「戦後史」はいつ書き換わるのか?

戦後生まれは当然として、もう90歳代に突入した「戦中(生まれ)派」も、物心がついたときには、とっぷりと「戦後教育」を受けている。

昭和20年9月以降の小学生はもとより、「新学制」がはじまった昭和22年の新学期からは、完全に「戦後教育」に移行した。
だから、昭和15年生まれだけでなく、昭和フタケタ生まれならば、自分が「戦後教育」を受けていることもわからなかったろう。

なので、現在、この世に生きている日本人は、ほぼ全員が戦後教育の洗脳をされているとかんがえて差し支えない。

明治の教育も、かなりの変遷を経ている。

しかし、明治の教育の変遷とは、初等教育における変遷がドラスティックなのではなく、学制における頂点の大学教育が主にドラスティックに変わったのである。

幕府が定めた、「昌平坂学問所」の土地を引き継いだのは、今の、「東京医科歯科大学」だけど、一般には、「東京大学」へとつながっているというのが定説である。
それで、「官立東京大学」は、1877年(明治10年)に設立された。

しかしながら、まだ「東京」ともいわれていなかった、1858年(安政4年)に福沢諭吉は江戸に慶應義塾を設立していて、その主たる教育方針が、「実学」であったことを特徴とする。

「近代化」という最高水準の要請は、1839年から42年までの、「アヘン戦争」による、清国の無惨があったためだ。

これは、清国がやっていた伝統の「科挙」の価値を吹っ飛ばした。

6世紀の「隋」の文帝から始まる、約1300年やってきた、「科挙」の真髄とは、「古典の教養試験」であったが、ヨーロッパ近代をつくった、「科学」と「技術」に歯が立たないことを、あまりにもわかりやすい形で露呈してしまったのである。

なお、官僚を2タイプに分けたのがマックス・ウェーバーで、「家産官僚」と「依法官僚」がある。
中華帝国は、皇帝のもの、という原則だから、政府たる朝廷に仕える官僚とは、皇帝個人のための「家産官僚」採用のための「科挙」だった。

それで世は、明治維新という政変で、科挙を一度も実施したことがなかったわが国で、腸捻転のようにねじれた科挙(高等公務員試験:欧米では、「中国式試験」という)を採用していまに至るものを、誰も「ねじれている」といわないねじれになったのである。

ついでに、わが国の官僚は、あたかも、「法衣官僚」だというけれど、ほんとうか?
皇室をものともしない、「家産官僚」に落ちていないか?

さてそれで、アヘン戦争の衝撃は、儒学とか、古典なんか役に立つはずがない、となった。

それで、中途半端にヨーロッパの伝統「リベラルアーツ」をとりあえず真似て、「教養課程」なる珍奇を編み出した。
いわゆる欧米の大学は、4年間を全部リベラルアーツにあてて、専門課程とか高等職業教育は「大学院教育」と相場が決まっている。

貴族がいまでもいるヨーロッパは当然に、アメリカでも富裕層の子供は、「学位(修士・博士号のこと)」を取得するのが、ふつうなのである。

逆にいえば、これら「学位」がないと、政府や企業でも絶対に幹部になれないから、日本以上の「学歴社会」を構築して、支配層と被支配層の身分制を維持することに執心しても、支配層は平然としているのだ。

それで、アメリカの大学は、日本の数倍の学費を州立大学でも徴収して、貧乏学生は学生ローンを抱え込んでいる。
あたかも好好爺のようなバイデン政権は、学生ローンへの「徳政令」を出そうとして、若い有権者を買収しようとしたが、共和党の下院議会がこれを拒否した。

大学当局が、国からの援助分をそっくり「学費値上げ」で巻き上げること確実で、より苦学生の学業継続を困難にさせると予想したからである。

わが国もあわてて、「法科大学院」なる高等職業教育制度の真似っこをしたけれど、立法爆発をさせたわが国の膨大なる法体系には、A.I.がもっとも向いている状況になっている。
わが国では、新法を起案するのに、過去の法律との整合制をとるが、たとえばアメリカならば、新法が優先されるというルールがある。

このために、やたら古い忘れられた法律が、突如として効力を発揮して、まるで地雷のように関係者が呆然とすることもあるのだ。

そんなわけで、慶應義塾の人気に「官立学校」たる東京大学が日和って真似て、学問よりも「科学」と「技術」の習得に力点を置いて150年ほどになったら、思想も哲学もない、「不思議の国:産業優先社会:社会主義計画経済体制」になったのである。

これを、東宝の稲垣浩監督が、すっとぼけて皮肉ったのが、森繁久彌と原節子に演じさせた、『ふんどし医者』(1960年)である。

将来夢見て長崎での医学留学を終えて江戸に戻る途中、川止めにあったことで、あたかも本人の人生が曲がったようにみえるけど、曲がったのは世間の方だった。

いま、ようやく「その筋」で、明治維新の怪しさが取り沙汰されて、いわゆる純粋国内問題にしてきた従来の島国根性的な狭い範囲の解釈は否定され、英・米・露・仏・蘭の攻防戦のひとつの舞台としての視線が提供されている。

そのひとつの力作が、学者ではない歴史家(ビジネスマン)の渡辺惣樹『日本開国』(草思社、2016年)がある。

明治維新にして「これ」だし、国家予算の裏金(特別会計)で贅沢をした長州(萩藩)閥より、ずっとあくどい薩摩閥の私服のこやし方(アヘン戦争を仕掛けた「ジャーディン・マセソン商会」からの裏金)も、「ご維新」を原点としている。

すると、「戦後史」なるもののほとんどが、GHQ擁護の「嘘八百:プロパガンダ:嘘の一般情報」だとわかるのである。

たとえば、戦後・占領中の大事件にして未解決になったままで放置された、下山事件は、その闇の深さ(ドン深闇)から風化させられないのは、ジャーディン・マセソン商会の初代日本人「番頭:支配人」だった、吉田健三(吉田茂の養父)からあふれ出る「人(血)脈」の不可解が、GHQ内の派閥争い(民政局:Government Section:GS:社会主義者、対、参謀第2部:G2:自由主義者)と化学反応してできた「澱」にみえるからである。

マスコミが無視し、あるいは、賛美する「戦後」こそ、日本人が、歴史を忘れた民族にさせられているのである。

   

一般情報の価値

公表されて特に報道されている情報のことを、「一般情報」という。

なので、毎日の新聞やニュース番組で扱われた、すべての情報は、「一般情報」である。
いまでは、公的文書もそれぞれの役所が、HPにPDFファイルを貼りつけて公表しているので、当然ながら一般情報になっている。

しかし、各役所の一存で、これらの閲覧期間が切れてしまうと、どこにいったかを調べるのが大変で、むかしのものほど隠れてしまうのである。
なので、国会図書館とか国立公文書館の機能強化は重要で、地方なら県立やらの自治体図書館の重要性は、この意味で増大しているけれど、あまり議論されているとはいえない。

なにしろ、一般人が一般情報を全部記憶することは不可能だからだ。
それで、自分でダウンロードするなりの、「デジタル・タトゥー」(「魚拓」ともいう)を録っておくのひと手間が必要になってきている。

もちろん、新聞ならそのまま保存する方法もあるが、「検索できない」ために、ただの「古新聞」になって、廃品回収の対象になる。

それゆえに、情報の専門家たちは、自身の専門分野に該当する記事を、後からも検索できるような工夫をして保存する。
こうして作り上げれば、ただの情報の山だったものを、「データベース化」することができる。

この手法を、知の巨人、梅棹忠夫が、『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)に書いてくれている。

パソコンが存在していなかった時代なので、「情報カード」を活用した手法だけれども、この「情報カード」だって、商品名には、「京大式」とあった。
つまり、「梅棹式」のことである。

梅棹先生が、自分用に大量に印刷注文したものを、許可を受けて商品化した、というのが順番である。

それで、このカードを整理するための「箱」も、商品化されたのである。

 

パソコンが個人でも購入できるようになったのは、NECが1981年に発売した、「PCー8800シリーズ」が始まりで、その後の84年に出た、「PC-9800シリーズ」は、わが国を代表する名機になったことに異論はないだろう。

当初、「BASIC」で動かす必要のために、ふつうのサラリーマンが業務上の要請から、このプログラミング言語を学ばないといけなかった。
それで、パソコンを諦めたひとたちが続出したのである。
そんな、おとなを横目に、悪ガキたちはサッサとマスターしていたのである。

これを救ったのが、「MS-DOS」を世界標準にした、マイクロソフトの「Windows」だったけど、その前に世に出たりんごのマークの、「Macintosh」の使いやすさに、世界が驚愕したのである。

初期のMacから搭載可能だったアプリの、「カード型データベース」は、これを使いたくてMacを購入するほどの「検索機能」がすごかったのである。
しかし、あの可愛い墓石型のMacでさえ、当時は100万円越えの高嶺の花だった。

とはいえ、データベースを構築するには、とにかくデータを入力しないといけない当たり前がどういうわけか軽視されて、そもそも何が知りたくてデータベースを構築するのか?という根本が曖昧だったから、パソコンなんて使い物にならない、という評価まであったのである。

まったく日本的になって、「ワープロ専用機」なる単機能パソコンがよく売れたし、パソコンへの恨み節として、「ソフト(ウエア)がなければ。唯の箱」と揶揄したフレーズが、ときのおじ様たちの溜飲を下げたのだった。

いまでは、検索エンジンに出てくる最初のページが検索結果だということになっている。

ために、お金を払ってページのはじめに自社HPが掲載されるようにして、販売機会を買っているので、ことによるとユーザー画面の最初のページは、「広告」だらけになって、結局、次ページ以降を見ないといけなくなった。

つまり、何を知りたいのか?が曖昧なままで検索すれば、むかしならエラーになったものでも、何かが引っ掛かるので、それを鵜呑みにすると、ゴミ情報が脳に書き込まれる時代になったのである。
その新機軸がときたま嘘をつく、チャットGPTのなのである。

そんなわけで、あふれかえる一般情報に、われわれは溺れそうな状態(とっくに溺死しているかも)で生きているのである。

しかも、検索エンジンを提供している企業が、その企業の都合ばかりか、その企業経営者の思想選考によって、一般情報もオープンではなくなっている。

英語で検索すると出てくる情報が、日本語だとヒットしない、というのは、英語でも全部がオープンではないのだから、日本語しか使えない多くの日本人は、知らないうちに恐ろしく狭い情報空間に押し込められているのである。

もちろん日本政府だって、こんな不利な状況を知っているだろうに、何も無かったことにして実質放置して、その情報統制を容認しているのである。
政府や政権与党ばかりか野党にも、都合がいいからだ。

誰でも知っているはずの一般情報がこの有様なので、専門家がしたり顔で流す情報も、あたかもその専門家の独自見解かと思いきや、やっぱり一般情報なのである。
しかも、そのネタ情報の選定と解説が、特定の思想や方面の要請に基づいているとしたら、もはや一般情報ともいえず、ただのプロパガンダになる。

この意味で、残念ながら一般情報でさえも、個々人が自分で選定しないといけなくなったし、データベース化もしないといけない面倒なことになっている。

そして、この面倒をかけないで安穏としていれば、たちまちのうちに、情報弱者として、「迷える子羊」にされてしまうのである。

それだけでなく、屠殺場にきちんと並んで待つことが美徳にもされるのを、さも自分たちは他国人より「民度が高い」と自慢してしまう究極の自虐が流行っているのである。

辛抱が無責任の根拠

日本の集団主義を、なぜか全体主義とはいわない不思議があって、なのに「連帯責任」をとらされるのであった。

もちろん、連帯責任をいいだして、これを実行するのは、「上の立場からの命令」になっている。

なので、この「上の立場」がどの立場なのか?によって、配下の組織における連帯責任の責任範囲が変化する。

たとえば、組織上の最底辺にある最小単位の組織長が、連帯責任を問えば、その最小単位の組織構成員にだけ、連帯責任が問われて、なんらかの「痛いめ」にあうことになっている。
しかし、その組織長も、そのまた上の組織長から連帯責任を問われれば、横並びの最小単位がぜんぶ責任範囲になるのである。

すると、こうした組織は、とうとうトップが連帯責任をいいださない限り、だれも連帯責任を問うものがいなくなって、無責任化する。
そのときの精神状態は、「我慢して仕事をやる代わりに責任はとらない」という、自然発生的な「バーター取引」にトップ以外の全員が染まっているのである。

このような組織を第三者が観れば、「トップの責任」が問われることになるのだけれど、利害関係が薄い第三者なら、べつだんトップにあえて忠告もしない。

そうやって、このような組織は、それなりの時間をかければ、たいがいが「自己崩壊」するものだ。

それでほんとうに自己崩壊して、企業倒産ともなれば、トップから組織構成員の全員が失業する。
自分も失業していい、とかんがえる構成員ばかりなら、ほんとうにそうなるが、何人かは失業は困る、という意志がはたらいて、トップにもの申すことがある。

背に腹はかえられぬ、ということでの切羽詰まった状況である。

ここで、気がつくトップと、かえって反発するトップとに分かれるのが世の常で、どちらにしても時間切れが、資金切れとなって、倒産が免れないことがある。

だから、時間切れが資金切れとはならないタイミングで、気がつくトップがいるときだけ、救われることになっている。

ただし、失業しても再就職先がちゃんとしていれば、いったん失業した方がよかった、ということがあるのも人生なのである。

さて、このように「禍転じて福となる」ようなことは、あんがいたくさんあるし、「福が仇となる」こともあるものだ。

すると、時間の経過とはなにか?が、変なことになるのである。

わたしたちはふつう、過去から未来に時間が流れていると思いこんでいる。
しかし、川の流れのように、時間は上流の未来から流れてきているのである。

だから、過去が新たに福となったり仇となるのである。
つまり、未来の出来事が過去を書き換える。

よくよくかんがえれば、変なことではなくて、そういうことなのである。

さてそれで、「辛抱」を辞書で調べると、つらさを(かなり長期間)じっと我慢する、また、つらい仕事をじっと耐えて勤めること、とあって、類語に「我慢」がある。

しかし、「我慢」は、仏教で,『強い自己意識から起こす慢心(おごり高ぶる心)』のことだから、意味が逆転しているようにみえる。

では、ひとはなぜ「辛抱するのか?」をかんがえると、ころは、「強い現状肯定」の意志なのである。

そのために、個人の「我」を棄てるように、子供時分から訓練させるのが日本人だ。
こうして、「(周りの)他人に迷惑にならなければなにをしてもよい」と、親が子供に道徳教育もするけれど、その意味を親がどこまで自分でわかっているかといったら、かなり疑問がある。

要は、環境依存した価値観を持つことで、自己滅却をすれば、なにか良い評価をされる、という、やっぱり他人からの評価に強く期待するのだから、仏教の「我慢」に近づくのである。

それが嵩じて、なにもかんがえずに、周辺に迎合すればなんとか生きていけるとかんがえる。
ここまでしかかんがえないから、これを、「浅はか」というのだけど、周辺のほとんどぜんぶのひとたちが、「浅はか」だから、その「浅はか」にあわせることが、もっとも居心地のいい生活環境となるのである。

そして、その生活環境が、学校生活から職場生活へと拡大したら、今度は生活環境全般から圧迫されるようになった。
これが、管理社会の誕生となって、合理主義でもって強化されたのである。

「リクルート・スーツ」なる。統一的なファッションがその象徴的な存在となった。

わたしの時代はまだ、男女とも学生が着るスーツに、いまのような「統一デザイン」はなかったし、デパートがまだ頑張っていて、全国的な洋服チェーンと対抗していた。
ために、わたしの生まれて初めての背広は、デパートのイジーオーダーで生地から選んで作ったものだった。

だから、学生がフォーマルな服装で集まっても、いまのような、なんとなく喪服のような状態でなかった。
しかし、みんなとおなじ、を協調したいというニーズが、リクルート・スーツを生んだのだろうし、これに逆らうスーツを着ている学生も皆無だ。

大手人材会社が主催した就活イベントで講演を依頼され、みんなとおなじであることの居心地のよさは、無責任の衣服による主張になる、とかと話したら、二・三人が質問にやってきて、「ふだんの疑問がスッキリした」と目を輝かせていた。

わたしなら、こういう人物を採用したいと思ったけれど、採用担当者が無責任なら叶わないことなのか?

まことに、病理は深いのである。

「増税ありき」の増税の意味

防衛費増額のための増税が議論になっているけれど、これに復興税から転用したらどうか?というアイデアに、被災地から「戸惑いの声」があがっているという。

国民が「総乞食」にさせられたことの、まじめな議論だといえる。

たとえば、「LGBT法案」の強行採決にあたって、首相は、「異次元の少子化対策」を行うという議論のすり替えを発言した。
みごとな、左翼思考の発言だから、左翼はだんまりを決め込んだ。

では、異次元の少子化対策とはなにか?と問えば、「こども家庭庁」の予算を、いまの「倍」にすることだという。

この役所が発する利権にかかわる、すべの乞食は、これを歓ぶだろうけど、こども家庭庁の予算が倍になると、どうして異次元の少子化対策になるのか?は、まったく意味不明だ。

すると、「少子化対策とはなにか?」を定義しないといけないのだが、一般にかんがえられる、「出生数の増」ではなくて、「どんどん少子にさせる対策」だとすれば、意味が通るのである。

ただ、上の首相発言には、あたかも「出生数を増やさないといけない」といった話があったから、大嘘つきが首相をやっているか、あるいは、自分の言動の意味が自分でもわからないひとが首相をやっているかのどちらかとなる。

どちらにしても、まともではない。

あらためて、「国家の三要素」を確認しよう。
・領土などの「領域」
・国民(恒久的な住民のこと)
・排他的な主権としての権力

すると、特定の領域にいる国民としては、政府には外国に対して排他的な権力を行使してもらって、領域を保全してもらわないと安心して恒久的(何世代にもわたって)に住んでいられない。
そのために、近代国家は、「国軍」を組織するのである。

なお、国家の上位に君臨する「党(ふつうは共産党)」の支配する国のばあいは、「政府の国軍」ではなくて、「党の軍(人民軍とかという)」で、対外的にも、(党員以外の国民を支配するために排他的な意味で)対内的にも、こうした軍が、国内外に、にらみをきかせているものだ。

なので、民主的な政府をもつ国は、ほとんどが「国軍」であるから、政府に従うので、ときに「政府軍」ともいう。
しかしながら、わが国のばあい、憲法であたかも国軍を保持することすら禁じられているようにもなっているから、あくまでも「自衛隊:Japan Self-Defense Forces」と自称している。

このため、外国がどんなに「日本軍」だと認知していようが、わが国の事情は、あくまでも国軍ではない、という時代認識でいえば「平安時代」とまったくおなじ状況になって70年以上をすごしてきた。
朝廷の官職にあった、「近衛府」は、左・右の二つがあって、それぞれの長官を大将、以下、中将、少将としていたけれど、宮中警護のためであったから、軍とはいえない。

さすがに自衛隊をそこまでとはいえないが、アメリカの武器を購入・消費する組織、というへんな位置付けになっている。

このところ、日本海から黄海周辺がきな臭く、波が高まってきてから、アリバイ特区としての防衛装備予算をつかうことが、まるで国防力を増すような錯覚を国民に与えているけど、ほんとうに領域を保全することができるのか?については、まったくあてにならないのが自衛隊なのである。

しかし、軍産複合体がつくっている、アメリカ民主党バイデン腐敗政権から、ウクライナがもう打ち止めだから、日本周辺で緊張を高めるようにするので、武器を買っておいてね、といわれたままを計上している。

世界の金融富豪から、日本経済の大発展はここまでといわれて30年。
日本政府もおカネがなくなってきたので、従順な子羊の国民から搾り取ることに専念して、とうとう「五公五民」にまでなったため、震災復興予算から流用する案がでたのは、良心的な財務官僚がいたからだろう。

けれども、復興増税という、およそ経済学的に破綻した方策を、これみよがしに実行したので、原発の補助金で生きてきた乞食たちには、いっそうばら撒くことで、史上最悪の原発事故でさえチャラにしようとしたのであった。

経済学的には、福島県全部を、「完全自由経済特区」に指定して、役所から戸籍係以外の役人を撤退させたら、いまごろはどんなに活況を呈していることか?
すっかり乞食の幸福に甘んじていた、福島県人たちが、あくまでも「共産主義体制」を望んだために、とうとう全国的迷惑になってきて、それがまさかの、国防予算に影響するまでになったのである。

とはいえ、上に書いたとおり、アメリカ製武器を買うことだけの工面なので、大勢に影響ないのであった。

ただし、とっくに、ない袖は振れぬ状態になっているのに、いつまでわが国政府は、わが国民から搾り取った税金を、あたかも「世界銀行ATM」のごとく、世界の皆さんが勝手に引き出せるままにしておくのか?

いやはや、こんなかんたんで、やられっぱなしの仕組みにも気づかない、日本国民がバカなだけなのだ。

それがまた、外国人観光客から、ニッポン凄い!と評価されて歓んでいるから、救いようがないのである。

日本の経済特区

70年代に、なんども失脚しては復活した奇跡の男、鄧小平が最後に実権を握ってから、「改革開放政策」がスタートしたのは、もう「歴史」になった。

ときに、日本でも、「MADE in CHINA」ブームになったのである。

わたしは、このとき小学生から中学生にかけてのことだった。
横浜には、いたるところに、「中国物産」がワゴンで売られていて、とにかく安かった。
日本的でない、きつい黄色の箱にはいった「鉛筆」は、1ダース12本入りで、100円もしなかった記憶がある。

もちろん、消費税なるものは存在もしなかった。

あれだけ商品が並んでいても、だれも見向きもしなかったのは、ちゃんと、「安かろう悪かろう」の法則が成立していからだけど、その品質の劣悪さを楽しんだわたしは、かなりのひねくれ者である。

この鉛筆の一番の思い出は、芯の中に砂粒が混入していて、書いていると突然書けなくなって、下手をすると紙が破れたのであった。
しかしながら、たまにある1本ではなくて、ほとんど全部のことだったので、これはこれで、一定品質だったのである。

このような鉛筆が大量生産されていることが珍しかったから、わたしは、その他の実用品でも、「MADE in CHINA」とあれば、ずいぶんとお小遣いを投じたものだ。
そして、「これならつかえる」を探したのだったが、とうとう当時はみつけることができなかった。

「100円ショップ」がでてきたのは、とっくにおとなになってからのことである。

それで、共産党がやっていた、計画経済体制のままでは、改革開放政策がうまくいかない、ということになって、「経済特区の制度」が発明された。
その地区内だけ、「規制を撤廃する」という、全体は計画経済体制だけど、ほんの一部を「自由化する」という、安直といえば安直な発想である。

香港返還にあたって、英国のサッチャー首相が、香港の自由が心配だという声に、中国が香港になる、と発言したのは、いまではおおきな間違いだったけど、当時のかんがえ方はサッチャー女史の方が的を射ていて、改革開放政策で中国は民主化も自由化もするという、根拠なき期待があったのだった。

しかし、共産党はそんなヤワなことをかんがえたり実行するはずもないという根拠をもって、ヒトラーができなかった「千年帝国」の野望を、しっかりと確実に実施しているのは、感心するしかない。

だから、「特区」はあくまでも「特区」であって、全土に拡大することもない、のである。

こうした「特区」のやり方は、中国の影響力がある、計画経済体制の国々がこぞって採用している。
台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ミャンマー・カンボジア・ラオス・タイがあるけれど、ちゃんと、日本もはいっている。

ただ、これらの国々は、タイ以外、かつてわが国が占領した欧米列強の植民地で、戦後になって独立した共通がある。
わが国が独立におおいに貢献したのは事実としても、それが、計画経済体制ばかりになったのは、わが国が戦後もずっと計画経済体制だからである。

安倍政権がやろうとした、「加計学園」の岡山理科大学に獣医学部を設立する問題とは、じつは、「国家戦略特区」としての位置づけであったものだ。

どうして、獣医学部をひとつ創設することが、「国家戦略特別区域」でやらないといけないのか?とか、そもそも、「経済構造改革」の一環にあることだとするのが、「特区」だから、獣医学部をひとつ創設することが、どうして「経済構造改革」なのか?ということの「根の深さ」こそが、わが国全体の問題なのであった。

それでかしらないが、いまは「特区」とはなるべくいわずに、「地方創生」という用語を編み出して、「内閣府地方創生事務局」が管轄している。
なお、シャッポには、内閣府特命担当大臣(地方創生担当)がいる。

念のため、わが国には特区は二種類ある。
・国家戦略総合特区(7カ所)
・地域活性化総合特区(41カ所)

ほぼ全国にあるこれらの対象区域が、中国のように大発展しないのはなぜか?

答はかんたんで、「アリバイ特区」だからである。
つまり、ぜんぜん「特別」なんてないのだ。
全国にわたる、「岩盤規制」を守るための方便にすぎない。

その方便の代表が、「加計学園の獣医学部」だった。

マスコミと野党は、安倍首相と学園経営者との個人的関係を攻めたてたけど、何のことはない、「岩盤規制」を維持することに執念を燃やしたのである。

なぜなら、そこにある「利権」が崩れたら、戦後構築してきた利権のネットワークが、ほんとうに壊れてしまうことをおそれたからである。
いわば、「蟻の一穴」にみえたのだろう。

つまるところ、利権の吸い上げ方が、中国共産党の芸術的仕組みのレベルにぜんぜん到達できない、後進国レベルにあるのが、わが国の実態で、これをやめるなんてことは、利権で暮らすひとたちには許せないことなのである。

これを、野党(口火を切ったのは福島瑞穂議員だった)にやらせたので、わが国利権構造の根の深さと広がりを示すのである。

わが国の経済が世界的に珍しく、30年も衰退しているのは、「特区」がないのではなくて、全国が規制だらけで、自由な経済活動ができないからである。

それを、前に、山梨県の事例で書いた。

いまや、山梨県が全国になった、のである。

日本は、ソ連型の共産主義・全体主義国家だ。
この前提となる重要認識すらもてないで、国の経済戦略に依存するのは、学習能力がなさ過ぎる。

いま、小学校で「発達障害」をいわれて、「薬物治療」を命じられる子供が増加しているのは、「国」全体が発達障害に陥ったからなのである。

「物理学」という呼び名の「哲学」

人間はかんがえることで生きている動物だから、かんがえることをやめたり、できなくなってしまうと、「廃人」になる。

残念ながら、事故や病気で、かんがえることができないなら、本人とは関係なく、家族や関係者がどんなに悲しんでも、どうにもならない。
しかし、それでも家族や関係者がいろいろかんがえることをやめないのは、それが人間だからなのである。

この意味で、「神頼み」になるのも人間だからだ。

人間しか宗教をもたないのは、他の動植物には、宗教をもてないからで、その境界が、「思考」の有無(可能性)なのである。
もっとも、人間以外の動物であれ、植物であれ、「必要性がない」という理由までを範囲としたら、たしかにそれでもちゃんと環境適合して生存したのである。

BBCがまともだった時代、科学番組の看板プロデューサーだった、Sir・デイビッド・アッテンボローが制作した番組はどれも素晴らしかった。
なかでもわたしは、『旅をする種子』には感動を覚えた。

思考して突きつめようとすれば、おのずと「哲学」となる。

それで、「哲学の専門家」が出てくるようになるのだが、そこにはざっと二種類の哲学者がうまれる。

・過去の哲学がどんなかんがえであったかを整理してまとめるひと
・じぶんで哲学するひと

どちらも、「哲学者」と呼んでいる。

「万有引力の法則」を発見したことや、「微分法」をかんがえついたり、「光のスペクトル」をみつけた、アイザック・ニュートンは、現代では、「物理学者」としてあまりにも有名だけど、本人は生涯、「自分は哲学者」だと認識していた。

ニュートンの時代に、「物理学」という学問分野はなかった、のである。

それよりも、リベラルアーツの最上位、「哲学」と。下位にある「数学」とを比較すれば、彼が自身を「哲学者」だと認識したことのふつうの方がわかりやすい。

もちろん、ヨーロッパの伝統に従えば、哲学の上位には、絶対的なタブーとしての「神学」があった。

それで、あのガリレオ・ガリレイは、宗教裁判にかけられて、ローマ教会が彼の名誉を回復したのは、2009年2月15日のことで、死後367年経ってのことだった。
ちなみに、ローマ法王(ベネディクト16世)が、「地動説」を認めたのは、この前年、2008年のことである。

このブログでは、何度も書いているが、現代人に擦り込まれた、「神学=迷信」といった前提における、「神学論争=水掛け論=永久に結論が出ない」という認識が常識になっているのである。
わが国では、「禅問答」と結びついての感覚が含まれるので、やっぱり西洋とのニュアンスが微妙にちがう。

そんな単純で野蛮な西洋だけれども、ここから西洋的合理主義がうまれた。
その代表が、ルネ・デカルトで、『方法序説』(1637年:三代家光の時代)が決定的となったのである。

「われ思う,ゆえにわれあり」

意味は、すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができない、ということだと解釈されている。

つまり、デカルトの発想は、個人主義を疑わなかったのだった。

しかし、あろうことかデカルトがいうとおり、「科学が進歩した」ら、とうとう量子力学が誕生して、意識そのものも量子によることがわかってきた。

しかも、その量子は、たえずゆらいでいて、その存在は「確率」でしかないのである。

すなわち、この世のすべては「バーチャル」だという、にわかに信じがたいことが、現代における最先端科学の結論になっている。

もちろん、このデカルトの言葉を論破したのが、カントだった。
カントは、「疑うこと」がリアルで、自分の存在がバーチャルではないか?と指摘したのだ。

しかし、事ここに至って、最先端の量子力学研究者たちは、2500年前の釈迦の哲学に行き着いた。

なかでも、日本で有名な、『般若心経』における、「空」の概念が、量子論的宇宙の構成と合致するという。

理論で予想されたブラックホールが、いまや観測されるまでになって、その内部に吸い込まれた物質の末路が量子にまで分解されるものの、「穴の内側」にある「壁」に、吸い込んだ物質の記録が書き込まれるという理論になっている。

これから、宇宙の壁、という一大記録(アカシックレコード)の存在がいわれ出したのだ。
これには、全宇宙の記録がある、という。

ならば、釈迦の頭脳にどんなことがあったのか?も、いつかはみつけることができるのだろう。

さいきんでは、得体のしれなかった「重力」の大本が、「万有引力の法則」ではなくて、全方向から降り注ぐ量子の打ち消しあった後の重みではないかともかんがえられるようになってきたし、時間も、量子でいえばデジタルのように、超微細に分断されているかもしれないという。

しかも、ふつうは、過去から現在、未来へと一方的に流れるのが「時間」だとしていた(光陰矢のごとし)ものが、未来から流れ出ているのだという話になってきている。
あたかも、われわれは、鮎釣りのごとく川に入って、上流からの水流に逆らっているように、時間をやり過ごしているのだ、と。

なるほど、最先端科学は哲学的なのである。

日本の体制転換

わが国が、社会主義計画経済体制から、いつ、自由主義経済体制へと体制転換するのか?をかんがえたとき、当然ながら参考になるのは、いちはやくこれを果敢に実行した中国である。

鄧小平が実権を握ったとき、上記の、「御用学者たち」が活躍したのであるから、やっぱり政治が先なのである。

中国の先見性から遅れて、ソ連圏の歴史的破滅となった、「体制変換」で、ソフトランディングに成功したのは、ポーランドだった。
社会主義国で「敵の研究」のために、自由主義経済を極秘で研究していたのが、レシェク バルツェロヴィチ(Leszek Balcerowicz)氏(民主ポーランド財務大臣、ECB総裁を経てワルシャワ経済大学教授)だった。

邦訳された著書、『社会主義、資本主義、体制転換』は、日本語版序文に、現代「日本に役立つ」として、わが国の社会主義体制を示唆している。

すると、本来であれば自民党がこの役割をすればいい、とかんがえるひとがたくさんいることはわかっているのだが、いまさらそんな期待を自民党に抱いていていいのか?と自問したい。

なにせ、その自民党政権が、狂ったように、「立法爆発」させて、とうとう家族破壊まで開始した。

法律がたくさんできるということは、規制がたくさんできるということだ。
そして、規制がたくさんできるということは、公金チューチューのための予算がたんまりつくこともセットになっている。

なんとか財団とか、なんとか協会が設立されて、またまた役人の天下り先が増えることも意味する。

わが国における「国会」が、法律工場であると同時に、国家予算の審議機関であることの意味は、まさにこうした仕組みになって、国民の自由(財産の処分もふくむ)を侵害するための機構に陥ってしまったのだ。

規制で自由が奪われて、徴税で財産権(可処分所得)も減らされる多数に対し、それをうま味とする少数の者たちだけが肥る社会だ。

鄧小平のおそるべき智恵は、支配と富の分散の絶妙をやってのけたことにある。
この意味で、自民党の親中派とは、たしかに「いまよりはまし」の体制転換派ともいえる。

とはいえ、日本のばあいは、とにもかくにも、「民主主義」でないといけない。

その民主主義が「機能する=動く」には、なにがひつようなのか?をかんがえると、ベースにあるのは、国民が政治を監視する、という態度を仕組み化することにある。

これを、戦後教育世代(=「団塊の世代」ともいう)以降の日本人は、「選挙」だと信じ込まされてきたのである。

誰に?
GHQにだ。

昭和40年代(1965年~75年)まで、つまり1947年~49年生まれの「団塊の世代」が選挙権を持つまで、わが国のあらゆる選挙の投票率は、だいたい8割を超えていた。

この団塊世代という、巨大な人口の「塊(かたまり)」の動向が、当時は「若者文化」とか「ヤング」といわれて、その層の厚さゆえに、さまざまな消費シーンで威力を発揮したのだが、おなじように選挙にも威力を発揮したのである。

それが、「棄権」だった。
選挙(=政治)なんかに興味はない。
投票所に行くくらいなら、パスして遊びに行く。

旧制の学校教育を受けていた親世代は、投票してから出かければいい、といってもきかなかったのである。
しかも、敗戦時おとなだった親世代の生活には、GHQが禁止した「隣組:五人組」の制度があったのだ。

これは、本来は、近所どおしの「互助組織」であった。
それを、近隣の監視システムにしたのが、戦時体制という全体主義だった。
それでもって、戦後ものこったのが、町内会における「班長制度」やら、ゴミ集積所の掃除当番とか、「防犯連絡所」という持ち回り看板だったのである。

「遠くの親戚より近くの他人」、が、そのままの生活があった。

なので、ずっと近所が近い生活だったし、娯楽も限られていたから、みたくなくとも行動がみえたものだ。
それに、どこかへ旅行へ出たら、かならず近所にも土産を配って、どこにいってきたのかも自然と報告しあっていたのである。

そうやってできた、「横並び」の心理が、家電の三種の神器にもなって、急速に普及したのである。

しかしながら、戦後教育世代(=「団塊の世代」)は、すっかり「自分だけ主義」を、欧米の「個人主義」と勘違いして、一票の価値を軽くみるように育ったから、自分ひとりぐらい棄権しても大勢に影響ないとかんがえるのがふつうになったのである。

けれども、民主主義における「監視」とは、ふだんから地元政治家の言動を監視することなので、これを制度化しないですすめたGHQの「日本民主化」とは、破壊的な悪意があったといわざるを得ない。

つまり、しっていてやらなかった「わざと」なのだ。

それでもって、アメリカではふつうの、一般人の政治活動への参加が、日本では胡散臭いもの、とされて、日本人は政治参加といえば選挙投票だけに限定されたし、政党も政党組織の組織化をやらず、政治家本人の後援会をもって組織と呼ぶことにしたのだ。

この方法が続く限り、わが国で民主主義の方法による「体制転換」は起こり得ない。
「システム」がないからである。

すると、ずっと溜まったエネルギーはどうやって抜けるのか?といえば、よくある三等国での「政変」しかないという悲惨となる。

ここに、中国やらの外国が、「騒乱に乗じて」と、舌なめずりして待っているとすれば、もはや絶体絶命の危機が準備されている状態となっているのである。

自民党が近代政党ではないために起きる、予想される悲劇である。

茂木幹事長が発表した、2022年末の自民党員数は、112万人というけれど、党になんの影響も、主たる活動もなんにもしない「党員」とはなんなのか?
アメリカの共和党RINO(Republican In Name Only)どころじゃない、完全名ばかり党員の112万人なのだ。

どんなにシャンシャン大会をやっていても、中国共産党が立派にみえる。

自民党員の無能が、わが国を亡国に追い込んでいる。

日本の株価が上がっている不思議

むかし、『コント55号のなんでそうなるの?』という30分の人気テレビ番組があった。
1973年から76年までの三期に分けて、日本テレビ系で放送されていた。

高度成長の歴史をとめた?、第一次オイルショックによる大不況は、1974年1月の「月次報告」から「観測」がはじまるので、会社が倒産して泣きたいひとたちがこの番組で笑っていたのである。

日本経済にいいところがないのは、15日に財務省が発表した、「5月の貿易統計速報」でも、22ヶ月連続の、「貿易赤字」であることでもわかる。
ただ、この1兆3725億円の赤字が、前年同月比では、42%縮小したことが明るいニュースになっている。

いま、後期高齢者以上の皆様には、そもそもわが国が恒常的な貿易赤字国になっていることさえも、信じがたいことだろう。
現役の頃に、「巨大な貿易黒字をどうするか?」に苦慮した記憶が刷り込まれているからである。

今回の赤字幅縮小の主たる原因は、原油と天然ガスの輸入量が減ったことで、また、ウクライナ戦争で高騰した原油価格が落ち着いてきたことも挙げている。
ドル建ててで、前年同月を19.9%下回ったけど、為替レートは4.8%の円安なのに、円建て価格も16.1%下がったのは、バレルあたりで34.7%も下がっているからである。

すると、どうして輸入量が減ったのか?が気になるところである。

生産部門の生産量や、稼働率が減ったのではないか?と心配になるからだ。
しかし、「なんでそうなるの?」というのは、電気代の高騰なのである。
輸入量と価格をかけあわせた輸入額の減少が、高騰する電気代と見合わないからである。

電力業界を仕切っているのは、ご存じの通りの、あの「経産省様」である。
いまの経産大臣は、国民に強制的な権力を行使するのが趣味とおもわれる、西村康稔氏で、通商産業省環境立地局調査官で退官しているが、官僚として最初の配属は、資源エネルギー庁石油部計画課であった。

おそらく現在の、資源・燃料部、政策課であろう。
キャリア官僚にみられる、外国留学で国際政治経済学での修士があるのは、その後のキャリアと関係しないのも、また現代的お役人様の特徴である。

税金で学位をとっても、国家に貢献しないのである。
だから、たっぷり税金を投じる、東京大学法学部の卒業生には、民間に「任官」することを義務化すべきなのである。

まぁ、だれが大臣をやろうが大差ないのが官僚制の官僚制たるゆえんなので、チョンぼってる河野太郎も大臣をクビにはならない。
悪いのは官僚なのだ、ということが、自民党政権を支えている一方で、局長にもならなかった人物が大臣を任命されても平気でいられるのは、同期や後輩官僚とねんごろだからである。

ではいったい、わが国の電気代はどうなっているのか?
速報とはいえ、貿易統計の示すところとぜんぜんちがう価格体系があって、さらにまた夏に値上げが予定されているし、なんと、西村大臣は、東京電力管内における、「夏の節電」を公式に要請するにいたっている。

電力会社の社長ではなくて、経産大臣がいうことの意味は、趣味を超えていないか?
つまり、越権である。

これにまた、「なんでそうなるの?」といわない、東京電力の株主が不思議なのである。
ものをいう株主ならば、早々に、経産大臣を裁判に訴えるだろうに。

しかしながら、訴えても得にならないからだとかんがえればその通りで、わが国の電気代は、「総括原価方式」で算出するのを通産省から経産省がしっかり引き継いでいるからである。
その大本が、国家総動員法による「日本発送電」体制を、「GHQポツダム政令」による、「電気事業連合会」としての強制改変だった。

これをやったのが、電力の鬼、松永安左エ門だった。
松永をしれば、東北電力会長におさまった白洲次郎の小物ぶりと、彼にまつわるプロパガンダがよくわかる。

この「総括原価方式」とは、電力会社の経費を「総括」して、つまり、「ぜんぶ」を、原価にして、それに一定報酬を足して料金を決める、という方式をいう。

なので、電力会社はぜったいに損をしないばかりか、経費増はどうでもいいのである。
それだから、わが国の電力会社はこぞって(=電気事業連合会)、産油国から世界最高価格で原油を買い付けているのである。

すると、これを許す政府と政界に、なにが起きるのか?は、恐るべき巨大利権になるのは当然なのである。

そこで、歴代の通産大臣、経産大臣の自民党派閥を、チャットGPTにきいた。
石破派、二階派、麻生派、竹下派、小泉派、安倍派と出てきて、ようはみんなでたらい回ししているのがわかるのである。

そんなわけで、こんな状況なのに、「なんでそうなるの?」と株価の高騰をかんがえたら、円安の中で日本株を購入しているのは、外国人投資家28%、機関投資家28%なのである。

つまり、日本企業が買いたたかれて事実上買収されている。

日銀が新総裁になっても大きく舵を切れないのは、日本株(日本企業)の防衛を日銀がやっているからか?とおもわれるのである。
この意味で、日本企業はこの事実上の買収からどのように自己防衛するのか?が問われている。

いま小学生やらの孫・子の世代が、就職先に日本企業がない、ということになりかねないのである。

株価高騰でよろこんでいるばあいではないのだ。

株式の所有権改革で資本主義を矯正する

タイトルでは、あたかも「資本主義」が存在しているかのような誤解を読者に与えてしまうかもしれない。

こと「資本主義」に関していえば、わたしは何度か書いたように、アイン・ランドの論に与している。
彼女は、「資本主義は未来のシステムだ」と呼んだ。
つまり、人類社会はいまだに資本主義を経験していない、と。

自由主義の碩学、ハイエクは、「マルクスが『資本主義』なる用語を考案した」と書いた通り、マルクスが多用する弁証法ではなくて、ゴールである「ありき」の共産主義からの演繹として、ありもしない空想の資本主義が通過点だと勝手にきめて、あたかも現実に存在しているとした。

人類の長い生活から、原始社会でも経済活動があって、物々交換からはじまったとされている。
それから、「貨幣」が発明された。
しかし、貨幣経済はなかなか発展せずに、金銀財宝の所有量が富の蓄積の象徴だったのである。

そんななかで、金細工職人が顧客から加工依頼で預かった現物の金を仲間内で使い回しして、とうとうその証拠書類が取引の対象になると、「銀行業」になったのである。

けれども、顧客から預かった現物の金を、じっさいに細工するにはいま預かっている別の金細工を完成させないと着手できないことのタイムラグをもって、仲間の細工師に自分が預かった現物をとりあえず横流しするという「不道徳」が、バレなければいいということでの「証券化」となったから、銀行業にははじめからインチキが埋めこまれている。

ところが、この不道徳が、金という貴重品の眠った状態からの解放となって、その証拠書類が「証券」となると、存在しない金でも、あたかもあったことにすれば、その間の時間に富が増えた。
これが図らずも、信用取引となって、貨幣にあてはめれば「信用創造」の大発明となったのだった。

よくみれば、「偶然」のできごとで、最初から「信用創造を意図した」者はだれもいない。
それだから、ひとびとの発想のどこにも「資本主義」にあたるものもない。
あるのは、ただ儲けたい、という欲望だけなのである。

だから、いま「強欲資本主義」と呼ぶことも、恣意的で正しくなく、ただ「強欲」だといえば済む。
なのに、資本主義をつけて、あたかも資本主義が悪いもののように扱うのは、マルクスの意図通りなのである。

さてそれで、事業をはじめるときの「元手」のことを、「資本」と呼んだことから、なんだか「資本主義」になったという勘違いがある。
だったら、貨幣経済ができた時代にいた商売人は、資本主義社会にいたのか?となるからである。

中世のヨーロッパや、アラビアン・ナイトのような中東世界の大富豪、あるいは中国の歴史や日本にも存在した大豪商だって、資本主義になる。

これといまの資本主義の区別をちゃんといわないで、なんだかよくわからない「産業革命」をもって、資本主義の勃興といっている。
順番は、資本主義が発生したから産業革命が起きた、とならないといけないはずが、そうなっていない。

つまり、蒸気機関ができたことと、資本主義の発生が一緒くたになっているのである。

すると、人間の主義としての資本主義はどこにもない幻で、あるのは、蒸気機関の工場と株式会社と銀行だった、というだけになる。
「主義」というなら、人間の思想としてなにか中世時代から、あたらしいかんがえ方が生まれたのか?を問えば、それは「堕落の一途」ではないのか?

工場労働者の誕生によって、労働者階級が生まれたのは確かである。
彼らを管理するための、ホワイトカラーもできた。
そして、どちらも「給料取り」になったのである。

しかし、工作機械がまだ細かいことを自動化できない初期には、工場労働者にも「熟練工」と「(不)非熟練工」とに分かれて、熟練工が工場や会社を選んでいた。
気に入らない職場環境があれば、サッサと別の会社や工場に転職を繰り返した。

会社や工場には痛手となるために、ホワイトカラーによる管理手法が開発された。
それでもって、工作機械がだんだんと自動化できるようになると、我が儘な熟練工を必要としなくなったのである。

その一大変化の変わり目を、吉永小百合が主演した『キューポラのある街』(日活、1962年)だった。

しかしながら、ずっと前に生まれた「労働者」が、ホワイトカラーの「サラリーマン」と一緒になって、「大衆」となったのである。

それゆえに、この「大衆」をいかにして支配するのか?の方便としても、民主主義が採用された。
かならず、ポピュリズム(大衆迎合政治)に変換するからである。

ポピュリズムをよしとするのは、大衆ではないのは、ポピュリズムで大衆が幸福にはならないからだ。

では誰が幸福になるのか?

それは、大衆の「群集心理」を利用することができる、少数の者共である。
しかし、愚民化された大衆は、ポピュリズムが「群集心理」としてあがなえないものとなって、とうとう自分たちを支配することに気づかない。

 

このように、大衆の大衆による大衆支配の構図の外に、大衆の習性を熟知して利用する少数がいる。

これこそが、グローバル全体主義者たちなのである。

そして、彼らが支配しているのは、巨万の富であって、「通貨(おカネ)」を仕組み上で支配しているために、あたかも何びとも抵抗できないかのようにみえるのである。

何をするのにも、ここまで「選挙」が重要な時代になったのは初めてだ。

欺瞞の民主主義を一新させないといけないし、この半世紀以上にわたる彼らが仕込んだ「仕組み」を変えないと、窒息させられる時代になったのである。

「イタリア人」は覚醒したのか?

逆神のマスコミが、「極右」と書いたら、どんなに割り引いても、「保守」が最適の表現になることがわかってきた。
逆に、「民主的な勢力」と書いたら、それは「極左」を指す。

最初に極右とされたのが、フランスの、マリオン・アンヌ・ペリーヌ・ル・ペン(Marion Anne Perrine Le Pen)で、通称「マリーヌ・ルペン」であった。

たしかに、このひとの実父、ジャン=マリー・ル・ペン(Jean-Marie Le Pen)は、これもマスコミが極右という、「国民戦線」の創設者で初代党首であった。

しかして、その「国民戦線」は、イタリアの「イタリア社会運動・国民右翼(MSI)」に影響をうけているから、本家は、イタリアにある。

3女にあたる、マリーヌ・ルペンが二代目党首になると、賢明にも「中道右派」へと転じて、党名も『国民連合』に変更し、さらに、過去からの過激主張をやめない父を除名処分にしたのである。

ちょっとだけ大塚家具の、父娘の確執を彷彿とさせるが、レベルがぜんぜんちがうし、なによりフランスの娘は優秀だ。

「国民戦線」であろうが、その後の「国民連合」であろうが、「極右」のレッテルが貼られているのには、フランス革命の、「自由・平等・博愛」(=グローバル全体主義)に公然と反逆するからである。

ここが、ねじれ、のはじまりで、そもそもフランス革命を肯定していいのか?という問題に行きつくのである。
もちろん、英国の保守主義の父と評される、エドマンド・バークの名著、『フランス革命の省察』におけるフランス革命の評価は、サイテーなのである。

すると、バークの立場からしたら、「国民戦線」とか、「国民連合」の主張が、正統になるのである。
昨今、これに気づいたフランス人が、「パリ祭:フランス革命記念日」の祭典を盛り上げないで静かにしていることの変化を、「ポピュリズム」だと批判している。

その批判者は、当然に、フランス革命賛美派であるマスコミなのだ。

そこで、面倒なのが、イタリアだ。
この国の歴史は、複雑で、日本人にはわかりにくい。

なにしろ、いまのイタリアになったのは、ローマ教皇領も併合して、首都をローマとした1870年(明治12年)なのである。

1776年7月4日を独立記念日とする、アメリカ合衆国と比べても、ざっと100年あたらしい。

それだけ、グダグダなのがイタリアだけど、フランス革命以降ずっと立ち位置が定まらないフランスと比べても、イタリアがフラフラ・グズグズしているのは、あまりにも異なる地域(かつての貴族領、いまの州)別の国民性にある。

はたして、「イタリア人」という一括りで語れるひとはあの国に存在するのか?と問えば、「いない」のが正答ではないか。

しかも、面倒なのが、「ファシズム」を掲げたムッソリーニの「ファシスト党」が、ドイツの「ナチズム」を掲げたヒトラーの「ナチス:国家社会主義ドイツ労働者党」とのちがいも曖昧になって、ただ、「極右」と評価されていることにある。

けれども残念ながら、ムッソリーニは、その過激さゆえに、「イタリア社会党」からも除名された、「極左」思想の持ち主だったのである。
ムッソリーニを評価していたレーニンは、この除名をした社会党を批判している。

「ファッショ=結束」をもって、全体主義に走るのではあるけれど、なんと、政治思想としての「ファシズムの定義」は、いまだに「学問的に」定まっていないのだ。

世の中とは、かくもテキトーなのである。

そんなわけで、統一イタリア初の女性首相、ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)氏は、日本ではかんがえられないキャリアから首相にまでなった人物である。
彼女自身が書いた自伝、『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』には、イタリア共産党支持者の父から棄てられた少女時代、保守派の母の影響と父への反動から右派になった旨の告白がある。

イタリア社会運動(MSI)を支持し、15歳の時にはMSIの党青年団「青年戦線」(Fronte della Gioventù)に入会したという。
それから、観光業・ホテル業の職業高校を主席で卒業し、ウェイトレスやベビーシッター、あるいは、バーテンダーをしながら、「党人」として活動してきたのであった。

まったく、わが国の社会が、いかに硬直的かがよくわかるのである。

それでフランスに再び目を向ければ、政党としても関係が深い、マリーヌ・ルペン氏からしたら、「同志」である、メローニ氏に先を越されたことになっているのである。

おそらく、イタリア人もフランス人も、上に書いたこの両者の事情はよくしっていることだろう。

このところの大変化は、得体のしれないふたりのグローバル全体主義の奴隷となっている女性、EU委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンと、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のラガルド総裁がしかけた、イタリア・イジメであったはずの、いうことをきかないとイタリア国債を買ってあげない、に、どういうわけかイタリア国民が反発して、なんと、自国の国債をイタリア人が購入するという「異変」がおきていることだ。

それでもって、ヨーロッパで超優良な、ドイツ国債との金利差が、わずか1.67%にまで縮小している(イタリア国債が低金利になって高騰している)ばかりか、今月、個人向けに発行予定だった新規4年もの国債の170億ユーロ分が、受付からすぐに完売したのである。

イタリア人が自国の国債を買うのに殺到した!のであるけれど、さっそくラガルド総裁は、ECBは過去から保有するイタリア国債の償還分にたいして、これまで同様買い換えをすることは「ない」、と発表した。

これにまた、イタリア人は、おおいに結構です、自分たちで買うから、と反応したという。

得体がしれないひとたちからの脅迫に、イタリア国民が「結束」して、いま「イタリア人」になろうとしているのを、メローニは「ファッショ」だといいたければいわせておけばいいのである。
それがまた、覚悟を決めた女性ならではの、一途になっているから、ここに登場した4人の女性が2対2で取っ組み合いをしているわけではない。

まともな政治をすると、イタリア人も目覚める「痛快」が起きたのである。

保守のベルルスコーニ氏も、これで安眠したのだろうとおもわれる。(合掌)