「消しゴム」をかんがえる

消しゴムが発明されたのは、その前に、鉛筆が発明されたからであった。

鉛筆の発明には、黒鉛の発見がないといけない。
『鉛筆の歴史』によれば、1560年代に英国北カンパ-ランドの鉱山で、天然の良質な黒鉛が見つかって、これに糸やらを巻いたり、木で挟むなりして手が汚れないように筆記具にしたのがはじまりだという。

英国とフランスの仲の悪さは、「百年戦争」(1337~1453年)が有名だけど、その後もナポレオン戦争(1799~1801年)まで、断続的に何度も戦争やら紛争をやっている。
それで、フランスへの黒鉛供給がとまるので、1795年にジャック・ニコラス・コンテが黒鉛と粘土を焼成してつくる、いまの「芯」製造法を発明した。

日本では、1887年(明治20年)に、「眞崎鉛筆製作所(現三菱鉛筆)」が創業された。
なお、岩崎彌太郎がつくった三菱と、三菱鉛筆は関係がない。

一方、消しゴムの方は、1770年にグッドイヤーが天然ゴムから製造することを見つけるまで、パンを押しつけて消していたというから、あまりよく消えなかったにちがいない。
いま主流の、プラスチック字消しは、1950年代の発明で、ここでも日本企業が世界にさきがけて製品化した。

なので、わたしの親の世代は、ゴム製のままの「消しゴム」がふつうで、「砂消し」と半々になっているものをイメージしていた。
それで、小学校入校時のわたしの筆箱には、製図用で高級だった「それ」が入っていたものだ。

しかし、クラスメートはプラスチック・消しゴムをつかっていて、その消え方が見事だったし、カスがまとまっていた。
女子は、いい匂いのするプラスチック・消しゴムをつかうのが流行っていたけど、あんまりよく消せなかったので、質を重んじる男子には不人気だった。

幼稚園のとき実施された、「知能テスト」で、第1問の答を書きまちがえたわたしは、まだ、世の中に消しゴムがあることをしらなかったので、解答用紙の枠中に書いた誤答をどうやったら消せるのか?をかんがえて、ついに指に唾をつけてこすったら、わら半紙に穴が開いた。

その穴をみつめているうちに時間がきて、とうとう、人生初の「再試」を受けるはめになったのである。
先生には、どうしたの?ときかれて、「紙に穴が開いた」ことを伝えたら、「消しゴムを貸してくださいって言ってくれればよかったのに」といわれ、そこで消しゴムの存在がわかったのである。

なんて便利なものがあるんだ!が、わが生涯における「はじめて」の記憶のひとつである。

だんだんと成長して、お小遣いをもらうのに、文房具を買うため、だといえばすんなりゲットできるので、文房具屋に行くのが趣味になった時期がある。

それでも、万年筆のハードルは高く、高校入学祝いにもらった1本は、ほとんど使うことはなかった。
薬品で消すのが面倒だったからであるし、あの漂白剤の匂いがいやだった。

社会人になって、ずいぶんと時間を経てから、万年筆の「沼」にはまったのである。
それもまだワープロが普及しはじめた頃で、会社の決裁書を起案するのに、鉄の事務用つけペンで書かされたからである。

インクは、経年しても色落ちしない「顔料系の黒」だった。
字は「墨」の黒で書くもの、という文化であるから、ヨーロッパの「青」とか、酸化して変色させる「ブルーブラック」が主流なのとは一線を画すのが日本における「公文書」の独自なのである。

鉄のペン先は、プラスチック・ケースにたくさん入った状態で売られているけど、それはペン先がダメになるよりも、顔料インクが固まってペンに毛細管現象がおきなくなるからだ。
連休とかで洗わずに放置して出社したら、もう固まって使用不能になっていた。

決裁書に書き間違えがあると、修正が面倒だから、一字一字をちゃんと書かないといけない。

私企業の社内といえども、民間では「公文書扱い」になるのが決裁書で、国家でいえば「持ち回り閣議」にあたる、法的効力をもつ。
つまり、「持ち回り取締役会決議」にあたるので、商法:会社法が適用されるのである。

むかし、事務職といえば定番の、「黒い腕カバー」は、顔料インクからワイシャツにシミができない防御だったし、すいとり紙も書いた字がこすれないようにしたものだ。
なにせ、このインクは消えないのである。

そこでかんがえてみたら、事務職には決裁書にかぎらず、筆記中の集中力が要求されていたことがわかる。

いまではパソコンが当たり前の、表計算だって、専門の「計算用紙:集計用紙」があって、重要な数字の資料なら、やっぱり鉄ペンで顔料インクをつかっていた。
むかしの手書きの資料は、民間も役所も、それが常識だったのである。

すると、職場における緊張感は、いまよりずっと高いはずで、そうでないと書き損じてしまう。
正式書類なら、ぜんぶ書き直しになりかねないのだ。

それでまた、「ペン習字」が流行ったのである。
あたかも、活字のように字の大きさも統一した字で書くことで、謄写版でも要求された事務能力のひとつだった。

これらの「書く」という作業は、職業上の立派な技能だったのである。

日本の生産性が、手書き衰退と比例してずっと低下し続けていることの理由に、ひょっとしたら、パソコンやワープロ・ソフトの普及が「仇」となっていないか?

手書き時代では、余計な事務の押しつけはムダだと歴然とするものだからである。

外国、とくに欧米諸国が常に進んでいる、ということはない。
けれども、おおくの国で、小学校入校時から生徒にはペン(握り方が強制される教育用万年筆)をつかわせて、消しゴムで消せる鉛筆やらを使わせないのも、妙に納得するのである。

鉛筆を発明しても、子供には万年筆を使わせることの意味を、改めてかんがえたいし、日本人なら「毛筆」を見直したいものだ。

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