減税に「恐怖」を感じるひとへの恐怖

7日に発足した英トラス政権は、どんな性格の政権なのか?

すくなくとも彼女の経歴を見る限りにおいて、「自由主義経済」を標榜する人物だ。
それで、サッチャー元首相と比べられて、「サッチャー2.0」と呼ばれることには大反発している。

それにしても、国会議員に初当選して10年で首相になったのは、残念ながらわが国の政治風土ではありえないことだろう。
ここにも、わが国の「閉塞感」と、なんでもいいから「当選回数」という指標が無意味でも続く現実を見るのである。

さてそれで、就任前の党首選挙からいっていた「減税」が、蓋を開けたら「歴史的大減税」だったのである。
これには「内外」から、批判が殺到しているように報道されているので、どういうことか?をかんがえてみたい。

まず、これから参考にする「報道」とは、わが国を代表する「経済紙」の記事に基づく。
就任2日後の8日付けで、ロンドン支局の記者が、「識者」にインタビューした記事がある。

ロンドン大キングス・カレッジのアナンド・メノン教授。
このひとは、「EU残留派」とみられるひとで、「ヨーロッパ政治」が専門の先生だ。
すなわち、EU側に重心を置くグローバリストであるけれど、経済学者ではない。

それで、公約の「減税」は小規模にとどめるだろうと「読んで」いる。
なぜならば、大規模な減税はインフレを悪化させ、一段の利上げにつながって国民生活を苦しめるからだと解説している。

これが、「世界のトレンド」になっているらしい。

しかし、エネルギー高騰による生活への圧迫に対応する、「大型の支援策」を打ち出すように訴えているのだ。
これは、わが国政権与党とおなじ発想で、減税はいけないが「補助金バラマキ」は善とする、典型的な富の再配分、すなわち社会主義政策である。

どうしてこんな人物の言質をとったのかしらないが、そこに経済紙としての「編集方針」があることはまちがいない。
つまり、わが国を代表する経済専門紙は、社会主義がお好き、ということだ。

トラス女史が自由主義経済を標榜するのは、ハイエクを背景にしたサッチャー女史と、ミルトン・フリードマンを背景にしたレーガン氏が、英・米揃って「大減税」を実施して、スタグフレーションからの脱却をした「歴史的事実」も考慮の範囲にあるにちがいない。

ちなみに、近年空前の好景気・経済成長を達成した、コロナ前のアメリカは、トランプ氏によるレーガン時代よりも大規模な歴史的減税の効果であったことは、もはやいうまでもない事実だ。

共和党政権がやる「減税」を、民主党政権が中止してむしろ「増税」をすることは、この30年間の「歴史」でもある。
もちろん、バイデン氏の選挙キャンペーンも「増税」だったのである。
これを、「公約通り実施」するところが、アメリカらしい。

しかして、民主党に投票した有権者は、こんどは呆れて共和党へ投票するというわけで、アメリカの有権者はかならず1歩遅れて、損をしてから気づくのである。
わが国は、どんなに搾り取られても我慢して、政権与党を常に大勝させるのは、野党が与党に飲み込まれて、国民の選択の自由を奪われたからだ。

ブレグジットをやったボリスジョンソン氏が、その後はなんだかわからない中途半端さでウダウダしていたのは、ほんとうはグローバル全体主義側に近かったからではないかと疑っている。

とくに、今年1月にやったコロナ対策の「急転換=一切の政府規制の撤廃」は、国際刑事裁判所で被告人になった直後のことだったから、わかりやすいのである。

そんなわけで、「内」の大学教授だけでなく、「外」のアメリカ連邦準備銀行のなかの「アトランタ連銀総裁」が、26日に発言した、英国の大減税案に恐怖を感じる、といって「小規模化に期待」を示した。

根拠は、「内」の教授とおなじだ。

ちなみに、アメリカの中央銀行たる連邦準備制度は、理事7人によっており、その中の「議長」がトップである。
ただし、100%民間銀行なので、利益優先をさせる。
誰の利益かといえば、当然だが「株主利益」のことで、国民の利益ではない。
では誰が株主なのか?それは秘密の大富豪たちである。

それで、理事会の下に「連邦準備銀行」があって、全米に12行がある。
だからこの記事の「アトランタ連銀総裁」とは、「第6地区」を担当しているひとになる。

「総裁」といっても、支店長みたいなものだから、ちょっと地味なのだ。
けれども、本人は、次期連邦準備制度「議長」の筆頭候補になっているから、バイデン政権に阿った可能性が高い。
だとすると、学者出身として、とんだ曲学阿世の徒である。

そんなわけで、やっぱりアメリカ民主党的社会主義が大好きな「偏向報道」をやらかしているのである。

はなしはいったん飛ぶけれど、27日朝刊の「社説」では、イタリアの新政権にEUと仲良くしろと注文をつけている。

むかしは、経済学徒には必読の新聞だったけど、いまはプロパガンダ紙になったので、まじめに読むと脳が腐る。
やっぱり、せいぜい一面の大見出しだけを眺めれば十分な、その瞬間に「古新聞」になるものに落ちぶれた。

きっと、全国の役所が大量購読してくれてなお、政府広報予算がほしいのだろう。

そんなわけで、政権与党に阿って、「財政均衡のための増税はやむなし」、「減税なんてとんでもない」と読者を洗脳するにちがいない。

これがほんとうの「恐怖を感じる」ことなのである。

「イテジット」はあるか?

“British” と “exit”から生まれた「Brexit」は、2020年12月31日午後11時に実行された。

25日のイタリア総選挙で、「戦後初の右派政権」が誕生することになったけど、これを日本のマスコミは「ポピュリズム政権」と書きたてた。
まことに、読者を誤誘導する、「新聞」の名がすたる、もっといえば「企業の社会的責任」を放棄したものだった。

今後の予定は、10月13日に首相指名のための議会が招集されることになっている。
この3日後の16日には、北京で「全人代」が開かれる。
習氏の動向については、10月1日の「国慶節」が注目されている。

さて、イタリア人はどうして「転向」したのか?
欧州中央銀行(European Central Bank:ECB )総裁として、ユーロの防衛に成功した実績のあるドラギ氏を首相にしたけど、イタリア経済の衰退を止めることができなかった。

しかし、バイデン・アメリカ民主党とEU(委員会)が煽った「ウクライナ危機」は、「エネルギー危機」の大ブーメランとなって帰ってきた。
すでに夏からイタリア在住の日本人主婦が、SNSを通じて、「水道光熱費の高騰ぶり」を発信していた。

月間で20万円。

これに、イギリス在住の日本人が呼応して、「こっちもおなじ」と発信しているのである。
そこまでではない日本からは、なんだか別世界のようだけど、それは、「内外価格差」での「吸収」をしているからである。

しかし、とっくに為替の影響(円安)も含まれる「企業物価指数」は、9%程度にまでなっていて、我慢の限界を超えれば一気に「消費物価」に影響すること必至である。

身近な例では、マクドナルドが今年二度目の値上げを発表した。
購買力平価での為替相場で、有名なのが「ハンバーガー」と「ビッグマック」での比較だけど、妙に日本の方が「安い」ようである。

7月のロサンゼルスでのビッグマックは、単品で4.99ドル。
円相場は135円/1ドルだったから、約674円換算となる。
しかし、日本だと、390円だ。

ただし、日米の所得格差は3倍程度にもなっているので、アメリカ人のなかでの価値観でいえば、やっぱり「安い食べ物」になるのである。

この水道光熱費は、イタリアの「夏」でのことだから、冬場を想像するだけで「えらいこと」である。
ちなみに、欧州でもっとも厳しい状態になった「自然派」のドイツでは、20年間で電気代が10倍になっている。

これは、年率にして、毎年12%ずつの値上げに相当する。
同様の値上げで、テスラ車の満充電費が燃料車を超えたことでデモになったのは、ノルウェーでのことであると書いた。

しかし、何度も指摘しているように、EUという組織は、「EU官僚」が仕切る、「官僚独裁体制」なのである。
これは、設立時の事情だった、「日・米に対抗する」という目的から採用された「(合理的帰結としての)制度」だ。

もちろん、手本はわが国の「鉄板・官僚体制」だった。

それがアメリカに伝播して「SES」になって、ヨーロッパでは「EU(委員会)」になった。

ゆえに、道義的責任は「日本国民」にある、といえる。

EUは、民主主義の国家が連合してできている、のではなくて、民主主義を否定した、選挙とは無縁の官僚たちによって運営されている。
なので、「主権在民」を旨とする「共和制」でもない。

その最大の「主権者」が、EU委員長なのである。
つまり、「EU委員長」とは、選挙で選ばれる民主国家群を統治する「君主」なのである。
これを金銭面で支えるのが、欧州中央銀行だ。

加盟各国の中央銀行を、統治、している。

なお、ダミーとして、「EU大統領」とか「EU議会」があるけれど、制度上はまったくの「お飾り」で、なんの権限もないから注意を要する。
日本のマスコミは、EU議会の決議!とか書くが、EU委員長の権限を制御する機能はなく、あくまでも「ダミー」だ。

そんなわけで、今回のイタリア総選挙期間中に、EU委員長は、EUにそぐわないひとたちが立候補している、と指摘し、なお、もし当選したらEUは制裁すると発言したのである。

イタリアでは、「選挙妨害」だと認識されたけど、その「制裁」とは、ずっとハンガリーにやっている手法を指すはずだ。
すなわち、「EU交付金」の大幅削減である。
これがまた、ハンガリー人を「反EU」にさせている。

なお、「ハンガリー」とは、かつて「オーストリア=ハンガリー二重帝国」を構成した、ヨーロッパの名門国家で、「神聖ローマ帝国」にもつながるから、EUなる得体の知れない組織に対して胡散臭いと思う、EU官僚にすればやたら面倒なひとたちなのである。

「EU交付金」も、わが国の「地方交付税交付金」のコピーだ。
各国(国民)が負担するEUへの加盟費を、EU官僚の自由自在で使途を決めるやり方は共産主義とおなじだ。

ちなみに、今回第一党になった政党を、例によって「極右」としていて、ムッソリーニの「ファシスト党」を思い出させるキャンペーンをやっている。
しかし、ムッソリーニは、イタリア社会党左派(当時はイタリア共産党より左)から除名された、最強の「超極左」なのである。

まぁ、極右と極左はグルッと回っておなじではあるけれど。

新政権は早速にも、ドラギ氏をして失敗した「経済」をどうするかが問われることになって、ギリシャ危機で連鎖した「金融の脆弱性」が、再び蒸し返すことになる可能性が高い。

すると、現状では欧州中央銀行に頼るしかないから、EU委員長はきっとこれを妨害するにちがいない。
すると、欧州はふたたび「通貨危機」に見舞われる。

イタリアが「リラ」を復活できないのは、ギリシャが「ドラクマ」を復活できないのとおなじだが、これこそがハイエクが指摘した域内統一通貨「ユーロ」の脆弱性なのであって、イタリア経済の脆弱性の根本もここにある。

もともとが別々の国だったから、域内貿易の決済でつかわれた各国通貨の相場が調整機能を果たしていたけど、ユーロはこれを否定した。
ゆえに、経済力で勝るドイツの一人勝ちが、ドイツ人を「自然派」にした。
一方で、ギリシャやイタリア、スペインは、ドイツの奴隷になったのである。

しかし、世界経済フォーラム:ダボス会議は、こうした「破滅」を望んでいるのである。
これをきっかけに、「グレート・リセット」をやって、世界奴隷化を達成するのがその究極の目的だからである。

イタリアは、EUから脱出しようにも、いったん入った「ヤクザ組織」から抜けられないように、また、脱出を図る他国への見せしめも兼ねて、酷い目にあうだろう。

ならば、どうして「ブレグジット」はできたのか?
それは、英国がEUよりも深くて酷い「ヤクザ組織」だからである。
ならば、本場イタリア・マフィアはどうなのか?
おそらく、とっくにEUにからめ捕られているにちがいない。

いまやイタリア・マフィアが世界市場を仕切っている、「トマトの缶詰」こそ、新疆ウイグル自治区での奴隷労働の賜になったけど、イタリアで二次加工すれば「MADE in ITALY」になるのが「EU法」なのである。
なお、二次加工にもアフリカや東ヨーロッパあるいは中東からの移民が、奴隷労働させられている。

さては、「州」によるイタリア分離・独立か?
まさか、ロシアの「飛び地」を希望するかも。

いまさらの「AWS」

あのアマゾンが提供している、クラウドサービスのことである。
「Amazon Web Services:AWS」。
事業開始は、2006年3月14日なので、もう16年半も経っているから、「いまさら」なのである。

アマゾンといえば、巨大な「eコマース」事業で、いわゆる「ネット通販」の巨人だと思いがちだけど、会社の収益としてみれば、なんと6割ほどがAWSからのものになっている。

つまり、通販事業で儲かってはいない。

そもそもが、eコマース事業で必須の「サーバー」を、他人に貸し出すという発想から生まれた事業だというから、そのアイデアの源泉は、「自分たちだったらこうして欲しい」を「商品化」したともいえる。

企業内での内輪な需要をしっていたことが、爆発的な外部からの支持になり、契約獲得に結びついた、ともいえる。
ここが、単なるサーバーの「賃貸」とはちがったので、既存のレンタルサーバー事業者と直接的な競合をしないで済んだのだ。

それで、わが国に「上陸」して、サーバーを設置したのが2011年のことだった。
だから、国内サービスとして11年の実績がある。

アマゾンのことだから、世界に目を戻すと、AWS同様のサービスにおけるシェアは、すでに45%を超えている。
ちなみに、2位はマイクロソフト(21%)、3位グーグル(18%)となっている。

なので、この3社で世界シェアの84%を「独占」しているのである。

「ネット社会」とふつうに口にしているけど、それは、この3社なくして成りたたない「ふつう」なのである。
この意味で、格差社会のおおもとでもある。

いま、稼げる職業スキルとして、「AWSエンジニア」が知る人ぞ知るになってきているのは、このシェアの確保と契約拡大がまだまだ続くと予想されているからだ。

その「資格制度」は、「AWS認定資格」と呼ばれている。
もちろん、日本政府が関わる国家資格ではなくて、アマゾンが定めている「民間資格」である。

しかし、とっくに国家を超越した存在になった、グローバル企業の代表がアマゾンだから、その価値も国家を超えている。
日本政府の役人は、国家資格制度すら「利権」にしてきたけれど、もう、このような民間資格に太刀打ちすらかんがえるのもムダになった。

じっさいに、AWSの資格もたくさんあって、「初級」から「上級」まで用意されているものの、途中には専門性が問われる「分岐」もあるから、直線上に並んではいない。

これは上述したように、AWSが単なるサーバー・レンタル・サービスではないからだ。
むしろ、これを土台に、開発環境やソフトウェアを提供していることに「強み」がある。

これらの「サービス・メニュー」は、170種類を超えているので、顧客への案内係としての資格保持者が欠かせないのである。
つまり、顧客への知識提供の「標準化」のために必要な資格になっていて、案内が終われば「開発段階」にも資格保持者がいるという「段構え」になっている。

当然だが、提供するサービスのアップデートも重要なサービスだから、年間で2000回ものアップデート(機能追加)が行われている。
それで、資格保持者もこれに対応しないといけないのだ。

しかも、その機能追加は、利用顧客からの直接的な要望に基づく、ということも注意がひつようで、提供側の都合ではない。
さらにこのことが、規模のメリットを出すので「値下げ」にもなって、それがまたシェア拡大の原動力という好循環になっている。

さてそれで、わたしのような個人がAWSを利用するのはどういうことなのか?をいえば、それは、あまたあるなかでの、「仮想デスクトップ」サービスに魅力があるからだ。

企業ならば、リモートワークの実施に重要な意味をもつ。

これは、自分のパソコン(ipadでも)をネットでAWSに接続すれば、たとえば、「ウィンドウズ10」とか「11」の仮想デスクトップを使えるようになるのである。

これらは、サーバー上にあるから、自分のパソコン画面に出ている表示は、そのパソコンの表示ではない。
すると、これは、パソコンメーカーに壊滅的な打撃を与えるサービスなのである。

つまり、通信速度や安定性さえ確保できたら、自分のパソコンのスペックは、ほとんど意味をなさないからである。
どんなに遅い、あるいはちんけなCPUやらメモリーのパソコンでも、AWSサービスが提供するスペックのままになるからである。

もちろん、OSも関係ない。
アップルのMacOSだろうが、ipadOSだろうが、AWSのデスクトップ環境(例えばウインドウズ)に依存するからである。

ハイスペックな高級機とか、1万円台のゴミPCとかという、これまでの機種による値段差もなにもかも、吹き飛ばすことになる。

M1Macが発売されて、ウインドウズの仮想デスクトップを使えるようにするソフトも進化して、このソフト導入時にウィンドウズも正規に購入できることになったけど、AWSなら関係ない。

会社なら、社員の自宅PCを使っても、そのPCにファイルをダウンロードさせる訳でもないから、リモートワークにおける会社から見た安全性は確保できるのである。

そうやって、アマゾンに使い方をしられても、一度使ったら元には戻れないから、拡大の一方通行になっているのだろう。
最初は無料というのも、人生の長さではたいしたことではない。

むしろ、アマゾンは、マイクロソフトやアップルも敵に回すことを承知でサービス展開しているのである。

ここに、グローバル全体主義のアキレス腱がある。

習失脚風聞の価値

サマルカンドの「怪談」から大急ぎで帰国したら、そのまま「自宅軟禁」されたという「うわさ」がニュースになって世界をまわった。
もちろん、現実がどうなっているのか?は、現時点ではわからない。

留守中のクーデターを仕掛けたのは、前(国家主席)職の胡錦濤と首相職の温家宝だという「実名」まで飛び出して、その実態が「江沢民派」だと示唆している。

与太話の可能性はあるけれど、世界を「うわさ」が駆け巡るのは、「さもありなん」という「リアル」と「期待」があるからだ。

期待はもちろん、グローバル全体主義の側にあって、毛沢東を信奉する習派では、せっかくグローバル化した中国経済が壊されることへの「反発」が、とうとう失脚にまでいったことにある。

おそらく、コロナにかこつけた「上海ロックダウン」も、習派による江沢民派への大弾圧だったにちがいないけど、江沢民派の「根っこ」は、欧米大富豪たちを肥らせた「利権」にあるから、国内ばかりが敵ではないのである。

この意味で、ナショナリズムの守護者プーチン氏と習氏は、おなじ「志し」であって、トランプ氏もこれに加担する。
安倍氏はまっ先に始末されたので、本人の本音は永遠に不明となったが、きっと「これらの仲間」とだれかに断定されたのだろう。

奇しくも、物理学者の解析で、安倍氏を襲った銃弾の「発砲音の時間差」が指摘されて、現行犯逮捕された人物が「ダミー」だった可能性が高まっている。
最近では、「空砲説」も出てきているのだ。

そのなかのトランプ氏は、ニューヨーク州検察当局から起訴の予告をされた。
本人と家族ならびに彼の会社に関して、ニューヨーク州内での活動の禁止と罰金刑を求刑する、と。

これはグローバル全体主義とナショナリズムの決戦の「局地戦」ではあるけれど、当事者たるニューヨーク州検察官も、選挙で選ばれるという仕組みをしらないと、日本人は誤魔化されるのである。

つまり、前回の「中間選挙」における、ニューヨーク州検察官選挙で当選した現職の「公約」が、任期中のトランプ氏逮捕であったのだ。
それが間もなく、11月の中間選挙までに達成できないことは、そのまま「公約違反」となる。

わが国の「官僚制」は、完全支配体制として、近衛内閣が基礎をつくって、田中角栄が完成させた。

戦後といえどもGHQは、この体制を継続させたのである。
そのGHQは、「憲法」を書き換えたけど、それは建国以来のアメリカ憲法とはぜんぜんちがう、「スターリン憲法」を下敷きにした。

こうして、わが国は、ひそかに「ソ連」の血を引くことになったのである。
これを、安倍氏亡き後のいま、岸田政権が「復活」させようとしている。
すなわち、わが国は「真性ソ連」になるべく、改造させられている。

まったくの妄想だが、安倍氏とプーチン氏の会話に、「あんたの国はソ連になっちゃうぞ」と警告されたのではなかろうか?

そんなわけで、アメリカは、ほとんどの「公職」を選挙で選ぶ国である。
それでもって、わが国にも「公職選挙法」があるけれど、「公職」を思い切り限定したから、アメリカの「公職」がわからなくなった。

実際に、あてにならなくなったとはいえ、今年のニューヨーク州検察官選挙での現在の情勢は、なんと、ご当地では「あり得なかった」共和党候補が優勢なのである。

焦りがある現職が、背水の陣でトランプ氏などを「有罪にする」ための「なにか」をしないと、後がない状態になっている。

本来ならば、こんな検察官でもなんでも民主党なら応援する、ニューヨークタイムズ紙が、さすがに「無理だ」と書きたてた。
それもこれも、とかげの尻尾切りかもしれないのは、州知事や州議会選挙においても、共和党が優勢という歴史的展開になっているからだろう。

すなわち、世界は、局所から大局にいたるまで、グローバル全体主義とナショナリズムの決戦状態になっている。

なかでも、複雑な中共の権力闘争で、ナショナリズムの習氏が失脚するともなれば、すぐさまロシアへ影響する。
すると、先日、北が撃ったミサイルの意味とは?あんがいとロシアからの合図の「のろし」だったかもしれない。

そんなわけで、ロシアは、こんどは中国向けのパイプラインを止めた。

一応「点検のため」と発表しているけれど、タイミングがピッタリなのである。
つまり、中共のグローバリストたちへの警告ともとれる。

けれども、世界のグローバリストたちは、ロシアを東西から挟み撃ちする状況になってきたのだ。
次はロシア国内で「騒乱」を企図するのではないか?
それは、ウクライナでやった「マイダン革命」とおなじ手法だ。

KGB出身のプーチン氏にはお見通しだろうけど、国家組織の脆弱性がプーチン氏の弱点になる。
わが国の「鉄板」官僚体制が、ソ連体制でもできなかったのは、おおらかにして適当な「ロシア人」の特性だからなのだ。

この「冬」は、第三次大戦の「暑さ」になるのかもしれない情勢に、いよいよ近づいているかもしれない。

そんななか、25日、イタリア総選挙では「極右」が第一党に躍り出た。
フランスのルペン氏や、ドイツの「ドイツのための選択肢: Alternative für Deutschland:AfD(アーエフデー)」の台頭と似ている。

なお、グローバリストが支配するマスコミが「極右」と書くのは、ナショナリストへのレッテル貼りのプロパガンダだ。

西からロシアを攻めるEU・NATOのなかが、すり鉢状態になっている。
世界のこの「混沌」は、世界という「すり鉢」における互いに身を粉にする闘いになっているからである。

それもこれも、習氏の身辺が注目されるのである。

雷は地上から上空へ「昇る」?

台風なのか?熱帯低気圧なのか?それとも温帯低気圧か?が曖昧な、一応台風15号が通過した。
横浜は、ずっと「ゴロゴロ」と雷鳴が轟いていたけれど、音だけだった。

先週の14号では、ごく近所に三つほど「落ちて」、よくも停電しなかったものだと思うほど「腹」に響いたものである。

昔から、雷は「落ちるもの」だから、ちゃんと「落雷」というけれど、おどろくことに、雷は「地上から上空へ」電流の柱が「昇る」のである。
たしかに、小さな電流があちこちの上空から降りてきて、これが地上に到達すると「通電」する。

しかし、それだけ、では雷にならず、通電の瞬間に今度は「雷」となって、上空に昇るのである。
それが、「稲妻」だ。

人間の目には、上空からの小さな電流が見えない。
見えるのは、「稲妻」である「雷光」で、それとプラズマ化で空気を裂くことでできた「雷鳴」が、同時に「落ちる」ように感じるのである。

つまり、稲妻の前段階である、地面に通電する、という点では「落ちてくる」のでる。

では、上空とはどのくらい「上」なのか?
「水蒸気」でできている「雲」は、「対流圏」までしか存在できない。
ジェット旅客機が巡航する、「成層圏」に雲はない。

すると、だいたい地上から極地では6キロメートル、赤道で17キロメートル上空が「対流圏界面」という境界になっている。
なので、小さな電流が落ち始めるのも、この高さを上限とする。
なお、このあたりの気温はマイナス50度はある。

それで、水蒸気は氷粒になるけれど、「核」となるなにかがないと水蒸気が集まって固まらない。
これがまた、太陽からの「放射線:太陽風」による「塵」が材料なのだ。

この氷粒が落下して、温度が下がると雪になり、さらに温度が下がると雨になる。
雨になるのは、だいたい4キロメートル上空から下なので、ここから地上に降るまでに空気抵抗もあって1時間~40分ほどかかる。

つまり、いま傘に当たっている雨粒は、1時間前に「降り出した」ものではあるけど、おそらくさらに上空にあって、氷粒だったものである。
それも、「太陽風」がないといけないので、水蒸気だけではいけなくて、どこまでも「太陽のおかげ」なのだ。

しかし、空中の「電荷」は、最上部は「プラス」、雪から雨になるあたりが「マイナス」、それから下がまた「プラス」になっている。
もちろん、「地面」は、「アース」なので、「マイナス」である。

なんだか電池を2本つなげたような。

これが空気中でバリバリしながら、地上に来ずに済んでいる状態もある。
それでもって、科学の結論は、雷は4種類ある、だ。
上から下、下から上がそれぞれ2パターンずつ。

結局のところ、電子の流れと電流の流れの組合せで、これがプラズマになったのが雷だ。
やっぱり、雷光になる前の状態は目に見えない。

すると、目に見える状態になったとき、とは、ほぼすべてが終わった状態を示す、ということだ。
つまり、結果、である。

こうしたことは、自然現象だけでなく、社会現象でもいえる。

目に見えない作業を「仕込み」といったり、「準備」といったりするし、もっと大がかりになれば、「計画」ともいう。
この計画が、なんだか物騒なものなら「陰謀」ともいう。

なので、よくある「陰謀論」を相手にしない、という態度は、あんがいと「計画」の意味をしらないと自白している側面もある。

一般的に、計画をたてるときに気をつかうべきことに、「科学的アプローチ」があることはしられている。
しかし、社会の全員がしっているとは限らない。

これは、科学的アプローチを常識とする企業・組織のなかに、仲間入りしないといけないからである。
ならば、小・中学校や高等学校・大学で、どうして科学的アプローチを教えないのか?といえば、教師たちがしらないからだ。

わが国で教師になるのは、「大卒」でないといけない。
だから、大学でも習わないと、教師になってもしらないままなのである。
すると、大学の教師もしらない、ということになって、一部の教授が「組織論」を授業している状態だけがある。

組織論は、授業であって、その大学組織を云々することはない。
ここが大学の厄介なところで、あんがいと「灯台下暗し」なのである。

そんなわけで、目に見えないことの重要性を、科学者はしっているが、文系は無視する。
こうして同様に、科学的アプローチもしらないで、なんとかなるのが文系の世界になったのが、日本の経済力を劣化させているのである。

もちろん、国民がそんな状態になれば、おのずと政治家もそんな状態でいられるから、こんどは一部の政治家が科学的アプローチをやろうとすると、へんな邪魔がはいるのである。

それで、国民はそのへんな邪魔を支持するように仕向けられて、科学的アプローチを嫌がるのは、そのほうが「楽」だからである。
残念ながら、この意味で日本人は「勤勉さ」を失った。

たまには、雷が昇ることもあるのだとしってみても、それがどうした?自分には関係ない、というひとたちになってしまった。
ならば、なになら関係があるのか?

これが、経済「貧困化」の原因で、それは、「精神の貧困」からやってくるのである。

バカを繰り返す愚か者たち

「戦後」といえば、日本人には「大東亜戦争の敗戦後」のことをいう。

なお、「太平洋戦争」というようになったのは、「戦後」GHQによる占領政策による「命令」であった。
こうした、「占領政策」が、主権回復(昭和27年4月28日)後も、ダラダラ適用されている不思議がある。

主権回復後の当時の「国会」は、それでも頑張って、社会党議員からの発議で、「戦犯の名誉回復」を全会一致で決議した
よって、わが国にはこの決議をもって、法的に戦犯は存在しないが、「いるように」プロパガンダされていて、それが効をなしている。

これをやっているマスコミが、「国会軽視」とか、「法治国家」という。

われわれ国民は、これもプロパガンダだから、国会軽視は現実で、法治国家ではないことに目を開くひつようがある。
すなわち、ぜんぜん「主権在民」の民主主義ではなくなっている。

その証拠に、旅館業法改正案では、マスク着用をしないひとの「宿泊拒否」を認めることになっている。
まことに恐ろしい、「任意」が「強制化」される瞬間になる可能性に、だれも批判しない。

こうして、全体主義は、ヒタヒタとやってくるのである。
そして、「たかがマスク」から、気がつけば個人の自由がほとんどない社会に変容する。

さてそれで、戦勝国のアメリカをみれば、この国は建国以来「敗戦の憂き目」をみたことがない、「偉大な国」となっている。
もちろん、「偉大な国」というのは、愛国的自信から発せられる「自慢」である。

しかし、この「自慢」の意味は、あんがいと複雑で、迫害を受けてアメリカに移民したひとたちの子孫としての、出自であるヨーロッパに対する「当てつけ」という意味もある。

むかしの日本人は、アメリカの歴史の薄さをバカにしていたけれど、それは、神話も含めた日本の歴史についての知識があったからで、神話を含めた歴史の知識を子供に授けてはいけない、というGHQのお達しから、いまでは自国はおろか、アメリカの歴史も無視してはばからない「いまだけ」の視点になっている。

だから平気で、「アメリカの保守派」なることばをつかう。

このときの「保守」とは、あたかも自民党的保守をイメージしているから、始末が悪いのである。
つまり、「価値観」がおなじだと。

そんなはずはない。

アメリカ人と日本人の価値観がおなじだとする感覚が、すでにグローバリズムに染められてしまったことになるから、そんな発想をしていたら、すぐさま「解毒剤」を用意すべきだとおもうのが健全というものだ。

しかも、このばあい、「アメリカ民主党の価値観」であることが多いのである。

前にも書いたが、アメリカ民主党の勢力圏は、沿岸部になっている。
東も西も、沿岸部はおおよそアメリカ民主党の牙城だし、島であるハワイも同様だ。

これは、「新規」移民受け入れ口としての立地が原因なのである。
建国前からの「移民」と、建国後しばらくしてからの「移民」の「質」におおきな変化があった。
むかしの移民は、宗教や政治の「難民」であったのに、建国後の安定からは、外国で喰えないひとたちが経済移民になったのである。

この意味で、日本人移民とは、その多くが「棄民」であった事実がある。
日本政府は、自国民を「棄民」する、歴史的伝統をもっている。

そんなわけで、民主党が戦争をはじめて、共和党がこれを終結させる。
「戦争屋」が、沿岸部で支持されるのは、「喰えればなにをしてもいい」という、ヨーロッパ下層の乞食の発想があるからである。

それで、うまいこと「乞食」を美化したのが、マークトウェーンの『王子と乞食』だった。
アメリカ人が「母国」イギリスをこき下ろした、ともいえる。
果たしてこれは、児童文学なのか?

このパターンが、壊れたのは、共和党ブッシュ息子政権だった。
このときの主義主張は、「ネオコン」で、ラムズフェルド氏がその代表として名前をあげた。

「ネオコン」とは、「あたらしい保守主義」と直訳できるけど、実態はどこにも「保守主義」の香りはしない。
アメリカの場合の「保守主義」とは、「建国の理念を守る」ことをいうから、そもそもなにが「あたらしいのか?」になるのである。

つまり、これは「民主党」の戦争屋に親和性がある、という意味で「あたらしかっただけ」なのだ。
それゆえに、いまは「RINO:Republican In Name Only:名ばかり共和党」と、新定義された。

すると、クリントン政権からオバマ政権までと、トランプ政権を除く、いまのバイデン政権まで、ずっとアメリカは「戦争屋」の政権が続いている。
これに追従しますと宣言したのが、岸田氏による「あたらしい資本主義」なのである。

ウクライナをダシにして、ロシア解体を目論む貪欲な戦争屋が、とうとうプーチーン氏を追い込んで、ウクライナ東部4州(ぜんぶロシア語地域)の「併合」になりそうだ。

ロシア語を話すひとたちへの、虐殺行為が終わらないからである。

これらが「ロシア領」となれば、侵略者はウクライナになるし、これを支援するNATO=EUとアメリカも侵略者になって、日本も同様なのである。

もう、「バカはやめなさい」という、国も政治家もいないのか?

履歴書に顔写真を貼る意味

ずいぶんと前に書いた話の、別角度からの蒸し返しである。

履歴書に顔写真を貼らせる文化は、おそらく世界の先進国で日本「だけ」になっている。

もちろん、日本は先進国なのか?と問われると、「もはや経済でも一流ではない」と歴史的発言をした、2008年1月18日の大田弘子経済財政相の「経済演説」から何も変わっていない。

この演説は、毎年通常国会がはじまると恒例の「政府4演説」の中の「経済演説」であった。
他には、内閣総理大臣の「施政方針演説」、外務大臣の「外交演説」、財務大臣の「財務演説」がある。

大田大臣が指摘したのは、ひとりあたりのGDPが、OECD加盟国のなかで18位になったことを根拠にしている。
2021年のデータでは、さらに「落下」して、加盟38カ国中23位となっている。

ちなみに、わが国のひとりあたりのGDPでの「ピーク」は、1997年の「4位」だった。
1位:ルクセンブルク、2位:スイス、3位:ノルウェー。
1位と2位の順位は、いまも変わっておらず、ノルウェーが4位になっている。

さて、1997年とは、平成9年のことである。
この年の、総務省統計によると、各家庭でのインターネットの普及率は、9.2%だった。
これとパソコンの普及率は、ほぼパラレルである。

2020年では、これが83.4%になっている。

すると、いまようにいえば「デジタルトランスフォーメーション」をすると、国民ひとりあたりのGDPが「下がる」ということになっているのだ。

昨年12月の「企業PC実態調査」(Biz Clip:NTT西日本が運営するサイト)による従業員数別に見てみたところ、99人以下の企業でも90.4%と9割を超えて、5000人以上の企業で98.6%、1万人以上の企業で97.5%と、高い導入比率の中でも大企業のほうがより高いことがわかった。

これは、大企業の方が「生産性が低い」かも、という仮説が成りたつ。

ならば、OECD加盟国のインターネットやパソコンの普及率は、低いのか?といえば、そうでもない。
ただ「バラツキ」があることは確かだ。

すると、なにがこんなにも「ちがう」のか?

わたしは、マサチューセッツ工科大学(MIT)が、1989年に発表した『アメリカ再生のための米日欧産業比較』(MIT産業生産性調査委員会)、邦訳は『Made in America』(草思社、1990年)の「訳者まえがき」にヒントがあるとかんがえている。

その訳者、依田直也氏の経歴は、同書によると、工学博士だけでなく、トップ・マネジメント経営理念、長期的経営戦略、産業政策論、未来論といった専門分野が広く、出版当時は東レ経営研究所専務であった。

さてそれで、依田氏の指摘は、レポート本文で「かつての強みが、弱みに変わる」ことに注視していて、日本の強みが弱みになることの「警告」をしている点にある。

また、MITの方々がサジェッションしてくれた、「日本も民間でこのような(本書のような)調査をすべき」を、日本人は「やらなかった」ことにあるとかんがえている。
つまり、日本人は、民間でなく政府に依ったのであった。

なぜ、MITの方々は「民間で」にこだわったのか?
それは、経済活動はあくまでも「民間部門が主体」だからである。
むしろ政府は、その民間経済活動の邪魔をしたがる存在だからでもある。

もちろん、ぜんぶが「自由」ではなくて、安全にかかわる「規制」は、政府の仕事である。
しかし、それ以外の規制は、政府に利権をあたえる手段になってしまうものだ。

この「安全」には、消費者への安全はもちろん、経済安全保障という側面もあるのは、国民経済を守ることも、政府の仕事だからだ。

すると、わが国の問題点は、組織運営のマネジメントに関する訓練が、産業界の常識になっていないことが、国際競争での「敗北原因」ではないか?とおもわれる。

つまり、「経営力」の弱さをいう。

これは、経営者の経営力でもあるし、管理職の管理能力でもある。
わが国は、幸か不幸か、敗戦後の「公職追放令」によって、従業員から経営トップになる「慣習」がつくられた。
人事用語でいえば、資格要件を満たさない人が、社内昇格することになったのである。

これを、「三等重役」と呼んだことは、前に書いた。

もちろん、欧米のやり方がぜんぶ正しいとはいわないけれど、彼らの仕組みは、良し悪しでなく、経営者や管理職は、それぞれが「専門職」として扱われていることに注視したいのである。

わが国では、なんとなく「総合職」という区分になるけど、「総合」ゆえに、人材育成についての個人別将来計画が存在しないで、場あたり的な異動と昇格が「ふつう」なのだ。
「偶然」が支配するようになっている。

偶然巡り会った上司や同僚によって、職業人生がつくられていく。

そんなわけで、応募の時から「履歴書に写真」をつけて、善男善女の印象操作を若者に強いるのは、入社後の評価とおなじ、中身よりも見た目重視の安易があるとかんがえてよい。

こんな企業組織風土が、国全体の経済を「落下」させているのである。

最大原発砲撃は、やっぱり

「状況証拠」の話である。
場所は、ウクライナ南部ザポリージャにある。
欧州最大規模の「稼働中」の原発だ。

規模はどうであれ、「稼働中」の原発を「砲撃」したのは、人類史上「初」の暴挙であることにかわりはない。
それで、ウクライナ大統領は、「暴挙だ」とロシア軍を名指し非難した。
一方で、ロシア軍は国連に、ウクライナ側砲撃の「証拠」を提出した。

もちろん、わが国を含めた「西側のマスコミ」は、もはや正気を失って、双方の主張を両方とも公平に扱うことをやめたので、一方的に「ウクライナ側」の肩を持つ「報道」に徹している。

何度も書くが、これは、「プロパガンダ」であって、報道ではない。
けれども、プロパガンダの「セオリー」は、情報の受け手に「これが報道だ」と思いこませるひつようがあるために、「情報統制」をやって、あたかも「報道」の「偽装」をするのである。

つまるところ、「情報鎖国」する。

なので、その「籠」のなかの住民たちは、「余計な情報」を耳目にしないし、さらに、プロパガンダは、「正義を煽る」から、ジョージ・オーウェルが『1984年』で書いたように、「二分間憎悪」を視聴者に仕向ける。

こうして、知らぬ間に訓練させられた視聴者は、テレビの美人アナウンサーの言葉どおりに、「ロシアを憎み」、「プーチンを悪魔」だと信じることに、積極性まで持たされる。
それで、居酒屋談義でさえ、「悪の権化はロシア」になるのである。

おなじパターンが、トランプ氏にも使われているから、アメリカでトランプ人気が衰えるばかりか盛り上がっている事実に、日本人はもう「適応できない」までに訓練されたので、その情報自体を信じないか、あるいは、トランプ氏を支持しているアメリカ人を「馬鹿者たち」と思うのである。

これは、「安倍氏国葬反対運動」にもいえる。
わたしは、安倍氏の国葬に懐疑的ではある。
それは、おもに「アベノミクス」なる社会主義経済政策に反対してきたからである。

だから、若い時分から社会主義・共産主義・全体主義に「賛同」してきたひとたちが、どうして国葬反対運動に熱心なのか?が不思議なのである。
安倍氏の功績としてあげられる、「国防」が気に入らない「だけ」なのか?
そこまでして中共の支配を受けたいのか?

レーニンがいった「役に立つ白痴」、だとしか思えない。

さてそれで、ザポリージャ原子力発電所への砲撃の犯人探しの話である。
これには、「ウクライナ軍」の突如の攻勢で、東部地域の「領土奪還」の勇ましい「ニュース」が絡んでいる。

もちろん、このニュースも「プロパガンダ」である。

とにかく、後退を余儀なくされたという「ロシア軍」の方の話が「ない」から、ぜんぶが「大本営発表」状態になっている。
わが国マスコミは、「大本営発表」を「自主的に」やっていて、恥ずかしいと微塵も思わないほどに劣化した。

しかし、ロシア軍は「いなかった」のである。

なぜか?
「ウクライナ軍」の攻勢にまつわる事前情報をキャッチしたからだ、という情報も出ているけれど、すでにこの地域もふくめて、ウクライナ全土がエネルギー枯渇の事態になっているのだ。

枯渇させたのは、ロシアである。
もう、この地域の気温は、東京でいう「晩秋から初冬」になっている。
地図で「緯度」を確認されたい。
なお、東京は暖流の黒潮があるために、「温暖」だという特徴もある。

それでもって、「ウクライナ軍」の進攻に、地元住民たちはどうしたのか?
こぞって「逃げた」のだった。
どこへ?
ロシア軍が制圧している地域へ、である。

なので、衛星写真だけで大騒ぎになった「4月のブチャ」でのように、今度は多数の遺体が墓地で発見されたことも、犯人が「怪しい」のである。
なぜなら、ロシア側に逃げる住民心理のなかに、自分はロシア語を話す、という理由があるし、ロシア軍への協力者は「裏切り者」とするのがウクライナ側の言い分だからである。

1940年、ポーランドで起きた「カチンの森事件」が、重要な過去事例なのだ。
約22千人のポーランド人将校、 警官、 知識層を含む一般人が、当時ソ連のNKVD (内務人民委員部)によって虐殺されたのである。

これをいま、ウクライナのナチがやっている可能性がある。

なお、「ウクライナ軍」は、とっくに消滅しているから、「報道」でいう「ウクライナ軍」という言い方も、プロパガンダである。
「政府親衛隊」が正しい。

ところで、ザポリージャ原発とこの地域を「占領」していたのは、ロシア軍である。
原発施設は、軍ではない別組織が占拠して「運転継続」していたのだ。

だから、「砲撃」したのがロシア軍だというのは、味方同士のことになる。

ところで、この原発をどうしてロシア側が占拠しても「運転」できるのか?
それは、この原発の稼働開始が、1985年、つまりまだ「ソ連」だったからである。
東欧で「体制転換ドミノ」が起きたのは、1989年からなのだ。

そんなわけで、IAEA(国際原子力機関)は、ザポリージャ原発への砲撃での、「安全運転」に関して、ロシア側の努力を評価する、と声明を発し、さらに、IAEA職員を常駐させると決定したのである。

国連大好きなわが国マスコミは、これを、「報道しない」ということで、関連するニュースがみな「プロパガンダ」だとばれたのである。

状況証拠はもうひとつ、ザポリージャの住民たちが、砲撃中止の請願署名を、ウクライナ政府に提出した。
その数、2万筆。
なお、この地域の住民人口は、2021年推計で53千人である。

ついでに、本件で、アメリカ側はなぜか「沈黙」しているのである。
なお念のため、「国連」は、ロシアのいう「特別軍事作戦」扱いを「正式」としていて、「戦争」という用語は用いていない。

なぜ「特別軍事作戦」なのかといえば、東部二州が独立宣言して、これをロシアが承認し、さらにこれらの「二国」とロシアは、「安全保障条約」を締結した。
よって、ロシア軍の行動は、「安保条約の履行」にすぎないからである。

だから、これが「日米」のこととおなじ状況であることを日本人に気づかせない努力がされている、ともいえるのである。
しかしながら、アメリカはロシアのように日本を助けるために「血を流す」のか?の疑問がのこる。

戦争をやりたいひとたちが、最初から「戦争」と呼んでいるのである。

「塩」はどこまでブランドになるか?

「塩化ナトリウム:NaCl」を主成分にした食品を、「塩:しお」という。

地球の生命が「海」で生まれて、両生類から陸上生物へと「進化」したので、動物としての人間の身体も「海」での名残があって、「塩」がないと生きていけない。

それがわかるのは、熱中症や日射病になったとき、水分とともに塩を摂取することで「回復」するからである。

むかしエジプトにいたとき、よくピラミッド周辺で、顔を赤くして休んでいる日本人観光客をみかけた。
「同胞」として、ホテルの朝食テーブルにある塩が入った紙袋をわたしてあげたことが何度かある。

もっとも「効く」のは、貴重な「フリーズドライの梅干しタブレット」で、これを差し出したら、「わたし梅干しが嫌いなんです」といわれて、呆れたことがあった。

ただし、帰国後「初版」の執筆をしたのが、『地球の歩き方』だったので、この当時の日本人観光客のほとんどは、『ブルーガイド』を手にしていて、遺跡の情報は豊富だけど、「過ごし方」を知らなかったのである。

日本人は、島国の住人だから、「塩」は海から汲んだ海水からつくるのだと思いこんでいる。
しかし、あんがいと大陸では、陸で掘った「岩塩」が一般的なのだ。

もっとも、その岩塩が、塩の岩になったのは、太古の海が干上がったのと地面が隆起したのとが重なってできたものだ。
それでまた、さまざまなミネラル分を含有することになって、それが「色」にも反映されている。

ミネラル分とは、もちろんミネラルウォーターにも入っているミネラルのことで、なんだか「貴重な成分」に感じるけれど、ミネラルとは、「無機物」のことをいう。
つまり、「炭素」がない物質のことをいう。

「炭素」があると、「有機物」になって、われわれの身体の構成物質となる。
もちろん、「無機物」も、ないと生きていけない。
それは、金属、塩(えん)類、水、水素、酸素、窒素などだからである。

要は、「炭素:C」の有無で、物質を二分しているのである。

水(H2O)とは、「純水」のことだ。
これは、「飲んでうまい」ものではない。
なぜかスパーに「純水サーバー」があって、容器代はとるけれど中身は「無料」となっている。

掃除用に使っているのだろうか?
洗車に適しているけど、量がたりない。

「うまい水」には、大雑把にいえば、ふたつの特徴がある。
・適度な不純物(ミネラル)が含有している
・分子クラスタが細かい

「山の清水」がうまいのは、このふたつが満たされているからだ。

ちなみに、水の分子クラスタは、「のどごし」に影響する。
グビグビ飲んだとき、のどに水が引っかかって痛いことがあるのは、その水の分子クラスタが「大きい」とおもわれる。

「水」自体も、じつは不思議な物質だけど、「塩」もありふれていながら特徴がある。
いわゆる「塩化ナトリウム」は、よくある電子の「共有結合」ではなくて、「イオン結合」によってできているので、水にふれると、共有結合している水分子の電子による電気作用で「結合」がはずれてしまう。

それで、塩はかんたんに水に「溶ける」のである。

しかしながら、「純水」と同様に、塩化ナトリウム「だけ」の塩は、人工的・工業的な製品だから、「自然塩」となると、他のミネラルを含有しているのがふつうだ。

なかでも、マグネシウムは、「にがり」成分であるから、海水塩の自然塩ほど、なめるとやや苦いのである。
塩なのに「甘い」ことがあるのは、カルシウムのはたらきで、もしも「酸味」があったら、カリウムのはたらきだ。

1㎏100円の塩は、ほぼ塩化ナトリウムだから、とにかくしょっぱい。
むかしは「専売」だったから、日本人の生活では、これしかなかった。
いま、たくさんの塩が販売されているのは、「専売廃止」による、自由化のおかげだが、選ぶための知識を学校で教えないから、戸惑うのである。

しかも、販売価格も「ピンキリ」なのである。

生活が豊かになるとは、「選択の自由が増す」という意味があるけれど、選択肢が多すぎるとひとはその品への興味もなくしてしまう。
これは、心理的に追いつめられることでの、「欲求不満行動」なのである。

「塩なんかどれでもいいや」となる。

いってみれば、塩化ナトリウムと各種ミネラルの配合具合は、無限大の組合せになるけれど、塩の産地は限られている。
それで、それをどうやって「売るのか?」となれば、どうしても「成分の話」になるものだ。

しかし、受け手側の「化学知識」が欠けていたら、それが何なの?となって、心の琴線に届かない。
ゆえに、「教育」をしかけないといけない、ということになる。

一方で、難しいことはどうでもいい、「美味いが一番」ということになると、またまた厄介なのが、料理に合わせた「塩の種類」を用意しないといけない。

これは、産地からしたら「一択」なので、他の産地のものとの「比較」とか、用途についての紹介が欠かせないのだが面倒である。
そんなわけで、知る人ぞ知るはあっても、なかなか「ブランド化しない」のだ。

長野県大鹿村は、村立中央構造線博物館と中央構造線の真上にある。
ここの「鹿塩温泉」の湯は、世にも不思議な、山中の「塩水」で、その成分が「絶妙」という。
マグネシウムが「適度」な含有だという。

おそらく、太平洋プレートが沈み込んで、プレート中や海底を移動中に堆積した物質が、大陸プレートの強烈な圧力で「搾られて」、岩石内のもとの海水が出てきているとかんがえられている。

「岩にしみいる」のではなくて、岩からしみだすのである。
こうした岩石は、分子レベルまで粉砕される、おそるべき圧力なのだ。

それで、「塩畑」が復活されて、つくるのに1ヶ月かかる「塩」が販売されている。
1㎏、2000円。
安いのか高いのか?

そこは、まずは「お試し」が、困難なわが国屈指の「秘境」にあるのだった。

結果平等と平均の無機質

「神の前での平等」が、「平等」の概念のはじまり、だとされている。

しかしながらこの概念は、ユダヤ、キリスト、イスラムの「教え」から生まれたものだから、これらの宗教を信じるひとたちが多く住んでいる国や地域、あるいは人間集団間では「通じて」も、そうでないひとたちには通じない。

殊にわれわれ日本人は、外国人と接触する機会が限定されていた「背景」があったので、「文明開化」までは、ほとんど外国の知識がない状態で暮らしていたし、文明開化「後」も、人口の多数を占めた農民、あるいはその中の「小作」にとって、「外国が云々」とはほど遠い生活をしていたのだった。

地方の「名士の家」に残る、「開かずの金庫」を開けてみるテレビ番組の企画は、なかなかよくできていて、「空」の場合と「たっぷりある」場合とに完全に分かれている。

たっぷりある」場合の、その中身は、「土地権利書」や「株券」、「通帳類」が多く、その他に、古銭を含む「現金」がある。
なので、めったに「舶来品」が見あたらない。

むかしは、「舶来品」といえば、「万年筆」と「時計」だった。

もちろんいまでも「外国製の高級万年筆」や「時計」は健在だけど、それらを「舶来品」とは呼ばないで、メーカー名でいうことが一般的になった。
これには、「国産品の高級万年筆」や「時計」ができたからであろう。

しかしながら、「国産」は、機能的な有利はあるが、「所有価値」としての地位が確立しない。
これは、やっぱり「大量生産」の負の恩恵だといえる。

さてそれで、日本人の「神」とは、「欧米の神」とはぜんぜんちがう「自然崇拝」からの概念なのに、「God」を「『神』と訳した」ところから、混乱がはじまったといわれている。

けれども、その欧米だって、キリスト教「以前」には「別の神」が崇拝の対象だった。
たとえば、北欧などに伝わる「森の妖精」は、その名残であるし、ベートーベンの「第九」に至っては「別の神」を礼賛している。

さらに、かつての「当時」、皆殺しにあったからよくわからない、キリスト教「グノーシス派」について、ダン・ブラウンが書いた、『ダ・ヴィンチ・コード』が大ヒットしたのも、一種のバチカンやプロテスタントといった既存勢力に対する、「欲求不満行動」だったにちがいない。

ところで、よくわかっていない「けれども」、グノーシス派の「やばさ」はなぜか伝わっていて、それが、「神界」の「序列」を主張したこと、だという。

つまり、いわゆる「聖書の神」は、神界では「最低ランク」に序せられていて、じつはボスたる「最高神」がいる。
その最高神を信仰するのが、グノーシス派なのだ、と。
それで、「あなたの神は最低ランク」といわれたひとたちが、怒って皆殺しにしたと理由づけている。

この話は、なんだか「カインとアベル」の、人類最初の「殺人」に似ている。
日本神話の、「海幸彦・山幸彦」の話に似ている、ということは、ここでは未だ早い。

アダムとイブの長男カインは農業従事者となり、その弟アベルは羊飼いになった。
問題が起きるのは、「神への捧げ物」で、兄のカインが献げた農産物、弟のアベルが献げた、初子のよく肥えた子羊のうち、神はアベルのものを「選んだ」ことにある。

これに怒ったカインが、アベルを殺した。
人類初の殺人の前に、人類初の兄弟喧嘩が描かれている。
その「兄弟喧嘩」だけを抽出すると、「海幸彦・山幸彦」の話になるけど、日本神話では殺人には至らない。

なぜに全知全能の神は、「選んだのか?」が、聖書を基盤とする人たちの間で、大議論になってきたのである。
全知全能ならば、神の選択の「結果」も神は知っていたことになって、殺人を「教唆」していないか?という疑問である。

しかし、日本人がもっとも誤解している「この神」は、ぜんぜん平等ではなく、それは、「神自身の都合にすべてが支配されている」ことを、人間が「受け入れること」を「信仰」としていることにある。

その意味で、聖書の神は、人間の都合を無視する理不尽な存在だ。
逆に、日本の神々は、人間の都合をかなえてくれる存在なのである。

ゆえに、聖書の神を信仰するひとたちは、「機会の平等」にこだわって、日本人は「結果の平等」に重きをおく。
聖書の神が、人間行動の結果を決めるのだし、日本の神々は、人間行動を助けてくれるから、結果がうまれる。

つまり、日本人は聖書の「神」も、人間のためにある、とかんがえるけど、ぜんぜん逆なのである。

ところが、そんな「冷酷で残忍な神」を信じるものか!としたのが、ニーチェの「気づき」であった。
ニーチェの生きた「世界」は、聖書の神を信じるひとたちの世界だったから、驚天動地になったのだ。

それが逆に、ニーチェが意図したわけではなくても、「無神論という宗教」にひとびとを向かわせたのは、「真の選民思想」からだった。

これが、「大富豪なら特別だ」になったのである。
共産主義・全体主義にもっとも親和性があるのが、大富豪なのだ。

そんなわけで、「選民」として抜け出した大富豪たちは、なにランクであれ「神界」に入ったから、それ以外の人々に掟破りの「結果平等」を促して、新規の神界入りを制限させることにした。
「機会の平等」を、LGBT優遇やらで阻止することの真意がここにある。

これが、「平均」に集約させることの意味である。

日本人の特性は、これとはちがう思考回路での「結果平等と平均」だったけど、無機質にかんがえれば、おなじことだ。
それで、より従順に「結果平等と平均」を推進することが、日本支配(奴隷化)だけでなく、世界支配のセオリーになったのである。

よって、偏差値教育と受験制度は変えてはならないし、公務員試験も入社試験も変えてはならない。
むしろ、日本的方法(オリジナルは「科挙」(欧米では「中華方式」という))が、各国で採用されるのを喜んではならないのである。

すると、日本人奴隷化計画を壊すのは、偏差値教育と受験制度の「大転換」にこそ、「カギ」があることがわかるのである。