監獄の「15分都市」

「都市計画」をどうする?には、ヨーロッパが先進的だという常識がある。

街の中心には広場があって、そのまた中心に教会をおいた。
それで、その広場には「市」(たとえば、フランス語で「マルシェ:marché」、ドイツ語で「マルクト:Märkte」、英語で「マーケット:market」)が立って、拝礼に来たひとたちの「お買い物」の便とした。

この「ワンパターン」が、ヨーロッパの「旧市街」規格だったから、日本人にはいかにもキレイにみえるけど、当のヨーロッパ人たちには、どこに行っても見なれた金太郎飴のようでおもしろくない。

それで、バラバラで一見秩序がない日本の城下町が、ヨーロッパ人の「通たち」によろこばれることを、こんどは、日本人がしらない。
東京だって、巨大な城下町なのだ。

中世ヨーロッパという、「暗黒時代」の大事件は、なんといっても、波状的なペストの流行だった。
それでもって、全人口の3分の1が失われたから、めったに疫病が流行らなかった日本人には想像もつかない、街全体、村全体での「絶滅」がふつうにあった。

わずかに生き残ったひとたちが、フラフラとあてもなく歩いていくと、突如、誰もいない絶滅したばかりの村や街があらわれた。
なので、「居抜き」で気に入った家に住み始めて、「我が物」としても、とがめるひとすら誰もいなかった。

これが、ヨーロッパ全土で主に14世紀に何度も起きたのである。
そして宗教も無力となって、崩壊した道徳がヨーロッパ人の「しめしめ」と「嫉妬」になって、精神の根幹に定着した。

少数の生き残りでいた街や村の先住民のひとたちは、あらたにやって来たひとたちに襲われて、街や村の「記憶を消した」から、こうしたひとたちが、あたかも先住民であるように振る舞うために、どこかの前例を真似て、それをその街や村の「伝統」に据えることをして、これが「金太郎飴」の街づくり(都市計画)になったという「説」がある。

げにすさまじい、決してファンタジーではない、現実の「暗黒の世」なのである。

同時期、日本では鎌倉から室町時代のはじめにあたり、特にヨーロッパでの記録的ペスト大流行の時期(1347年~1353年)は、「南北朝時代」にあたる。
彼の地の大混乱に比べたら、なんともまったりとした時代ではある。

そんなわけで、ヨーロッパ人の頭には、「人口減少」と「都市計画」は、セットなのだ。

一応、「15分都市構想」は、フランス人の学者が提唱したことになっている。
日本だと、「コンパクト・シティー」といって、なんだかんだと、地方自治体で熱心な地域がある。

それで、山間の僻地に住んでいるひとたちが、みんな高齢化したのをいいことに、「通院の便」とか、公共施設、たとえば、電線や水道管の設置とメンテナンスの非効率を理由にして、街の中心部への強制移住をさせていて、これを拒む老人を「悪意のある老害」として扱っている。

ならば、どうしてこのひとたちが、何代もこの僻地に住まわっていたかを問えば、ときの「お上」に、開墾せよとかといわれたひとたちの末裔だったりするから、はなしがややこしくなるのである。

さすれば、当時は、さても「英雄的開墾事業者」として、ヨイショされたはずだから、まったくもって「南米移民」とおなじく、お上の本音は「棄民」だったのではないか?

それでもって、こんどは、「孤独死」を放置していたと世間体が悪くなるのをおそれただけで、強制することの自己都合(じつは無責任のアリバイ)が、あたかも正義になっているのである。

どこに住もうが勝手でしょ?という、ご老体の覚悟の方が、よほど神々しい。

さてそれで、閉幕した世界経済フォーラムでの「課題」に、「15分都市」があったことで、より一層、この構想の「悪意」を読みとらないといけなくなった。
とにかく、この団体は、その邪悪な本性を隠すこともない、人類の敵なのだ。

ついでに書けば、スイスの片田舎の「ダボス」は、会議開催期間(5日間)に、とんでもない経済効果を地元にもたらして、ただでさえ「がめつい」スイス人を、完全に懐柔している。

スキー場の保養地であるとはいえ、参加者を収容する宿泊施設が足らないから、一気に価格高騰がふつうになって、一軒のホテルを貸し切るのにも、数十億円レベルのおカネが落ちるし、個人宅すら間貸しの対象で、たった5日で、まともに働くことがバカバカしいほどのカネが入る。

これは、「原発村」を懐柔して、住民を腑抜けにしたやり方とおなじなのだ。

前に、田原総一郎の生涯で唯一の傑作、『原子力戦争』について書いた。

 

本来であれば、人類奴隷化を目論む、この会議(平家物語なら「鹿ヶ谷の陰謀」)の参加者を、一網打尽に捕縛するべきところが、スイス軍の務めというものではないのか?

しかし、ヨーロッパ人からの嫌われ者、スイス人にはそんな気概はとっくにない。

15分都市の構造的問題は、街の入口にあたる道路に設置されるべきとする、「自動検問」の悪意がある。

住民の電子デバイスやら、自動車などの移動手段に位置情報装置の設置を義務づけて、その行動を監視するのである。
そうやって、街からよそへ移動する自由を奪うことで、住民間の分断をはかるのが主目的だ。

これで、住民を完全コントロール下におけるからだ。

なんだか、『進撃の巨人』の「壁構造」なのである。
この街は、実質的な監獄で、移動できないひとびとを、何世代も閉じ込めたら、世界は15分都市だけしかないと、長老すら認識するようになる、というわけである。

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