論をすり替えることが得意だったものが、いまは、こうした右・左の水平方向ではなくて、平面の2次元と立体の3次元ほどの「次元がちがう」議論になっているのが特徴だ。

さてそれで、いまの首相の「お膝元」広島県の安芸高田市長の石丸伸二氏(41歳:無所属)と議会、それに中国新聞の、市長を頂点とした二方面バトルが話題になっている。
このひとは、メガバンクのいわゆるエリート銀行員(アナリストとして初のニューヨーク駐在員)だった。

いろいろ物議を醸している中で、議会議員の定数半減案が否決されたときの、「恥を知れ」発言は、記憶にあたらしい。
また、地元紙たる、「中国新聞」との大バトルは、かつての石原慎太郎都知事とか、橋下徹大阪市長を彷彿とさせて、ネット動画のコメント欄は、市長応援コメントが圧倒的なのである。

だがしかし、この市長の政策やその政治手法は、はたしてほんとうに「妥当」なのだろうか?

まず、就任当初からはじまったのは、議会とのバトルだった。
「居眠り議員」をツイッターで指摘したことで、何十年と眠っていた議会にいきなり冷や水を浴びせたので、驚いた議員達は、あたかも「脅迫めいた発言」をしてしまったのだ。

これ自体は、他愛もないことのようにみえるけど、戦後日本の無責任が染みついたひとたちの「感情問題」になって、夏風邪のごとく、こじれてしまったのである。
それで、全国から公募した「副市長の選定」が、否決されるに至る。

ただし、選定案における副市長候補者の推しが、「国との調整経験」というから、そんなもん、なのではある。

また、市長を支持する派と、そうでない派(会派を結成した)とに分かれたので、市民の意思を確認すべく、議会解散を狙った支持派がだした「不信任決議案」を、多数のそうでない派が否決して、法的拘束力のない「問責決議」を決めたのである。

徹底的に合理主義を貫く市長は、「議会報告」を市の広報紙に載せると決めて、どの議員がどのような行動をしたのかを市民に伝えだしてしまう。

これは、「二元制」へのイライラ感の結果なのだろうし、一人前の行動ができない議会自体の問題だから、賛否両論があるという。

つまり、二元制民主主義が想定していないことが露呈しているのである。

議会をどうするかは、議会が決めないといけない。
その議会で、議員がどんな議論をしているのか?を市民に広報するのも、議会の役目だが、日本の場合面倒なのが、議会事務局が行政府と一体なのだ。

ことを急ぐ前に、議会事務局を市行政から切り離して、議会所属にする改革をやるといったらどうなったものか?
議会職員の採用も、行政の市役所とは別にしないといけない。

それで、新聞社とのバトルは、記者が市長と議会とが従来型の、事前すり合わせ、つまり、「談合」を促した記事についてのやりとりだった。
この件では、議会での議論がすべて、という市長の持論はまっとうだ。

こうしたことも、動画が撮影されて編集なしでそのままアップされることの効果なのである。

中国新聞の苦境は、自業自得だ。

さて、話はアメリカに飛んで、4回も起訴されたトランプ氏だが、検察は法廷の模様をネットで「生中継」すると異例の発表をした。
あたかも被告人席に立つトランプ氏を貶めようという魂胆だろうが、そのまま流されることのリスクをかんがえていないのは、どういうことか?

中国新聞のようなことになるのではないかと、期待が膨らむのである。

議会は?といえば、何度か選挙をしないといけないけれど、民意が強い米英と真逆の歴史だったわが国で、どこまで市民が目覚めるのか?は、当面怪しいだろう。

ただ、この市長が繰り出す実務的な政策は、ニューヨーク駐在時に洗脳されたのか?あんがいとアメリカ民主党的なので、市長が自滅する方が先になるやもしれない。
それとも、なぜか人気の「維新の会」に入って、立場を明らかにするのか?

どちらにせよこの市長は、急進左派だと思われるので、やっぱり「中国新聞」は、身内を叩いてしまった愚が目立つのである。

「第一次大戦2.0」がはじまった

ひとがニュースに興味があって、おカネを出してでもしりたいという需要がうまれたのは、回り回って自分に返ってくるのが、世の中、というものだからである。

かくいうわたしも、リーマン・ショックをきっかけにして、勤めていた外資系投資銀行が日本から撤退するに至り、職を失ったのである。
残念ながら、マスコミが大きく取り上げたのは、リーマン・ショックという「事象そのもの」であって、それより1年4カ月前からの「サブプライムへの不信感」は、業界内の噂にすぎなかった。

さざ波のような話が、1年4カ月の時間をかけて、大津波に成長したようなものだった。

世界の金融エリートは、金融工学やらMBAやらを、似たような学校(教授陣がおなじ学歴の同根)で勉強させられて、業界人になったら、世界でおなじ業界紙の読者になって、毎日同業者に電話をかけておなじ銘柄を売り買いしている。

こうした機関投資家達は、合法的に、個人投資家の資産を巻き上げているのである。

その仲間内で疑心暗鬼がうまれたのが「こっくりさん」のようになって、リーマン・ショックになったのである。

サブプライム・ローン債権をさらに切り刻んで、別物の「トリプルA」債権にした現代の錬金術とか、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)とかを、「製造」していたエリートは、いまも懲りずにまだおなじことをやっている。

これがまた、中央銀行の神通力を喪失させた元凶で、「銀行だけ」が信用創造するというのも伝説化して、証券会社(投資銀行も)が跋扈することになったのである。

しかし、リーマン・ショックの事象だけしか報道されないから、ふつうのひとは、そこだけを観させられて、なんだか他人事にして生きているのである。

このことも、愚民化のひとつで、エリートたちが汗をかいて金融危機を収束させることをしているような話にしているのだが、「カネは天下の回りもの」と認識していたむかしのひとは、「な、わけないだろ?」と疑う常識がまだあったものだ。

BIGMOTOR社に加担した損保会社の保険不正が、その他多数の一般契約者の掛金負担増になっているように、薄く広く国民負担になっている当然が隠されているのである。

ウクライナの戦争に加担している「西側先進国」と自称しているグループは、機構になったBRICsとの人口差では、もうかなわない。
もしも、世界のひとたちが格差のない「一票」を投じたら、圧倒的なのはあちら側になっている。

これに、経済力も伴ってきたので、たとえば、アメリカ対ロシア・中国連合だけでも、1.3倍もの差がうまれていて、長期化する戦争に耐えられるのもあちら側なのである。

そして、なによりも「おかしい?」とおもわないといけないのは、最低でもロシア情報の詳細がふつうにマスコミ報道に「ない」ことである。

リーマン・ショックの例のように、表面の事象だけを報じているともいえず、完全なる「情報鎖国」の状態にこぞって西側先進国がおかれているのである。

あたかも、「ソ連体制」が継続しているように錯覚させる演出がされているが、SNS動画が上手の手から水が漏るごとく、みごとな「実態」を報じている。
駐在員としてロシア滞在通算で18年という、日本人ビジネスマン氏は、ソ連時代もしっているけどいまのロシアはかなり自由な報道をしている、と『越境3.0チャンネル』で証言している。

政府批判もかなり痛烈だと。

現地に住みながら視聴すれば、西側の報道の方がかなり統制されているので、ロシア人は冷静に観察しているという。
それこそ、ソ連時代の命に関わる厳しい情報統制を経験しているから、かえって冷徹な目を国民がもっているのだとの解説には納得する。

さらに、先月26日のアフリカ・ニジェールのクーデターは、日本では無視されている感がある。

プーチン氏に反乱を試みたという、あの「ワグネル」がアフリカで活動していたのは、マリとかブルキナファソであったから、その隣の今回のニジェールの政変もワグネルの影が見え隠れする。

このあたりは、ぜんぶ旧フランスの植民地だが、いまも「CFAフラン」が流通(14カ国)し、フランス中央銀行(Banque de France)がその通貨発行利益(年間60兆円という)を得ている。

シラク大統領(任期:1995年〜2007年)が、かつて、フランスがアフリカ支配を失うと第三世界並みの経済力になると話したことがあるのは、このCFAフランの利益も含んだことだ。

ここにロシア(ワグネル)が楔を打ち込んだ。

つまり、EUが大騒ぎになるのだろうけど、それはニジェールが原子力発電大国のフランスを支える、ウラン資源の供給国だからである。
もちろん、採掘には奴隷的労働が貢献している。

EUのエネルギー分断策でもあるし、あるいは、世界経済フォーラムの秘蔵っ子、マクロン氏への鉄拳か?

あれれ?でもワグネルは、プーチン氏に楯突いたのでは?

上の駐在員氏によれば、未確認だがモスクワでのもっぱらの「噂」は、ウクライナやアメリカを油断させる、「狂言芝居」だった、といわれているそうな。

22日の南アフリカでのBRICs首脳会議で、新通貨の話があるのは何度か書いたが、あのヌーランド国務副長官代行も、アフリカ歴訪をして悪だくみを仕込んでいる。

ヨーロッパの闘いが、とうとうアフリカに拡大したけど、なんだかやっぱり、「第一次大戦2.0」(アフリカ戦線)の様相なのだ。

だが主導権は、ロシアにある。

これは、客観的な見方なのだ。

悪い噂のハワイ山火事大被害

さしものバイデン政権も、8日に発生したマウイ島の山火事を大規模災害と決めたが、夏休み中のバイデン氏本人は、ウクライナへの2億ドル追加支援を決めながら、ハワイの山火事大被害については何故か「ノーコメント」を貫いている。

「お見舞い」もいわないから、日本人には理解できない。

概算で1兆円を超える物的被害ばかりか、州知事は死者・行方不明者の人的被害も、過去100年で最悪と表明している。
3ケタではなく、4ケタになりそうな甚大な被害が予想されている。

山火事自体も、島内で同時に4カ所で発生する不思議があって、防災サイレンも鳴らなかったという。

原因は、付近を通過中のハリケーンの強風による送電線の切断だというが、それで4カ所から火が出るものか?と疑問がある。
また、現地の被災者自身が、多くの「証拠写真」などをSNSに挙げていて、コメントでは「エネルギー兵器」だとの不穏な発言も目立つのである。

戦争の歴史は、そのルールに、「兵同士の闘い」と規定していた。

なので、捕虜になるための条件(ジュネーブ4条約)は、「非戦闘員」のみならず、戦闘員なら軍服を着用しないといけないことになっている。

戦争は兵同士が闘うので、武器のことを「兵器」と呼んだのである。

しかし、兵とは関係のない銃後の守りを潰して、相手国の経済力(戦争遂行能力)を奪うのが、「戦略」だという理屈になって、無差別爆撃も正当化されることになった。
その人類初が、スペインのゲルニカ市への爆撃だった。

現在までの最悪が、「ヒロシマ(ウラン型)・ナガサキ(プルトニウム型)」になっている、原爆の実戦使用であるけれど、この戦争犯罪を「終戦を早めるため」という詭弁でもって、今日もそして未来も誤魔化そうとしている。

わが国の戦争終結を決断せしめたのは、日ソ不可侵条約を一方的に破棄した、「ソ連参戦」であった。
なお、二発の原爆使用は、戦争終結の為ではなかったことが、アメリカ側の機密解除でハッキリした。

アメリカ軍が、使ってみたかった、これが真因である。

そんなわけで、「兵器」がだんだん「無差別大量破壊兵器」へと変容進化してしまったのである。
なので、限定的な使用では「兵器」といえるけど、拡大すれば、無辜の市民を虐殺もできる。

指向性エネルギー兵器(DEW:directed-energy weapon)が実戦使用された例として、中国軍がインド軍に用いた、「マイクロ波」が記憶にあたらしい。
要は、強力な電子レンジのことで、敵兵へ向けて発すれば、「脳」が沸騰する。

エネルギーの種類はさまざまで、電磁気、粒子ビーム、マイクロ波、または音波技術が「悪用」されている。
艦船に搭載する方式とかもあるけれど、なによりも人工衛星に積み込めば、弾道ミサイルどころの比ではないのは、一瞬でことが足りるからである。

さてそれで、ハワイといえば、「夢の楽園」ではなくて、現実には、完全なる「ブルー・ステート」(民主党支配の州)なのである。

その左傾ぶりに嫌気がさして、連邦下院議員(4期)で大統領予備選にも出馬したトゥルシー・ギャバード女史(サモア出身)は離党してしまってその全体主義の状況を吐露していたものだ。
いまでは、トランプ氏の「MAGA運動」とは距離をおきつつも、親和性がある発言で注目されている。

現職のハワイ州知事も、もちろん民主党だ。
このひとは、医師で、徹底的なワクチン接種を推進したので、自宅にデモ隊が押し寄せるほどの批判を受けていたが、なぜか知事選では圧勝している。

今回の山火事の「悪い噂」は、そんな民主党州政府が進めていた、土地再開発事業が下地にある。

なにしろ、最大の被害を被ったのが、かつてのハワイ王国の王都、マウイ島ラハイナだ。
ハワイ王国をアメリカがどのように滅亡させて、どのようにして奪って「州」にしたのか?については、読者は各自お調べになるといい。

そのやり方のえげつなさは、同盟国とはいえ、事実上の宗主国の歴史として日本人はしっていていい。

そして、そんなえげつないアメリカの西部開拓の歴史を、民主党は自ら大否定して「批判的人種理論」(CRT:critical race theory)が猛威を振るっているけど、ハワイを制するひとたちは、大富豪の楽園を構築すべく、土地買収に熱心なのである。

今回の山火事は、どういうわけか旧市街中心部を全焼させたし、あろうことが多数の地主が行方不明者になっている。
こんな災害のさなかに、被災者達が撮影した生々しいが不思議な映像が、「悪い噂」の根源になっているのである。

もしも万が一、悪い噂が本当だとしたら、やっぱりどうやってハワイ王国が滅亡して、アメリカに奪われたのか?をもう一度見直す価値がある。

なんだか、「似ている」からだ。

民主党を熱烈支持した島民たちは、それでもまだ民主党を熱烈支持するのか?

ちなみに、日系人がつくった寺院も燃えてしまったが、「ご本尊」は間一髪で難を逃れたという。

ポピュリズムのポーランド

今日は、いわゆる「終戦記念日」である。

「いわゆる」というのは、停戦の日で、『ポツダム宣言』の受諾を表明した日だからだ。
「降伏文書」に調印して、法的に終結したのは、9月2日のことだった。

日本のメディアが伝えない世界の出来事で、おそろしく重要なのは、ヨーロッパの戦争(いまのところ「ウクライナ戦争」)が、ポーランド(=NATO)の参戦で大陸全土に拡大しそうな気配がプンプンすることである。

ロシアは、すでにポーランドに35万のNATO軍が集結・配備されていると確認したと発表している。

にわかに慌ただしくなってきたのは、ウクライナの敗北が濃厚だからだ。

ニューヨークタイムズと共に、左派紙の双璧といえばワシントンポストだ。
そのワシントンポストが、ポーランド大統領への直接インタビュー記事を10日に掲載した。
内容があまりにもあんまりなので書いておく。

第一に、大統領はウクライナの劣勢を認め、これを前提に話を展開しているのである。
おそらく、ロシア軍の夏の攻勢が功を奏しているのだろう。
なんだか、南ベトナムの劣勢と似ている。

ただし、この記事の前提もしっておかないと勘違いするかもしれない。
ポーランドは、この秋に国会選挙が予定されていて、現大統領の与党が苦戦しそうな気配なのである。

ちなみに、現与党はこれまで、「右派(政権)」と評価されているけれど、ワシントンポストは、「ポピュリズム」だと断じている。
一方で、その「右派」を追いつめているのが、例によっての「極右政党」(ナショナリスト)の躍進なのだ。

つまり、いまのポーランド大統領・政権は、大衆受けする選挙対策を打たないといけない、という切羽詰まった状況がある。
そのための「戦争」というのは、過去を振り返れば、「セオリー」だといえる。

そして、この大統領は、ワシントンポストのインタビューで、いまウクライナを徹底的に支援すれば、「ロシア帝国主義」を安いコストで止めることができるけど、そうでなければ高い代償を支払うことになる、と「損得勘定」を述べていることに注目したい。

なんだか、『吉田ドクトリン』なる後付けで、アメリカ軍に守ってもらえば、国防コストが安くつく、という「戦後のわが国固有の論理」と結びつくのである。

ここで、わが国の事情というよりもアメリカの軍産複合体が仕込んでいる技術をいうと、あたかも、わが国を代表する建機メーカー「コマツ」の上をいくのが、アメリカ製の武器群なのである。

「コマツの建機」には、すべて衛星通信システムが搭載されていて、エンジン始動やらなにやらのデータがすべて本社に送信される体系を構築した。
どんな僻地でも、故障する「前に」メンテ部隊がやってきて、修理してしまうのはこのためで、エリアごとの機械稼働率から、ご当地の建設需要を把握して、それがまた自社の生産計画にまで反映させている。

これを悪用したのがアメリカの軍産複合体だ。

アメリカ(政府やDS)に従わなかったら、購入した何兆円分ものアメリカ製武器やら戦闘機やらイージス艦が、「稼働しなくなる」のである。

このことが、アメリカ製の兵器を外国に販売する条件だから、自動的に「同盟国」にしか売らないのだけれども、それはまた一方で、脅迫システムのうちに成り立っている「同盟」なのである。

これゆえに、よしんば政権交替があって、何党が政権をになっても、ビクともしない日米同盟の基礎をなしているので、もはや対等の同盟ではなく、たんなる「隷属」関係にすぎない。

「敗戦」は、継続しているのだ。

さらに、ポーランド大統領がいう、「損得勘定」とは、価値形成の最低レベルなのだと、博学の伊藤貫氏が指摘している。

最上位は、哲学や宗教的な価値観による判断。
二番目は、学術的な見解による判断。
最低なのが、目先の損得勘定。

この意味で、わが国の「戦後史」とは、目先の損得勘定でしか価値判断をしてこなかったことがわかるし、その「末路としての現在」があるのである。

まことに示唆に富む発言を、ポーランドのポピュリストが身を以て教えてくれたことに、感謝しないといけないところだが、政権維持のためにポーランド(=NATO)が参戦したら、集団的自衛権を旨とするNATOの条約規定によって、ヨーロッパは全面戦争に突入することとなる。

もちろん、これを後から操っているのが、民主党・バイデン政権だ。
実務を取り仕切るのは、ウクライナ系で悪名高き「戦争屋」のビクトリア・ヌーランドで、いつのまに(7月25日発表)か、国務次官(筆頭:政治担当)から、「国務副長官代行」に昇格していた。

ポーランド大統領がいう、ウクライナとの共同作戦とは、実質、西ウクライナのポーランド併合案なのである。
第一次大戦で独立を果たしたポーランドは、さっそくに西ウクライナを攻めて併合した歴史がある。

その後の第二次大戦で、ナチス・ドイツにポーランドが飲み込まれたから、西ウクライナもドイツ領になったので、大戦末期にナチス本部がここに「疎開」して終戦となったのである。
そのナチスの正統な後継者が、ゼレンスキー政権なのである。

ウクライナ国内の言語構成地域が、西と東で二分されているのは、東のロシア語との境界があるからだ。

そんなわけで、ポーランド人は、西ウクライナの併合が大衆受けするのだ、と与党がかんがえていることの表明なのである。
ただし、これは、「第一次大戦2.0」となる最悪のシナリオだから、目先の選挙対策としてあってはならない、大きな賭に出たともいえる。

これを見越して、ロシア側はプーチン氏の子分、メドベージェフ氏(元大統領)が、ポーランドへウクライナ分割案を提案している。
戦争なんかやめて、さっさと分けちまおう、というのは、ポーラン人へのカウンターパンチになるのか?

こうやって、わが国も分割されるかもしれない、とおもえば、他人事でもなんでもなく、それが国際政治というもので、原因をつくるのはいつでもどこでも、欲に目がくらんだ、DS:軍産複合体のワンパターンなのである。

あたらしい「通貨バスケット」の話

何度か書いてきた、「BRICs共通通貨」についての予感の話である。

22日に発表されるというから、「お盆休み明け」の最大の話題になると思われる。
あるいは、ずっこけてしまうのか?はわからない。

巷間いわれているのは、「金本位制の復活」である。
わたしは前に、「石油本位制」ではないか?と予測した。

なにせできるのは「新通貨」であり、国際基軸通貨としてアメリカ・ドルに対峙すると意気込んでいるシロモノだ。

そのバック・グランド、すなわち価値の裏付けはなにか?をかんがえることは、地球規模(グローバル)での経済をかんがえることと同義となる。
もちろん、そのまた前提にあるのは、通貨とはなにか?になるのだ。

印刷物としての1万円札は、いったいいくらの価値なのか?
紙とインクと印刷技術でできている、一枚の価値をかんがえてもせんないから、誰もなにもかんがえないでつかっている。

「一万円」と書いてあるから、1万円なのだ、と。

たしかに、世の中のひとが全員、1万円だとして疑わなければ、1万円の価値があることになる。
木の葉でも1万円なのだ、と全員が同意すれば、1万円になる。
けれども、その辺に落ちている木の葉を拾っただけで1万円になるのは変だから、木の葉はゴミ扱いされている。

道路でも掃き掃除をすればわかるけど、入手するのが簡単で、無限にたくさんあるから価値がない。

それで、日本政府は、日本銀行が発行している1万円札しか、通貨として認めない、と決めた(「法定通貨」という)ので、やっぱり木の葉を通貨として欲しがるひとはいないのである。

ならば、日本銀行券の1万円札の価値の裏付けはなんだ?
日銀は、HPで説明を試みている。
ちょっと、「都市伝説」っぽいのである。

「円」だけをみたら、不換紙幣である。
とはいえ、円は各国通貨と自由に交換ができる。
なかでも、アメリカ・ドルは、1974年に「ペトロ・ダラー」として、「石油本位制」((ワシントン・リヤド密約))となった。

この密約の影響は多大で、100歳をこえてもなお世界に影響力を保持している、キッシンジャー(当時はフォード政権の国務長官)の最高傑作なのである。

中東の石油を買うなら、アメリカ・ドルだけで支払うことになったのである。
逆に、産油国は、アメリカ・ドルしか受け付けてくれない。

なので、わが国も、日本円をアメリカ・ドルに交換して石油を買っているから、円の裏付けはアメリカ・ドルとの交換レートで決まることになった。

そして、こうした交換レートは、一国経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)で決まるのである。
ここが肝要なところで、EUの統一通貨「ユーロ」の価値を保持するために、ECB(ヨーロッパ中央銀行)は、絶大な権力をふるって、加盟各国の経済政策をも支配している。

単にBRICsといっても、とっくに「機構」になっていることを忘れてはならない。
ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国だけではないのだ。
すでに22カ国が機構への加盟申請をしていて、さらに同数の国々が参加への興味を示していると発表されている。

つまり、「第二国連」化しているといえるし、従来の西側先進国が少数派になりつつあるのである。

さいきんの最も重要なことは、中東産油国が、ペトロ・ダラー制を破棄したことである。

簡単にいえば、邪悪なバイデン政権のアメリカが忌避されているのである。
別のいい方をすれば、アメリカを破壊したい民主党の思惑通り、アメリカが中東へのプレゼンスを落とすように自爆(嫌われる努力)しているともいえる。

民主党の理想は、世界を貧困化させて、世界経済フォーラムがいう、共産化の達成なのである。

ややこしいのが、共産中国がこれに対抗していることだ。
毛沢東を尊敬してやまない、習近平は、あろうことかナショナリスト(中国第一主義)なのだ。

現代の冷戦は、かつてのそれと価値観がひっくり返って、共産化したい西側と、ナショナリズムのBRICsという構図になっている。
ただし、不正選挙で政権を奪回したルラのブラジルはバイデン民主党との親和性があるから、BRICs側も「鉄の結束」をしているわけではない。

ロシア嫌いのマスコミが中国を持ち上げるから、話が見えなくなるけれど、圧倒的な資源を保有しているのは、ロシアである。
もはや、石油も天然ガスも、ロシアが世界シェアを占めている。
「脱炭素」なるプロパガンダも、ロシア弱体化のための方便にすぎない。

それに、現代文明は、プラスチック(樹脂)からできている。

燃やすだけが石油資源の利用価値ではなく、むしろ、あらゆる資材のもとになるプラスチック(当然に炭素からなる)がないと文明生活が成立しないのだ。
ゆえに、「脱炭素」を他人に強制しようとするひとは、まず自分が文明生活を放棄してから主張すべきだ。

加えて、BRICsに加盟申請しているような、さらなる新興国は、たいがいが人口増加国なのである。

前に書いた、「α世代」の25億人を多数抱えるのは、わが国を含めた西側先進国よりもこちらの勢力になる。
そこでポイントになってくる、新通貨を裏付ける価値あるものとは、「仮想通貨」があげられる。
これらは、ブロックチェーン技術をつかうものだから匿名性が確保されるので、デジタル・人民元とも異なる。

戦略に長けた、プーチン氏とそのスタッフは、愚かな民主党バイデンの敵ではない。

あっと驚く、「通貨の裏打ちバスケット」を提示したら、世界の巨大な歯車が大逆転の方向へゆっくりとだが確実に動き出すだろう。

来週に迫った、22日は、歴史の転換点を目撃することになるのか?注目なのだ。

アマゾン・プライム料金の値上げ

10日、アマゾン・プライム料金の値上げがニュースになって配信された後に、アマゾンから「【重要】プライム会費変更のお知らせ」が届いた。

内容は、今月24日より、年間プランなら4,900円(税込)だったものが、5,900円(税込)になるという、「通知」である。

理由説明は特にない。

ただし、「今後も、今まで以上に会員特典をお楽しみいただけるよう、サービスの拡大を目指してまいります」とある。
なので、どんなサービスの拡大があるのかもわからない。

この20.4%に当たる「値上げ」に、契約者は抵抗できない。

今回は、こうした支払い負担の仕組みについて書いてみようとおもう。

デジタル・ツールのうち、個人が所有する、「ガジェット」(ちょっとした小物)に、通信機能が付加されて生活が一変した。
いまでは、その典型は、スマートフォンであり、タブレット端末であろう。
いまだに「PC」は、ノートブック型であれ、「ガジェット」扱いにはなっていない。

ポケットに入るスマートフォンを、わざわざコンピューターであると言わなくなったのは、その遣い勝手がおよそコンピューター的ではないと思い込まされているから、とも言える。
まぁ、「電子機器」であるとの認識は共通であろうが。

前にも書いたが、通信革命によって、日常生活における、「通信費」の位置付けも大変化した。

わが国でいえば、飛脚制度から郵便制度ができたときの変化が、第一次通信革命といえただろう。
「切手」を購入して、これを貼り、消印を押すことで消費が確定した。
宛先は、全国どころか、全世界になったのである。

だから、郵便物がちゃんと届くエリアを、文明国と呼んで差し支えなかった。
郵便が届かないなら、そこは未開地だという意味だったのである。

それから、電信が発明されて、電話ができた。

FAXの発明から、パソコン通信を経て、電子メールの普及が電子取引となった。
そのやりとりが、個人のガジェットで可能になったのが、現在なのである。

通信費が限りなくゼロになった、というのは、発信者と受信者間でみれば違いないけど、そのためのインフラ負担がある。
それが端末購入費となっているし、課金制度もしかりなのである。

わが家では、電話加入権を買って、黒電話が設置されたのが、昭和40年(1965年)ごろだった。
昭和の終わり頃、1988年に建て替えをするまで、この黒電話は現役だった。
つまり、この黒電話の端末負担料は、限りなくゼロであったのだ。

しかし、いまでは、スマートフォンの寿命は、2年から6年までしか、保証されていない。
それも、メーカーとしてではなくて、OSの都合で決まるということになっている。

この意味で、生まれながらにしてスマートフォンが普及している「α世代」とは、過去にないほどの通信費負担をなかば強制されているのである。

1台5万円のスマホを、小学生(たとえば5年生として10歳)から使うなら、端末利用する限界を80歳として、70年間お世話になる。
これが2年ごとに買い替える必要になるとすれば、35台を消費する。
単純に端末購入費だけで、175万円の出費が予定されるのである。

もちろん、これに通信量が加算されるし、各種アプリのためのサブスクリプション負担もある。

そうすると、アマゾン・プライムというサービスも、サブスクリプションの一部なのだといえるし、リアル店舗の「コストコ」の年会費も同様だ。
さしものα世代も、独立した消費者になるのは20歳からだとして、上と同様に計算すれば、5,900✖️60年=354,000円となる。

端末代とアマゾン・プライムだけで、200万円をこえる負担が、生涯で確定しているのだ。
何度もしつこくて恐縮だが、通信料金とその他のサブスクリプションなどの加算分は別料金だ。

現代日本の、フルタイム・パートタイマー(この言い方も妙だが)の企業負担人件費としたときの平均は、ざっと250万円である。
雇用者と被雇用者の目線の違いから、どういうわけか税金やら配偶者控除が目立った議論になって、あたかも「103万円の壁」をいって、少ない年収の方が「得」だという意味不明がまかり通っている。

しかし、よくよく見たら、パート年収の1年分を基礎的通信費として、薄く生涯負担させられているのである。

アマゾン・プライムのはじめのサービスは、新刊図書を購入したときの送料が無料になる、だけ、であった。
わたしの個人的な要望は、これだけで十分だから、安くしろ、といいたい。

あたかも、日本の電機メーカーが、「多機能化」をもって、余計なお世話の「高単価」路線で失敗したように、アマゾンが同様な失敗をするものか?をかんがえると、ずっとアマゾンに優位性がある。

これが、「寡占化したサービス」の強さというものだ。

大企業を制御するために強力なはずの「独占禁止法」が、効かない分野が登場していることはしっていていい。

再生可能エネルギー普及拡大議員連盟?

自民党内にある、「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟(略して「再エネ議連)」の、完全なる利権確保の動きが、秋本真利議員の捜査から見えてきた。

自民党の腐敗の一つの極致がこの「議連」なのである。

かつて英国の歴史家、ジョン・アクトン卿は次の有名な言葉を残した。
権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。

1955年の「保守合同」以来、1993年の細川護煕の誕生をもって、「55年体制の崩壊」と早合点したひとたちがいた。

たしかに、自民党の悪政が混沌の状況を作ってしまったのが原因なのだけれども、まったく準備不足の細川政権は自壊し、羽田孜にバトンタッチしてはみたけど、「少数」与党のために、どうにもならなかった。

それから、2009年の民主党政権ができたが、3年余りで崩壊したのは記憶にあたらしい。

しかし、民主党のダメダメも、なんだか細川・羽田のときとおなじで、政権を担うとはどんなことなのか?の具体的準備が決定的に欠如していたかと思う。

これは、わが国の「経営」にあたって、重大な設計ミスがあるからだけど、左派にならって諸悪の根源を求めだすと、縄文時代や明治政府に突き当たることとなる。

日本人の幸福は、ヨーロッパ社会のような、つまりアクトン卿がいうようなどうしようもないひとたちが権力を得るようなこととは、一味も二味もちがう文明圏に住んでたことによる。

人類アフリカ起源説に合致しないのが、日本起源説である。

島嶼からなるわが国から、多数の旧石器時代の遺物が発掘されている事実がある。
これで、人類アフリカ起源説との、時間的整合性がとれなくなる。
アフリカ大陸から脱出して、ユーラシア大陸を東に移動し、ついには日本にたどり着くまでの時間・距離を考慮すると、日本で発見される遺物との時代説明がつかないのである。

ジャワ原人が発見されたことを併せて考慮すれば、日本原人がいた可能性を全否定できない。
それから、縄文時代に突入したとかんがえる方が、よほど合理的なのである。
そして、縄文人の歯髄から得られたDNAを分析したら、「誰なのか?」の謎がかえって深まってしまった。

中国大陸のひとたちと、合致しないのである。
西から日本にやってきた、という前提が疑われる。

さらに、縄文時代の遺跡が多数発掘されているなかで、世界の研究者たちが気づいて驚いているのが、「戦闘兵器」が一つも発見されない、という事実がある。

狩猟採取のための道具は見つかっているが、戦争のための道具や、戦闘の跡を示す人骨の破壊痕も一切見つからない。
そのかわり、勾玉や、その原材料になった黒曜石やメノウなどが、採掘地から広く遠方まで交易されていたことが確認されている。

そして、突如、大和朝廷の時代がやってきて、「日本史」がはじまり、明治を迎えたのである。

文化的にどう考えても先進国だったわが国であったけど、科学技術の一点で欧米の引けをとった。
ために、この一点を克服するのに、「実学」だけに集中したのである。

いわゆる、四書五経の朱子学も、和歌も見捨てて、ひたすら科学技術を優先し、これを支える法と社会制度の輸入に専念した。

それで採用した政体が、開発独裁政府としての明治政府だったのである。

政党政治も輸入したけど、政党の成立条件たる、傘下におくべき「シンクタンク(政策立案・提言)機能」を速成のため政府官僚に兼務させる「手抜き」をやった。
ところが、これが皮肉にも、効率的だったのである。

ヨーロッパ列強は、王侯貴族政治の時代だった。
なので、国家の意思決定には、「家産官僚」たる貴族が就任した。
わが明治政府は、実学だけの大学を設けて、その卒業生をもって、「依法官僚」とした。

家産官僚とは、王家や貴族の私財管理を旨とする者で、依法官僚とは行政法に基づく者である。

「手抜き」だったので、官僚の行動範囲を規定するはずの、行政法を官僚が企画・立案することになって、せっかくの議会・議員が役目を失ったのだ。

つまり、官僚の好き勝手ができた。

ドイツが親衛隊(SS)に乗っ取られたように、わが国は、官僚に乗っ取られたのである。
なお、悪の根源とされる「軍部」とは、尉官以上の将校つまり、軍事官僚が仕切る世界を指す。

それでもって、わが国官僚制の最大の強みとは、「分散型」であることだ。
「組織上のヘッドが存在しない」で、各自が独立して自己権益の確保を図るのである。

あたかも、イワシの集団が、鯨のような巨大な魚影を作って、襲撃する敵を威嚇するようなものだ。

この場合、一匹のイワシは個体としての生命というよりも、まるで「細胞」のように振る舞う。
官僚の行動が、どの役所(省庁)に配属されようが「ワンパターン」なのは、このためだ。

このことが、日本を堕落させ自己崩壊まで突っ走って止まない官僚制の正体なのである。
ヘッド(責任者)がいないから、どうにも止まらない、のだ。

そんなわけで、自民党内最大の議連になった再エネ議連(議員の3分の1が参加する)は、官僚出身の議員が増えるほど、イワシのような擬態でもって、個別の役人を支配して、利権を貪るのである。

もちろん、官僚には見返りに、「退官後」が保証される。

これぞ、国民不在の、国家の中の国家がやっていることで、すでに自己免疫疾患に国家をあげて罹患すしてしまった。

中枢が腐るとは、そういうことなのである。