「景教」というキリスト教

クリスマス・ソングがどこでも聞こえるのは、空襲警報とかの緊急放送の試験放送なのか?ともおもえる昨今だけど、世界で一番キリスト教が普及していないわが国で、かくも世情にクリスマスが溶け込んでいるのも他に例はないだろう。

外国人旅行客の入国が「解禁」されて、世界各地からクリスマス休暇で来日しているひとたちは、ぜったいに日本はキリスト教国だとおもうにちがいないけど、それがたんなる商業主義によるものだと気づいたら、小池都知事がいわずとも「国中がワンダーランド」になって久しいことが理解されるはずだ。

それでまた、新築家屋に太陽光発電パネルを設置させる命令が可決されたから、さらなるワンダーランド化が推進される。
この一点で、小池氏の公約も一個だけ現実化したのは、小池氏に投票した都民にとってはご同慶につきない。
まさに、都議会にも達成感があふれたことだろう。

原因不明の東京をライバル視する、神奈川県に、この厄災が伝染しないように祈るばかりだけれども、菅氏や小泉氏や河野氏や甘利氏を選びつづける神奈川県民のアホさ加減は、それだけでもワンダーランドなので、嫌な予感がする。

せめて、東京電力が、電気の販売者としての社会的責任で、太陽光発電が普及すると電圧調整が容易にできる火力発電所を増設しないといけないから、電気代の値上げがひつようになります、とアナウンスしてほしい。
あるいは、北海道でおきたブラックアウト(電力供給の瞬間的不足でも発生する)が、東電管内で発生する可能性が高まります、とか。

とにかく、太陽光発電は、太陽がさんさんと輝く状態でないといけないから、雲の合間から覗く天気がいちばん危険だ。
瞬間ごとに電圧が変化するし、もちろん夜間は発電しない。

さらに、わが国製造業の最後の牙城たる、精密機器の製造には、そのマシンのモーター回転制御に、電圧の変化は致命的なのである。
都民は、町工場の世界最先端の実力をしらないばかりか侮っていないか?

なので、東京都のこの命令は、東電管内に住む他県のひとたちにも重大な影響を与えるので、他県は連携してこの条例の無効を求める裁判を起こすべきである。
「島原大変肥後迷惑」の首都圏版なのである。

クリスマスについては、過去にいろいろ書いてきた。
基本は、緯度が高いヨーロッパでの「冬至祭り」にある。
衰退してきた太陽の力が、冬至をもって徐々に力をますことを祝うのである。

ちなみに、2022年の冬至は、22日だった。

これが、「イエス・キリストの誕生」と結びついた。
ただし、イエスという人物が実在した証拠がないから、やっぱり冬至祭りが先にあったのだろう。
だとすると、緯度が高いヨーロッパとはどこか?という話になって、そこは「西ローマ帝国」ということになる。

学校の「世界史」で、共和制ローマから帝政ローマになったことをサラリと教えるのは、進歩するはずの歴史が、「退化」したことの順番だからもあるけれど、「帝国の定義」を教えると、日本がいまだに帝国であることが子供にバレるからだろう。

『旧約聖書』の舞台は基本的に、チグリス川とユーフラテス川の間あたり、つまり、メソポタミア文明があった地域(エデンの園)から、「出エジプト記」のようにエジプト文明に至る地域、それとシナイ半島およびその北部、トルコのアララト山(ノアがたどり着いた)である。

だから、「初期」には、ぜんぜん緯度が高いヨーロッパはでてこない。
それに、イエスの生涯を綴った、『新約聖書』も同様なのは、ベツレヘム(いまのパレスチナ)に生まれたひとの行動範囲はヨーロッパにまで及んでいないからである。

ただし、生誕のおりに、「東方の三博士(賢者)」がやってきて祝福する話(「マタイによる福音書」)の、東方とはどこか?ということがずっと問題になっている。
クリスマス・ケーキではなくて、ガレット・デ・ロワを食べるひとがいるけれど、この「デ・ロワ」とは、東方の三博士のことをいい、ガレットとは丸い形の焼いたものという意味だから、「三博士の丸く焼いたもの」である。

日本ではあまりいわないけれど地理的呼称では、ローマ・カトリック教会とは、「西方教会」といって、東ローマ帝国の「東方教会」と二分する。
西方教会から分かれたのが、プロテスタントだから、わが国でいうキリスト教の主流は、渡来した南蛮人以来すっかり「西方教会」のことなのである。

わが国でマイナーな「東方教会」は、たとえばロシア正教だと「ニコライ堂」でしられる神田駿河台にある「東京復活大聖堂」だ。
東方教会にはそれぞれ「総司教」とか「大司教」とかがいらして、ローマ・カトリック教会のような各派を統一する「教皇」は存在しない。

なので、別々バラバラだ。

シルクロードを通じて中国にまで伝わった「景教」という、東方教会もある。
それがまた、なんと時代は「唐代」のことで、唐王朝はこれを庇護した。
なので、おそらく遣唐使を通じてわが国にも伝わったはずなのだ。

すると、はるか後のザビエルが伝えた「西方教会」よりも、わが国になんらかの影響を及ぼしたのは「東方教会」の方になる。
たとえば、平城京(710年~784年)の遺跡からでた木簡に、ペルシャ人の名が大量に発見されて、万人単位で朝廷に採用されていたことが判明している。

このときのペルシャ人とは、できたばかりのイスラム教徒(613年頃成立)ではなくて、ゾロアスター教か東方教会の信徒が亡命してきた可能性もある。

空海が開いた真言宗の大本山は高野山だけど、ここに「景教碑(レプリカ)」が建っている。
オリジナルは、781年、長安の大秦寺に建立された、「大秦景教流行中国碑」で、1623年西安で発掘されたものだ。

碑文は古代シリア語で書かれている。
「大秦寺」の「秦」が、「秦氏の秦」だとする説もある。
謎の帰化人、秦氏の素性は、失われたユダヤ10支族のひとつとして、ユダヤ系キリスト(景)教徒という、ややこしい説の根拠になっている。

それで、レプリカがどうして高野山にあるのか?
おそらく「密教」との関連もあるにちがいなく、「密」という漢字の意味を問いたくなるのを抑えて、「発音の当て字」とすれば、ゾロアスター教に結びつくのは、お焚き上げで火を拝むからである。

秘密の部屋で秘密の儀式をしたから、ということではない。

人類最古の経典宗教、ゾロアスター教から派生したミトラ教のコピーがキリスト教といわれていて、ゾロアスター教と仏教の関連もなしとはいえない。
それで、このレプリカを建てたゴルドン夫人は、「仏基一元」(仏教とキリスト教はおなじ元)とのかんがえから、景教に注目したらしい。

なお、景教が、431年に異端とされた「ネストリウス派」というのも、最近では間違いで、イエスの教えにもっとも近いという説がある。
「景」の字を分解すれば、「日」と「京」で、「京」とは偉大という意味がある。

なんだか、日本人の琴線に触れるから不思議である。
むしろ「古神道」と「景教」が、一元なのかもしれない。

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