二次元で生きている

ハッとする名言を、懇意にしている飲食店の社長が吐いた言葉である。

二次元とは平面のことだ。
接客サービスをする、お店の平面でしか思考がない、という意味だ。
あるいは、そんな平面での業務をどうやって廻すのか?に集中している、という意味でもある。

なぜならば、この店は、大繁盛店で、都合がいい日時を指定したいなら、ぜったいに予約しないと入店できないし、その予約も困難なのだ。
これを一家4人とアルバイト2人とでやっている。
なお、調理場の人数はべつだ。

接客要員が6人で、よくもこの席数の面倒を見られるものだと感心するが、ムダな動きがないばかりか、見事といえる阿吽の呼吸が揃っている。
短期のはずのアルバイトも、一人前の働きをするのも見事なのだ。
学生さんだから、どんなに長くても4年で引退してしまう。

つまるところ、この流れるような活気ある接客を、客は堪能しにやってくるのではないか?

ウェイター、ウェイトレスなんて、消耗品だといってはばからない経営者にであったことがある。
学校の成績が悪くて、進学できないで就職してくるのだから、我が社は掃きだめのようなものだ、と。

ならば自分でウェイターの仕事をしたことがあるのか?と質問したら、自分は経営者だから、そんなことはやったことがないと豪語した。
けれども、経営状況の改善をしたくてわたしに依頼したのだから、その原因を実態から分析するのは当然となる。

そうして、なんやかんやの後、敵情視察と称してこの社長がいう「凄い店」を見学に行った。
それはまるで、上記の店のような大繁盛店で、上記のように流れるような接客をしているのだった。

すると、この店には優秀な従業員が集まっている。
どうやって集めているのでしょうね?というから、店長に直接きいた。
「ふつうに募集しているだけ」とのこたえに、ぜんぜん納得しなかった。

それで、こんどは一番若いひとに目をつけて話をきいたら、店長や先輩たちがいろいろと細かく教えてくれるから、安心して楽しく働いているとの回答だったのだ。
しかも、ちゃんとしていて少しもぎこちなさがないのに、3ヶ月ほどの経験しかないという。

もう一度、店長に聞いたのは、社長は誰か?ということだったけど、案の定、店長が社長だった。

そんなわけで、困った社長に、接客体験をしてもらうことになった。
「接客なんか簡単ですよ」とうそぶいて、いざやってみたら、なにがなんだかわからなくなって、挙げ句にお客から煽られる始末だった。

以上は、平面にもならない、一次元の「点」の思考をしていたひとの例である。

しかし、「二次元で生きている」といった、冒頭の社長は、ほんとうは「三次元や四次元でかんがえることに憧れる」と話すのである。
当然ながら、三次元は「立体」のことであり、四次元には「時間」がくわわる。

人間は三次元で生きていて、四次元の世界はタイムマシーンがないかぎりどうにもならない。
だから、「時空を超えた」四次元は、思考の世界でしかないのである。

接客業にとって、「いま」だけをかんがえるのに、ふだんは平面しかないけれど、この世界の「いま」は、三次元だ。
たとえば、食材だけでも、地上のものと、海の中のものがあるし、高騰しているエネルギー・コストをかんがえたら、途方もないことになっている。

けれども、途方もないことだからかんがえることに意味はない、ということが嫌だといいたいのが、この社長の思考と欲求なのである。

そんな途方もないことを意識しながら、平面で生きているのだ、と。

だから、このひとは、いまの世の中が、途方もない方向へ向かって突き進んでいることを、途方もない不安の目で見ることができている。
「たかが飲食店のオヤジ」ではないのだ。
むしろ、話があうオヤジであって、なお、わたしよりまだ若い。

なにか途方もなくて、世の中がわかる話はないですか?といつも聞かれるのは、わたしにとっても、途方もない。

それで、このブログでも書いた、『ビルダーバーグ倶楽部』を紹介したのは、蔵書としている横浜市立図書館が目と鼻の先にあるからだ。
おそらく予約しても、すぐには借りられないけれど、気長に待って、忘れた頃に貸出の案内が来る方が、一層の途方もなさを理解できるだろう。

もちろん、世界も日本のマスコミも、メジャーなところはほとんど、この「倶楽部」の傘下に収まっている。
さほどの「大富豪たち」が、「言論」を買い取っている。

かつてできなかったのは、「大富豪」にも限界があったからだけど、世界をまたぐグローバル大企業の出現で、金持ちのレベルが人類史級にアップグレードしたことが「原因」なのである。

ゆえに、独占禁止法が、無力化してしまった。
この法律の適用をさせないための「おカネ」が、とうとう裁判官にも及んでいる。

すると、われわれは、ほんとうに二次元の世界だけに押し込められてしまうのか?という瀬戸際に、いま、あるのである。
不思議なことに、これを求めるひとたちが、あんがい多数になっている。

「SDGsバッジ」を襟に付けて歩いているひとが、それ、だ。

きっと将来、このバッジ(あるいは生体)にチップがついて、行動を監視されるようになるのだろうけど、つけないひとは、電子通貨が使えない、という処置をうけて、社会から排除されるにちがいない。

電子通貨こそが、人類支配の最終兵器なのである。
これを、倶楽部は「公言」しているので、念のため。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください