ミレイ語録

他人の金で気前よく振る舞うのは簡単だ。

官(政府)であろうが民間企業であろうがを問わず、事務職員の共通感覚をみごとに表す名言である。

それでも、自らあたらしい価値を創造せずに、とにかく他人から集めたカネを「使うしか能がない」のが政府である。
よって、政府の使うカネに依存することに社会発展のタネはない。

しかしながら、カネの使い途にほんとうは困っている政府事務官たちは、「官民学の連携」とかという綺麗事での大盤振る舞いがもっとも都合がいいとしっている。
そこにあるカネだけでなく、未来の自分の懐にはいるカネも確保できるので、二度も三度も旨味があるからである。

世界は、日本人の独自味覚だった「うまみ」をあてる単語がないので、そのまま「UMAMI」としたけれど、役人が得る「役得のうまみ」は、世界共通なのである。
けれども、日本語でいう「役得のうまみ」には、味覚のうまみの意味がしっかりあるために、より一層「おいしそう」にみえるのである。

バブル期に流行った「おいしい(仕事)」とかという下賎な表現が、テレビをつうじて一般語になったけれども、これで日本人全体が「卑しくなった」ことは否定できない。
それゆえに、むかしは美徳だった、武士は食わねど高楊枝、も、浪人に落ちた武家やら、貧乏御家人をバカにする薄っぺらな意味に転化した。

こうしたはなしからもみえてくるのは、外国人がいう言葉の意味には、外国の歴史があっての厚みが含まれている当然である。
だから、日本語になったときの意味には、突然に日本の歴史的な厚みが含まれることになる。

グローバル時代のいま、この重要なことをわすれて、文字どおりに受けとめるのは、そのまま早合点のおっちょこちょいになるのである。

ミレイ氏はスペイン語話者なので、かならずスペインの歴史とともに、南米の歴史が含まれている、とかんがえないといけない。

この意味で、『ドン・キホーテ』は、すごい作品なのだ。

なにせ、この「ラ・マンチャの男」は、すでにアラブが支配したスペインを生きているのだ。

あの名曲、『アルハンブラの思い出』も、アラビア語の定冠詞「アル」(英語でいう「The」)に、「赤い」という意味のアラビア語「ハンブラ」が連結した、「The Red」という異名がついた宮殿の音楽的表現である。

そんなスペインが、いま、再びイスラム教徒の大量流入に揺れている。

これを、遠くアルゼンチンでどのようにみているのか?

ミレイ政権の自由主義は、本国スペインの主義とは真逆だから、ついにはどのような「語録」となるのか?が気になるのである。

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