夏休み 城崎から その4

桶狭間から高速に乗って,中央道小牧東で一般道にはいった.
城崎に向かうときはここで国道19号にはいったから,これから中央道をつかわずに甲府にむかえば,片道分は一般道になる.

JR中央線に沿って木曽川を眼下に進むと,木曽義仲挙兵の地の看板がみえた.
信長の時代から,さらに時間をさかのぼって源平のたたかいだ.
義仲は,木曽川をくだって名古屋にでたのではなく,逆にすすんで越後にむかうという意外性がある.

いわゆる「倶利伽羅峠の戦い」で,敵将は平家直系,清盛の孫の維盛だ.
維盛といえば光源氏の「再来」といわれたというほどの美形で有名だが,光源氏は小説のなかのひとだから,「再来」ということはないだろう.
それに,美形でも,残念ながら戦下手で,富士川の合戦に水鳥の羽音に驚いて大敗し,義仲との決戦にも敗れて行方不明になっている.

それにしても,通信が不便だったはずの平安時代とて,武将たちの行動には「情報」の裏付けがある.桶狭間の織田側勝利の要因に,敵方の動きを察知する情報戦としての側面が重要であるし,義仲の「都を目指す」はずの挙兵でありながら,越後への行動も情報あってのはなしである.
情報が過多になった現代,「情報」の取扱方法で明暗が分かれるというのは,義仲や信長からいわせればあたりまえすぎて「笑止」といわれるだろう.

朝方には木曽川河口の長島をみたのに,昼過ぎにはもう木曽の山奥深くにいる.
なんとも便利な時代である.
整備された国道365号にはいって,伊那から諏訪に向かう.
伊那といえば,先回ふれた伊那食品のお膝元である.

この会社も「すごい会社」で,社是は「いい会社になりましょう」である.
「良い会社」ではないのがミソだ.
言わずと知れた寒天の世界シェア7割という超優良会社である.
和菓子の材料からはじまって,いまでは医薬品や航空宇宙分野というところまで果てしなく成長している.若いひとに人気の「10秒チャージ」の基剤も,この会社が開発した固まらない寒天である.

長年社長を務めた塚越寛現会長は,「年輪経営」を表明している.

ずいぶん前に小布施を旅したとき,そこの喫茶店の主人が,「目の前の家の高校生が子どものときから優秀で近所ではしられていたけど,ことし,伊那食品に就職がきまって,それはもう近所中の自慢になりました」とほんとうに嬉しそうに語ってくれた.
こういうことをいわれる会社である.

投資銀行で事業再生を担当していたとき,新入社員を募集しようにも,地元県立高校の就職担当の先生が,「お宅に就職させる生徒はいません」といって面会もしてくれないことがあった.
前経営者の素行がわかるというものだ.再生計画をひっさげて説明にあがり,父兄会でもようやく理解を得たのがおもいだされる.

グンゼもそうだが,地域からの「信用」を得るには,ただしい思想が必要なのだ.
ただしい思想で経営をしないから,事業再生という事態になる.当然だが,おおくの再生案件で,従業員の気持ちの荒みかたにも共通点はおおい.
なにを勘違いしているのか,従業員を奴隷扱いして省みない経営者はおおい.にもかかわらず,「従業員を大切にしている」と口にしてはばからないから,人格をうたがうのである.

そういえば,グンゼ博物苑の展示で,金融機関からの「信用」のはなしもあった.
日露戦争後の不況で,地元銀行からの多額の借入があったが,その銀行が破綻して当時大銀行の安田銀行がこれを引き受けるにあたってのエピソードである.
郡是の借金のおおくが無担保融資だったので,安田善次郎が不審におもって現地を視察すると,農家や工女たちの「日本一の糸をつくる」という気概に感銘し,「創業者の魂を担保」に経営支援を約束した,とある.

いま,銀行という事業の困難さがいわれだしている.
例によって,金融庁に依存してなんとかしてほしいという論調が多数だが,この元凶をつくった日銀もほっかむりはしていられなくなった.
それでも,地銀の苦境はたいへんな事態だとおもわれるが,「不動産担保価値しかみない」という悪しき因習を強制したのが金融庁の検査マニュアルだった.

明治の末期に,金融庁という役所が「なかった」ことが郡是を救った.
借りる側も貸す側も,「事業の本質」を見きわめる目があればよいのである.その目をもつはずもない役人が,法律をたてに命令すればどうなるかは,子どもでもわかる.
ところが,昭和の役人は法律ではなく,勝手に書いた「通達」一枚で命令するから,「法治」ですらない.

これに裁判所も知らんぷりしているから,どこにも役人を規制するものがいない.
統治の仕組みが制度疲労しているのがいまのわが国である.
地方優良企業の歴史がそれをしっかり教えてくれる.

ついこの間まで羨望だった静岡県の銀行が一転しての不祥事でやり玉に挙がっているが,経営責任を経営責任として果たせばよいものを,またぞろ金融庁のお役人になんとかせよと依存するのはいかがなものか?とおもっていたら,今度は有力政治家による金融庁の情報漏洩が問題になった.
こちらにこそ,役人と政治家という恣意的な歪みの本質的問題がある.

「信用」というものを踏みにじると,あたりまえのように存在していた「秩序」がたちまちのように崩壊する.
そして,いちど失った「信用」を回復するには,並大抵のことではない努力をようするのは,ふつうのひとなら心得ている.

「情報」の取扱をまちがえて,「信用」をなくすのは最悪だ.
平安末期の,言っては悪いが山猿的武将すら心得ていたことだ.
そして,育ちからでるどうしようもない乱暴な振る舞いが,都人の信用を失って自滅した.
千年もまえのことを繰り返す愚が,今日も目のまえでおきている.

夏休み 城崎から その3

伊賀から伊勢長島の遊園地を横目に,桶狭間へと向かう.

どちらも信長に関係するが,桶狭間に向かおうというのは,城崎の途中,長浜に向かう国道21号にあった「桶狭間タンメン」の岐阜県庁前店に入った縁からである.
昨年11月にできたというから,ご当地でも新参者なのだろうが,どうして「桶狭間」なのかの説明はないし,すでに5店舗あるものの,桶狭間地元の名古屋市に店舗はない.

だから,おそろしく地名とは関係ないネーミングなのである.
それでか,略して「桶タン」と自称していた.
しかし,期待の上はあるもので,以上のことをなんにもしらないで食べてみたら,なかなか関東ではない味で,空腹分のアドバンテージはあるけれど美味だった.

どこまでブランドとして浸透しているかはわからないが,店内はあんがいジモティーでも初心者がおおく,店員のファーストコンタクト的な説明を受けているひとがめだった.
繁盛店として,これからどのような展開になるのか楽しみな店ではある.
意表を突くネーミングから,ブランドへの成長,という意味である.

これで,「帰りには本当の『桶狭間』に行こう」となったのである.
だから,伊賀から亀山,鈴鹿とすすんで,長島スパーランドをみたときに,いっそう「桶狭間」への期待がふくらんだ.
長島は木曽川の河口中州島である.この巨大遊園地から10キロほど遡ると,信長による長島一向一揆鎮圧の悲劇の地,「長島城」跡地がある.
「一向宗」を「真宗」にしたのは家康だから,ネーミングの威力を家康はしっていた.この一揆鎮圧の無残さと住民パワーを忘れさせるためだろう.それで,すっかり「真宗」がブランドになった.

その信長をして,信長たらしめたのが「桶狭間」だ.
伊勢湾岸自動車道から名古屋南JCTで名古屋第二環状線にはいってすぐ,有松でおりて東海道に入るとあっけないほど近くの桶狭間交差点に「桶狭間古戦場公園」(右)の案内標識がみえてくる.
案内どおりに進むと,そこはなんと「ふつうの児童公園」だった.
しかも,公園の目のまえがホームセンターの駐車場である.

「えっ,ここ?」
桶狭間はぜんぜん「狹間」でなく,むしろよくあるなだらかな住宅地だ.
この場所に来た道の反対,国道1号の「桶狭間」交差点から「左」,名鉄本線の有松駅側がまさに「狹間」になっている.

学校でならった,えらい狹間の谷に休憩していた,というはなしではなく,山の丘陵地に本陣を構えたのが今川義元だ.これはセオリーどおりではないか.
桶狭間とは単純に地域の地名であって,歴史の現場が「狹間」だったのではないことにはじめて気がついたから,理由はなんであれ来てみなければわからない.

それにしても,織田家存亡をかけた一戦で勝利したことにちがいはない.
どうして信長が勝ったのか?
これはいろいろ調べてみなければ.
すると,逆に,なぜ今川義元が討ち取られたのか?
という問いも反対側にあるから,ますます興味深くなった.

現代の経済活動も,おなじ業界なのに成功する会社と衰退する会社がある.
こたえは単純で,「戦い方がちがう」からだ.
しかし,単純なこたえの中は単純ではない.
どうちがうのかが問題なのである.

一口で言えば,今川の「慢心」と織田の「真剣」ではないかとおもう.
これは、こころのありようである.つまり,心理であって気概でもある.
企業再生現場とたいへんよく似ている.

テクニックに優れているからといって,再生がかならずうまくいくことはない.
経営者と従業員のこころのありようが,決定的に明暗をわけるものだ.
今川はいまでいえば大企業.織田は新興の中小企業である.
両者は,「戦国大名」というおなじ業界に属していた.

ところで,鉄砲伝来は1540年ごろ.桶狭間の戦いは,1560年だから,鉄砲はどうした?ということが気になる.
しかし,当日はすさまじい雷雨だったというから,火縄銃の出る幕はなかったかもしれないし,雨上がりに今川軍が大混乱に陥ったのは,ありえない数発の銃声だったのかもしれない.

どちらにせよ,両軍は,伝統的な武器というおなじ条件で戦ったことになりそうだ.
数では今川圧倒的有利というが,義元の直衛部隊は織田よりやや多い程度だったらしい.
だから,守りよりも奇襲側が有利となる.

ところが,このような当日の現場での情勢は,その前日に用意されていた.
城攻めの今川方の行動が織田に把握されていて,義元直衛部隊から兵力を分散,城に引きつけるための捨て駒たる織田側部隊が「計画どおり」全滅している.
これに気をよくした今川義元は,慢心して直衛兵力の薄くなった本陣にて酒を飲むにいたった.

狹間を避け,高台にて本陣を構えた今川は,いわれてきたような凡将ではない.
しかし,常識を常識にしないのが信長だった.
「桶狭間」は,現地に行ってみて理解できた.
現代の経営者に,たいへんなヒントをくれることだろう.

それにしても,児童公園にホームセンターの駐車場だったのにはたまげた.
ただ,そこには目立たないように尾張藩士を父に持つ陸軍大将松井石根揮毫の碑もあった.昭和8年だという.

この年,松井は時代に抗う日中提携を主旨とする大亜細亜協会を設立し会頭となって,翌年予備役にはいっている.故郷を訪ねたおりの桶狭間だったのか?
しかし,時代は彼の隠居をゆるさず,上海派遣軍司令官になり,南京入城を果たす.
かくして,亜細亜主義を貫いたひとは「南京事件の責任」で死刑となった.

「桶タン」ではいかにも軽すぎるが,意外な味のある場所が「桶狭間古戦場」であった.

夏休み 城崎から その2

美山の途中,綾部のはなしがながくなった.
京都駅から直行バスがでているときいた「美山茅葺きの里」は,深い山の深山と,美しい山がかさなって,「美山」におちついたのだろう.
現代の快適なバスでも,2時間かかる.

途中の一軒宿に泊まることにした.
はなしずきな女将に,綾部のトンチンカン話をしたら,おおきくガッテンしてくれた.
なかでも,「ライバルは東京です.」の幟旗については,「他人は関係なく自分とこの魅力が大事なのに」といわはった.

商売がわかっているひとは,商工会にいないという証拠をまたみつけた.
こんな女将さんだから,どんな夕食かとしぜんに期待がたかまる.
それは、「鶏鍋」だった.名古屋コーチンと地鶏を掛け合わせたというから,軍鶏のような味わいがあるが,軍鶏ほど肉は硬くない.

地元の醤油と水と砂糖だけなのに,肉と野菜からのうまみでしっかりした味である.
その鶏の卵をつけていただくから,ユダヤ人が卒倒しそうな罪な食べ物になる.
罪なものは美味いにきまっている.
ところが,もっと美味いものがでてきた.

ご主人がつくる米であった.
小さいとはいえ,茶碗に四杯もたいらげて,かんじんの鍋の肉をあまらせた.
うっかりご飯をたべすぎて,鍋を完食できないことをわびたら,「そんな言いかたもありますか」と笑われた.

こうなると,朝食への期待はふくらむ.
パンが出てくることはありえない.
深い山の中とはいえ,若狭まではそう遠くない.
それで,若狭のかれいの一夜干しに例のご飯である.

久しぶりに,日本人にうまれてよかった,という朝食だった.
かれいの身は手で折ると,中骨だけがかんたんにはずれた.縁側の小骨はそのままいける.
うまいみそ汁に,三方の梅干し.
このあたりは,紀州の梅ではない.

京都の食が若狭に依存しているのがよくわかる朝食でもあった.
祇園まつりのこの時期,洛中では生鮨(鯖の棒寿司)を食する風習があるから,縁起物として馬鹿高い値段になる.
鯖は下魚あつかいされるけれど,鯖寿司となれば別格である.

江ノ島にそそぐ境川は,相模国と武蔵国の境だったからという名称だ.
この川の岸沿いには藤沢から横浜市瀬谷区まで,わが国唯一,七社の「鯖神社」が連なっている.
いくつかは「鯖」ではなく「左馬」と書くが,一日で全部を参拝すると御利益があるという言い伝えもある.自転車で回れるが,徒歩ではきつい.
おそらく,江ノ島沖でとれた鯖を川を遡って運んだのだろうというが,詳しくはわかっていない.

茅葺きの里は,じっさいに生活している家々である.
ここも,妻籠宿と同様に,すっかり開発から忘れられたのが幸いした.
当時の美山町が,その貴重さに気がついてずいぶんと予算を投じたという.
茅葺きの茅は,入会地の茅場で調達していたはずで,屋根葺き職人の手配もたいへんだ.
市になっても,葺替え費用の9割を負担して保存に尽くしているという.

大型バスで見学していたのは中国人観光客だった.
この光景をどのように感じ観ているのかわからないが,写真スポットは心得ている.
このエリアの駐車場は無料だが「心付け」のための箱が設置されていた.
これは,天橋立でも検討すべきではないか?

きれいなトイレも,休憩所も無料で利用できるのは,ヨーロッパでは論外である.
どんなによごれたトイレも有料がふつうだし,無料の休憩所という発想がないだろう.
「玄武洞」には,ボランティア・ガイドがいたが,ガイドが無料という発想もない.
免許をもったプロのガイドが,きっちりガイドしてその恩恵を有料で受ける.

日本にも国家資格で通訳案内士があるが,ありえないほどこれで食べていくことはできない.
ボランティアの心掛けはすばらしいが,「プロ」ではないものをたくさん欲しがるのが日本の行政である.
この逆転は,生産性に影響することもつけ加えておく.

美山の山中から高雄をこえて,洛中を南北・西から東に斜めに通過して,山城の国から伊賀に向かう.
つまり,但馬の国の城崎から,丹波の美山を経て山城の洛中を通過して伊賀の国へという順になる.なぜか,ふるい国名の方がわかりやすい.

関東平野という日本最大の平野に住んでいるから,ふだんは気づきがないし,新幹線という高速移動手段を利用すれば,箱根一帯のトンネル群を除けば海沿いを走るので,やっぱり気にしないが,自動車という交通手段をつかうと,たちまち「日本は山国である」という小学校で教わることの意味をしる.

岐阜まで中央道を行ったからなおさらだが,とにかく「山」ばかり.
その形状のちがいが,はるばるやってきた感を増幅はするものの,やっぱり山地にかわりはない.
長野県では,諏訪湖から登った県内唯一の県営射撃場からの,北アルプスを見通す眺めがすばらしい.
しかし,この景色は「絶景」ではあるが,「絶望」でもあったろう.
連綿と連なる山々の緑は,そこに人手による生産がなにもないことを示している.冬ともなれば,一面は白しかない.

だれがどうやって決めたのか?
律令制による「国名」のいわれは,ほとんど古代から現在までをとおして納得がいくものである.
もしかしたら,「うたごころ」があるからかもしれないなどとおもうのである.

夏休み 城崎から その1

京都といっても府内は美山が目的地である.いま美山町は,京都府南丹市に吸収されている.
途中,綾部市のグンゼ綾部本社の博物苑に立ち寄った.
ここは以前「京都府何鹿(いかるが)郡」の郡役所があった地で,波多野鶴吉が地域産業振興を目的として明治29年に設立したのが郡是製絲株式会社である.社名を「グンゼ」にしたのは昭和42年だと社史にある.

とにかく貧しい地域をなんとかしようとした,が創業者の原点である.

それが「絹」だったわけで,養蚕に関しては西高東低の歴史があるから,あとからすれば起きるべくしておきた事業だった.
「東低」の群馬県の富岡製糸場が明治5年に開業しているのは,「西高」の標準化だから,「国土の均等ある発展」という昭和高度成長の象徴「全国総合開発計画(全総)」の思想は明治からある.その国営冨岡製糸場は明治26年には三井に払い下げ民営となったから,「郡是」創業は時期として遅れていたのではないだろう.

有名な「女工哀史」はプロレタリア文学ではないと前に書いた.
郡是では創業の翌年だから明治30年に「夜学」を開始して女工の人財教育をはじめ,大正6年には学校を設立するにいたっている.それで,「表から見れば工場,裏から見れば学校」と世間から評されたというから本物である.

「働く本人のため,当社に信任しておられる父兄に報いるため,自分の娘としてよく面倒を見て立派な人にしなければならない」というのが創業者のかんがえであった.
いま,こうした発想の企業がどれほどあるのか?

長野県伊那市にある伊那食品の本社工場と資料館も同様で,「いい会社」にはちゃんとした施設がちゃんとつくられて,ちゃんと運営されている.
「いい会社」とは,「ちゃんとしたかんがえがある会社」だとわかる好例である.
だから,「まぁちゃんとしてる」が「Merchant」になったのではないか?と本気でおもいたくなるのだ.

昨今の「ブラック企業」という言いかたや「働きかた改革」の薄っぺらさの正体がここにある.
あのチェスター・バーナードが,名著「経営者の役割」を書いたのが昭和13年だから,グンゼ経営者の先進性がわかるというものだ.
つまり,資本主義にあっては経営者と労働者は対等で「労働契約を結ぶ」という概念こそが基本であって,これを現代の政府も日本企業のおおくも忘れているということの証左なのである.

その政府のトンチンカンぶりが,地方政府としての綾部市広報にみつけることができた.
日本が独立を回復したのが昭和27年であるから,占領中の昭和25年に,綾部市は「日本初となる『世界連邦都市宣言』を行いました.」と大書していまだ今日まで自慢している倒錯がある.
まさにGHQによる「War Guilt Information Program」そのものではないか.

いわゆる「財閥解体」指令によって,グンゼも免れることができなかったから,市の産業保護政策が,グンゼを解体消滅からまもるためにゴマをすったのかもしれないと邪推する.
もちろん,綾部発祥の「大本教」という宗教もわすれてはならない.ちなみに,大本教が生まれたのは明治25年である.

さらなるトンチンカンは,商店街にいくつもはためく幟旗にみつけた.
縦書きに「ライバルは東京です」とある.
だれがこれを考案したのかしらないが,どうしてこうなるのか?
グンゼという世界企業があるから,ライバルが東京になるという理屈なのか?としても,解せない.

そもそも,東京への憧れじたいがそうとうに古くないか?
グンゼを産んだ綾部こそ,独自の価値感があるとする「世界連邦都市宣言」を貫けば,「ライバルは東京」などという陳腐な標語は発想の外のはずだから,この一言をひねりだしたのは東京のひとではないかとうたがうのだ.

つまり,「世界連邦都市宣言」というトンチンカンと,「ライバルは東京です」というトンチンカンで,トンチンカンの二乗になっている.
この証拠物件が,綾部グンゼ博物苑のなかにある,「あやべ特産館」という施設である.

あたかもグンゼ商品の展示即売場かとおもったらさにあらず,管理・運営は「綾部商工会議所」だから,内部は推して知るべしであって,じっさいそのとおりだった.
ということで,これでトンチンカンの三乗になったから,「惨状だ」とおもわず苦笑するしかない.
館内には,申し訳程度のグンゼ商品があって,あとは魅力に乏しい地元商品と他地域の商品の混在である.

グンゼにおんぶに抱っこしてもらいながら,じつは蹴飛ばして自己主張してはばからない.
「自然」「手作り」「ぬくもり」などのお決まり表現で,逆に商品の陳腐さを演出するのは,俳句の夏井いつき先生ならなんと評するものか?絶望的な「才能なし」だと言われるだろう.
この人たちは,ほんとうに商品を売りたい,とかんがえているのだろうか?

このセンスが,ほとんど全国の商工会議所・農協・漁協に蔓延している.
まるで,ソ連のコルホーズの印象になるのは,原点の発想を同じくしているからだろう.
そういえば,この光景,どこかで見たような?
それは、豊岡の「じばさん但馬」という一般財団法人但馬地域地場産業振興センターがやっているショップだ.

かんがえ方が狂うと,結果がちがう.
こんなことに気がつかないひとたちが,この国にはごまんといる.

いや,そうではない.
さいしょから,売りたい,とかんがえてはおらず,商品の展示をすれば補助金がもらえるのだ.
つまり,補助金がほしいのであって,地元のどーでもいい物品に興味はない.
だから,店番の半分お役人風情のひとたちは,つまらなそうにレジ前に立っているだけだ.

「じばさん但馬」では,観光客にとってどーでもいいローカルラジオのトークが大音量でラジカセから流れていた.
ブルガリアの首都ソフィアの目抜き通り一等地にある,かつての国営デパート「グム」をおもいだした.

もっともグムは商品も入居する商店すらなく広大な空間があるだけだが,消費者がほしい商品がないままに多数展示してあるだけなら,むしろなにもない方がいさぎよい.
グムはいちど入れば二度と行かないが,日本の公共的特産館は,なにかありそうだとしてかならず裏切られるから,たちがわるい.

グンゼのすばらしい展示がかすんで,トンチンカンだけが印象づけられた綾部であった.

夏休み 城崎にて その2

城崎はスイーツ天国と化していた.
「湯上がりスーツ」としてもっとも手軽なのが,ソフトクリームだった.
温泉街中程から上流の店舗は,軒並みソフトクリームの形をした立体看板が立っている.
材料の牛乳にこだわる店,製造する機械の最新鋭を誇る店,バニラ味一筋にこだわる店,そして、ソフトクリーム専門店などなど.

これらの店は,本来土産物屋だったのだろうが,ソフトクリームで店内に引き入れる戦略をだれかがはじめて,一気に横並びの競争になったとおもわれる.
ただし,6カ所もある外湯を,一泊で制覇しようとすれば烏の行水のような入浴方法でなければ,湯あたりするのではないかとおもわれるほどの高い湯温だから,あくまで「仕上げ」のソフトクリームであって,外湯からあがる都度に食べるひとはそういないだろう.

わが家は当地での二泊を素泊まりにした.
一泊目は朽木の鯖ずしと,城崎地元の気の利いたスーパーから仕入れたミニトマトなどの野菜ですませた.
投宿した宿で,ひとつだけいただけなかったのが冷蔵庫である.
昔なつかしい,自動カウント式の瓶物専門販売機のアレであったが,とにかく市販の3倍という値付けがいけない.

しっかりコンビニがある現代で,これをやると商品が回転しなくなる.
いかに瓶にはいった飲み物でも,「賞味期限」というタイムアウトは確実にやってくる.
それでも,宴席での消費という技を駆使すればよいのだが,一部屋ずつの在庫管理と期限管理は面倒だから,おそらく人手不足のいま,これはしたくてもできないはずだ.

すると,「鮮度がいのち」と宣伝していたビールの鮮度がどんどんおちて,瓶だと缶より印刷がみにくいが,「日付」を確認するお客があらわれて,いらぬ謝罪までしなければならなくなる.
もちろん,そのとき,お客は市販の3倍という値段も意識してのクレームになる.

いったいいくらで仕入れているのか?
冷蔵庫に商品をいれて,「便利さ」「手軽さ」を売るのなら,おなじコンセプトのコンビニ価格とおなじにして「回転」させるほうがよほどこれらを「売る」ことの目的に合致している.
どうせいまどき,コンビニ商品を持ち込まないお客などめったにいないだろうから,すくなくても飲み物という持つと重いものは,部屋での買い物にしてもらう方がよほど気が利いているから好印象にもなる.

接客業は,「接客しているとき」にしかサービスをしているとかんがえない不思議なひとたちがいる.
旅館の「客室」という「商品」で,人間による接客は到着時に浴衣とお茶を煎れてくれる程度だが,お客はあとのほとんどの時間を,「部屋」ですごすのだから,「部屋が接客している」のである.この「無人の接客」を意識しないで接客業をしているのをどうおもうのか聞いてみたくなることがある.

おおくの温泉旅館街には,食堂が少ない,という傾向がある.
今様にいえば「ワンストップショップ」としてだが,ほんとうは「お客の財布の囲い込み」をはかるため,自館から外にださない戦略が有効だったから,宿の外には「歓楽的」な飲食店はあっても,「食堂」や「居酒屋」がすくない.これは,外湯の有無と関係なさそうだ.

だから,これらの店は地元人たちのオアシスになっていることがおおいから,地元人たちとの「ふれあい」には,もってこいの場所なのである.
城崎ではないが,中部地方の街の居酒屋で,家内が常連客の年配女性から抱きつかれて泣かれたことがあった.このひとは,漏電による火事で家族写真アルバムまでなくしたのを残念がっていた.自分の人生の記録がなくなったことを慰めたのが涙の原因であった.

城崎唯一の中華料理屋さんにお世話になった.
常連さんたちは忙しい主人の手間を省くため,勝手に冷蔵庫から飲み物を出して飲んでいた.
会話の様子から,今日は主人の気ままで開店したそうで,それで従業員がいないという.
「こう暑くっちゃうちにいてもね」といいながら,汗をかきながら中華鍋を振っていた.

街で一軒しかない貴重な店だから,お客の居ずまいもくだけている.
常連家族の会話やお一人様の様子には,日常そのものがある.
それに高校生ぐらいの主人の孫娘が友人を連れてきたのか,お手伝いは一切せずに飲み物とつまみを厨房奥からとると,そのまま座敷席に入ってふすまを閉じた.究極の「勝手知ったる」である.
今日店を開けた本当の理由は,これかもしれないとおもった.

城崎は十代の若者住人には厳しい街だろう.
都会といえば,豊岡まで行かねばなるまい.
歩いて行ける距離ではないから,孫にねだられたら断れない.
円山川沿いの県道一本が生命線になっている,この道が遮断されると城崎は孤立する.

ところで,城崎と豊岡の間,しかも城崎からみれば対岸側に「玄武洞」という名所がある.
ここは太古のむかし,火山活動によって地上に出た溶岩がつくった自然の造形でできている.
地質学では,「玄武岩」の名前のいわれになった地だと解説にあった.
城崎を愛した文人たちも,ここを訪れた.

JR山陰本線には,「玄武洞」という駅があって,その目のまえの対岸が「玄武洞」のある「玄武洞公園」になっている.ちなみに,豊岡のゆるキャラは,ここからとった「玄さん」だった.
ところが,直線で4~500mはあるこの川をわたる橋がこの駅周辺にはない.
「玄武洞」を見学したくて,うっかり「玄武洞駅」で下車したら,豊岡か城崎にしか橋がないから,上下線どちらかが来るまで最短30分は足止めされる.

日本人の「優しさ」を疑いたくなる「駅」である.
もちろん,ソフトクリームもない.
「玄さん」は,なにもしてくれず,つぎの列車を待つしかない.

夏休み 城崎にて その1

なんといっても志賀直哉の「城崎にて」が城崎を城崎にしたといっていいだろう.
この小説家が城崎を訪ねたのは,まだ環状線になっていなかった山手線にひかれたケガの湯治だったというから,当時としては地の果てのような気がしたのではないか.

この地がある兵庫県豊岡市は,鞄とコウノトリで有名だが,玄武洞という玄武岩の命名にもなったみごとな自然の造形も観ることができる.
コウノトリが生息するのは,わが国ではこの周辺にかぎられるそうで,温泉オリジナルグッズもコウノトリをモチーフにしていた.

城崎温泉は一級河川の円山川の鳥取側にあって,その対岸に湿地をかかえている.ここがコウノトリの栖だという.
東欧のルーマニアからブルガリア,ポーランドの川沿いにもアフリカ大陸から飛来するコウノトリの営巣が観られるが,ここでは,煉瓦作りの家の煙突や電柱の上に巣をつくる.

それで,本物の煙突に巣作りされると下に住む人間の暖がとれなくなるから,ダミーの煙突を屋根にすえてそちらに巣作りさせるので,一軒の家にいくつもの煙突があるようにみえる.だから,住民のやさしさがダミーの煙突の数になって,屋根が煙突だらけになった家もある.
電柱の頂上には,金属の網で床をつくってそこに営巣させている.

城崎では,そのようなものはなく,湿地にある巣のリアル映像が文学館のロビーで放映していた.
ヨーロッパ人は,人間がいないと生息できない鳥としてコウノトリをみて,その営巣をたすけているが,日本人は珍しいがふつうの野鳥としてみているようだ.

志賀直哉が,城崎温泉を日本の典型的な温泉地の代表と評したそうだが,自動車を通すための道路拡張で,ずいぶんと情緒は犠牲になったろう.これは文学館にある写真でわかる.
谷間の狭い地域が温泉地だから,道路づけ計画は大変だろうが,裏通りの拡張ができなかったのが「痛恨」といってよさそうだ.

それに,例によって貧しい昭和の急速な「近代化」がつくった鉄筋コンクリート造りの旅館群が,自ら情緒ある景観をこわして,いまはそれがよごれ寂れてさらに悪化させている.
「景観」という美的センスが乏しいことだけは,アジアの共通点ではないか?と確信するのは,日本全国共通であるから,城崎温泉が特別であるとはいえないし,むしろこれでも「保存」に涙ぐましい努力をしているはずだ.

電線の地下埋設工事がはじまっていたが,長野県の妻籠宿のような成功にはほど遠いだろう.
もっとも,この「無秩序」が日本的であるという外国人旅行客がいるから,本質とはちがった安心感でごまかすことができる.

USO放送局のNHKが「インスタ映えする街」としてこの温泉地を特集したそうで,それから若いカップル客が増えたと旅館の女将が説明してくれた.
たしかに浴衣姿のカップルが目立ったが,欧米人がきちんと浴衣を着こなして,ふつうに下駄を履いているのが印象的だった.

慣れないわたしには,下駄の鼻緒が痛いからと旅館でサンダルをすすめられたが,いかにもというビニールサンダルであったから,ならば自分のサンダルを持参すればよかったと後悔した.
雑貨店で足袋型の靴下をみつけたが,帰投間近のため購入しなかった.
あつらえた足袋を欲しいとおもう.なぜ下駄のあう温泉地で売っていないのか.

街を一望する温泉寺の横をゆくロープウェイは,有形文化財にもなっている.
頂上まで中間駅をいれてたった7分間だから厳しいが,外国語の観光案内がない.同乗する係員が英語で運転上の注意をうながしていたが,このロープウェイも温泉寺も,なにがすごいのか彼らにはわからないだろう.
こういうところが,「遅れている」ではすまされない放置感とガッカリがあるはずだ.

それは外湯も同様で,建築様式から湯の成分にいたって外国語案内がない.
だから,外国人観光客はかなりの情報を事前に,自分で得ないといけない.
すると,城崎自慢の「文学館」も,日本の近代文学をささえた文豪たちについて,どうやってしることができるのか?音声ガイドしか方法がなさそうなのは,たいへん残念だ.
それに,一般応募の短歌や俳句の秀作が展示されてはいるが,この説明は外国人にはしないのだろう.

酷暑の平日とはいえ,文学館の入場者はわたしたち夫婦だけだった.
館内撮影禁止でインスタ映えするはずもないから,日本人の若者も来ない.
どこかズレているのは,どういうわけか?
特別展が,「劇場法」制定で話題になった平田オリザによる宮沢賢治「銀河鉄道の夜」で,さらに満面の笑顔の市長とのツーショットが展示されていたのも原因か.まるで花巻温泉にきたようだった.

城崎温泉は高温の源泉を外湯に回して供給しているから,じつはどの外湯もおなじ湯である.
それで,温泉資源保護のため循環と消毒がおこなわれている.
これは,温泉マニアには痛い.

名物は日本海の「蟹」だから,いたるところに「蟹の宿」はあるが,シーズン外の夏場は休館状態のようだ.
おそらく冬場の「蟹」も,略奪的な乱獲で数がなく,だからといって客前に出さないわけにもいかないから,旅館の利益を圧迫していることだろう.伊勢の伊勢エビと似たような状態だとおもわれる.
だから一層の「雰囲気作り」という街中をテーマパークにした演出が重要になるだろう.これは,スポット地点でインスタ映えすればいいというものではない.

役所に依存せずにできるのか?
役所に依存しないでやり遂げた妻籠宿のすごさを改めてかんがえた.

夏休み 城崎まで その2

「略奪」が成立しないのは,「法」と「自由」を前提とする資本主義の原則である.
「法」とはあらかじめ決めたルールのことで,「自由」とは他人から命令や強制されない,つまり自分で決めることの自由である.だから,自由は法によって制限されるから,これはよくいわれる「自由放任」の「自由」ではない.

ところが,わが国ではこの大原則が歪んでいることが散見されるから,この国の「資本主義」をうたがうのである.それに,「自由」を「自由放任」の「自由」としか解さないから,ことはあんがい深刻である.

資本主義以前の経済体制を,「前資本」とか「前期資本」という.
わが国では,明治からはじまる「文明開化」が,資本主義導入のはじまりだから,いわゆる「江戸時代」は「前資本」の経済体制であった.

幕藩体制下における「法」は資本主義をささえるものではないし,身分制のもとでの「自由」は,資本主義の「自由」でもない.
大商人が存在しても,それは財力はあれど資本というかんがえ方があったわけでもなかった.

「前資本」の時代には,いまでいう「正統に稼ぐ」概念がなかった.
つまり,お互いの「自由」意志にもとづく同意による取り引きよりも,詐欺や略奪が一般的で,これに冒険がくわわった.もちろん今様の「正統」もあったろうが,ときにそれは「正直者が馬鹿を見る」といわれた.
初期のオランダ海軍もイギリス海軍も,海賊との区別がつかないのはそのためである.他国の商船を勝手に拿捕,略奪して戦費を調達したからで,「国際海事法」の基礎は,これらの行為の自主規制が原点にある.

東京にいると,あたかもわが国は資本主義国にみえてうたがうことが少なくて済むが,地方を旅すると,その仮面が剥げて透けていることがある.
これをみつけることが国内旅行の醍醐味だとすると気分が滅入るが,一方で,どうしてわが国の観光業や人的サービス業が,世界的に見て生産性が低いのかの理由をしることにもなる.

長浜から城崎を目指すコースはいろいろあるが,鯖街道の朽木宿の鯖ずしが食べたくて,いったん逆行した.おととしの旅でしった「味」がわすれられないから予約したのである.
ところで,わが国の漁業の実態はこのブログでも書いたからここでは重複をさけるが,「鯖」もおおくは獲れない魚になったのは,その略奪的な漁業に原因があると専門家が指摘してひさしい.それなのにいっこうに改まらないのは,漁業の発想が資本主義的でなく「前資本」のままだからである.

その鯖を獲るための基地が小浜港だ.
港よりも,商店街をみればその衰退ぶりがわかる.
漁業が成長産業になった北欧の国々と,なにがちがうのか?は,人口減少が問題なのだという前に,「成長産業」だったらどうなったのかをかんがえたい.

小浜から日本海沿岸を走って舞鶴を通過すれば,天橋立があらわれる.
ここの駐車場料金の略奪ぶりは,民業圧迫の批判をあびたくない「市営」をもってしておなじ料金で,一回600円でほぼ統一されていた.
小浜にある鯖街道起点の商店街は,30分無料だったから,生活感としていかがな価格設定か?

需要と供給で決まるのが価格の原則だとは承知しているが,きれいな景色がそこにあるだけ,という理由で略奪的な料金をつければ,そのほかの買い物をしたくないという理由が芽ばえて,かえって地元は衰退しないか?
おそらく,ここも「日本三景」にあぐらをかいて,長浜城より質の悪い「景色」だけを勝手に鑑賞せよと,観光客に放置プレーをしているにちがいない.
「観光」とは総合芸術的な「感情産業」であるという認識があるはずもない.

そういうわけで,わが家はここを通過した.
わが国を代表する景色よりも,そこに巣くう人びとを観たくなかったからである.
不景気だから観光客の財布の紐がかたいのではない.
財布の紐をゆるめる工夫が「面(産業)として」みじんもなければ,それは自分たちでつくっている不景気だと認識すべきだ.

こうして,衰退した集落を道々観察しながら,車は城崎温泉に到着した.

夏休み 城崎まで その1

どこもかしこも寂れた街がつづく.
このところ,なるべく高速道路はつかわないで,一般道路で移動している.
高速道路は,街を点として,点と点をつなぐ機能にすぐれているが,その地域に住むひとたちの暮らしをかんじることはほとんどできないという欠点がある.

一般道路は,通過するだけでも変化をかんじる.
国道ならば,全国チェーンの店もあるが,地元ローカルも点在するし,県道や市道になると,住人の息吹を街並みから垣間見ることができるような気になるから楽しい.
もちろん目的地まで時間はかかるが,それが旅というものだとおもえば,時間の節約はかえって野暮になる.

今回は,初めてずくしである.
長野県の伊那から中央道に乗ったものの,東小牧で一般道にはいった.ここからが「初めて」になる.
向かうのは,琵琶湖沿岸の長浜城近くの宿である.

夕食は宿ではとらずに外に出た.
夕方といえども,日中の灼熱が続いているから,とにかく暑い.
秀吉最初の居城としてしられる長浜城は,市民有志によって「再建」されたというが,残念なことに鉄筋コンクリート造りである.

市をあげて,秀吉の自慢はわかるのだが,長浜城のかつての姿はいかなるもので,それが城下として,現在の街のひろがりにたいしてどう比較できるのかかが,さっぱりわからない.
街を歩いていると,突然,「大手門跡」がでてきたりする.かつての城の大きさが忍ばれるとはいえ,例によって,他地域のひとにやさしくない.

朝,城のある公園をひとまわり散歩してみた.
すると,琵琶湖に沈んだ位置に,「秀吉の井戸」の遺構があった.
看板には,それを矢印でしめすだけで,なぜいま琵琶湖に沈んでいるのかわからない.
ここに井戸を掘るとき,そして完成したとき,秀吉本人がそれを直接みて大喜びしたにちがいない.
そんなことをより具体的に想像させる,材料がどこにもない.

しばらく歩くと湖畔に,ビニール袋が膨らんで落ちているのかと見間違えるものがある.草を踏んで近づくと,ガラスでできたボート型のオブジェで,「琵琶湖周航の唄」の記念碑であった.
これにも,なんの説明がない.
悲惨なボート事故に唄われる「地名」に長浜があるからなのか?
不明である.

そこから30mほどの場所には,長浜城の巨石の遺構がある.これには,発掘にかんする説明があった.
この公園の「埋め立て工事」によって発見されたとあり,その配置が刻んであるが,なぜか縮尺がない.それで,どのくらいの大きさだったかが,わからない.

わかったのは,公園を管理する市役所の看板がバイリンガルで,日本語とスペイン語だったから,この周辺にはスペイン語を話すひとが英語を話すひとより多そうだということだ.
いまはヤンマーの城下町だから,その影響なのか?

それに,ボランティアによる「ゴミ箱の(必要)ない豊公園に向かって進んでいます.」という不思議な看板と,花壇にあった市役所の「花を持ち帰らないでください」という看板が,妙に印象にのこった.
ゴミとともに,花も持ち帰るひとがいるのだろうか?
そういえば大阪のホテルが開業したときも,周辺に飾った花を近所のひとが鉢ごと持ち帰っていたのを思いだす.
係員が注意すると,「えっ!あかんのか?」という報告があったから,花の愛で方が関東とちがっていた.

琵琶湖が見渡せる場所から,沖合に「林」のようなものがみえた.あれはなにか?
ここからなにが見えるのか?
案内表示はどこにもない.
さっぱりした公園だったが,ドイツのディーゼル博士とヤンマー創業者の胸像がならんでいて,そのいわれと姉妹都市の説明は詳しかった.

出世に邁進した秀吉の,サービス精神が微塵も後世に伝わっていないことだけがわかった,という収穫があった.
ときに,長浜市は市議会選挙のまっただ中でもあった.
おそらく,何も変わらないのではなくて,何も変えたくない,ということを確認することになるのだろう.

わたしの人生で,あと何回この地を訪れることになるのかわからないが,個人的理由で積極的に訪問することはないだろう.

たまげる映画「原子力戦争」

40年前の1978年(昭和53年)の作品である.

だから,監督も出演者のほとんどがすでに鬼籍にある.健在なのは風吹ジュンひとりか.
原作者は,こちらも健在の田原総一郎氏.これは,もしかしたら氏の生涯における傑作かもしれない.残念ながら,わたしは氏の作品の読者ではないが.

舞台はあの,「福島第一原発」とその城下街である.
この映画には,わが国の世の中の構造が,みごとに圧縮して描かれている.
税収と街の行政,国家の意思としての警察,町民の暮らしと漁協,そして体制内の新聞社.
突撃撮影した原発入口での映像部分は,アポなし「ドキュメンタリー」であるという.
そこにいる,本物の警備員の対応のなんと「現代的」なことか.

DVD映像特典の田原氏によれば,このとき,監督は主演の原田芳雄が「逮捕されればよかった」と思っていたのではといい,本物のパトカーが何台も来たら迫力があったろう,と回想している.
物語は,連続殺人事件と原発事故の隠蔽工作が重なりながら進行する.
ラストにおける「犯人」の種明かしの衝撃.
なんとも盛りだくさんな映画である.

1973年(昭和48年)の石油危機は,翌年の74年になって日本に波及した.
このブログにも書いたが,「オイルショック」が高度経済成長を止めてはいない.本当は,田中角栄内閣による,無用のバラマキというムダが日本経済の成長を阻害したのである.

そして,イラン革命による「第二次石油ショック」は,1979年(昭和54年)におきるから,この映画はその直前にできた.
ちなみに,日本は優秀な経済官僚たちのおかげで,世界で唯一この危機を乗り切って,80年代の絶頂へと向かったことになっている.
しかし,実態はホンダ・シビックが象徴するように,経済官僚からのさまざまな嫌がらせを克服して開発し大成功したのだから,嫌がらせがなかったらもっとよかったろう.

岡田英次演じるところの「原子力の大権威」の台詞は,まさに電気事業連合会と経産省の主張そのもので,通産官僚だった堺屋太一の出世作「油断」は,すでに1975年に発表されていた.

2011年3月11日の地震の前と後とで,この映画の鑑賞における条件がかわるのはいうまでもない.
「前」なら,さもありなんの「反原発」を描いた社会派サスペンスになるのだろう.
ところが,現実が突きつきた「悪夢」以上の,人類史上「最悪」を目撃し,その始末がどうなるのか「わからない」まま,生きているわれわれに,この映画が突きつけるものは,「まだ甘い」のである.

専門家によると,後始末の時間単位は,「千年」から「万年」.
期待できる新技術に「百年」という単位がつかわれている.
費用は,計算できない.
しかし,もっとも深刻なのは技術者の育成で,「廃炉」の専門家のなり手がいないことだ.「百年」から「千年」単位で,どうやって技術者を引き継いでいくのか?
にもかかわらず,政府は「原子力の安全性は確認された」というからおそれいる.

福島第一原発は白くそびえ,それは科学技術という権威の象徴でもある.
対比される街は貧しい漁村だが,原発からの税収と,なんだかわからないけど,「事故」のたびにでてくる「漁業補償」という金づるは,工事関係者というよそ者の流入もくわえて,他に産業がない街の夜までも賑やかにする.

漁業をしなくても漁業でたべていけるようになれば,麻薬中毒より快適な暮らしである.
しかし,映像の街は,もうない.
だから,この映画の映像は,「かつて」の街の様子を撮影した「資料」にもなっているはずだ.

完全なる「依存」.
それは,戦前・戦中の「英米撃つべし」という民衆の大合唱に迎合した政府が決断し,敗れれば,政府の無責任をして,責任を転嫁するパターンのごとくでもある.
それで政府は,いかに「依存」させるかが,政策の成否の決め手であることを熟知している.
これを,古来「アメとムチ」といった.

忘れるのはいつも民衆のほうである.
「アメ」しかみない.
「アメ」しかみせないやり方に,まんまとはまるのである.
これを「利益誘導」というけれど,えさにつられて罠にはまる獣のような扱いをうけているのに,あとから「ムチ」で打たれてはじめて気がつくから,これらの人びとを「愚民」という.
それに,なんどもおなじやり方(政府はこの方法しかしらない)で,痛いめにあいつづけているから,ぜんぜん学習しないのである.

つまり,問われているのは「社会システム」そのものである.
この映画は「警告」にすぎなかった.
しかし,現実が物語をいとも簡単にこえたいま,「警告」として済ますことはできない.

大権威の岡田英次の博士はいう.
「(確率論から「メルトダウン」なんて)隕石にぶつかるようなものだ」
われわれは,隕石にぶつかってしまったのか?

そうではない.
「隠蔽体質」という習慣が,非常時にマニュアルの存在を忘れさせた.
われわれには,巨大な原発を製造できても,原発という巨大システムを運転することができない.
「ものづくり」の限界がここにある.

それにしても,登場人物がそろいもそろってよくたばこを吸うから煙たい映画でもある.
これも,現代の「禁煙ファシズム」を予感したのだろうか?

たまには,こうした重い映画で「たまげる」のもいいだろう.

種明かしをするマジシャン

マジシャン,むかしなら「手品師」が,いちど演じて拍手を得てから種明かしをして,もういちど拍手を得ることがある.
その見事な手さばきは,種が明かされたといっても,決して見劣りしないし,その場でやってみろといわれても,にわかに自分の手がいうことをきかない.

もちろん,一流で有名になったマジシャンがする,種明かしをしたマジックは二度とつかえないから,あらためてかんがえれば,すさまじい「自信」である.
こんなの「朝飯前」という余裕と,種はいくらでもあるという余裕なのだろう.
その発想の柔軟性に,驚くばかりである.

むかし勤めていたホテルで,顧客を対象にしたマジック企画をやったことがある.
少人数限定で,会場は個室をもちいた.
演目は二部構成で,第一部はプロマジシャンのテーブルマジックショーである.
第二部は,プロが市販の手品グッズの模範演技をしてから,二種類をお客様が選んで,これをマスターしてもらうための指導をする,という内容だった.

フリードリンクにしたが,だれもおかわりをしない,珍しい事象が起きた.
皆様それどころか,マジシャンの手許に「集中」していた.
第二部は,事前におもちゃの手品グッズでこれからどれかをマスターしていただく,と案内したのに,ショーの延長だと勘違いするひとがたくさんいた.

いよいよ,自分が選んだおもちゃでやってみるのだが,なんとも無様なのである.
それを,プロが丁寧にアドバイスすると,終了の頃には皆さん様になっていた.
その満足度は高く,スタッフにまで厚い礼を頂戴した.

おもちゃといえども,ちゃんと練習すると,すばらしい演技ができるものだ.
その種は,わかってしまえば実に他愛もなく,子供だましのようであるが,自信たっぷりの手さばきと組み合わさると,おとなが口を開けてしまうものに変身する.
これが,趣味としてマジックを愛好するひとたちのやめられない理由だろう.

すばらしい旅館も,これに似ている.
ほんのわずか,お客様の要望を先回りしてやってくれることが,いわゆる「気遣い」であって,それがたいへん心地よい.
その心地よさにうっとりする姿をみることが,サービス提供側のやめられない理由だから,マジックとおなじなのだ.

だから,すばらしい旅館には,種も仕掛けもたくさんある.
お客様に,「種も仕掛けもありません」ということまでマジックとおなじだ.
その種や仕掛けは,どうなっているのか?
じつは他愛もないことであることがおおい.

しかし,サービス手順のいたるところに種と仕掛けがあって,そのうちのいくつかを,地雷のようにお客が踏むと,この地雷は心地よさを爆発させる.
いい宿は,これらの種や仕掛けを,ドンドン仕込んでいる.

ちょっと前までは,アナログで仕込むしかなかったから大変だった.
秋になってリスが餌を地面に隠す行動をするが,そのおおくが忘れられて,春に発芽する.
木の実というリスへのご褒美で,いくつかを地面の適度な深さに埋めさせる木々の戦略は,おそろしくよくできている.
しかし,人間がやる仕込みは,忘れてしまうと結果が出ない.

いまはデジタルの時代だ.
おかげさまで,デジタルだと検索が簡単にできる.
それで,せっかくの仕込みを忘れないですむし,思いださせてもくれる.
これは便利な時代になった.

ところが,アナログだろうがデジタルだろうが,お客様のちょっと先をいく種と仕掛けをあらかじめ仕込んでおこうという「意志」がなければ話にならない.
つまり,この「意志」の有無こそが,その後の明暗をわけるのである.

マジシャンから,すごいことが学べるものだ.