生物学的「学習」をさせない

大学での授業のいくつかの場面を、いまでも鮮明に覚えている。
張り切っていろんな科目の履修届を出していたら、気がつけば3年で卒業単位を満たすことになって、慌てていくつかの試験を受けずにわざと落として、「無事」4年に進級した。

ある日、学務課に呼び出されて、「このままだと卒業しちゃう」といわれ、危うく就職浪人になるところを回避したのだった。
もちろん、一切の就職活動をしていなかったからで、自分の取得単位数ぐらい、自分で管理しろ、と学務課長に呆れられた。

そんな暢気な学生だったわたしでも、なんだか記憶に残った授業のひとつに、発達心理学があった。
まだ少し珍しかった、女性助教授が担当していて、毎回熱のこもった授業であった。

ここで気になったのは、「学習」ということの本質を教わったことである。

人間だけでなく、昆虫だって「学習」するし、コロナ・パンデミックにおいては、ウィルスでさえ、生存と繁栄のために変異するのも、ひとつの「学習」であろう。

いまは絶版して復刻もあるらしいが、小学生だったころ、学研の『科学』と『学習』を学校で斡旋していて、生徒の誰かの家が配本業務を引き受けて、それを毎月とりに行ったものだった。
担任の先生の「お薦め」は、『科学』で、各科目のドリルがついていた、『学習』は、先生のいう通り、わたしの親は購入対象にしなかった。

『科学』は、毎号の「付録」の方が厚みがあって、本誌を読むより付録にある模型などの組立に集中したものだった。

夕方の確か5時半頃からの、教育テレビ、『みんなの科学』(1965年から1980年まで)は、毎回とはいわないが、それなりにチェックしていて、一度だけ、自噴する噴水の模型の作り方がわからなくて、NHKに手紙を書いたら、丁寧に手書きの解説付き設計図を送りかえしてくれた。

建物はいまでもある、『神奈川県立青少年センター』の2階は、かつて、いまでいう科学館になっていて、さまざまな実験や、体験が無料で楽しめたし、最上階には一回50円のプラネタリウムもあったから、毎月通ったものだった。

アルバイトで小遣いを稼いで、渋谷の『五島プラネタリウム』を観に行ったら、50円どころか封切り映画並みだったので、以来、一度もいかずに閉館・解体された。

博物館巡り旅行として、名古屋に行ったときは、『名古屋市科学館』の最新プラネタリウムを観て、その進化に驚いたけど、「科学館」としての展示では、あんがいとかつての「青少年センター」とのちがいや進化を感じなかった。
むしろ、青少年センターの「レトロさ」が妙に懐かしく思い出された。

基礎や原理はおなじ、ということだろう。

これらは、総じて「実物なりを観る」体験を中心にしていてけれど、一部に「触る体験」とか、身体のバランスを計測する機械もあったから、何度行っても飽きなかった。
いわば、無料のゲームセンターのようなものだったのである。
その割には、いつもすいていて、順番待ちは滅多になかった。

狭いとか、近隣に匂いがいくとかで、当初「閉園」が決まっていた、「野毛山動物園」は、横浜市の中心部にある、都市型動物園として継続希望があいついで、いまでもある。
わたしが幼稚園児のころに、確か入園無料になって、ずっとしばらく、チケット売り場が残っていた。

象とシロクマはいなくなってしまったけれど、齧歯類のウサギやモルモット、それにハツカネズミを好きなだけ「触れる」コーナーができた。
これは、十分に珍しいことで、「視覚」と「聴覚」ばかりから、「触覚」を使わせるのは、なかなかに傑作のアイデアである。

母親が発する、「汚いから触っちゃダメ」が常識になってしまったのは、女子教育が廃れたからだろう。
「ジェンダー平等」という美辞麗句にある、「家庭破壊=文明破壊」の悪魔的設計がここにある。

いまどき、「良妻賢母」とか、「孟母三遷」とかと公衆の面前でいったら、どんな批判を喰らうかわからない。

それでいて、父の死よりも母の死が重いのは、人間の中にある、生物的であって高等な感情がそうさせる。
しかして、母の胎内では、子供はあくまでも「異物」なのではあるけれど。
それが「つわり」となって、身体の異変をしらせる生理になっている。

とはいえ、この世の全ての人間は、母から生まれるという自然があった。

それがまた、量子論によって、胎内で発生するどこかのタイミングで、宇宙から「意識」が入り込む、という仮説にまでたどり着いた。
さらに、出産で空気に触れても大丈夫なのは、しっかり免疫を保持しているからである。

そうやって、人間の子供は、五感をつかって、あるいは第六感まで駆使して成長する。
この感覚器官から繰り返し得る情報で、「学習」しているのである。
もちろん、この「学習」のなかに、「母語」もある。

音を聞いて理解するのは、驚くほど早いけど、これを自分から発音できないために、この過程の記憶を失ったおとなは、しつこいばかりに話しかけて、じつは本人に「定着」させている。

天井から吊されてグルグル廻る「メリー」を観ているわたしに、毎度「今日はご機嫌だ」とか、おとなが話しているのをなんだか記憶している。

この意味で、共感したのは、中勘助の小説『銀の匙』だった。
驚くほど他愛のない話が、延々と続くけど、それはメリーを観ながらおとなの会話を聞いている、わたしの目線とおなじなのである。

五感をつかって、学習させることを奨励するひとが少ないのは、無責任社会の証なのである。

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