寒川町の「健康都市宣言」を嗤う

古すぎていつ創建されたのかよくわからない、「寒川神社」が鎮座する、神奈川県の中央部にあるのが寒川町である。

「平成の大合併」なる愚策は、社会保障費負担を大きな地域で「薄く広く」に変換しようという、算数もできないひとたちがいいだしたか、愚民をごまかすための発明だったかは別にしても、合併しようがしまいが、社会保障費負担はおなじ比率でやってくる。

だから、合併して面積を大きくするムダ仕事に邁進するか、拒否するか?の二択が選択肢になったので、全国から「村」や「町」が、「市」に組み込まれて、「村史」が埋没することになったのである。

わたしは、郷土破壊という、文化革命が「平成の大合併」の正体だとかんがえている。

これは、はるか以前の美濃部都政の時期にあった、「郵便番号」のはじまりにかこつけて、江戸から続く町名を廃統合した、文化革命とよく似ている。
3ケタからいまの7ケタに郵便番号が変更されたときに、元に戻す努力を怠ったので、とうとう江戸の古地図が頭に残るひとが絶滅して、同時に「江戸っ子」が消えたのである。

横浜に住んでいると、基本的に相模川を越えて西側にいく用事はほとんどないのだが、たまたまわが夫婦の趣味に、クレー射撃があるので、あんがいとこの趣味をもってから相模川を越える機会がふつうになった。

それで、「寒川町」を通過する機会もふつうになったのである。

寒川の町域にはいると、すぐに「健康都市宣言」という、大きな看板があって、「核兵器廃絶宣言都市」よりはマシだけど、これはこれで、川端康成の『伊豆の踊子』にある、「物乞い旅芸人村に入るべからず」という看板の伝統が変化したものなのだろう。

だれからも「反対」や「反論」できない、きれい事を看板に書くのはそれが、イデオロギーの表現だからで、「健康」を政治にするのは、きわめて「質が悪い」ことなのである。
たとえば、ナチスは全面的に、「国民の健康」についての政策を実施して、それが被弾圧者を犠牲にした人体実験までになったのだった。

もちろん、こんなこともしらいない寒川の町長や町会議員らは、じぶんたちが「健康」をイデオロギーにしていることすら自覚がないだろうから、あんがいと無邪気で自慢しているのかもしれないし、愚民と化した町民も、とくだんなにもかんがえていないから、こんな看板が何年もずっと設置してあるのだろう。

正直いって、わたしはこの看板をみると気持ち悪くなる。

だから、なるべく寒川町の町域に行きたくないのだが、相模川を渡る橋がないので仕方がないのである。

横浜市には、「横浜ウォーク」なるシステムがあって、市が作らせた特製万歩計を用いて、市内にあるタッチパッドに数秒さらせば、登録者の歩行距離が記録されて、一定レベルに達すると、横浜市からご褒美がもらえるようになっている。

どんなものかと申し込んだが、個人情報が自治体に管理されることの気持ち悪さは、たしかに寒川の看板の比ではないが、町としてきっとなんらかの施策をやっているはずだから、住みたくない町のランキングとしてわたしにはかなり上位ある。

この「偽善的施策」が、わたしにはあわないのだけれど、便利で地元行政が自分の健康まで気遣ってくれることに、かつてのナチス党員のごとく「感謝する」ひともおおいのだろう。
なのでやめなし、やめるとあたかも「寒川町らしさ」がなくなるとおもうひとがたくさんになっているのだろう。

げにおそろしき、なのである。

とはいえ、ロードサイドには、あんがいと「ラーメン屋」が目立つのである。
そのうち。「健康」を謳うラーメン屋に補助金がでるようになったら、いよいよナチス化が本格的になった証拠であるから、たまに寒川町域に入って確認したいと、野次馬根性がムラムラと目を覚ますのである。

もちろん、そんな「町」の補助金の出所は、神奈川県であるし、厚生労働省なのだ。

前にも書いた、「健康日本21」がそれで、もう「第二次」となっている。

ナンのことはない、寒川町がナチス化しているのではなくて、わが国が確実にナチス化しているのである。

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