「いいひと」と「わるいひと」

むかし、うまい広告を矢継ぎ早にだしていたサントリーのCMに、「いいひとって寒いですね」というフレーズがあって、画像でウィスキーを飲めば温かくなるようなイメージを演出していた。

これは、キッコーマンの醤油のCMで、明石家さんまが「幸せってなんだろう?なんだろう?キッコーマン、キッコーマン♪」と歌っていた、「傑作」に匹敵するすごさだといまでもおもっている。

どうして、キッコーマンが幸せなのか?
「食卓を囲む家族の存在」そのものが、幸せ、だといえるし、たとえひとり飯でも、キッコーマンの醤油があれば美味しくて幸せになれる、ということだと解釈された。

ソ連がロシアになって、ウラジオストックを旅行したとき、宿泊したホテルのレストランは、「イタリアン」だったけど、ぜんぶのテーブルに、あのキッコーマンの醤油サシがおいてあった。

なんでイタリア料理店でキッコーマンの醤油なんだ?と、大いなる疑問になったので、質問したら、シベリア出兵(1918年~22年)でやってきた日本兵3万人が持ち込んだ「醤油」が普及して、この地域では食卓に醤油がない、ということがあり得ないからだ、という答だった。

あり得ない、という発想のあり得ない素直さに驚嘆したのである。

何気ないけど、「哲学的」ともいえるキャッチを生みだす専門家が注目されて、「キャッチ・コピー」から「キャッチ」を省いた、「コピー・ライター」という職業人が社会的認知されて、憧れになったのである。

では、「寒い」いいひとってどんなひとなのか?

自己犠牲の精神をもったひと、とかもあるけれど、他人に利用されるばかりで「バカをみるひと」という意味だろうか?
すると、正直者はバカをみる、ので、バカ正直はダメで、適度な嘘つきが「世渡り」には必要だということになる。

一直線のバカか、適度なバカか?
どちらにしても、いいひと、は損をするバカだから、ウィスキーでも飲んで自分を癒しましょう!ということなのか?

1996年のアトランタ・オリンピックで、3位に入った女子マラソンの有森裕子さんが放った、「初めて自分で自分を褒めたいと思います」が、なんだか新鮮だった。
それで、マスコミは「名言」として扱って、いまでも「名言」になっている。

この「新鮮」の意味には、ちょっとした「違和感」があったのだった。

なんだか日本人的じゃない、自己満足と自己陶酔の表現というものを、口外しないのが日本人だったからである。
ちなみに、このとき、有森さんは30歳(1966年生まれ)だった。

一般人が違和感を持つことを、「名言」として扱いつづけることは、やっぱりプロパガンダである。
本人の意思とは関係ないから、有森さんを云々する気は毛頭ない。
それでもって、いまでは十分「名言」になって、違和感を持つことが「変」になった。

これは、大袈裟にいえば、いや、大真面目に、「文化革命」なのである。
日本人の意識が、改造されて、それが成功したのだ。

ふつう、なにか悪い結果となったときの原因をさぐると、たいがいが「善意」からの判断が残念な結果になる。
最初から、「悪意」があって、そのまま悪い結果になることは滅多にないものだ。

しかし、プロパガンダはちがう。
その「目的」は、プロパガンダ自体の意図だから、最初から悪意なのである。
つまり、善人をして「悪化」させることが目的だ。

「自分へのご褒美」のどこに悪意があるのか?をかんがえると、「甘えの構造の容認」という「悪魔的ささやき」にゆだねることになるからだ。
子供は親に甘える構造で生きている。

思春期に、「反抗期」があるのは、子供からおとなへの成長によって、「甘えの構造」からの脱却をはかるという、重要な行動原理がある。
つまり、「反抗期」を経ておとなになるのだから、心の「はしか」のようなものだ。

だから、「はしか」にかからないで成人したら、それが命取りになることもある。

幼児期に「はしか」が流行れば、親はこぞって幼稚園や保育園に行かせて、なるべくうつして貰うようにしたのだった。
このくらいの知識は、当時のおとなたちの常識だった。

わたしは、ぜんぜんうつらずにいて、そうこうしているうちに、幼稚園が臨時休園してしまったのである。
「はしか」の流行がすさまじいという「理由」だったけれど、親からしたらどうしてくれる、だった。

そんなわけで、わたしは、「はしか」を還暦を超えてもやっていない。

もはや、わたしにとって怖いのはコロナではなく「はしか」なのだ。
だから、成人して、従兄弟の子たちが「はしか」にかかったときは、ぜったいに近寄らなかったし、従兄弟たちからも近寄ると危険といわれたものだ。

どうしてこのとき、通っていた幼稚園が臨時休園したのか?
いまでは「謎」のままだけど、わたしにとっては命にかかわる重大事の「悪意」にしか思えない。

そしてそれが、もしも「善意」のいいひとが園長だったからか?それとも行政からの指導だったのか?を思えば、いま「悪意」を予感するのは、あの優しい園長先生ではなく、やっぱり行政の影を感じるからである。

行政の悪意とは、責任逃れの一点に源泉がある。

だから、わるいひとほど「自己責任」をいっておきながら、「自分へのご褒美」を推奨するのである。

アメとムチ、そのものである。

「いい子」ゆえに反抗期を失って、あたまは子供なのに身体はおとなという「いびつ」な生き物に、日本人を改造したのである。
そんなひとたちが、50歳以下のぜんぶになった。

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